消息
ダレルとシーラにサミュエルの霊が憑いていないことは、応接間に入ってすぐに分かった。
セオドアとともに応接間に入ったソフィアは、2人の前に腰を下ろす。
目の前に座っているのは、40歳前後の夫婦である。ロムシェルの娘だというシーラは、スカイブルーの瞳を持つ美しい女性であった。女性としては背も高く、率直に言ってロムシェルとは似ても似つかない。
バーシルトの姓を名乗っているという事は、おそらくダレルが婿入りしたのだろう。
シーラの夫であるダレルは、かっちりと上質なスーツを着こなす、落ち着きのある男性だった。高い鼻に理知的な瞳。少し神経質そうな顔立ちは、実業家というより研究者や大学教授を思わせる。よくよく見ると目の下に隈ができていて、顔色もこころなしか悪いようだった。
1年ほど前にロムシェルから社長の座を引き継ぎ、今はダレルが北部シュタール鉄道トップの座に就いている。ロムシェルは既に経営の第一線から退いていると言うが、それが真実か否かソフィアには分からなかった。
「義父から、今回の件を聞きました。貴女に協力をするようにと言われています」
口を開くと、ダレルの神経質そうな印象が幾分薄くなる。柔らかく、落ち着きのある話し方だった。
「正直に言って、戸惑っています」
ダレルの隣に座るシーラは、険しい表情で口を開く。
「サムは12年前に亡くなりました。父はエレンという女の言葉を信じているようですが、今更見つかるとは思えません。それに失礼ですが、貴女のような若い女性に見つけられるとは……」
シーラがちらりとソフィアに視線を送りながらそう言った。疑うような、不審がるような色が瞳に浮かんでいる。
このシーラの反応は、ソフィアが予想していたものだった。いくらロムシェルに言われたからといって、サミュエルの両親が全面的にソフィアを信じ、協力的であるとは考えていなかった。あまり素直に信じられていたら、逆に裏があるのではと疑っていただろう。
「信じられないのは、当然だと思います。私自身、先日捜索を依頼された時は驚きましたから」
「最近の父は、普通ではありません。占いや怪しげな降霊に傾倒して……サムが見つかると言いだした時には、とうとうエレンに洗脳されておかしくなったのだと思いました。あのエレンという霊媒師は、父に取り入って何をしようとしているのだか」
シーラが深いため息をつく。どうやらシーラは、エレンの事をよく思っていないようだった。
「貴女がオールドマン家の方でなければ、ここには来なかったでしょう。エレンと共謀しているか、新しく父に取り入る霊能者の類だと、疑ってかかったでしょうから」
「無理もありません」
普通の人々にとって降霊だの霊視だのは、怪しく胡散臭い代物なのだ。
娯楽として楽しむ分にはいいが、本気で傾倒などすれば正気を疑われかねない。
シーラの目には本物の力を持つエレンでさえ、ペテン師と変わりなく映っている。ソフィアが自分の力の話などしたら、シーラの見る目は途端に蔑むようなもの変わるだろう。
シーラの言葉を引き継ぐように、ダレルが困ったような顔をした。
「ご存知の通り、8年前の贈賄疑惑で会社は大変な時期です。正直ここに来る余裕はなかったのですが、言うことを聞かないと義父がうるさいので」
「父はこうと決めたら独善的で、人の意見を聞きません。父は貴女がサムを見つける事ができると信じ切っています。貴女に無理を言って、ご迷惑をかけてるのじゃないかしら」
だとしたらごめんなさいね、と言ったシーラは本当に申し訳なさそうな表情を浮かべている。シーラの口調にソフィアはあれと思った。
迷惑というならば、今回のサミュエル探しの件よりも中傷記事によってセオドアが被った被害の方がはるかに大きい。だがシーラの言葉は、明らかにソフィアだけに向けられていた。セオドアを前にしても、記事に関する謝罪は一切出ていない。
ーーもしかして、知らない?
ロムシェルがセオドアの中傷記事を載せた事を、シーラは知らないのだろうか。8年前の贈収賄事件についても、どこか他人事のような口調である。
ダレルの表情を見ても疲労の色こそ濃いものの、オールドマン家に対する後ろめたさのようなものは見られない。中傷記事の一件は、ロムシェルの独断なのだろうかとソフィアは思った。
「それで、私達は何をすれば?」
ダレルがセオドアの方を見る。今日の目的はサミュエルの霊が両親に憑いていないか確認する事であったが、早々に確認は終えてしまった。しかし用は済んだからもう帰れというわけにもいかないだろう。
ソフィアが隣に座るセオドアをちらっと見上げると、セオドアが横目で頷きを返す。
「ご子息の当時の容姿や特徴が知りたいのです。当時の新聞には写真などは載っていなかったものですから」
淡々と口を開いたセオドアに、「写真はないのです」とシーラが首を振った。
「まだ4歳でしたから……サムは髪色も瞳の色もダレルによく似ています」
当時を思い出したのか、シーラは辛そうな顔をした。
「誘拐当時身につけていたものに特徴的なものは?」
「あの日はグレーのチョッキと同色のズボンを履いていました。それに銀製の懐中時計をポケットに入れていたはずです」
「懐中時計? 4歳の子供にですか?」
セオドアが訝しげに尋ねると、「父のものです」とシーラが答えた。
「元々父が持っていた懐中時計を、サムが欲しがったんです。銀製の細やかな意匠のもので、キラキラしたのが気に入ったんでしょう。父がサムにあげて以来、気に入って肌身離さず持ち歩いていました。犯人の家からは見つかっていないので、多分亡くなるその時まであの子が持っていたのではと……」
話しながらシーラの声は震え出し、最後は絞り出すように言葉を吐き出した。シーラの背中をダレルがいたわるようになでる。そうしながらダレルはセオドアへと視線を向けた。
「サムの事は見つけてやりたいと思っています。親ならば、当然そう思う。ですがあの事件を思い出すたび、何度も何度も傷が抉られるのも事実です」
ダレルは抑えた声音でそう言った。
「私達にはもうひとり娘がいます。サムの妹にあたる子ですが、娘の為にも事件のせいで家族がバラバラになってはいけないと、12年間心の傷を少しずつ癒やしてきました。ですが今日のような事があると事件の記憶が呼び起こされて正直辛いのです。義父の手前今日はここまで来ましたが、このような事はこれで最後にしてもらいたい」
義父がお願いしておいて勝手をいうようですがと、ダレルは頭を下げた。
「こちらも不躾なことを言いました」
顔をお上げくださいと、セオドアは柔らかく言う。
頭を下げたダレルを見て、ロムシェルとこの夫婦の間にはサミュエル探しに温度差があるのだと、ソフィアは知る。何が何でもサミュエルの遺体を見つけ出したいロムシェルと、事件の記憶が呼び起こされて積極的になれないシーラとダレル。
ーーもっと考えるべきだったわ。
ソフィアの胸には苦い罪悪感が広がっていく。無論傷つけるつもりなどなかったが、知らなかったことを言い訳にはできないだろう。2人の気持ちを、もっとよく考えるべきだったのだ。
「辛い事を思い出させてしまいました。申し訳ありません」
「貴女が謝る必要はないのですよ。無理を言っているのは、父ですから」
謝罪したソフィアに、シーラが首を振る。その後二言三言言葉を交わした後で、シーラとダレルは帰って行った。
「サミュエルの霊は見えなかったんだね?」
2人だけになった応接間で、確認するように尋ねたセオドアに、ソフィアは「はい」と気落ちしたまま頷いた。
「サミュエルの霊がこの世に留まっているのなら、両親の元へ行く可能性が高いと思ったのですが……」
一体サミュエルはどこにいるのだろう。はたして見つけることができるのだろうか?
悶々としたままそれから数日が過ぎ、公判までの残りの期間は一週間を切った。この間ソフィアは捜査資料をもとに、市内のめぼしい場所をしらみつぶしに回ったが、全て空振りに終わっている。
その日も無収穫の1日を終え、ソフィアは自室のベッドでひとり膝を抱え、考えに耽っていた。ベッドの上には捜査資料が下の布地が見えない程、びっしりと広げられている。
ーー何か根本的に間違っているのかしら。
サミュエルの痕跡は影も形も見つからない。ここまで何もないと、抜本的に探し方を見直す必要があるような気がしてくる。
ぐるぐると思考を巡らせながら、ふとソフィアはある事に気がついた。
サミュエル探しを始めた時に、うっすらと感じていた不安や違和感の正体である。本当にサミュエルを見つけることができるのかと不安に感じていた原因は、4歳という年齢にあると思い至ったのである。
経験上そんなに幼い霊を見たことは、これまで一度としてなかったのだ。
ソフィアがこれまで出会った最も年少の死者は8歳で亡くなったジョエルで、それより幼い霊をソフィアは知らない。考えてみれば赤子の霊というのも、見たことはなかった。死者を見るようになってから9年。
考えてみれば大人より乳幼児の方が死亡率は高いはずなのに、これまで一度も見たことがないというのはおかしくないだろうか。
ーー幼すぎると霊にならない?
ふとそんな仮説が頭に浮かんだ。
ソフィア自身霊を見るようになったのは9歳からだ。霊になる年齢や、霊が見えるようになる年齢には、一定の法則があるのではないだろうか。
例えば自我の確立。この世に未練を残す程の自我がなければ、霊体としてこの世に留まれないのかもしれない。未練を残す死者が見えやすい一方で、未練を持たぬ死者にはほとんど会ったことがない。
だから直感的に違和感を感じたのだ。4歳で霊体になれるのかと。
サミュエルを見つけるというエレンの予言と、ソフィアの経験則が矛盾する。それが違和感の原因になっていることに、ソフィアは気がついたのだった。
エレンの予言がはずれたのかと思ったが、目の当たりにした力は本物だったとソフィアは思う。予言の解釈を取り違えているのだろうか。『金色と灰色を纏った少女』とは、ソフィアのことではないのかもしれない。だがソフィア以外に似た特徴の少女がいるならば、ロムシェル自身が気づくはず。
ソフィアは頭を悩ませる。
どちらが間違っているのだろうーーと考えて、はっとした。
ーーどちらも間違っていないなら?
エレンの予言とソフィアの経験知。矛盾しない仮説があるではないか。
ーーサミュエルが死んでいないのならば。
それならば、霊が見えないことも、降霊が失敗したことも説明がつく。生きているなら、霊にはならない。
予言を聞いて死者になったサミュエルを見つけるのだとばかり思っていたが、そうではないのかもしれない。ーー生きているサミュエルを見つけること。それがエレンの予言の本当の意味ではないのか。
ソフィアは捜査資料の中から当時の容疑者リストを探し出すと、ベッドから跳ねるように降り立った。さっと書物机の置き時計へ視線を走らせると、時計の針は夜の7時を指している。
今ならベイルもバドも使用人食堂にいるだろう。
慌てた様子で使用人食堂に入ってきたソフィアに、扉の近くに座っていたライオネルが驚いた顔で声をかけた。
「お嬢様、こんな所へどうされました」
「ベイルとバドはいる?」
「ええ。ーーベイル! バド!」
ライオネルが奥に座った2人を呼ぶ。こちらへ顔を向けた2人の姿を確認するやいなや、「こっちへ来て」とソフィアは手を振った。ベイルとバドを廊下まで連れ出して、ソフィアは一枚の紙を差し出す。
「2人に調べてもらいたいことがあるの」
「これは?」
差し出された紙片を見つめながら、ベイルが訝しげに眉を寄せる。
「12年前の容疑者リストよ。この中にブランドンの共犯者がいると思うの」
「どういうことです?」
「サミュエルは殺されていない。そう考えると全てのことに辻褄があうの」
結論から切り出したソフィアに、話についていけないというようにベイルが手をあげて制止する。
「待ってください。ブランドンは誘拐と殺人を自白しているのですよ」
「その自白が嘘なのよ。警察の目を自分に引きつけ、サミュエルが生きていることを隠すために、ブランドンは嘘の証言をしたの」
「自殺までしてですか?」
ベイルが信じられないという顔をした。
「ブランドンは元々人生に絶望していたわ。借金を抱え、家族も出て行き、自ら死を選んでもおかしくない程心を病んでいた。ブランドンは自分の命を使って、ロムシェルに復讐したのよ。そう考えるとブランドンが殺人を認めながら、サミュエルの遺棄場所を口にしなかった理由がわかる。実際には殺してないのだもの、場所を答えられるわけがないわ」
「復讐なら何故ロムシェルを殺さなかったのです。元凶は彼でしょう」
「家族を失う苦しみを与えるためよ。ロムシェルを殺しても与えられるのは、肉体的な痛みだけだわ」
ソフィアの説明に、一瞬ベイルは黙り込んだ。
「一応筋は通っていますね」
バドがソフィアの話に興味を引かれたように口を挟む。ベイルは尚も納得できない顔で口を開いた。
「ですがそれでどうして共犯者がいるという話になるのです」
「4歳の子供を連れて逃亡するのは、簡単ではないと前に言っていたわよね。似顔絵が出回っているなら、尚の事目を引くはずだと。でもブランドン一人なら? 身を隠すのはそう難しい事じゃないわ」
「つまり別の人間がサミュエルを連れて行ったと?」
「ええ。ブランドンは捜査を撹乱させるための囮なの。誘拐自体はブランドンの仕業かもしれないけれど、その後はサミュエルとは行動を共にしていない。それならブランドンの不可思議な行動も説明がつくわ。警察はサミュエル誘拐後すぐにブランドンを犯人だと断定してる。サミュエルが誘拐されたその日に姿を消して、自宅にバーシルト家を調べていた大量のメモ書きが残されていたからよ。でもこれっておかしいと思わない?」
「確かに証拠の品を処分しなかったのは、不自然ですね」
「そう。普通は犯行前に自分に繋がる証拠は処分するはずだわ。でもブランドンは逆にあえて証拠の品を残してる」
「……まるで自分が犯人だと宣伝しているようだ」
「自分に警察や世間の目を引きつけるためよ。ブランドンが犯人だと断定されたことで、他の人間は容疑者候補から外れている。当時ロムシェルに恨みを持つ人間は沢山いたのに」
ソフィアは右手に持っていた容疑者リストを2人に示す。当時警察が調べたロムシェルに恨みを持つ人間は12人。その全員の名がリストには連ねられていた。
彼らは捜査の初期段階では確かに容疑者として名前があがったにも関わらず、ブランドンが犯人だと特定されて以降、警察の捜査を免れている。
「ブランドンがサウスエンドへ行った理由も説明できる。バドは本気で国境を通過するつもりなら、サウスエンドの街にいくのはおかしいと言ったわね。わざと捕まったみたいだと。ブランドンははじめから国境を越える気はなかったのよ。逮捕され、サミュエルを殺したと証言しなければ、ブランドンの復讐は完成しないから」
ベイルが容疑者リストを見ながら唸る。
「……確かにそれならば、ブランドンの不可解な行動が説明できる」
「ですが何故このリストに共犯者がいると?」
バドが不思議な顔で尋ねると、「親しい人は調査済みだから」とソフィアは答えた。
「ブランドンの家族も親しい友人も、既に警察やロムシェルから徹底的に調べられている。でもブランドンをかくまった証拠も、サミュエルがいた形跡も見つかっていないわ」
「親族や友人は、共犯者ではないということですね」
「そう。でも誘拐なんて重罪に手を貸すような人、親しい人間以外で誰がいると思う?」
「……ロムシェルに恨みを持つ人間ですか」
なるほどと、ベイルが合点したように呟いた。
「ええ。警察がリストに名前をあげるくらいだもの。ここに載っている人間には、ブランドンの共犯になるだけの動機があるわ」
全員がロムシェルに強い恨みを抱いている。
「お嬢様がおっしゃることはよく分かりました。それで我々は何をすればよろしいので?」
ベイルが興味深そうに片眉をあげてそう尋ねた。その顔からは、もう疑うような表情は消えている。
「リストに載っている人間を調べて欲しいの。今どこで、何をしているのか。ブランドンの共犯者はサミュエルを連れているはずだから」
生きている人間を探し出すなら、2人の手腕に頼るべきだとソフィアは思う。
「しかし護衛の仕事はどうします? お嬢様から離れるわけには……」
バドが困った顔でそう言うと、ソフィアは爽やかな笑みを浮かべた。
「2人が調査している間は、私は一歩も屋敷の外に出ません。護衛の仕事は開店休業ね。だから思う存分捜査に力を入れてもらえると嬉しいわ」
「なるほど」
待ち構えていたかのように淀みなく答えるソフィアに、バドが苦笑いを浮かべた。おそらくソフィアは最初からそのつもりでいたのだと、分かったからだ。
「この仕事に飽きることはないと言われた意味が分かってきましたよ」
「護衛になってまで、よもや捜査をするとは思いませんでした」
ベイルとバドはひとしきり軽口をたたいた後で、「明日の朝から早速はじめます」と言って食堂に戻っていった。
それからの5日間は、ソフィアは約束通り屋敷から一歩も出ることなく、じりじりとした思いで過ごすことになった。
ベイルとバドは元刑事の性なのか、不確定な情報をソフィアに語るのをよしとせず、ソフィアが一日の調査結果を尋ねても「もう少しお待ちください」という言葉を繰り返した。
5日目の夜、屋敷に戻ってきたベイルとバドは、遂に待ちわびていた報告を口にした。
「見つけました」
「ポリー・ニコルズという女です。ずっと西部のダーヴィントンで暮らしていましたが、息子をつれて数ヶ月前、エルドに舞い戻ってきています」
それを聞いて、ソフィアの心臓がどくどくと音を立てて騒いだ。サミュエルが見つかるという確かな予感に、緊張して痺れが走る。
月が姿を隠す新月の夜。
第三回公判までは、後2日に迫っていた。




