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強襲

 街が眠りに落ちた深夜。

 旧市街の路地は、しんと静まり返っている。

 見えるかどうかというほどの繊月せんげつが空にうっすらと浮かび、その下を闇に溶け込むように2つの影が、足早に通り過ぎた。旧市街のアパートメントの近くでその影が歩みを止める。影の正体は、レイモンドとライアンである。ライアンが声を潜めながら口を開いた。


「マイクの話だと、4階の灯りは消えてるらしい。眠っているのかも」

「3階の住人は?」

「そっちは早々に寝てるから安心しろ。爺さんは早寝だな」

「……よし、行くぞ」


 そう言うと、レイモンドは顔を黒絹の覆面で覆う。手には拳銃を持ち、レイモンドが先導、ライアンが後に続いた。

 そっとアパートメントの玄関を開けると、音も立てずに2人はするすると階段を上がっていく。わずか数十秒で誰にも見咎められる事なく、目的のフロアまでたどり着いた。

 ライアンの話通り、4階は一切の灯りが消えている。階下から洩れる光を頼りに廊下を進む。ナサニエルの部屋は、奥のつきあたりである。

 レイモンドは扉の前で立ち止まると、右手に銃を構えたまま、左手を顔の横で振った。「攻撃開始」の合図である。

 レイモンドが凄まじい勢いでドアを蹴ると、立て付けの悪いドアがみしりと軋んだ。もうひと蹴りすると蝶番がはずれ、内開きのドアが前に倒れる。間髪入れずに、レイモンドは部屋の中に押し入った。

 中はインクで塗りつぶしたような闇。カーテンがかかっているのか、窓からは僅かな明かりさえ部屋に差し込んでいない。

 拳銃を構えたままレイモンドが目を凝らすと、空気が微かに動いたような気がした。


 ーーいる。


 第六感とも言うべき直感で、レイモンドは己が仇敵と対峙している事を悟った。

 暗闇の中、レイモンド達を待ち構える微かな息遣い。こちらへ向けられる殺気。ーー視界に捉える事はできないが、すぐそばでナサニエルがレイモンドを見ている。

 カチッという小さな音を耳が捉えた瞬間、レイモンドは反射的に横に飛び退いていた。

 それが撃鉄を起こす音だと認識する前に、銃声が鳴る。どん、という重く響く破裂音とともに、レイモンドの顔の横を銃弾が通り過ぎた。

 被弾していない事を確信した瞬間、レイモンドは自らの銃口を闇に向けると、発火炎がした方向へ引き金を引く。レイモンドの銃口が火を噴いた。レイモンドの背後からは、ライアンも銃を撃つ。

 乾いた破裂音が闇を切り裂く。

 数の不利を悟ったのか、数発レイモンド達へ発砲した後、ナサニエルは奥の部屋へ逃げる事にしたらしい。扉が開く音とともにレイモンド達から遠ざかる足音がした。銃を構えたまま、即座に後を追う。

 奥の部屋の窓は開いていた。カーテンのドレープが風に揺れ、その隙間からわずかに差し込む光で、かろうじて人がいることを認識できる。

 人型の影が窓の欄干に足をかけているのを見た瞬間、レイモンドはその背中に発砲した。手応えがあった。当たった、と思った瞬間、ぐらりと影が落下して視界から消える。

 ナサニエルの生死を確認しようと急いで窓に近づき欄干から下を覗き込むと、不自然な動きながら大きな影が石畳の上を移動しているのが目に入った。


 ーー馬鹿な。4階だぞ。

 

 落ちればまずまともには動けない高さである。レイモンドが目を凝らすと、翌朝の市の為に張られた天幕がそれを支える支柱ごと倒れ、道に乱雑に投げ出されている。

 どうやら天幕がクッションとなり、落下の衝撃をやわらげたようだった。レイモンドは内心舌打ちをしながらも、瞬時に頭を巡らせると、次の手を考える。


「ーーマイク、いるか? ナサニエルを追ってくれ。ライアンは残って部屋の痕跡を消すんだ」

「分かった」


 鋭くそう言うと、レイモンドは部屋を出る。ライアンは手近なランプに火をつけると、慣れた仕草で作業を開始した。 

 ナサニエルは怪我をしている。そう遠くへは行けないはずだ。怪我の具合によっては周辺の病院を調べる必要があると、階段を下りながら考える。

 頭の中でナサニエル追跡の算段をつけながら、レイモンドは先程の出来事を冷静に分析していた。

 妙だと思うのは、あの部屋に入ってすぐに感じた殺気である。まるでレイモンド達が来るのを待ち構えていたように、ナサニエルは銃をこちらへ向けていた。

 

 ーー偶然か? それとも察知されていた?


 相手は闇社会を生き抜いてきた殺し屋である。危険に対する嗅覚が尋常でなくともおかしくはないのだろうが、それにしても準備が良すぎる。はじめから警戒されていたような気がしてならなかった。

 レイモンドは外に出ると、建物の横に回り込んだ。見るも無残な状況になっている天幕を検分すると、血のシミがはっきりと残っている。

 血の量を見る限りナサニエルは軽傷ではない。レイモンドの放った一発は、確実にナサニエルに深手を負わせている。

 さらに周囲を注意深く見ていくと、ぽつりぽつりと血の痕が石畳の上に残っているのを見つけた。周囲の暗さで探すのが難しいが、いくつか見つけた血痕から北へ向かって逃げたようだった。レイモンドが尚もナサニエルの痕跡を探していると、4階の形跡を消し終えたライアンが戻って来た。


「見つかったか?」

「どうやら北へ向かったようだ」


 そう言いながら、「マイクは?」と短く尋ねる。


「見える範囲にはいない。ナサニエルを追って行ったのかも」

「朝になればもっとはっきり血痕が追えるだろうが……それでは遅いかもしれない」

「とりあえずはマイクの報告を待とう。俺達もここにいたらまずい。そろそろ警官が来る頃だ」


 ライアンの言葉に頷くと、レイモンド達はアパートメントから遠ざかるように動き出す。

 人目の心配をしなくていいところまで来て、ようやくレイモンド達は覆面をはずした。この時間帯、辻馬車をつかまえるのは目立ちすぎる。多少時間はかかるが歩いて帰る方が安全だった。

 細い路地を選んで、レイモンド達は歩みを進める。周囲に人家のない一本道まで来たところで、ようやくレイモンドは口を開いた。


「マイクの報告次第だが、もしナサニエルを見失っていたら、明日市内の病院をしらみつぶしに探して欲しい。あの出血量なら、軽い怪我ではないはずだ。闇医者にかかっている可能性はあるが、どこかに姿を見せるかもしれない。マイクには石畳に残った血痕を追うように伝えてくれ」

「分かった」


 レイモンドの隣を歩きながら、ライアンが頷く。黙々と足を動かしながら、レイモンドは思考に没頭していた。ナサニエルが見つからなかった場合、次の策を考えねばならない。


 ーーだが何故ナサニエルは知っていた?


 やはりはじめから警戒されていたような気がしてならない。ナサニエルが襲撃を予期していたならば、情報源はイライアスしかありえない。

 アリシアがレイモンドの邸宅を訪れた前日、彼女はイライアスに面会するため拘置所を訪れている。そこでアリシアがイライアスにレイモンドの事を話した可能性はあった。

 しかしイライアスは囚われの身。

 面会には必ず刑務官が立ち会う上、手紙にも検閲がある。そう簡単にナサニエルに連絡を取ることはできないはずだ。


 ーーどんな手を使ったんだ?


 レイモンドは思考を巡らせる。

 検閲の目をかいくぐるように手紙を暗号化して送れば、イライアスが外部と連絡を取ることは不可能ではない。

 だがイライアスとナサニエルは直接手紙をやりとりしていない。ナサニエルの動向は、ライアンとマイクに逐一監視をさせている。この2ヶ月間、一度としてナサニエルは手紙や電報の類を受け取っていなかった。

 ならば2人を繋ぐ第三の人物がいたのだろうか。イライアスを事前に調べた時は他に仲間は見つからなかったが、緊急時の連絡役がいる可能性は否定できない。

 この連絡役が何らかの方法でイライアスの手紙の内容を、ナサニエルに伝えたのかもしれない。


「ライアン。この2ヶ月間でナサニエルに接触してきた人間はいなかったか?」

「いない」


 ライアンははっきりと否定する。


「店員はどうだ? 食料を買いに外に出ていたんだろう?」

「食料や最低限の日用品なんかは買いに出ていたけど、買っていたのはいつもバラバラの店だった。潜伏先を次々に変えてたしな。それに店員がナサニエルに手紙やメモを渡していたら、その時に気づくはずだ。奴が起きている間は、マイクがずっと監視していたからな」

「なら特定の場所に出掛けて行ったという事はなかったか。公園や図書館、どこでもいい」


 どこか特定の場所で連絡役の人間と情報を交換していたのではないか、とレイモンドは思った。例えば公園のベンチの裏に手紙を隠すなどして、連絡を取り合うことは可能だ。しかしこの質問にも、ライアンは首を振った。


「買い出し以外、奴はずっと潜伏先に篭ってた」

「なら潜伏先は? あらかじめ隠してあったメモを読むことはできるだろう?」

「いや、ありえない。ナサニエルが何かを探していた事はないし、手紙やメモを読んでいたらマイクが気づく」


 マイクの目を盗んで連絡を取るのは不可能だと、ライアンは言う。しかしレイモンドは尚も納得できず眉間に皺を寄せた。何か見落としている事があるはずなのだ。


「ナサニエルは潜伏先で何をして過ごしていたんだ?」

「主に武器の手入れと、鍛錬だ。それによく新聞を読んでたとマイクが言っていた。裁判の行方をチェックしていたらしい」


 自分のことも報道されていたから気になったんだろう、と続けられたライアンの言葉は、その時既にレイモンドの耳に入っていなかった。新聞という単語に、閃くものがあったのである。


 ーー私事広告欄か……!

 

 エルドの日刊紙に掲載される個人広告は、遺失物、尋ね人、愛の告白、その他様々な私信が掲載されている。大衆の目にする媒体ではあるが、暗号化すれば特定の人間にだけ情報を伝える事も可能だ。

 単語の文字を数字に置き換えたり、文字を少しだけずらして読んだり、発信者と受信者さえ暗号の法則を知っていれば、極めて個人的なやり取りを、何万という市民が目にする場で行う事ができる。

 ナサニエルへの連絡手段はこれなのだと、レイモンドは確信した。レイモンドが考え込んでいると、ふいに耳元でライアンの不快そうな声がした。


「うるさいな! そんな事は言われなくても分かっている!」

 

 一瞬自分に言われたのかと思ったレイモンドだが、ライアンはレイモンドがいるのとは逆方向を向いている。どうやらレイモンドに話しているのではないらしい。

 ライアンの口調からアルマがそこにいるのだと、レイモンドは理解した。

 

「俺達だってわざと失敗した訳じゃない。キーキー耳元でわめくな!」


 会話の流れも大方分かった。わざわざライアンに聞くまでもない。ナサニエルを仕留め損なった事を、アルマに責められているのだろう。

 ひとしきりライアンの反論が続いた後、やがてそれも静かになると、不機嫌な顔のままライアンが口を開いた。


「なぁ、レイモンド」

「何だ」

「……こんな事聞きたくないんだが、さっき仕留め損なったのはやっぱりーー」

「ちがうよ」


 ライアンが何を言おうとしているのかを察して、レイモンドは続く言葉を封じるように首を振った。


「さっきは暗くてナサニエルがよく見えなかったんだ。手を抜いたわけじゃない」

「でもお前迷っていただろう。それにティトラにいた頃は、失敗なんてしなかったのに!」

「なら私の腕が落ちたんだろう」

「でも……!」


 実際レイモンドに手を抜いたつもりはなかった。それが無意識下のものかと言われたら、レイモンド自身にも答えようがない。もし無意識に引き金を引くのを躊躇ったのだとしたら、それは誰のせいでもない、レイモンド自身の問題だった。

 ライアンはまだ何か言いたそうな顔で声を上げたが、数秒迷うようにした後、結局口を閉ざした。不満そうなライアンの顔を、レイモンドは静かな眼差しで見つめる。

 ライアンはレイモンドを理想化し過ぎている。失敗をせず、何ものにも揺らぐ事のない人間だと。それは大きな間違いだというのに。


 ーー私は浅ましい人間だ。


 復讐の炎に身を焦がし、人の道を外れながら、未だ輝かしい世界に憧れ続けている。ナサニエルを殺そうとしながら、同時に捨てきれない望みを抱く歪な己の心のあり方を、レイモンドは自覚していた。

 

「ナサニエルは殺すから」


 なだめるようにレイモンドはそう口にした。


「アルマ、責めるなら私を責めろ。ーー次は失敗しない」


 虚空に向かって呟かれた声は、闇の中、妙に乾いて響いた。 

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