協力
『息子、ですか』
レイモンドは眉間に深い皺を作った。
『そうだ。お前の復讐に手を貸してやる。敵に偽りの姿を信じ込ませるなら、出生から偽装すべきだ。ーー私の隠し子だということにすればいい』
そう続けたメイソンに、レイモンドは明らかに戸惑ったようだった。
『……なぜ急に』
当初レイモンドが語った計画は、メイソンの人脈と財力を使って、自身がイライアスの周囲に潜り込むというものだった。
『実は少し前から考えていた。協力するなら、中途半端な事はしない。お前の正体が暴かれれば、こちらもただでは済まないのだから。やるなら徹底的にやるべきだ』
言葉の裏にある真意を読み取ろうとするかのように、レイモンドはじっとメイソンを見つめた。しばらく考え込んだ後で、レイモンドが口を開く。
『いいのですか。私のことを外に作った子供だと喧伝すれば、貴方のこれまでの名声を傷つけることになる』
メイソンのボリスでの評判は、賞賛を越えて信仰の域にまで達している。孤児達を救う人格者であり、亡くなった妻への愛を貫く愛妻家でもある。聖人君子という言葉はメイソンの為にあるのだと、ーーそう人々はメイソンを評した。
『今更少し評価が落ちたくらいでは、びくともしないさ』
軽く笑って、メイソンはレイモンドの懸念を一蹴した。
『それにステラも怒るまい』
もし彼女が生きていたらきっとレイモンドを気に入ったはずだと、メイソンは思う。レイモンドは尚も難しい顔をしていたが、数秒沈黙した後、口にしたのは質問ではなかった。
『ーーありがとうございます』
まだまだ聞きたいことはあったはずだが、レイモンドはそれらの疑問を飲み込んだ。メイソンの気が変わるのを、恐れたのかもしれない。
『それから、髪を染めなさい。元々瞳の色は私もお前も黒なのだから、髪を染めれば実の親子らしくなる』
『屋敷の者や製鉄所の人間にはどう説明を?』
使用人や従業員には、レイモンドが黒髪である事は既に知られている。
『私がお前に命じて黒く染めさせていたことにすればいい。地毛は赤毛ということにしよう。お前を息子として公表するまで、親子関係を隠していたのだと言えばいい』
『なるほど』
得心したように頷いた後、「ならば段階を踏みましょう」とレイモンドは言った。
『イライアス自身に私のことを調べさせたいのです。自分で辿り着いた答えを、人は簡単には疑えない。たとえそれが誰かの手で用意された答えであっても、自分自身で探し当てた真実だと信じ込ませればいい』
『具体的にはどうする?』
『隠し子だと大々的に発表するのは、ギリギリまで待ってもらえないでしょうか。ごく一部の人間だけに打ち明けて、噂を広めます』
真剣な顔つきで、レイモンドは復讐の為の道程をメイソンに説明した。偽りの出自をイライアスに信じ込ませる方法。3年という年月をかけて、レイモンド・マックスウェルという男の人生を作り上げようというのである。
『噂を流し、イライアスに私のことを調べさせます』
レイモンドの構想を、メイソンは聞き入れた。
メイソンがレイモンドの復讐に協力しようと決意した理由は様々あって、その時の心情の全てを説明することは難しい。
理由の一つには無論、ロムシェルへの復讐がある。レイモンドの言葉に、メイソンの中にくすぶっていた復讐心が刺激された。ロムシェルを野放しにしたまま死ねないと。今のメイソンなら、ロムシェルを追い詰めることも不可能ではない。
だが最大の理由は、レイモンドという少年の中に未来への可能性を見出したからだった。
この少年をここで潰してはいけない。誰かが助けてやらなければ、いつか本当の狂気に落ちてしまう。そう思ったから、手を貸すことにしたのだ。
要は、気に入ったのだ。
復讐に燃える気持ちが誰より理解できるからこそ、余計に放ってはおけなかった。
復讐の先にあるものを見たかった。復讐を遂げた後、その先に幸せな未来があってもいいではないか。レイモンドはまだ若い。これからいくらでも幸せになれるのだ。
自分がかつて人からチャンスを与えられたように、この少年に今度は自分がチャンスを与えたかった。最終的にメイソンの背中を押したのは、恩人であるビルからかつて言われた言葉だった。
『もしも私に助けられたと恩義を感じているなら、今度はお前が別の誰かを助けてやれ』
その一言が、メイソンを決断させた。
この3年、レイモンドは一分一秒たりとも無駄にはしなかった。全ては仇敵への復讐を果たす為、己の限界まで能力を磨いてきたのである。
メイソンは自身の知識の全てを教え、レイモンドはそれを吸収した。メイソンの後継者として人々の信望を集め、その実力を認めさせたのは、ひとえにレイモンド自身の努力の賜物であろう。
自らの立場を確立する一方、来たるべき日に向けての準備も、レイモンドは怠らなかった。
3年の間にポールをイライアスの秘書として潜り込ませ、シュタールの有力者達との繋がりを作った。イライアスやオズワルドを嵌める為の算段は、全てレイモンドが立てたものだ。
3年という年月を経てあの頃を振り返ってみても、復讐に手を貸したことをメイソンは後悔していない。
レイモンドはメイソンの期待に違わずその能力を伸ばしてきたし、その成長ぶりには目を見張るものがある。
3年の間にレイモンドは自らの本心を隠す術も身につけるようになっていた。元々分かりやすい人間ではなかったが、成長するにつれ、レイモンドは表面を上手く取り繕う術を覚えたのだ。鋭い雰囲気は隠しようもなかったが、穏やかな口調と柔和な笑みで、本心を相手に悟らせなくなった。
そういう秘密主義な所が、逆に周囲の興味を掻き立てたのかもしれない。レイモンドにはある種の、妙に人を惹きつけるところがあった。柔和な仮面の裏にある内面の複雑さを、人々は理屈ではなく本能で感じ取るのだろう。
胸の内に燃えたぎる復讐心を抱えながら、普段の彼は冷静で落ち着いた青年だった。皆に平等に接しながら、一方で誰に対してもどこか一線を引いている。亡き家族に対する愛情は深く、反面復讐相手に対する憎悪は底がしれない。殺伐とした瞳で世界を見つめながら、一方で他者に対する優しさと寛容さを持ち合わせていた。氷のような冷静さと、炎のような烈しさ。
そういった相反する性質が、レイモンドの中に同居していた。内に隠した複雑さが、周囲の人間を惹きつけるようだった。
「隠されているからこそ、その本質を知りたくなるのは、人間の性なのかもしれません」
そう言ってメイソンは少し笑った。
「特にレイモンドの近くにいる人間は、勝手にあいつの事を心配して、放っておけなくなるんです」
かく言う私もその一人です、とメイソンはソフィアの方を見る。肩をすくめたメイソンに、ソフィアは目元を緩ませた。
「それは、分かる気がします」
ソフィアもまたレイモンドを放ってはおけない。レイモンドが望むと望まざるとにかかわらず、力になりたいと思ってしまう。メイソンもそうなのか、とソフィアは共感を覚えた。
「我々は似たもの同士かもしれませんね」
にやりと笑ったメイソンに、「はい」とソフィアも笑顔で返す。語るべきことを語り終えたのか、そこでメイソンは一度言葉を切った。少し間を置いた後、ゆっくりと立ち上がる。
「ーー話が長くなりました。私はそろそろ戻ります」
そう言ったメイソンに、ソフィアは頭を下げた。
「私が言うべきことではないのでしょうが、ーー本当にありがとうございます」
びっくりしたような表情で「なぜ礼など」と呟いたメイソンに、ソフィアは真面目な顔を向けた。
「彼の事を助けてくださって。メイソン様が手を差し伸べてくれなければ、彼の人生は更に厳しいものになっていたはずです」
メイソンがいなければ、再会を果たすこともきっとできなかった。どれほど感謝してもしきれない、とソフィアは思う。ソフィアの表情に、メイソンは目を細めた。
「貴女にこれだけ想われて、あいつは幸せだ」
なのにどうして素直になれないのかね、とメイソンは嘆息する。もう一度別れの挨拶を口にして、メイソンはその場から立ち去った。
メイソンがいなくなった後しばらく物思いに耽っていたソフィアだが、やがて法廷に戻ろうと顔を上げる。
長椅子から立ち上がると、カツカツという威勢のいい足音が聞こえてきた。音のする方を見れば、裁判所の入口からライアンがこちらへ歩いてくるのが目に入る。向こうもソフィアの姿に気づいて、一瞬歩みを止めた。
法廷にソフィアがいることに顔を曇らせた後、ライアンは再び歩きだした。無言でソフィアの前を通り過ぎて、数歩行ったところで再び立ち止まる。何かを考えるようにじっと動かなくなった後、突然くるりとライアンはソフィアの方を振り返った。
「ーーなぁ。あんたさ、もうレイモンドの周りをうろちょろするのはやめてくれないか」
唐突に投げかけられた言葉に、ソフィアはその瞳を見返した。
ライアンの声音にも表情にも、不機嫌さが滲み出ている。無言のソフィアに、ライアンは話し続けた。
「あんたがいると、レイモンドは弱くなっちまう。レイモンドがどんな思いでこの5年生きてきたか、知ってるだろう。あいつの決心を鈍らせるような事をされると、迷惑なんだよ」
ライアンの口調は苦々しく吐き捨てるようなものであったが、不思議とソフィアは不快には思わなかった。
先程のメイソンの話から、ライアンもまたレイモンドを心配している人間の一人だと、そう思ったからだ。「もうあいつの前に現れないでくれ」と続けたライアンに、ソフィアは緩く首を振る。
「できないわ」
「どうして」
怒りに声を荒げたライアンに、ソフィアは静かに語りかけた。
「私を拒絶できるのは、彼だけよ。彼自身が決めたことなら、私はそれを受け入れる。でもそうでないなら、私を説得することはできない」
ソフィアとて生半可な気持ちではないのだ。他人の言葉で諦めがつくくらいなら、5年も想い続けたりしない。
ソフィアの反論に、ライアンはぐっと黙り込んだ。
「彼は決して弱くない。傍で見てきたあなたなら、それを分かっているはずよ」
悔しそうに唇を引き結んで、結局ライアンは言葉を発することなく立ち去った。法廷に続く扉の中に消えるライアンを見ながら、溜息が零れる。
ーー思いは同じはずなのに。
二人ともレイモンドの幸せを願っているはずなのに。何故かライアンとは上手く分かり合えない。足元に視線を落として考え込んでいると、横からライオネルの声がした。
「お嬢様、大丈夫ですか」
顔を上げると、心配そうな顔でライオネルがすぐそばに立っていた。ライオネルのすぐ後ろには、バドの姿もある。どうやらライアンの険悪な雰囲気に、2人とも耐えかねたようだった。会話は聞こえていなかったはずだが、ライアンの放つ空気を敏感に感じ取ったのだろう。
「うん。平気」
大丈夫だというように、ソフィアは頷いた。
ーーいつか分かり合える日がくるといいのに。
同じく死者を見る者同士。本当はもっと理解し合えるはずだと、ソフィアは思う。エレンやライアンとは、正直もっと話してみたい。けれど周囲の状況が、それを許さないのだ。
いつか全ての事が終わったら、変わるだろうか。互いの力の事を、語り合うことができるだろうか。
心配そうなライオネルに努めて明るい顔を見せながら、そんな事をつらつらとソフィアは考え続けた。




