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捜索依頼

 アリシアがレイモンドの屋敷を訪れた同日、新聞の紙面はイライアスの記事一色に染まった。

 イライアスと北部シュタール鉄道が8年前の汚職事件に関与していたというトビーの証言が報じられ、オールドマン家を取り巻く状況は好転しつつある。最初セオドアの疑惑報道が出た際には動揺していた使用人達も、今では落ち着きを取り戻していた。

 この日セオドアは久しぶりの休みで、朝から家で寛いでいる。両親と長兄ケニーとともに、ソフィアは居間で新聞を広げていた。昨日の裁判内容を確認するためだ。ソフィアが新聞内容を読み上げる。


「『出廷したトビー・ヒッグス氏は、北部シュタール鉄道から被告人が賄賂を受け取っていたことを証言した』」


 ソフィアの落ち着いた声が、居間に響く。


「『殺害されたアドルファス・バスカヴィル氏は、省内の汚職を調査していた事も今回の証言で明らかになった。これによりヒッグス氏の妻殺害容疑についても、捜査がはじまる見通し』と。まさか、他にも殺人を犯していたなんて……」


 ソフィアはハイゲート墓地で会ったトビーのことを思い出していた。彼が頻繁にバスカヴィル家の墓を訪れていたのは、罪の意識故だったのだろうか。無縁墓地から見つかった遺体が、彼の妻だと確認されたという一文を読んだ時は、さすがに胸が痛くなった。収賄の事実を隠していたとはいえ、これはあまりに辛い。ソフィアがそんなことを考えていると、セオドアが口を開いた。


「これでようやく、アドルファスの濡れ衣を晴らせるな」


 深い息を吐き出して、セオドアがポツリとそう漏らした。その表情に、アドルファスにかかった嫌疑は、想像以上にセオドアの心を苦しめていたのだとソフィアは気づく。正義を成そうとして命を落とした友が、いわれのない罪で貶められるのは、辛かっただろう。


「オールドマン家にとっても、今回の証言は大きいですね」


 ケニーが感想を零す。と、そんな会話をしていたところで居間の扉が激しく叩かれた。


「セオドア様」


 入ってきたのは、オールドマン家に長く仕える家令である。


「どうした?」


 普段冷静沈着な家令が慌てているところを目にするのは珍しい。セオドアが尋ねると、彼は緊迫した声を上げた。


「バーシルト家のロムシェル様が門の前に来ております! ソフィアお嬢様にお会いしたいと」

「なんだって?」


 凄まじい形相で、ばっとセオドアが立ち上がる。ソフィアも自分の名前が出た事で、表情を強張らせた。


「いかがいたしましょう。お引き取りいただきますか」

「一体どういうつもりだ」


 忌々しげに呟きながら、セオドアは考え込んだ。何らかの方法でソフィアに接触を図って来るのではと警戒してはいたが、まさか正面から堂々と会いに来るとは思わなかった。ロムシェルの狙いが分からず、セオドアは思いあぐねる。


「……追い返して私のいない隙に、ソフィアに近づかれる方が怖いな。分かった、応接間へ通しなさい。私が会おう。ソフィアは部屋にいるんだ。私がロムシェルと話す」

「同席させてください。何を言いに来たのか知りたいんです」

「駄目だ」

「彼は私に会いに来たのですよ」

 

 ソフィアは食い下がった。ここで蚊帳の外に置かれるのはたまらない。

 ロムシェルの訪問はエレンの予言と関係があるに違いないと思ったが、敵対しているオールドマン家に堂々と乗り込んできて、何を言うつもりなのか知りたかった。オールドマン家とバーシルト家の関係は、もはや犬猿の仲などという生易しい表現では言い表せない。使用人達も含めて、突然のロムシェル来訪に皆気が立っている。それを全て分かっていて、ロムシェルはここへやってきたのだ。

 

「彼の真意が知りたいんです。自分の目で見極めなければ」


 それを人任せにはできない。はっきりとそう言ったソフィアに、セオドアはしばらく考えた後、口を開いた。


「分かった」


 こうなったソフィアは、セオドアが何を言ったところで納得しない。それが分かって、セオドアは渋々ながら同席を認める事に決めたのだった。

 家令がロムシェルを部屋に通した後、ソフィアはセオドアと共に応接間に入った。扉を開けると、ソファに座る小柄で痩せた老人が立ち上がった。

 ロムシェルを目にして、セオドアは不機嫌さを隠しもしない。


「よくぬけぬけとこの家の敷居を跨げたものだ」

「非礼は詫びよう」

 

 静かにそう言ったロムシェルは、じっとソフィアを見ている。


「自分勝手な事を言っているのは承知しているが、今日はお嬢さんに頼みがあってきたのだ」


 セオドアはますます苦々しい顔になった。セオドアの発する険悪な空気を肌に感じながら、ソフィアはおずおずと二人に座るよう口を挟む。ここは一旦、セオドアを落ち着かせねば。自らも腰を下ろすと、ソフィアは改めて口を開いた。


「それで頼みとは、何でしょうか」

「君にあるものを見つけて欲しい」


 やはりロムシェルはエレンの予言を受けてここに来たのだ。この先のロムシェルの言葉を予想しつつ、ソフィアは尋ねた。


「あるもの、というと?」

「孫のサミュエルの遺体を、見つけてもらいたいのだ」

「ふざけるな」


 セオドアはロムシェルを睨みながら、低い声でそう言った。


「自分が何をしたか、もう忘れたのか? よく恥知らずにもソフィアに頼み事などしに来れたな」


 帰れ、とセオドアは早々に話を打ち切ろうとする。これでは会話にならないとソフィアは慌てたが、ロムシェルの方も簡単には引き下がらなかった。


「君達にしたことは申し訳なかったと思っている。協力してくれたら、謝罪記事を出そう」

「自分で中傷記事を載せておいて、それを交渉の材料にするつもりか?」

「批判はいくらでも受けるつもりだ。新聞掲載だけでなく、証言台でこれまでの罪も認めよう。2週間後の公判でイライアス側の証人として出廷する事になっている。そこで罪を認める証言をすれば、イライアス陣営は大混乱するはずだ」


 ピクリとセオドアが青筋を立てた。


「その話を信じろと?」

「信じられないのは、分かっている。なんなら証言内容を書面に落としてもらってもいい。私の署名をつければ、少しは信用してもらえるか?」

「騙されんぞ。供述を書面にしたところで、裁判では使えない」


 書面化された供述をもって証人尋問の代わりとすることは、基本的に認められていない。法廷で直接証言するわけではないので、その場で反対尋問ができないからだ。虚偽や事実誤認が書面に含まれていたとしても反駁はんばくできないことから、これを証拠とすることは原則禁止になっている。


「だが少なくとも裁判で私が書面と逆の証言をしたら、証言の信憑性に疑義を投げかけられるだろう」


 持っていて損はない、とロムシェルは言う。


「すみません。私からも質問していいでしょうか」


 ソフィアはタイミングを見計らって、口を挟んだ。このままではいつまでたっても話すきっかけが掴めないと思ったからだ。ロムシェルはソフィアに視線を移した。


「勿論」

「何故私に頼むのですか。私はただの娘に過ぎません」


 ロムシェルはソフィアの力の事を知らない。いくらエレンの占いを信じたとしても、それだけで敵対する家に乗り込んで来たのが腑に落ちなかった。


「お嬢さんの事は実は以前から知っていた。マシュー・ロブソンから、君に聞けば知りたい情報をなんであれ教えてくれると、聞いたことがあるからだ」


 その言葉にセオドアは顔を顰めた。かつて友人であった男の裏切りは、セオドアとマシューの間に決定的な溝を作っている。ソフィアが調べた情報をマシューが買っていると知った時点で、セオドアはこの男と縁を切っていた。その後まさかロムシェルに情報を漏らしていたとは。


「無論はじめは半信半疑だった。エレンからもお嬢さんを頼るべきだと言われたが、それでもね」

「ではどうして」

「先日の証人襲撃事件の失敗。あれはお嬢さんの仕業だろう?」


 ロムシェルから逆に問われて、ソフィアはどう答えるべきか逡巡した。


「……その発言は、あなたが襲撃を指示したと、認めているように聞こえますが」

「そうだ。認めよう」


 あまりにロムシェルがあっさりと罪を認めるので、逆にソフィアは警戒した。何かの罠ではないかと。その思いは、隣に座るセオドアも同じだったらしい。


「一体何が狙いだ」

 

 あからさまに警戒して、セオドアはそう尋ねた。

 

「サミュエル・バーシルトは12年前に亡くなっているはずだ。何故今頃になって遺体を探す」

「12年間、ずっと探してきたさ。犯人の住んでいた家の敷地を全て掘り起こして、親族の家も隈なく調べてね。だが、未だにサムは見つからない」


 今更ではないのだ、とロムシェルは訴えた。


「エレンの降霊術に頼ってまで、見つけようとした。孫のことだぞ、諦められるものか」

「その為に罪を認めて、捕まってもいいと? ……信用できるわけがない」

「その疑問は、もっともだ。裏があると疑うのも理解できる。だから今日は証拠を持ってきた」


 ロムシェルはテーブルに一通の封筒を置いた。ソフィアは顔に疑問符を浮べる。


「これは?」

「中身を見て欲しい」


 ソフィアは封筒を手に取ると、中に入っていた一枚の紙を取り出す。折りたたまれたその紙を開き、そこに書かれた内容を読んで、ーーソフィアは息を呑んだ。


「ーーここに書かれている事は本当なのですか?」

「疑わしいと思うなら、調べてもらって構わない。それで、信じてはくれないだろうか」

「私にあなたに協力しろと?」

「昨日の裁判の証言で、私は遠からぬうちに逮捕されるだろう。もうあまり時間がないんだ」


 ソフィアから紙を受け取ったセオドアも、その内容に目を走らせて眉を寄せた。懇願するような表情を見せるロムシェルに、ソフィアはあえて厳しい顔を向けた。


「一つ聞いてもいいですか」

「ああ」

「あなたはお孫さんを亡くしているのに、何故トム・リードの襲撃を命じたのですか。彼にも家族がいる。トムが死ねばあなたと同じく、苦しむ人間がいるのに」


 そのことが、ソフィアには許せなかった。オールドマン家を貶めながら、ソフィアに孫を探してくれと頼むのも。


「トム・リードを殺す気は最初からなかった」


 ロムシェルは真面目な顔でそう言った。


「誘拐するつもりだったことは認めるが、裁判が終わったら、証人は解放する予定だった。確かに私はこれまであくどい手段で会社を大きくしてきたし、イライアスに賄賂を渡していたのも事実だ。だが殺人を命じたことはない」

「警察はどうなのです? 襲撃を命じれば、トムを守っている彼らも無事では済まないでしょう。彼らの事も殺す気はなかったと?」

「バレルモ家の連中は血の気が多いから、最悪警察側に死者が出る可能性はあっただろう。だが殺せとは一言も命じていない」


 それは詭弁だとソフィアは思う。ロムシェルはバレルモ家の危険性をよく分かっていたはずだ。そもそもロムシェルの言葉をどこまで信じていいのか、ソフィアは測りかねていた。ソフィアの表情に浮かぶ迷いを読み取って、ロムシェルは情に訴えるように言葉を紡ぐ。


「私が悪党であることは認めよう。だがサムには何の罪もなかったんだ。たった4歳で人生を終えて。今もあの子が冷たく暗い土の中にいると思うと、耐えられんのだよ。どうか私に力を貸してくれないだろうか」

「……私が探しても、見つからないかもしれません」

「いや、見つかるさ。エレンの占いは本当によく当たる」


 頼むと頭を下げたロムシェルは、エレンの言葉を疑っていないようだった。ソフィアはゆっくりと息を吐き出す。


「少し考える時間を下さい」

「ああ。だが、次の裁判は2週間後だ。なるべく早く結論を出してもらいたい。ーーできれば良い結論を」


 ソフィアはこれには答えず立ち上がると、ドアを開けた。


「今日のところは、お引き取りを」


 バタンと扉が閉じられ、ロムシェルがオールドマン家を出た後で、ソフィアは困惑した顔でセオドアに顔を向けた。


「……お父様は、どう思われました?」

「まさかあの男が頭を下げるとはな。ここに書かれている事が本当なら、この屋敷に乗り込んでまで必死になっていたのも頷けるが」


 セオドアの手元には、ロムシェルが持ってきた封筒が握られている。


「協力すれば裁判で罪を認めると言っていましたが、本気でしょうか」

「分からんな」


 セオドアは溜息をついた。もしもロムシェルが法廷で罪を認めれば、セオドアの嫌疑は完全に晴れる上、イライアス有罪の後押しになる。イライアスが頑なに容疑を否認している現状、ロムシェルの証言は大きいはずだ。

 ソフィアは力を使ってサミュエルの霊を探せばいいだけなのだから、悪くない取引のようにも思える。ただしロムシェルの言葉に裏がなければの話だが。


「お父様、この件は私に決めさせてはもらえませんか」


 セオドアもまた迷っているようだった。ここで断って、ロムシェルが強引な手段に出る可能性もあるからだ。ソフィアの安全の為に何が最善か、セオドア自身も悩んでいた。ソフィアは先ほどまでロムシェルが座っていた場所に腰を下ろす。


「勿論、結論を出すのはロムシェルの話の裏が取れてからにします。ですがサミュエル探しをするかどうかは、私が決めたいんです」


 4歳で亡くなったサミュエルを、できれば見つけてあげたいという思いもある。エレンの予言を信じるなら、ソフィアにはそれができるはずなのだから。しばらく難しい顔で考え込んだ後、セオドアは口を開いた。


「……護衛は増やすぞ」


 どんな結論を出すにせよ、とセオドアはソフィアを心配そうに見る。それがセオドアなりにソフィアの意志を尊重した答えなのだと分かって、ソフィアは柔らかく微笑んだ。 

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