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第三回公判

 第三回公判は、晴天に恵まれた。

 ソフィアはこの日、早朝から傍聴を希望する人々の長い列に加わった。初公判時の長蛇の列を受けて、二回目の公判からは抽選になっている。護衛達にも手伝ってもらい、ソフィアがようやく席を確保できた時には、既に太陽は中天にかかっていた。

 確保できたのは二席であったため、ライオネルがソフィアに付き添うことになった。裁判所の中には警備もいる。そうそう危険な目にあうことはないだろう。

 80席ほどの傍聴席は、ソフィアが中に入った時には既に半分ほどが埋まっていた。ソフィアは中ほどの席に座ろうと、ライオネルとともに移動した。

 ソフィアがその姿を探すまでもなく、左手前方にレイモンドがいるのが目に入る。隣に座っているのは、メイソンである。赤銅色の髪に漆黒の瞳。よく似た特徴を持つ2人は、法廷の中でもひときわ目立つ。

 ソフィアが後ろからその姿を見つめていると、視線を感じたのか不意にレイモンドが振り返った。後方の席にざっと視線を走らせながら、ソフィアの所でその動きがピタリと止まる。ソフィアがいる事に驚いたのか、レイモンドの瞳が僅かに見開かれた。

 少し困ったような表情を見せて、レイモンドは隣に座るメイソンに何事かを囁いた。レイモンドの耳打ちを受けて、メイソンがソフィアの方へと目線を向ける。僅かに表情を緩ませたメイソンと、周囲にそうと分からない程ささやかな目礼を交わしあう。

 レイモンドは躊躇いがちにソフィアから視線を外すと、前を向き直った。

 ソフィアも無言のまま、そっと腰を下ろす。今はまだ、話しかけない方がいいのだろう。

 ソフィアがふと別の方向に視線を向けると、レイモンドから反対側の最前列にアリシアの姿を見つけた。アリシアの両隣には、寄り添うように親族らしき老夫婦が座っている。アリシアの祖父母だろうかと、ソフィアは思った。

 ソフィアが座ってから10分程して全員が着席すると、廷吏が高らかに公判のはじまりを告げた。


「開廷!」


 裁判官、陪審員に引き続きイライアスが廷内に入ってくる。と、そこでソフィアの視線はイライアスに釘付けになった。


 ーーえ?


 イライアスの後ろを影のようについて歩く一人の女性。

 ブロンドに茶色の瞳。小柄な女性がイライアスとともに廷内に堂々と入ってきたのである。ぞっとするほど冷たい表情に、ソフィアは喉の奥がひりつくような感覚を覚えた。

 豪奢なドレスをまとったその女性の姿は、この場では明らかに浮いている。ソフィアは咄嗟に女性の足元に視線を落とした。


 ーーない。


 影がない。その意味を理解して、息を呑む。そのまま食い入るように女性を見つめていたソフィアは、その顔立ちに既視感を覚えて眉を寄せた。数秒じっと考えてから、ハッとしてアリシアの方を見る。その横顔を女性の霊と見比べて、ソフィアは固まった。

 

 ーー似ている。

 

 女性の顔立ちは、アリシアそっくりだった。いや、年齢から見てアリシアが似ている(・・・・・・・・・)のだ。

 だが雰囲気は違う。アリシアは見る者の庇護欲を掻き立てる可憐な美少女であるが、目の前の死者は陰気で暗く、どこか尊大な印象を受ける。あの霊は、一体誰なのだろう。

 ソフィアが困惑している間に、法廷では今日最初の証人尋問が始まろうとしていた。弁護側の証人が、傍聴席から立ち上がる。

 ソフィアは一度思考を中断して、証人席に目線を向けた。いけない。今は目の前の事に集中しなければ。

 本日最初の証人は、ロムシェルである。皺だらけの小さな老人が、証言台に腰を下ろす。宣誓が終わると、弁護人のジェレミーが証言台に近づき口を開いた。


「姓名を教えて下さい」

「ロムシェル・バーシルトと申します」

「被告人との関係は?」

「今は政治家とその支援者という関係です」

「被告人が政治家になる前はいかがです?」

「事業家と役人です」


 そこまで聞いて、ジェレミーは一旦言葉を切った。


「問題になっている8年前の贈収賄疑惑についてお聞きします。8年前、貴方の会社は鉄道建設事業でセントラル鉄道と受注を争っていた。その時、被告人と面識はありましたか?」

「ええ。事業に関わっていた役人とは、ひと通り挨拶をしているので。当然面識はありました」


 ロムシェルは素直に頷いた。ジェレミーの表情からも、ここまでは既定路線なのだと分かる。


「当時事業に携わる運輸省の役人は70名程いたそうですね。その全員と面識があったと?」

「はい」

「被告人は数多いる役人の一人に過ぎなかったわけですね」

「……そうとも言えるでしょうね」

「それだけの人数がいたら、誰が業者選定における重要人物であるか判断するのは難しいのでは?」


 ジェレミーの質問に、ロムシェルは口を噤んだ。そうして口を閉ざしたまま、ロムシェルは満員の傍聴席へ顔を向ける。何かを探すように視線が彷徨い、やがてそれがソフィアの所でピタリと止まった。

 射殺さんばかりの迫力で視線を飛ばすロムシェルを、ソフィアは瞬きもせずに見つめ返した。睨み合うことしばし。実際は5秒程の時間に過ぎなかったが、ソフィアにはとてつもなく長く感じられた。ここでロムシェルに気圧されてはいけないのだと、ソフィアは瞳に力を込める。この場にいる人間の中で唯一ソフィアだけが、ロムシェルが抱える葛藤を知っていた。


「ーー証人は質問に答えて下さい」


 沈黙したロムシェルを促すように、判事が先を促す。岩のように黙り込んでいたロムシェルが二、三度瞬きをした。

 やがてロムシェルはゆっくりとソフィアから視線を外すと、ジェレミーの方へと視線を移動させる。はっきりとした声でロムシェルは口を開いた。


「ーーいいえ。私はイライアスが業者選定におけるキーマンであると知っていました」


 ざわっと傍聴席がどよめいた。ジェレミーは耳を疑うように眉をひそめる。


「今なんと?」

「当時イライアスが業者選定における重要人物であると知っていた、と申し上げたのです」


 事前の打ち合わせにないロムシェルの発言に内心動揺しながらも、この時のジェレミーはまだ事態の深刻さを理解してはいなかった。ロムシェルは単に想定問答を忘れただけなのだと、その真意を確かめないまま次の質問をしてしまったのは、完全にジェレミーの落ち度であろう。


「北部シュタール鉄道は便宜を図る見返りに、被告人に賄賂を渡していたと検察は主張しています。これは事実ですか?」


 仕切り直しというように質問を変えたジェレミーに、ロムシェルは即答した。

 

「ええ、事実です」


 あっさり罪を認めたロムシェルに、今度こそジェレミーは固まった。傍聴席のざわめきは、もはや騒々しいまでになっている。イライアスは信じられないものを見るような目でロムシェルを見つめたが、そういった周囲の反応を一切無視して、ロムシェルは話し続けた。


「8年前、私はイライアスに金銭を渡しました」

「休廷を求めます!」


 これ以上ロムシェルの口から爆弾を落とされてはたまらないと、ジェレミーは大声で叫んだ。さっと裁判官の方を振り返る。


「証人は錯乱しているようです。休廷を求めます」

「私は錯乱などしておりません」 


 ロムシェルは冷静な声音でそう言った。判事は困惑した顔で、その発言の真意を確かめるように問いかける。


「貴方は弁護側の証人です。貴方の証言内容は被告人にとって不利になることは分かりますね?」

「はい」

「では何故そのような発言を?」

「ここは真実を述べる場であると認識しておりますがーーそれで間違いありませんな?」

「ええ、勿論」

「宣誓をした以上、私は真実を語らねばなりません。例え己にとって不都合な真実であろうと、私の良心が真実を隠すのを良しとしないのです」

「では今話した内容は真実であるというのですね」

「はい」


 落ち着き払ったロムシェルの態度を見て、判事はジェレミーの求めを却下した。「裁判を続けます」という裁定が下るやいなや、ジェレミーは「弁護側の質問は以上です」と質問を打ち切ってしまった。当然であろう。これ以上は質問しても意味がないどころか、マイナスにしかならない。

 続く検察側の質問は反対尋問という形をとりながら、実質ケヴィンの独壇場になった。

 

「貴方は今、被告人に賄賂を渡していたと証言しました。その経緯を教えて下さい」

「8年前、北部シュタール鉄道は受注競争において不利な立場に置かれていました。ライバルのセントラル鉄道の方が技術面でも価格面でも、我々を上回っていたからです」

「それで、貴方は状況を打開する為に何をしたのですか?」

「正攻法ではセントラル鉄道に勝てません。ならば運輸省の幹部を抱き込んで、便宜を図ってもらおうと」

「被告人に近づいたわけですね」

「その通りです」

「最初に話を持ちかけたのは貴方ですか?」

「はい。しかし一度金銭を渡した後は、イライアスの要求はどんどん大きくなっていきました」

「嘘だ!」


 たまらずイライアスが叫んだ。その顔は怒りで真っ赤になっている。


「被告人は黙って。それ以上は退廷を命じますよ」


 裁判官がピシャリと命じると、イライアスは憤怒の表情のまま、黙り込んだ。

 ケヴィンは追及の手を緩めない。


「具体的に被告人は何を要求したのですか」

「より大きな見返りです。金銭の要求額がどんどん大きくなっていったのです」

「貴方はそれに応じた?」

「はい。それで結果的に、北部シュタール鉄道が選ばれました」

「殺されたアドルファス氏が収賄の件を調べているという話を、被告人から聞いたことがありますか」


 ケヴィンの質問にロムシェルは少し考える素振りを見せた後、頷いた。


「少し耳にしたことがあります」

「具体的にはどのような話を?」

「汚職を嗅ぎ回っている男がいる、と聞いていました」

「アドルファス氏の名前は聞いていましたか?」

「そこまではイライアスは口にはしませんでした。しかし貴族であるとは言っていました」

「貴方は調べていたのがアドルファス氏であるとは、知らなかった?」

「正確に言えば、バスカヴィル一家の事件後、薄々勘づきました」

「それはどうしてです?」

「事件を嗅ぎ回っている男がいると聞いた時、私はイライアスに大丈夫なのかと尋ねました。その時イライアスは、『なんとかする』と答えたのです」


 イライアスを罵る傍聴席の声が一段と大きくなった。ロムシェルは淡々と言葉を紡ぐ。


「ーーそして5年前、バスカヴィル一家殺害事件が新聞で報じられた後、イライアスから『あの件は、もう心配しなくていい』と告げられました」

「貴方はそれをどういう意味だと捉えたのですか?」

「イライアスが不正を嗅ぎ回っていた男を始末したのだと、そう解釈しました」


 ロムシェルがイライアスに対して手のひらを返したのは、今や誰の目にも明らかだった。ロムシェルから梯子を外されたイライアスは、被告人席でぶるぶると震えている。


「何故今になって証言しようと思ったのですか? 今の証言は貴方自身の罪の告白でもある」


 ケヴィンの質問に対して、「良心故です」とロムシェルは厳かな顔になる。


「元々は私の起こした贈収賄が、このような痛ましい事件を引き起こした事をずっと悔いていました。しかし私はイライアスを恐れるあまり、沈黙を選び、挙句更に大きな過ちを犯してしまいました」

「過ち? というと?」


 そこでロムシェルは再びソフィアの方を見た。よく見ていろ、と言わんばかりの表情である。


「初公判後、私は検察側の証人であるトム・リード少年を誘拐しようと企てました」


 ロムシェルの告白に、どよめきが起こる。ソフィアは右手の拳を握り締めた。

 ロムシェルはソフィアの方を向いたまま、繰り返した。


「無論裁判が終わったら少年は解放するつもりでしたが……イライアスから頼まれて、証人襲撃計画を立てたのです」

「何故犯罪に手を貸すような真似を? その時被告人は既に起訴されて、貴方に危害を加えることはできなかったはずです」

「殺し屋がまだ逃げています。ナサニエルという男は屋敷に入り込んで就寝中に一家を皆殺しにするような男なのですよ。自分の家族が同じ目に合わないとどうしていえますか」

「それで被告人の言いなりになっていたと?」

「はいーー申し訳ありません」


 そう言うと深々と頭を下げる。辛く悔いるように唇を噛みしめたロムシェルの表情を見ながら、ソフィアは呆れた。よくもまあ自分に都合の良い話ばかりを、こうも並べ立てられるものだ。確かにソフィアの要求通り、ロムシェルは己の罪を認めている。だがロムシェルの主張によれば、その罪を犯したのは「イライアスに脅された」事が原因だ。


「それが何故今になって真実を語る気になったのですか? 殺し屋はいまだ逃亡を続けています」

「先日のトビー・ヒッグス氏の発言に勇気をもらいました。やはり真実を隠してはおけないと。正義を成し、イライアスを裁くには、逃げてはいけないのだと、そう思いました」


 ロムシェルは真摯な顔でそう言った。

 イライアスに脅されていたならば、罪を認めても情状酌量の余地はある。家族を愛するが故にイライアスに屈し、言いなりになった哀れな老人。それがロムシェルの描いたストーリーであった。

 大した役者だと、ソフィアは思う。この場にいるほとんどの者がロムシェルの話術に飲まれ、その言葉を信じている。

 ロムシェルの答えにケヴィンは満足そうに頷くと、そこから流れるように話題を変えた。

 

「ここで新たな証拠を提出したいと思います」


 そう言って右手に高々と示したのは、革張りの手帳だった。

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