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誘拐事件

 それから3日間、じっくり考えた後でソフィアはロムシェルの依頼を受けることにした。セオドアによって、既にロムシェルの話の裏は取れている。

 最終的にソフィアが手を貸すことに決めたのは、やはり亡くなったサミュエルを家族の元へ返したいという思いが大きかったからだ。

 ロムシェルが本気でこれまでの罪を認めるつもりかは分からない。いくら考えても、ソフィアにはあの老人の真意を見透かすことなどできなかった。

 キリキリと頭が痛くなるまで考えて、最後はロムシェルに期待するのをやめた。どうせロムシェルが裁判で何を証言するかなどわからないのだ。それを判断基準にしても、答えは出ないと思った。

 ならば自分の思う通りに行動しよう。そう思ったら、答えは自然と出てきたのだった。ーーサミュエルを両親の元に返したい、と。それがソフィアの結論だった。


 セオドアはロムシェルが訪れたあの日、既にソフィアの答えを予期していたらしい。ソフィアがサミュエルを探したいと伝えると、程なくして新たな護衛を連れてきた。

 セオドアが新しくソフィアの護衛として雇ったのは、元刑事だというベイル・マグナスとバド・キャラハンという2人の男だった。

 ベイルは強面の痩せた男であり、バドは身体も声も大きい筋肉質な男である。歳はベイルが40、バドが35だという。

 ベイルもバドも捜査のプロである。一体どうやってこんな人材を同時に2人も見つけていたのか、セオドアの人脈の広さにソフィアは改めて驚かされた。


「警視庁にいる友人に頼んで、当時の資料を借りてきました」


 そう言って、ベイルが初日に持ってきたのは、箱にいっぱいに入った紙ファイルであった。中身はサミュエル誘拐事件に関する捜査資料である。

 そんなに簡単に手に入るものなのかといった疑問や、ソフィアがこれを見ていいのかといった戸惑いがいくつも頭に浮かんだが、聞けば藪蛇になりそうな予感がして、迷っているうちに聞くタイミングを逃してしまった。

 ロムシェルにサミュエルを探すことを電報で伝えると、まもなく従者のニールがオールドマン家へやってきた。


「我々が独自に調べた内容です。他に必要なものがあれば、お申し付け下さい」


 渡されたのは、バーシルト家が調べた犯人に関する資料の数々だった。犯人の経歴、親族の職業や居住地が詳細に記載されている。ロムシェルが12年間探し続けたと口にした言葉を裏付けるように、年季の入った資料も見受けられた。

 ソフィアは一人では抱えきれない程の資料を前に、思案に暮れる。さて、一体どこから手をつければよいだろう。闇雲に探し回っても見つからないことは、グウィン探しでよく学んだ。

 探索の糸口と、そこから導かれる論理的推論、そしてほんの少しの幸運。それがサミュエルを見つけるには必要だった。


「まずは事件を整理してみましょう」


 初対面の挨拶もそこそこにベイルがそう提案したので、資料の中身を確認しながら事件を整理することにした。オールドマン家の図書室、ライオネル達まで巻き込んで、資料の山をひっくり返す。


 サミュエル誘拐犯は、ブランドン・ショートという。事件前のブランドンは車両の製作所を営む、真面目で実直な男だった。それが12年前、北部シュタール鉄道から突然取引停止をされたことで、状況が一変する。

 会社が多額の負債を背負って倒産したのである。ブランドンの妻は2人の子供を連れて家を出て行き、彼は一人借金返済の為奔走することになる。

 借金苦と子供に会えない辛さから、ブランドンの心はいつしか病んでいく。それが最終的には、彼を凶行に走らせたのだった。

 資料をめくりながら、ソフィアは頭の中でひとつひとつの出来事を整理していく。

 サミュエルを誘拐したブランドンは、そこから約一ヶ月逃避行を続けている。逮捕後もその間どこで何をしていたのか、彼は一切を喋らなかった。唯一、口にしたのは『サミュエル・バーシルトを殺した』という自白だけ。ソフィアがそこまで読み進めたところで、バドが顎に手をあてながら呟いた。


「少し、妙ですね」

「妙?」


 ソフィアがそう聞き返すと、バドは資料へ向けられていた目線をソフィアの方へと移動させる。


「一ヶ月間のブランドンの足取りです。この男、実に周到に警察の目をかいくぐっています。奴の死後ですら、逃亡期間中の正確な足取りは分かっていない。それが最後のサウスエンドの街では、実にあっさり捕まっています。ーー簡単過ぎると言ってもいい」

「そこが妙だと?」

「ええ。サウスエンドでのブランドンは、逮捕時に一切の抵抗をしていない。犯人を捕まえたのは、その年国境警備隊に配属されたばかりの新人です。まるで待っていたみたいに、簡単に逮捕されています」

「つまりブランドンはわざと捕まったと言いたいの……?」

「そうです。ブランドンは国外に逃げる気はなかったのではないでしょうか。最初から拘束されるつもりで、サウスエンドに行っている」


 言いながら、バトの眉間に皺ができる。


「それに本気で国境を超えるつもりなら、サウスエンドに行くのはおかしいんです」

「なぜ?」


 ソフィアが首を傾げると、「ウィルドの森です」とバトは声を低くした。


「ウィルドの森?」

「サウスエンドの西側10キロにウィルドの森と呼ばれる森林地帯があります。ここにも警備隊はいますが、広大すぎてとても全部は取り締まりきれないんですよ。密入国や密出国を企てる者にとっては、この森の監視はざるです。本気で国境を通過するつもりなら、普通はサウスエンドよりウィルドの森を選ぶはずです」

「森の存在を単に知らなかったとか」


 ソフィアの質問に、「その可能性は低いでしょう」とバドは首を振った。


「ブランドンは南部の出身です。エルドから南に向かったのは、土地勘があったことも理由のはず。ブランドンがウィルドの森を知らなかったとは考えにくいかと」


 ソフィアは頬に手をあて、考え込んだ。


「わざと捕まる理由は何……?」

「逃げることに疲れた場合や罪の意識に耐えきれなくなった場合、犯人が出頭することはありますがね」


 ベイルが横から口を挟む。


「まぁ出頭した犯人は、罪を認めてすらすら自供するタイプが多いですが」

「でもブランドンは違うわね」


 誘拐と殺人を認める一方、逃亡中の経路や遺体の場所は明かしていない。


「中途半端に罪を告白する理由がわからないわ……」

「それはやはりロムシェルへの復讐では? 孫が殺されたと聞けば、ショックは相当なものでしょう」


 そう言ったのは、ライオネルである。バドがライオネルを見ながら、首を傾げる。


「それなら遺体を発見させた方が、ロムシェルに与えるショックは大きいはずでは?」

「それは、そうかもしれないが……」

 

 そこまで話して、全員が黙り込んだ。ブランドンの意図が見えてこない。しばし沈黙が室内に落ちた後で、ベイルが口を開いた。

 

「これは仮説ですが」

 

 そう前置きをして、話しはじめる。


「サミュエルはかなり早い段階で殺されているのではないでしょうか」

「どうしてそう思うの?」

「目撃情報がなさ過ぎるからです。捜査資料によると、ブランドンの名前は早い段階で捜査線上に浮かんでいます。犯人として似顔絵が新聞で報道もされた。本来なら幼児を連れた中年男が現れたら、相当目を引くはずです。にもかかわらず、サミュエルの姿は誘拐後一度も確認できていない」

「つまりブランドンは逃亡する時、既にサミュエルを連れていなかったと言いたいのね」

「はい。ブランドンは誘拐直後にサミュエルを殺害したのではないかと思われます」

「それなら捜索範囲は、エルドに絞られる……」


 ソフィアは考え込むような顔つきになった。

 首都エルドは、中心地だけでも280平方キロメートル。市内全体では、1300平方キロメートルに及ぶ巨大都市。市内のみを探すにせよ、簡単なことではない。


「まずは、ブランドンの家から行ってみましょう」


 そう結論を出したソフィアに、意外そうな反応を見せたのはバドだった。


「行くのですか? 実際に?」


 バドが驚いて聞き返すと、ソフィアは目を瞬かせた。


「勿論よ」

「ですが製作所はもうありませんし、自宅も12年前の住所ですよ」

「でも現場に行って、見てみることは大切でしょう? 今だからこそ、気づくことがあるかもしれないわ」


 資料を読むだけでは分からない事があるはずだと、ソフィアは思う。自分の目で確かめ、考えることの大切さを、これまでの経験からソフィアは学んでいた。

 バドが渋る表情をしたため、ライオネルがこれをたしなめた。


「護衛の仕事は、外出時のお嬢様の安全を確保することであって、行き先を決めることではない。勿論安全な経路を選ぶことはするが、お嬢様の意思を汲みながらお守りするのが我々の仕事だ」

 

 そこを忘れぬようにとライオネルが注意すると、バドが神妙な面持ちになった。


「……なるほど。これは、出過ぎた事を言いました」


 申し訳ない、とすぐに謝罪を口にしたバドにライオネルはふっと笑う。


「分かってくれれば、それでいい。お嬢様はなかなかにお転婆な方だから、この仕事に飽きることはないよ」


 その点は保証する、と茶目っ気たっぷりに言ったライオネルの目はもう笑っている。ライオネルの中でソフィアの評価は一体どうなっているのだろうと気になったが、黙っておいた。ライオネルには何度も無理を聞いてもらった自覚はあったからだ。


 図書室を出ると、ソフィアは一旦私室で動きやすいシャツとズボンに着替え、ブランドンの家へと向かうことにした。ロムシェルが一度敷地を掘り起こして調べたというが、そこにまだサミュエルの霊やブランドンの霊がいるかもしれないと思ったからだ。


 馬車に揺られながら、ソフィアはこれからの事に思いを巡らせる。果たして本当にサミュエルを見つけることができるのだろうかと。どこをどう探せば、サミュエルの霊を見つけることができるだろう。

 この世に留まる死者のタイプは、大きく分けて3つあるとソフィアは考えている。一つ目はアルマのように自分の意思で自由に動き回るタイプの死者である。レイモンドの為に行動するマイクとハリスも、このタイプに当てはまるといえる。

 二つ目はある特定の場所に留まるタイプ。図書室に居着いた祖母リリーや、バスカヴィル領で会ったオーレリアがこれに該当するであろう。

 そして三つ目は、人に憑くタイプだ。これはソフィア自身はまだ実際に目にしたことはない。ディエゴに子供達の霊が憑いていたように、特定の人物に纏わりつくタイプの死者もいるようだった。

 

 故に今回もサミュエルやブランドンが、特定の場所に留まっている可能性はあると、ソフィアは考えたのだった。

 オールドマン家を出てから30分。捜査資料によれば、ブランドンの家は新市街から旧市街へ向かう街道の途中にある。

 目的の場所について馬車から降り立ったソフィアは、目の前の光景を見た瞬間溜息をついた。


「見事に何もないですね」


 ソフィアの気持ちを代弁するように、ライオネルが呟く。目の前には、何もない空き地。

 ブランドンの家は完全な更地になっていた。

 死者がこの場にいない事が、ひと目で分かってしまう程なにもない。


「近所の人に話を聞いてみましょう」


 この場所が更地になった経緯を知ろうと、早速ソフィアは近隣の家を回る。

 新参の住民や事件の詳細までは知らない住民もいたが、3軒目の家でソフィアは話を聞くことができた。


「ブランドンの家は、バーシルト家が潰してしまったんだよ」


 そう話してくれたのは、何十年もここに暮らしているという少し腰の曲がった老女だった。彼女の話によれば、ロムシェルが犯人の自殺後ブランドンの家を解体し、敷地内を全て掘り起こしたのだという。サミュエルの遺体探しは、本当にこの場所で隈なく行われたらしい。


「気持ちは分からないでもないわねぇ。私も孫が同じ目にあったら、同じようにしたいと思うもの」

「その後ずっとこのままの状態なのですか?」


 ソフィアが聞くと、「あんな事があったからね」と老女は頷く。


「土地の買い手がいないのよ。もしかしたら、あの場所で子供が殺されたかもしれんでしょう? 土地なら他にもあるし、わざわざあそこを買う人はいないんじゃないかねぇ」

 

 12年前から、ずっと捨て置かれているという。

 

「ありがとうございました」


 ソフィアは礼を言って、もう一度更地の方を振り返った。


 ーーここには、もう何もないか。


 もう一箇所、ブランドンの製鉄所があった場所にも足を運んだが、結果は同じだった。ロムシェルはこの場所も取り壊して土の中を探索したらしい。ここでも死者の姿を見る事はできず、ソフィアは頭を悩ませる。


 ーー本当にサミュエルの霊はどこかにいるのかしら?


 12年前に4歳だった少年。死後もずっとこの世に留まり続けるということが、ありえるのだろうか?

 エレンの力を疑うわけではなかったが、自分に見つけられるのか自信は持てない。次の公判までは、もうあまり時間がないというのに。


 ーーサミュエルがいるとしたら、他にどこかしら。


 サミュエルの暮らしたバーシルト家の屋敷が思い浮かんだが、ロムシェルの真意が分からない以上、敵陣に乗り込むのは危険すぎる気がした。

 とりあえずはサミュエルの両親に会えるようニールに取り計らってもらおうと、ソフィアは思う。両親に憑いている可能性を考えてのことだ。

 ロムシェルが本気でソフィアに頼るつもりなら、サミュエルの両親をオールドマン家に出向かせる位のことはしてくれるだろう。


「今日は帰りましょう」


 今後のサミュエル探しの算段を頭の中でつけると、ソフィアは今日の探索を切り上げることにした。

 帰宅後電報を打つと、その日の夜にはニールが屋敷にやってきた。ニールはロムシェルの従者を務めているだけあって、実に仕事が早かった。明日の昼過ぎにサミュエルの両親がオールドマン家を訪問すると、その足で伝えに来たのである。


「明日の午後2時に、お伺いいたします」


 対応の素早さに、サミュエル捜索にかけるロムシェルの本気度が伺い知れる。明日の来客をセオドアに伝えると、「私も明日は家にいよう」と、セオドアはそう言った。


 そして翌日。

 サミュエルの両親が来るより早く、昼前にオールドマン家にやって来たのは、誰ひとりその来訪を予期していなかった人物だった。

 数日前は緊迫した口調でロムシェルの来訪を告げた家令が、今日は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で居間のドアを開いた。


「メイソン・マックスウェル様がおみえです」


 いかがいたしましょう、と困惑した表情で言った家令の言葉に、居間にいたオールドマン家の人間全員が顔を見合わせた。

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