判決
廷吏の言葉は、評決を待つ人々に瞬く間に伝わった。
法廷の外で時間を持て余していた者達が、一斉に戻って来る。ものの数分で、あたりは一気に騒々しくなった。結審後帰った人間は、ほとんどいないようだった。国中の耳目を集める裁判である。判決を見ずには帰れない、ということなのだろう。あっという間に席が埋まり、レイモンドの周囲を喧騒が包んだ。
評決が出るまでの5時間は、レイモンドの胸にじりじりとした不安を植え付けるには十分だった。評議が長引いたという事実は、陪審員の迷いや葛藤の証左といえる。レイモンドは珍しく緊張して、心を落ち着けようと深く息を吐き出した。
15分程して、最初に入廷したのは、イライアスだった。この5時間で平静を取り戻したと判断されたのだろう。
イライアスの姿に、潮が引くように人々のざわめきがおさまる。途端、しんとした静寂が訪れた。憲兵に付き添われて無言で被告人席に座ったイライアスの顔には、厳しい表情が浮かんでいる。そこに初公判時の余裕は見る影もない。
続いて裁判官が席につくと、陪審員が列をなして入ってきた。一様に重い表情のまま、陪審席に腰を下ろす。
陪審員達の中で唯一立ったままでいるのが、おそらく陪審長なのだろう。50代くらいの、厳粛な雰囲気を纏う男である。
裁判官はイライアスに顔を向けると、「被告人は立ちなさい」と命じた。
イライアスが立ち上がったのを確認すると、裁判官は落ち着いた声音で口を開いた。
「陪審員は評決に達しましたか?」
「はい、裁判長」
陪審長の男が重々しく頷いた。
そのまま、評決の記された紙を裁判官に手渡す。裁判官は無表情でその中身に視線を走らせた後、再び紙を男に返した。
「オズワルド・バスカヴィル伯爵の殺人未遂罪について、どのような評決に達しましたか?」
「有罪です」
傍聴席がざわついた。裁判官は更に問う。
「殺人罪についてはどうです?」
「有罪です」
それは法廷の隅々にまで聞こえる、強く明朗な声だった。レイモンドの後ろで誰かが、「正義が勝った!」と快哉を叫ぶ。
イライアスはただじっと、前に座る裁判官を睨みつけていた。
「静粛に!」
裁判官が木槌を鳴らして場を鎮める。
「それでは、刑を言い渡します」
イライアスの視線を受け止めながら、裁判官が厳かに口を開いた。続く言葉は有罪評決の後の、予定調和とも言える内容だった。その言葉の意味をイライアスに理解させるように、裁判官はゆっくりと語りかける。
「イライアス・フェラー。あなたの犯した罪は重い。無辜の5人を身勝手な理由で殺め、自身の罪を隠すために更なる犯罪に手を染めた。犯行は残虐で、動機に酌量の余地はありません」
そして遂に判決の時は来た。
「ーーよって、被告人を死刑に処する」
その瞬間、地鳴りのような歓声が傍聴席から沸き起こった。求刑通りの死刑判決。
耳が潰れそうな騒がしさであったが、レイモンドには人々の声がどこか遠くに聞こえていた。
ーー父上、母上、ジョエル。
心の中で語りかけていたのは、亡き家族への言葉だった。
ーーやっと。やっとだ。
どれほど、この時を待ちわびたことか。
レイモンドの心は、不思議なほど落ち着いていた。もっと様々な感情が嵐のように去来するものかと想像していたのだが。興奮も感慨も、湧いてはこなかった。
それはまだナサニエルへの復讐が終わっていないからかもしれないし、イライアスの有罪を単に実感できていないからかもしれない。イライアスに死刑宣告が下されたことは、確かに一つの区切りではあったが、復讐はまだ終わっていない。
今はただ、最低限やるべき事をやったという安堵だけがある。
レイモンドがそんな事を考えている一方で、傍聴席の興奮はおさまる気配がなかった。
判決後、人々の罵声を浴びながらイライアスは憲兵に腕を引かれてよろよろと歩き出した。両脇をがっちりと固められ、扉の前まで来た所で、イライアスは立ち止まる。そのまま首を巡らして傍聴席の方を見ると、「覚えていろよ」とくぐもった暗い声を発した。どす黒い憎悪の炎が、イライアスの瞳に宿っている。
「私の死を喜ぶ人間どもに、どうか天罰がくだらんことを!」
それはまさしく、呪いの言葉。
熱狂し昂ぶった傍聴席が、すくんだように静かになった。一瞬にして人々の瞳には、怯えが広がる。
イライアスの言葉を、レイモンドは無感動に聞いていた。元より天罰を信じるような信仰心の篤い人間ではなかったし、仮に天の意思があるならば、天罰が下るべきはイライアスの方だろう。レイモンドを生かし、イライアスへ復讐を果たす機会をくれたのだから、むしろ天はレイモンドの味方と言える。
憲兵はそれ以上の言葉を許さぬように、イライアスを法廷から連れ出した。その姿が見えなくなると、途端、イライアスへの悪態が再開される。
怒り、蔑み、嘲り。この場にいる人間の様々な感情が渦巻いている。
そんな中、レイモンドの心は既に次に向かっていた。
ーーあと、ひとり。
灰色の双眸を持つ、ナサニエル。
あの男への復讐で、全てが終わる。
満廷を見下ろしながら、裁判官は己の職務を全うすべく、木槌を叩く。ガンッガンッという小気味良い音が響いた。
「これにて、閉廷します」
その一言を最後に、この年最も注目を集めた裁判は幕を下ろした。