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第二回公判

 第二回公判はそれからまもなく、初夏の日差し強まる、ある晴れた日に開かれた。


 レイモンドはこの日も最前列で開廷を待っていた。例によって朝早くから裁判所前に列をなした人々で、傍聴席は埋まっている。

 

「大丈夫かしら……」


 隣に座るアリシアがぽつりと呟く。その口調から、レイモンドに向けて言っているのだとすぐに分かった。レイモンドはゆっくりと隣に顔を向けると、口を開いた。


「ーーそろそろはじまる」


 いつもは口にするアリシアを元気づける言葉を、この時レイモンドは言わなかった。

 その返答に、アリシアの顔には不安が色濃く浮かび上がる。アリシアはもの言いたげな表情でレイモンドを見つめていたが、結局それ以上不満も不安も口にしないまま口をつぐんだ。

 やがて廷吏が開廷を告げると、警吏に連れられたイライアスが扉の向こうから姿を現した。

 裁判が始まると、一人の証人の名が告げられる。

 それに呼応するように、アリシアを挟んでレイモンドの2つ隣にいた女性が立ち上がった。40代後半の、中年女性である。女性は緊張した面持ちで法廷に足を踏み入れると、証人席に腰を下ろし、裁判官に促されるまま、宣誓書を読み上げた。


「良心に従って真実を述べ、偽りを述べないことを誓います」


 第二回公判は、弁護側の証人尋問で幕を開けた。


「姓名を教えて下さい」


 弁護人ジェレミーの問いかけに、女性が口を開いた。


「ラナ・ケンドリックです」

「被告人との関係は?」

「雇用主と使用人という関係です。フェラー家で家政婦長として働いています」


 はじめこそ強張っていたラナの声は、喋りだすとすぐに落ち着きを取り戻していった。ジェレミーは初公判時の苛烈さが嘘のように、穏やかな口調でラナに話を促している。


「被告人は普段、どのような人物ですか?」

「穏やかで優しい方です。使用人達の中で旦那様を悪く言うものはおりません」

「では今回の事件を聞いて、驚かれたのでは?」


 ジェレミーの質問に、ラナは「ええ」と小さく頷く。


「信じられませんでした。30年仕えておりますが、旦那様が声を荒げるところも、私ども使用人に辛くあたっているところも見たことはありません。ましてや殺人などーー。何かの間違いか、そうでなければ罠に嵌められたとしか思えません」

「では、検察が主張している被告人が殺人を依頼したとされる日の様子について話していただけますか。被告人の様子におかしなところはありませんでしたか?」

「いつも通りだったと思います」

「バスカヴィル伯の殺人を依頼したとされる日はどうです?」

「その日の事はよく覚えています。伯爵をご案内したのは私ですから」

「その時の被告人の様子はどうでしたか」

「来訪を告げた際、旦那様は困惑されたご様子でした。伯爵はあまり良い噂を聞く方ではありませんから……」

「その後は?」

「お茶をお出しして、私は部屋を退室しました」

「2人の会話は聞いていないのですか」

「はい。ですが伯爵がお帰りになった後、茶器を下げに部屋に入った際に、旦那様とは少し話しました」

「どんな話を?」

「伯爵から借金の申し込みがあったと、そうおっしゃっていました。『バスカヴィル伯爵は癇癪持ちだから、断ったら何をされるか分からない』と、心配されていて」


 そこまで話して、ラナは顔を陪審員の方へ向けた。


「本当に旦那様が殺人を依頼したと言うのなら、あんなに風に普通にしていられるものでしょうか? 私には旦那様が嘘をついているとは到底思えません。私は30年、フェラー家に仕えてきました。私見を述べることを許していただけるのでしたら、旦那様は殺人を犯せるような方ではないと、そう申し上げたいと思います」


 その口調に、迷いはない。

 ラナの態度を見て彼女は本心からそう言っているのだと、レイモンドにも分かった。

 長年同じ屋敷に暮らしながら、その本性を知られていない。イライアスの異常性はそこにあると、レイモンドは思う。その二面性を知る者は、ごくごく一部の人間だけなのだ。

 イライアスを信じ切っているラナの表情を見て、レイモンドの心は氷のように冷え冷えとしていた。


 ーー足りない。


 有罪を勝ち取るだけでは、足りない。イライアスの本性を衆人環視の中暴き、あの男が築き上げた名声を粉々にしなければ。

 

「被告人は良心を持ち合わせた、善良な市民です。30年仕えた彼女の言葉こそ、それを証明しています」


 弁護人は流れるような口上で、陪審員へ語りかける。弁護側の尋問が終わると、検察側のケヴィンが反対尋問のため立ち上がった。


「ラナ・ケンドリックさん。貴女はバスカヴィル卿が訪ねてきた時、屋敷にいたと証言された。よく思い出して下さい。本当に被告人の様子はいつもと同じでしたか?」

「先程申し上げたはずですが」

「大事なことですから、繰り返し確認したいのです」

「……旦那様の様子は、本当にいつもと変わりありませんでした」

「翌日はどうです?」

「翌日も変わったところは何も」

「つまりバスカヴィル伯爵が訪ねてきた日も翌日も、被告人の態度に変化はなかったと。間違いありませんね?」

「ええ」


 少し苛々とした様子でラナが頷くのを確認した後、ケヴィンは我が意を得たりと声を上げた。


「では、ここで次の証人尋問を要請したいと思います」


 呼ばれたのは、10歳前後の少年だった。柔らかな髪質を持つ、目鼻立ちのはっきりした少年である。

 警吏に守られるように少年が廷内に入ってくると、隣に座るアリシアが息を止めたのが分かった。少年が宣誓書を朗読し終わると、ケヴィンが口を開いた。


「名前を教えて下さい」

「トム・リードです」

「被告人とはどういう関係ですか?」

「雇ってもらっています。フェラー家で小姓として働いていました」

「バスカヴィル伯爵が訪ねてきた日のことをお聞きします。伯爵が帰った後、別の来客があったそうですね」

「はい。僕が旦那様のところへ案内しました」

「それは何時ごろ?」

「深夜0時近くです」


 と、トムはその時のことを思い出したのか、少し怯えた表情になった。


「相手はどんな人物でしたか?」

「フードを被っていたので、顔はよく見えませんでした。身長はすごく高かったです」

「他にその人物の特徴を言えますか」

「その……うまく言えないんですけど、怖い感じがしました」

「それはどうして?」

「……多分、そんな遅くにお客様が来ることなんて滅多にないからだと思います。それに着ているものも、全身真っ黒で」


 トムは目線を少し彷徨わせる。


「その時の被告人の様子はどうでしたか?」

「来客があることを知らせると、『高貴な方だから、素性は明かせないのだ』と旦那様は説明してくれました」

「相手の名前は教えてくれなかった」

「そうです」

「その後、貴方はどうしましたか?」

「旦那様からもう下がっていいと言われて、一度部屋を出ました。ただ部屋を出てすぐお茶をお出しすべきだと気がついたんです。他の使用人は寝ていたので、お茶を出した方がいいか旦那様に確認しようと思って」

「その場に留まったんですね」

「はい」

「そこで貴方が聞いたことを教えてくれますか」

「ノックしようとしたのですが、既に話がはじまってしまって、部屋の前で迷いました。そうしたら旦那様の声が聴こえてきたんです」

「被告人は何と?」

「『ナサニエル、お前に頼みたい仕事がある』と」


 静まっていた傍聴席が、その言葉に俄にざわつき出す。ナサニエルという暗殺者の名は、いまだ警察に捕まっていないという事実とともに、世間に知れ渡っていたからだ。


「聞いた話はそれで全部ですか?」

「いいえ」


 トムはゴクリと唾を飲み込むと、慎重に次の言葉を口にした。


「『どんな手を使っても構わん。オズワルドを始末しろ』と、そう言っていました」


 その瞬間、法廷のどよめきは怒号に変わった。イライアスを罵る声が野次馬達の声とともに、廷内に飛び交う。


「静粛に!」


 裁判官の声にも、場はなかなか静まらない。ようやく人々の驚きと興奮がおさまるのを見計らって、ケヴィンが声をあげた。


「これが被告人の本性です! 先程ラナ・ケンドリックはバスカヴィル伯が訪問した日、被告人に変わった言動はみられなかったと言っている。ですが実際はどうでしょうか。普段通りに振る舞うその裏で、伯爵の殺害を計画していた! 彼が周囲に見せていたのは、偽りの姿でなくて、一体なんだというのでしょう!」


 ケヴィンの言葉に、レイモンドはこぶしを握りしめた。感情の昂りを表に出さぬよう、表情を引き締める。隣に座るアリシアが、ひとつ身震いしたのが視界の端に映った。

 続くジェレミーの反対尋問は、興奮冷めやらぬ異様な雰囲気の中はじまった。


「トム・リードさん。歳はいくつですか?」

「先月11歳になりました」

「11歳。その年で深夜まで働くのは大変でしょうね」


 ジェレミーの質問に、トムは警戒するような顔になる。


「慣れていますから。そうでもありません」

「バスカヴィル伯爵が訪ねてきた日、貴方しか起きていなかったのはどうしてですか?」

「夜は交代で番をするんです。旦那様やお嬢様から、急に呼ばれることもあるので」

「その日は貴方が当番だった」

「はい」

「夜の当番はどれくらいで回ってくるのですか」

「大体2週間に一度です」

「途中で眠くなることは?」

「明け方近くは辛いですが、実際に寝たことはありません。0時くらいはまだ平気です」


 トムは慎重に言葉を選びながら、質問に答えていく。


「昼間働いていて、夜も寝ずの番をするんですね。その日の朝は何時に起きましたか」

「毎日6時頃に起きます」

「それから深夜0時まで、働きながら一度も睡眠を取っていない」

「そうです」

「18時間起きていたということですね」

「何がいいたいんです?」


 トムが聞き返すと、ジェレミーが目を細めた。


「貴方は本当に被告人の言葉を聞いたのですか? 寝不足で聞き間違えたのでは?」

「聞き間違いではありません」


 トムはきっぱりと言い切った。


「本当に? 深夜の来訪者がいたと証言しているのは貴方だけだ。他の使用人達は誰ひとりナサニエルという男の来訪に、気付かなかったと言っています」

「それはみんな眠っていたからです。夜の当番は働きはじめた頃からやっていて慣れていますし、当番の日に途中で寝たことは一度もありません。子供だから聞き間違えをしているというのは、それこそ偏見ではないですか」


 トムはこの歳の少年としては驚くほど忍耐強かった。ジェレミーの執拗な質問にも、冷静に言葉を選び続けた。挑発に乗らないトムに痺れを切らしたのは、ジェレミーの方だった。


「使用人の誰ひとり来客に気づかなかったということがありますか? 謎の男の来訪を証言しているのは、先月11歳になったばかりの少年ひとりだけです。この点を皆さんには考えていただきたい」


 陪審員に向かってそう言うと、ジェレミーは早々に反対尋問を切り上げてしまった。

 公正に見てジェレミーの主張には無理があると、レイモンドは思う。

 トムが警察に証言をしたのは、ナサニエルの名が公表される前だからだ。聞き間違いで暗殺者の名を言い当てるなど、不可能に近い芸当だった。

 トムの証言を覆すことは難しい。それはイライアス陣営もよく分かっていたはずだ。だからこそトムを襲わせ、その証言を潰そうとしたのだろう。

 トムを守りきり、証言をさせたことで形勢が変わった。初公判とは真逆の流れ。イライアスに対する疑念が陪審員達の間に芽生えたことが、ありありと分かった。


 実際弁護側の反対尋問を受けても、ケヴィンの表情に動揺は見られない。トムの証人尋問が終わると、ケヴィンが再び立ち上がった。


「ここでもう一人、証人を召喚したいと思います」


 その言葉に、壮年の男が傍聴席から前に進み出た。ダークブラウンの色彩を纏った、冷たい印象を与える男。

 この場にいる人々の視線を一身に浴びながら、トビー・ヒッグスが証言台に腰を下ろした。

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