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計略

 ソフィアは家に帰り着くと、ロムシェルが来るのを待つ間、侍女に化粧を頼んだ。

 「できるだけ冷たく見えるようにしてくれる?」という奇妙な注文に、侍女は目を丸くしたが、彼女はその腕を余すところなく発揮してくれた。

 均整の取れた顔立ちは、化粧一つでガラリと印象を変えた。普段の柔らかな表情は影を潜め、どこか険のある面差しに化けている。

 うっすらと施された化粧は、見る者につんとして冷たい印象を与えた。

 小手先の策ではあるが、やらないよりはマシだろう。なにせこれからソフィアが相手にするのは、百戦錬磨の老獪さを持つ男なのだから。

 緊張は拭えない。ソフィアの浅知恵など、ロムシェルにはすぐに看破されてしまうのではないか。

 ソフィアひとりであの老人を、たばかることができるだろうか。

 セオドアは仕事で不在にしている。

 それが心細いと思ったが、今後の事を考えればむしろ好都合ではある。これからソフィアがする事は、セオドアとは無関係でなければいけない。

 自室で待っていると、昼を過ぎてまもなく、ロムシェルの来訪が告げられた。ソフィアの想像より随分早い。

 やはりロムシェルはサミュエル探しに血眼ちまなこになっているのだ。この交渉カードは使えるはずだと、ソフィアは自分に言い聞かせた。胸元に隠した指輪を握り締め、緊張をほぐすように目を閉じる。

 ロムシェルを焦らすように自室でじっくりと待った後で、ソフィアは応接室に足を向けた。途中、誰も部屋に入らぬようにと使用人達に念押しをする。

 応接室に入ると、ロムシェルは待ちかねたように立ち上がった。


「進展があったというのは本当か?」


 前置きなく紡がれた言葉に、ロムシェルの焦りが窺えるようだった。


「ええ」


 淡々と答えると、ソフィアはロムシェルの前に腰を下ろした。既にその顔からは、表情が消えている。ソフィアは注意深くロムシェルの表情を見ながら口を開いた。


「サミュエルを見つけました」

 

 どこで、と聞き返したロムシェルはソフィアに詰め寄らんばかりである。


「落ち着いて。まずは、お座りになって下さい」

「そんなことより早くサムの所へ案内してくれ」


 ロムシェルの言葉を無視して、ソフィアは座るようにと目で促した。頑として譲らぬソフィアに、渋々ロムシェルは腰を下ろす。


「……それで、見つかったというのは本当か?」

「はい」


 一拍間を置いて、ソフィアは一息に言い切った。


「あなたにお伝えしなければならないことがあります。サミュエルは死んでいません。今もまだ、生きています」


 ロムシェルの瞳が驚きに見開かれる。


「ーーサミュエルは生きているんです」


 ソフィアはもう一度同じ言葉を繰り返した。その言葉の意味をロムシェルが理解するのをじっと待つ。


「……本当に?」


 おぉ、と呻いたロムシェルの顔には俄に歓喜が浮かびあがる。


「私は約束を果たしました。ですからあなたにも、約束を守っていただきたいと思います」

「ああ、勿論だとも。明日の法廷で証言する。だからサムの所へ早く案内してくれ」


 前のめりになるロムシェルを見て、ソフィアは首を振った。


「案内するのは、証言が済んでからです」

「何?」

「当然でしょう? 明日あなたが何を語るか、私には分からないのですから。オールドマン家に対して、ご自分の信頼があるとお思いですか?」

「私が証言して、やはりサムは見つかっていないなどと言い出すのではあるまいな」

「自分が嘘をついているからといって、他人まで嘘をついていると思わないことです」

「罪を認める証言をすれば、私は逮捕される。まずはサムの所へ、案内するのが先だ」

「いいえ、証言が先です」


 ロムシェルの言葉を遮るように、ソフィアは冷たく言い放った。


「信じたくなければ、信じなくてもかまいません。2度とサミュエルには会えないだけですが」

「ーーそれは脅しか?」

「取引きですよ。望むものを手にする為には、対価が必要です。私は無理な要求をしていますか? 私があなたに望むのは、真実を語ること。あなたが私の要求を飲めないと言うなら、私は口をつぐむだけ」


 抑揚のない口調で言ったソフィアに、ロムシェルは不快さを隠さない。ロムシェルはカッと目を見開くと、それまでの口調を一変させた。


「小娘風情が私と交渉する気か! ならばせめて、サミュエルが生きている証拠を出せ!」


 恫喝したロムシェルに、ソフィアは無垢な童女のように不思議そうに首を傾げただけだった。


「まだ分からないようですね。ーー証拠を出さなければいけないのは、あなたの方だというのに」


 意味をはかりかねて、ロムシェルが眉を寄せた。ソフィアは噛んで含めるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「サミュエルを見つけてくれと頼んで来たのはあなた。エレン・ラングレイの占いを信じているのもあなた。私が証明する必要はない。あなたが私に約束を果たす意志があると、証明しなければならない」


 決定権は自分にあると、ソフィアは冷厳な眼差しでロムシェルを見つめる。落ち着き払ったソフィアの様子に、ロムシェルは得も言われぬ苛立ちを覚えた。恫喝して主導権を握ろうとしても、まるで手応えがない。沼に杭を打っているようだった。

 むしろソフィアの反応に、ロムシェルの方が苛立っている。だがここで冷静さを失っては、それこそ相手の思う壺。ロムシェルはぐっと怒鳴り散らしたいのをこらえた。


「……名も知らぬ老人を助けてくれたお嬢さんが、サミュエルの居場所を知っていて、黙っているとも思えぬが」


 初対面時や夜会で会った時を思い出せば、ソフィアが犯罪行為を見過ごす娘だとは、ロムシェルには思えない。

 これは単なるハッタリではと、ロムシェルはソフィアの顔を凝視する。


「何もしていない人間に悪意を向けるほど、私は醜い人間ではありません。ですがオールドマン家に害なす人間なら、話は別です」

 

 ソフィアは冷然と「私はあなたが嫌いです」と口にした。


「オールドマン家を攻撃してくる人間に対する優しさは、あいにく持ち合わせておりません。私にとってはサミュエルが死んでいようが、2度と両親に会えなかろうが、どうでもいいことです」


 そう言うソフィアの表情はどこまでも冷淡だ。

 ハッタリではと思う一方、ソフィアの落ち着きがロムシェルには不気味だった。

 大抵の人間はロムシェルを前にすれば、おもねるか萎縮するものだ。年若い娘ならなおのこと。

 しかしソフィアはロムシェルが何を口にしても、まるで動じる素振りがなかった。恫喝してもカマをかけても、狼狽える様子がない。

 それが何とも薄気味悪い。

 蝶よ花よと育てられた箱入り娘が、こうも落ち着いているものだろうか?

 ソフィアのこの落ち着きが、サミュエルを見つけた事による自信によるものなのか、嘘をついて騙そうとしている為なのか、判断がつきかねた。

 本当にサミュエルを見つけていたとして、本気で口を閉ざすつもりなのだろうか。ロムシェルの胸には迷いが生じる。

 ぐずぐずと思い惑うロムシェルをじっと見ながら、ソフィアはつまらなさそうに呟いた。

 

「やはり本当の事を話すつもりなど、最初からなかったのですね」


 ソフィアの言葉にロムシェルは黙り込んだ。その指摘が図星だったからだ。蔑むような視線を投げかけたソフィアを、ロムシェルは睨み返した。


 ーーサムの居場所さえ分かれば。


 サミュエルさえ見つかれば、目の前の小娘など恐るるに足りない。どうにかしてソフィアを出し抜く方法はないかと思ったが、妙案は浮かばない。

 ソフィアの要求に応じて、法廷で証言をすることは避けたかった。一度証言をしてしまえば、それを翻すのはリスクがある。偽証罪に問われる可能性があるからだ。

 なんとかソフィアを丸め込み、サミュエルの元へ案内させる方法はないか。思いあぐねていると、ソフィアが口を開いた。


「あなたに家族を救うチャンスをあげます」

「チャンスだと?」 


 ソフィアの発言の意図が読めず、ロムシェルは疑問を口にした。


「ええ。明日真実を口にし、罪を認めるなら、サミュエルの両親を告発はしません」

「告発? 何の話だ?」


 と、ロムシェルは訝しげな顔になる。


「北部シュタール鉄道が違法な基準で車両を製造している事を、新聞社に暴露します。ダレル氏は1年前に社長の座を引き継いでいるのですよね? ならば彼が責を負うのは避けられない」


 突然の指摘に、ロムシェルからすっと血の気が引いた。何故ソフィアがその事を知っているのか、咄嗟に頭がついていかない。

 

「ダレルとシーラは何も知らん!」

「さて、それが真実か否か、私には判断がつきかねます。判断は司法に委ねましょう。仮にダレル氏が無実だったとしても、世間の風当たりがどうなるかは分かりませんが」

「小娘が……!」


 苛立った様子のロムシェルに、ソフィアは「ですから、チャンスを与えると言っているではありませんか」と薄く笑った。


「明日真実を語るなら、全てはあなたの責任という事にしてもいい。個人の独断による暴走だと。家族は無関係だと主張する場を用意してあげますと、そう言っているんです」


 優しいでしょう? と笑ったソフィアは、そこで一旦言葉を切った。少し考えるように口を閉ざした後、「ーーけれど」と再び口を開いたソフィアの灰色の瞳が、底光りしたようにロムシェルは感じた。


「嘘をつくなら容赦はしません」


 と、ソフィアは身を乗り出してロムシェルの耳元で囁く。


「朝目覚めてから眠りにつくまでーーいいえ、眠ってからも、私に隠し事はできない」


 あなたの全てを知っている、とソフィアは声を落とした。


「最近眠れていないでしょう? でもいくら眠れないからといって、お酒に頼るのは感心しません」


 唐突に話題を変えたソフィアに、ロムシェルは眉をひそめた。


「何のことだ……?」

「毎日ブランデー3杯は飲み過ぎです。ついこの間、メイドのジェーンに注意されたばかりでしょう」


 さっとロムシェルの顔色が変わった。


 ーー何故知っている?


 ごく私的な会話の内容を。ロムシェルの背中を得体の知れぬ何かが、ぞわりと這い上がった。ロムシェルの顔が強張ったのを見て、ソフィアの瞳が妖しく輝く。

 そうしてソフィアは、この一週間のロムシェルの行動の全てを語り出した。行った場所、会った人物、交わした会話。果ては食事のメニューに至るまで、ロムシェルでさえ忘れていたような事実を、ソフィアはピタリと言い当てたのである。

 昨夜したためた手紙の内容をソフィアがそらんじた時には、流石に鳥肌が立った。

 ニールでさえ知らない内容の数々に、ロムシェルはソフィアの顔を凝視する。


 ーーこの娘、エレンと同じ異能者か。


 普通の人間には、ロムシェルの行動の全てを言い当てることなど不可能だった。ソフィアがロムシェルの行動を把握している合理的な説明が思いつかない。

 『あの娘に頼めばなんであれ、知りたい情報を調べてくれる』というマシューの言葉を思い出す。人智を超えた不思議な力。


「証人襲撃計画が警察に漏れたのは私の仕業かと、以前あなたは尋ねた事がありましたね。ーーその通りだと言ったら、どうします?」


 無表情のソフィアの顔は人形めいていて、薄ら寒さを感じた。


 ーー面妖な。


 奇怪なことこの上なかったが、一方で期待も生まれていた。その力を目の当たりにしたことで、サミュエルを見つけたというソフィアの言葉が俄然真実味を持ちはじめている。

 この不思議な力をもってすれば、12年間行方不明のサミュエルを見つけることも、不可能だとは言い切れない。


 ーーこの娘の話が本当なら、サムは生きている。


 ロムシェルの心は揺れる。 

 ソフィアはロムシェルの表情を無感動に眺めながら、淡々と言葉を紡いだ。


「明日、裁判を傍聴します。もしも真実を語るなら、サミュエルは両親の元へ帰ることができる。車両の欠陥も、必要以上に追求するつもりはありません。でもあなたの言葉に少しでも嘘の匂いを感じたら、私は全力をもってバーシルト家を追い詰めます」

 

 ロムシェルの鼻先にサミュエルという人参をぶら下げながら、同時に裏切ったら許さないとソフィアは牽制する。ソフィアはロムシェルの答えを待つことなく、「今日1日よくお考えを」と言うと立ち上がった。

 そのまま応接室の扉を開けて、ロムシェルが出て行くのを催促するように見下ろす。

 じろりとソフィアを睨み返しながら、ロムシェルは腰を上げた。

 挨拶もせずロムシェルが応接室を出て行った後、ソフィアは静かにドアを閉めた。

 

「ーーっ」

 

 途端、ソフィアは盛大に息を吐き出した。緊張の糸が切れて脱力する。扉に手をつくと、ずるずるとその場に座り込んだ。

 全身を覆うのは、ぐったりとした倦怠感。


「疲れた……」


 ーーロムシェルはどう出るかしら。


 ロムシェルの表情からはソフィアの本意はばれていないように感じたが、自信はない。あの狡猾な老人相手にハッタリが通じたのか、確信は持てなかった。


 ーー気味悪がっていたのは、確かだと思うけど。


 悪女を演じるという点では、落第点かもしれない。あれでは悪女というより不気味な女だ。

 それでも仕方がないか、とソフィアは思う。

 何せソフィアが参考にしたのは、幼い頃に散々怖い思いをさせられた死者達なのだから。

 幼いソフィアにとって『怖いもの』といえば何より死者の存在だった。特に恨みを残してこの世に留まる死者は、言いようのない恐怖心と不安感を見る者に与える事を、ソフィアは身を持って知っている。

 故にロムシェルを相手になめられぬよう交渉しようと思った時、真っ先に思い浮かんだのは彼らの姿だった。

 何者をも恐れぬ豪然とした態度。

 妖しく底の知れぬ表情に、冷淡な瞳。相手の状況などお構いなしに、自分の主張を押し通す我の強さ。

 はっきり言って己の周囲にこれといった悪女は思い浮かばなかったが、死者の姿なら山ほど思い出す事ができた。

 ソフィアがロムシェルに恫喝されても動じなかったのも、単純に慣れていたからといえる。死者に脅され、威嚇された経験がまさか活かせる日が来るとは。人生何が身を救うか分からないものだ。

 どこまでロムシェルに通じたか分からなかったが、人事は尽くしたとソフィアは思う。

 後は時の運に任せよう。

 すっかり力が抜けたまま壁に凭れかかると、ソフィアはゆっくりと目を閉じた。

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