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因縁

 これより12人の陪審員は、評議に入る。全員一致の評決に達するまで陪審員は討議を重ねるのだ。いつ評議が終わるかは誰にも分からない。すぐに終わる場合もあれば、夜遅くまで評決が出ないこともある。

 評決が出るのを待つ間、ソフィアは席から立ち上がると、廊下の方へと歩き出た。サミュエルの件がどうなったのか、気になっていたからだ。警察にサミュエルの事を伝えたら、バドが裁判所へ来る手筈になっている。

 ライオネルとともに廊下に出てその姿を探すと、既に彼はソフィアを待ち構えていた。扉から出て来たソフィアに、バドが声をかける。


「お嬢様」

「バド……警察へは?」


 こちらへ近づいて来たバドに心配そうにソフィアが尋ねると、しっかりとした頷きが返ってきた。


「無事終わりました。彼らの暮らす家まで警察を案内しています。ポリーは逮捕され、サミュエルは保護されました」

「サミュエルのご両親へは?」

「それも、つつがなく。今頃連絡がいって、警察署に向かっている頃でしょう」

「そう……良かった」


 ソフィアはホッと胸をなで下ろした。


「サミュエルの身元確認は大丈夫だった?」

「はい。お嬢様の言っていた懐中時計が部屋の中から発見されました。証拠の品があれば、あの少年がサミュエル・バーシルトであることを証明できるでしょう」

 

 その言葉を聞いて、ポリーは懐中時計を処分していなかったのか、とソフィアは意外に思った。サミュエルの身元を警察に証明する為には、懐中時計が重要な証拠になると考えてはいたが、ポリーがいまだに持っている可能性は低いと考えていたからだ。

 サミュエルの素性のあかしになるということは、すなわち誘拐の証拠でもある。サミュエルが誘拐された当時身につけていたものは、すぐに捨てられていてもおかしくない。否、むしろ処分する方が普通だろう。

 犯行を裏付ける品を、ポリーが処分していなかったという事実。

 やはりポリーはサミュエルをいつかは両親の元へ帰すつもりだったのではないかと、ソフィアは思った。そうでなければ、証拠の品を手元に残しておくのは不自然だ。

 

「ポリーは犯行を自供したのね」

「ええ」


 それも正直に言えば、少し意外だった。

 今になってポリーがサミュエルに危害を加える事はないと思ってはいたが、サミュエルを手放すことを渋り、容疑を否認する可能性はあると考えていたからだ。

 偽りの関係とはいえ、12年間親子として過ごしたのだ。土壇場でポリーが供述を翻し、サミュエルを実の息子だと言い張ってもおかしくなかった。

 そうなれば、サミュエルを本当の両親に元に返すまでには、もっと時間がかかっただろう。サミュエルの容姿はダレルそっくりではあるが、10年以上離れ離れになった親子関係を立証することは、簡単ではない。

 ソフィアが懐中時計の事をポリーに尋ねなかったのは、ポリーの気が変わって証拠を処分されることを恐れた事もあるが、もうひとつ、懐中時計を家から持ち出して後から証拠能力に疑いありと主張されることを避ける為でもあった。

 サミュエルの素性を明らかにし、確実に両親の元へと返す為には、あの家から懐中時計が見つかる事が最善だった。

 懐中時計が見つかるようにと願ってはいたが、実際は難しいだろうとも思っていた。しかしソフィアの心配など、杞憂だったのかもしれない。ポリーは犯行を認め、警察の取り調べに素直に応じているという。

 この12年間ポリーは何を思って生きてきたのだろう、とソフィアは思いを巡らせる。その胸中は、18歳のソフィアには想像もできない。


「お嬢様」


 考えて込んでいるとライオネルから声をかけられた。顔を上げると視線の先に、赤銅色の髪を持つ男性が立っている。


「メイソン様」

「こんにちは。今少し話せるでしょうか」


 そう言ってソフィアに近づいていたメイソンに、「勿論」とソフィアは頷きを返す。メイソンがちらとライオネルとバドを気にする素振りを見せた為、会話が聞かれぬ距離まで2人は遠ざかった。メイソンと並んで廊下に置かれた長椅子に腰掛ける。


「レイモンドの事ですが」


 そう言って、メイソンは膝の上で両手を組んだ。


「少し面倒な事になるかもしれません。しばらくの間、あいつには近づかないようにして下さい」


 淡々とした口調ではあったが、どこか緊迫したメイソンの表情に、ソフィアの顔に不安がよぎる。


「一体何があったのですか」

「念の為の配慮です。すべての事が終わるまでは、レイモンドには近づかない方が安全です」

「彼は大丈夫なのですか? 何か危険が?」


 重ねて聞けば、強張った顔のソフィアを落ち着けるように、メイソンは頷いた。 


「落ち着いて。レイモンドは大丈夫ですから」


 そう言いながら、その根拠まではメイソンは口にしなかった。メイソンがわざわざレイモンドに近づくなと忠告しに来るなど、何かあったと言っているようなものだ。ソフィアの不安は一気に募る。

 尚も質問をしようとして、二人の間に割って入る声があった。


「お嬢さん」


 目線を上げれば、ロムシェルが廊下に立っている。ライオネルが壁際から動こうとしたのが分かって、ソフィアはそれを目で制した。大丈夫だというように、一つ頷いてみせる。


「約束は果たした。さぁ、サムの居場所を教えてくれ」


 ソフィアの間近まできて、ロムシェルはぎろりとソフィアを見下ろした。ソフィアが長椅子から立ち上がると、それに合わせてメイソンも席を立つ。

 ロムシェルを見つめながら、ソフィアは真面目な顔になった。


「サミュエルは既に警察に保護されています。今頃はサミュエルの両親が連絡を受けて、警察署に向かっているはずです」

「では、……本当にサムは生きているんだな」


 確認するように尋ねたロムシェルに、ソフィアはしっかりと頷いた。


「ええ」


 ロムシェルは手を顔にあて、深く息を吐き出した。ほっと安堵の溜息をついた後で、ロムシェルはソフィアの隣に立つメイソンに目を止める。何かを思い出すように数秒じっとメイソンの顔を見つめた後、ややあってロムシェルが声をあげた。


「アーネスト」


 耳馴染みのない名前に、ソフィアは首をひねる。不思議に思っているとソフィアの隣から小さな呟きが聞こえた。

 声の主は、メイソンである。


「私を覚えているのか」


 意外なことを聞いたというように、メイソンはそう言った。


「……生きていたのか」

「死んだとでも思ったか?」


 皮肉げにメイソンは口の端を持ち上げる。ソフィアは2人の間に流れるただならぬ空気を感じて、押し黙った。


「何故お前がここにいる?」

「市民に開かれた法廷だ。来てはいけないということはあるまい」


 メイソンはそう言うと、冷たい目つきになった。


「いいざまだな。まさか自ら罪を認めるとは思わなかったが、もう逃げることはできないだろう。塀の中で罪を償うことだ」

「法廷で証言したことが全てだ。私はイライアスに脅されていただけで、自分の意志でやっていたわけじゃない」


 悪びれる素振りもなくロムシェルはそう答えた。ふてぶてしいロムシェルに、メイソンは眉を寄せる。


「負け犬の遠吠えだな。これで貴様は終わりだ。たとえ情状酌量の余地があったとしても、贈賄罪に誘拐未遂。実刑判決は免れまい」


 貴様の負けだ、と言ったメイソンにロムシェルはしばし黙した後、くっと喉の奥で笑った。


「いいや、私の勝ちだ」


 自信満々のロムシェルに、メイソンは目を細める。

 

「どういうーー」


 どういうことだとメイソンが問おうとして、続く言葉は横から割り込んだ声に遮られた。


「失礼。ロムシェル・バーシルトさんですね?」


 声のする方を見ればスーツ姿の男が2人、ロムシェルの方へ近づいて来るところだった。一人はいかめしい顔つきの中年男、もう一人はひょろりとした体つきの若い男である。


「警察です。先ほどの証言の件で、詳しい話を聞かせていただけますか。署までご同行願います」


 そう言った若い刑事を、ロムシェルは上から下まで眺めた後、口を開いた。


「逮捕状は?」

「は?」

「逮捕状はないのかと聞いている」

「いえ、……それはまだですが」


 ロムシェルから鋭く睨まれて、若い刑事は鼻白んだ。

 先ほど正義を成す為に証言したと言っていたではないかと、彼の顔には困惑がありありと浮かんでいる。証言台でロムシェルが見せた真摯な顔との落差に、戸惑っているようだった。若い刑事がたじろいだのを見て取ると、ロムシェルは傲岸不遜に言い放つ。


「任意同行ならば応じんぞ。私を連れて行きたくば、逮捕状を持ってくることだ」


 高圧的な態度のロムシェルに、刑事達は渋々引き下がった。刑事2人が足早に立ち去るのを見送った後、ロムシェルはメイソンへ再び顔を向ける。


「アーネスト。昔話に花を咲かせるのも悪くないが、今はお前にかまっている暇はない。運が良ければ、また会うこともあるだろう」


 そう言うと、さっとロムシェルは踵を返す。イライアスの判決を待つことなく裁判所を出ていこうとするロムシェルに、メイソンは声をあげた。

 

「おい、待ーー」


 ロムシェルの背中に「待て」と声を掛けようとしたメイソンを、ソフィアが止めた。袖を小さく引いたソフィアに、メイソンは咎めるような口調になった。


「何故、止めるのです」

「ロムシェルに残された時間はあまりないんです。彼はサミュエルに会いに行ったんだろうと思います」

「それは無論、分かっています。逮捕される前に、ひと目孫に会いたいのでしょうが……」


 そう言ったメイソンに「そうではないのです」とソフィアは首を振った。


「彼はもう、長くないんです」

「それは、どういうーー」

「ロムシェルの身体は病魔に冒されています」


 ソフィアの言葉に、メイソンは目を見開いた。まさか、という呟きが口から漏れる。


「オールドマン家にサミュエル探しを依頼してきた日、ロムシェルは私と父に自分の診断書を見せたんです」


 2週間前のあの日。ロムシェルがソフィアに手渡した封筒に入っていた紙片には、ロムシェルの病名と既にそれが末期の状態であることが記されていた。手の施しようのない悪性腫瘍。


「父が裏付けを取りました。ロムシェルの余命は、あと数ヶ月程しかありません」


 恐らくロムシェル自身の裁判が終わるまでは、もたないだろう。己の命がついえる前に、サミュエルを見つけたいという執念。敵対する家に乗り込んでまでサミュエルを探そうとしたのは、余命幾ばくもない故なのだとーーそう思ったからソフィアもセオドアも、一度はロムシェルの言葉を信じたのだ。

 先ほど罪を認めたとはいえ、ロムシェルがそう簡単に牢に入るとは思えない。裁判が少しでも長引けば、判決が下るより先にロムシェルはこの世を去るだろう。そういう意味では、ロムシェルの勝ち逃げだと、言えなくもない。

 

「結局、あの男は好き勝手に生きて、勝手に死んでいくわけか……」


 独り言のようにそう言うと、力が抜けたように、メイソンは長椅子に座り込む。目線を落としたメイソンの隣に、ソフィアも再び腰を下ろした。


「……アーネストというのは、メイソン様のことですか?」

「……ええ。ティトラに渡る前、私がまだこの国にいた頃の名前です」


 アーネスト・ウィスラー。それが本当の名だと、メイソンはソフィアに告げた。


「私の父は機関車の製造会社を営んでいました。祖父の代に興した会社を継いだ、いわゆる2代目ですね。当時ロムシェルは父の右腕として働いていたのです。ーーもう40年以上前のことですが」


 それを聞いて、ソフィアはレイモンドの言葉を思い出した。メイソンはロムシェルと因縁があるという、あの言葉である。メイソンは目線を上げると、前を向いたまま、どこか遠い目になった。


「ーーロムシェルによって、私は家族を失いました」


 そう言って、メイソンは静かに語りはじめた。40年前のロムシェルとの因縁と、その先に続くレイモンドとの出会いの話を。

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