三人の容疑者
グウィンは事件の解明に協力して欲しいと、ソフィアに言った。
想像の埒外の頼みに、ソフィアの顔に当惑が浮かぶ。
「警察だって、調べているんでしょう?」
素人が手を出していいのだろうか、とソフィアは思う。
「三ヶ月経っても動機さえ分かってない。このままでは犯人を逃してしまう」
苦々しいグウィンの呟きに、ソフィアは躊躇いがちに口を開いた。
「私の力は、あまり役には立たないと思う」
この力は、見たい時に見たいものが見られるわけではない。その事を伝えると、グウィンはそれでもいいのだと言う。
「それでも構わない。何か、犯人に繋がる糸口が欲しいんだ」
このまま何もしないでいることはどうしてもできない。そう言ったグウィンの瞳は、燃え上がる火のようだった。
ソフィアはしばらく考えた後で口を開いた。
「……私にできる範囲でなら」
その言葉に、グウィンはほっとしたように溜息をついた。
「ありがとう」
正直に言えば、自ら死者に関わるのは恐い。けれど仲直りをしたばかりのグウィンの願いを、無碍にすることはソフィアにはできなかった。
「少し、話を整理しよう」
そう言うと、グウィンはソフィアに紙はないだろうかと尋ねた。ソフィアが白紙のメモ帳を差し出すと、グウィンはそこに名前を書きはじめた。
まず彼が書いたのは「アドルファス・バスカヴィル」と「エミリア・バスカヴィル」という名だった。
「父と母だ」
ソフィアも新聞で、二人の名前は目にしたことがある。
グウィンはアドルファスの名前の横に線を引くと、そこに「オズワルド・バスカヴィル」とペンを走らせた。
「これが叔父の名前」
そして容疑者の一人だ、と彼が言う。ソフィアの驚いた視線を受けて、グウィンが「叔父はずっと爵位に固執してたんだ」と続けた。
更に彼は紙の余白部分に「トビー・ヒッグス」と書き記す。
ソフィアが問うように見れば、グウィンが説明を加えた。
「父の同僚だ。事件のあった日、最後に父に会ったのは彼なんだ」
死の直前、トビーはアドルファスの書斎を訪ねている。トビーは警察の取り調べに対して、仕事のことで確認したいことがあったのだと訪問理由を説明した。
「でも、それは嘘だと思う」
グウィンはきっぱりと言い切った。「どうして?」とソフィアが問えば、グウィンは説明を補足する。
「私の知る限り、それまでトビー・ヒッグスがバスカヴィル邸を訪れたことはなかったからだ。使用人達にも話を聞いたが、事件の日まで彼がバスカヴィル家に来たことは一度もなかったらしい」
唯一の例外が事件当夜などというのは、あまりにも不自然だった。
グウィンは最後に「オリバー・ボウマン」と書くと、ペンを置いた。
「これは誰?」
「事件の一ヶ月前まで働いていた下男だ。屋敷のものを盗んでいたことが分かって、父が解雇した」
グウィンの説明によれば、当時オリバーはかなり逆上していたらしい。「殺してやる!」という彼の言葉を、何人もの人間が聞いている。
「私の調べた限りでは、トビーにはアリバイがある。事件当日、家から彼を乗せたと辻馬車の御者が証言しているんだ」
「一度帰ってからまた引き返したということはないの?」
ソフィアの問いに、グウィンは首を振った。
「トビーがバスカヴィル邸から向かったのは、パブなんだ」
そこで酒を飲むトビーの姿が、数人に目撃されていた。
「他の二人はどうなの?」
「警察の話では、叔父にはアリバイがあるらしい」
アドルファスに恨みを持つ男のアリバイである。警察も念入りに調べただろう。
唯一、アリバイがないのが、オリバーだった。
「じゃあ、その人が一番疑わしい?」
「……そうとも言えない。極論を言えば、人を雇って犯行に及んでいたなら、アリバイなんて関係ないからな」
その場合、むしろアリバイが完璧な人間の方が怪しい。
「グウィンは、どう思っているの」
ソフィアが尋ねると、少し考えるようにしてグウィンは視線を落とした。その顔には、仄暗い翳りが浮かんでいる。
「父に最も恨みがあったのは、叔父のオズワルドだと思う」
何度もバスカヴィル邸で暴れるオズワルドを、グウィンは目にしたという。金を無心し、かっとなると手がつけられなくなる男。グウィンの両親は、オズワルドにずっと手を焼いていたのだ。
「ソフィアは、我が家で父と母の霊は見ていないんだよな?」
確認するようにグウィンが言うと、ソフィアは申し訳なさそうに頷いた。その返答に、グウィンは別段表情を変えることなく、「そうか」と呟いただけだった。
「実は一人、犯人に繋がりそうな人間がいるんだ」
アルマ・フライ。彼女は19歳になるメイドで、雇われてからまだ日が浅い。
事件のあった日、屋敷のどこも鍵が壊された形跡はなかったことから、使用人の犯行、もしくは内部の誰かが犯人の手引きをした可能性が高かった。
事件直後、使用人達も徹底的に警察に調べられたが、犯行を示すようなものは見つからなかった。犯行に使われたピストルは特殊で、一介の使用人が手に入れられるものではなかったのだ。
そうなると、使用人の誰かが犯人を手引きした可能性が高くなる。
この三ヶ月、使用人達の動向に注視してきたグウィンは、最近アルマの様子がおかしいことに気がついた。
常にびくびくと何かに怯え、ふっくらと血色の良かった頬は、げっそりとこけてしまった。明らかに何かを隠している様子に、グウィンの疑いは深まってゆく。ーー彼女は何かを隠している。そう確信するのに、さほど時間はかからなかった。
グウィンを見る度、青ざめるアルマは、もう少しで罪を告白しそうなほど瞳が揺れていた。
「今日、彼女を問いただそうと思う」
静かな決意で告げたグウィンを、ソフィアは心配そうに見つめる。
「私も一緒にいても?」
「いや……ソフィアはここにいてくれ」
「でも」
「必ず結果は教えるから」
そう言ったグウィンに、しぶしぶソフィアは頷いた。
グウィンは別れの挨拶を告げると、オールドマン家を出る。
来た時よりも随分と心穏やかな気持ちで、グウィンはソフィアの元を後にしたのだった。
グウィンが屋敷に戻った時、バスカヴィル邸は騒然とした雰囲気になっていた。庭に何人もの警官の姿が見え、馬車を降りたグウィンの足が自然と早くなる。
「どうした? 何があった」
玄関にいた家令に声をかけると、彼は青ざめた顔のまま、振り返った。
「グウィン様……」
家令の告げた言葉に、グウィンは目を見開いた。
グウィンが屋敷に戻る数時間前。
洗濯室で首を吊っているアルマが発見された。