急転
翌朝の新聞は、イライアスの死刑判決を報じる記事で埋め尽くされた。5件の殺人と1件の殺人未遂に有罪評決が下り、陪審員は検察側の主張を全面的に支持したと記事は詳細に伝えている。
判決に対してイライアス側は即日上訴したが、2日後には控訴棄却の判決が下された。これにより、イライアスの死刑が確定。
一方ロムシェルは、イライアスの影に隠れて大々的に報じられこそしなかったものの、判決の翌日に逮捕された。容疑は贈賄と証人の誘拐未遂である。
更にひっそりと朝刊の1紙だけに、ロムシェルの手記が掲載された。内容は北部シュタール鉄道の車両不備と、その責任の所在は自らにあると告白する独占手記である。罪を認めなければ新聞社に暴露するというソフィアの牽制が効いたのか、はたまた家族に累が及ばぬよう全ての罪を引き受けることにしたのか、ロムシェルの胸中は定かでない。
唯一暗殺者が見つかっていないという事実を除けば、バスカヴィル家の事件は収束に向かって大きく動き出していた。
判決から数日後、ソフィアは久しぶりにハイゲート墓地を訪れた。バスカヴィル家の人々に判決の報告をする為だ。
馬車を降りた瞬間、陽光の眩しさにソフィアは目を細めた。肌を焼く日差しは日増しに強まり、夏の訪れを予感させる。
丘を横切り、バスカヴィル家の墓前でソフィアは膝を折った。花を手向け、黙祷を捧げる。後方ではライオネル達護衛が、そっとソフィアを見守っていた。
瞑目したままイライアスに死刑判決が下った事を報告した後、ソフィアはそっと瞼を開けた。
ーー全てが終わるまでには、もう少しかかりそうです。
心の中で3人に語りかける。
本当は何を置いてもレイモンド自身が報告に来たかったはずだが、今は難しいだろう。復讐が終わるまで、おそらくここを訪れる事を自らに禁じているはずだから。
アドルファスもエミリアもジョエルも、レイモンドにこそ弔って欲しいに違いない。
ーー今は私だけですが、いつか、きっと。
こっそりとそんな決意を固めるソフィアの頬を、風が優しく撫でてゆく。
一人墓前に向き合っていると、普段は口にできない疑問が次々に浮かんでは消えていった。ソフィアの思考はとりとめなく、あちらこちらへ彷徨った。
ーー私はちゃんと役に立っているのでしょうか。
答えの出ない問いを投げかける。
それはここ数日ソフィアの中でずっと、燻っていた不安だった。
もうひとりでは行かせないというあの誓いを、自分は守れているのだろうか。レイモンドの迷惑になるという理由で距離を置くことは、単なる自己保身になってはいないだろうか。
沈黙する墓前で、ソフィアは自問を繰り返す。自分にできることは何なのか。レイモンドの抱える痛みや重荷を引き受ける事はできないのだろうか。せめてその心を少しでも軽くできたら。
そして復讐が終わった後、彼が憂いなく笑う日が来たら。そうしたら、いつか。
ーーここに、二人で来ます。
その願いを胸に秘める。
20分ほどその場に留まった後で、ソフィアは立ち上がった。
家に帰り着いた時には日がわずかに傾きはじめ、西日がソフィアの部屋を明るく照らしていた。
「ただいま」
「……おかえり」
部屋で待っていたアルマは、ソフィアを見てもぼんやりとしていた。最近のアルマは心ここにあらずといった様子で、ソフィアの言葉にも生返事を繰り返している。この日も物思いにふけるアルマに、椅子に座ったソフィアは心配そうな目を向けた。
アルマがこんな風になるのは、ナサニエルのこと以外ありえない。いまだに見つかっていない暗殺者の事が、きっと気がかりなのだろう。
そこまで考えて、自分は役に立っているのだろうかという先程の疑問が、今度はアルマに対して湧き上がった。
「ごめんね、アルマ」
「え? ……な、何よ。急に」
突然謝罪を口にしたソフィアに、アルマがパチパチと目を瞬かせた。慌てているようにも、当惑しているようにも見える表情で、アルマはソフィアに顔を向ける。
「私助けてもらってばかりで、何もできていないから。ナサニエルの復讐に協力すると言ったのに」
眉尻を下げたソフィアに、アルマもまた困り顔である。
ーー私だけでは、何もできなかった。
グウィン探しも、証人襲撃計画の阻止も、ロムシェルの自供を引き出したのも、全部アルマが協力してくれたからできたことだ。ソフィアだけでは、きっと何もできなかった。アルマの為に何かしたいと思うのに考えれば考えるほど何をすればいいのか、ソフィアには分からなくなっていた。
ナサニエルへの復讐の為にどう手を貸せばいいのか、いまだに答えは出ない。かつては法の裁きを受けさせるのだと思っていたが、レイモンドの話を聞けばそれも難しいようだった。そうなるともう、ソフィアには何ができるのか分からなくなってしまう。
「いいのよ」
ソフィアの意図を汲んだように、アルマは首を振った。
「誰もソフィアがナサニエルに手を下すことなんて望んでない。私だってそうよ」
ソフィアは申し訳なさにうなだれる。
「私、何もアルマに返せてない」
「だからいいって言ってるじゃない」
「でも」
「ソフィアが謝るなら、私だってソフィアに謝らないといけなくなるわ」
「謝る?」
ソフィアは怪訝な顔になる。アルマが謝罪するようなことなどあっただろうかーーそんなソフィアの表情に、アルマは苦笑いを浮かべた。
「出会ったばかりの頃、ソフィアにつきまとって怖い思いをさせたでしょう? あの時のこと、一度も謝っていなかったから」
ずっと気になっていた、とアルマは言った。
「そんな昔のこと、謝らなくていいのに」
「その言葉、ソフィアに返すわ。ナサニエルの事でソフィアが謝る必要はないって」
何と言えばいいのかソフィアが考えあぐねていると、唐突に扉が叩かれた。
「お嬢様、今よろしいですか」
声の主は護衛のアンガスである。何か急用だろうかと、ソフィアは立ち上がった。常日頃アンガス達護衛は、ソフィアが屋敷にいる間は護衛専用の控室にいる。護衛の任に当たっていなくとも、鍛錬に武器の手入れにと、決して暇なわけではないのだ。
普段は用もないのにソフィアの部屋へ来ることなどまずありえない。それで何かあったのではと、ソフィアは考えたのだった。
「どうぞ」
驚きつつもそう答えると、アンガスは数センチ程開けたドアの隙間からするりと中に入ってきた。がっしりとした体躯の、黒髪短髪の男が現れる。
「アンガス、どうしたの?」
「実はお耳に入れたい事がございまして」
ソフィアの質問に、アンガスは深刻な表情で声を潜めた。
会話を聞かれていないか廊下を確認した後、アンガスはそっと扉を閉めた。その様子はそわそわとして落ち着きがない。
「何かあったの?」
心配そうにソフィアは尋ねる。
長年ソフィアの護衛を務めるアンガスが、これ程神経を尖らせているのは滅多にないことだった。
「実は……こちらを見ていただきたいのです」
神妙な顔でアンガスはソフィアに近づくと、懐にあるものを取り出そうとする。ソフィアもその言葉に真剣に耳を傾けようとして、不意に視線の先に信じられないものを見つけて固まった。
「ソフィア!」
アルマが叫んだのと、ソフィアの耳に冷たく響く声が届いたのが同時だった。
「ーー静かに。声をあげないでください」
懐から抜いたアンガスの手に黒光りする拳銃が握られているのを見て、ソフィアは息を止めた。恐怖で身体が動かない。己に向けられた銃口に、ソフィアは表情を凍りつかせる。
「アンガス……どうして……?」
震える声でソフィアは茫然とそう言った。アンガスは苦しげな、けれどどこか覚悟を決めたような顔をしている。蒼白なソフィアを見つめながら、アンガスが口にしたのは謝罪だった。
「申し訳ありません、お嬢様。ですが貴女を連れて行かねば、サラがーー娘が殺されてしまうのです」




