告白
「……警察に任せてはいけないの?」
ソフィアは恐る恐る尋ねた。
「ナサニエルが家族を殺した実行犯であることを示す証拠は、オズワルドの証言だけだ。有罪にするには弱すぎるだろう。他に罪に問うとすれば、オズワルドの殺害未遂だが……それでは奴を死刑にできない」
レイモンドはソフィアの顔色を伺いながらそう言った。
レイモンドの瞳に浮かぶ陰りを見て、ここで答えを間違えてはいけないのだとソフィアは思った。ここで答えを間違えたら、永遠に彼を失ってしまうような気がした。
ーーグウィンがナサニエルを殺したとしたら。
己の心に問いかける。
自分は彼を恐れるようになるのだろうか。それともこれまでと変わらぬ気持ちで、彼を受け入れられるのだろうか。その時の自分の感情を想像してみたが、自分の心なのにひどくぼやけていて、まるで霞がかかったようだった。
想像力を総動員してみても、彼を恐れ拒絶する姿も、なんの迷いもなく彼を受け入れる姿も、浮かんではこない。
頭では「きっと受け入れられる」と思ったが、口にするのは躊躇われた。その言葉が嘘くさく感じたからだ。今は大丈夫だと思っても、実際その時が来たら思いは変わるかもしれない。そしてそのソフィアの迷いを、レイモンドは見抜くだろう。
「ーー分からないわ」
今のソフィアには、それ以外に答えようがなかった。
殺人など、本当はやって欲しくない。けれど家族を失った彼に復讐を諦めろということもできなかった。どれほどの慟哭を抱えて生きてきたのか、知っているから。
ソフィアの答えに、レイモンドはふぅとため息をついた。安堵したのか失望したのか、その表情からは読み取れなかったが、レイモンドはソフィアの答えを婉曲な拒絶だと受け止めたようだった。
「無理をしなくていい。受け入れられなくて当然だ。それが、普通の感覚だから」
「私がグウィンを恐がるようになるかは、分からない。適当な事を言いたくないの。だから拒絶してるわけじゃない。本当にその時にならないと、分からないのよ」
だから私の気持ちを決めつけて逃げないで、とソフィアはレイモンドの瞳を見つめ返した。
「逃げる? 私が?」
思ってもみなかった事を言われて、レイモンドは目を瞠る。
「あなたは私の気持ちを決めつけて、自分から離れようとしている。どうして最初から無理だと決めつけるの。ーーどうして共に生きる道を、一緒に考えようとしてくれないの」
「こんな私とでは、ソフィアは幸せになれない。分かりきっていることだ」
「だからなぜ決めつけるの。私の幸せを願っていると言うのなら」
「無理を強いたくないんだ」
「私は無理なんてしてないわ……」
「君は自由に生きることができるんだ。望む相手と一緒になって、真っ当な幸せを掴むべきだ。私にとらわれる必要はない」
ーー望む相手は、目の前のあなたなのに。
何か話が平行線を辿っているような気がして、ソフィアは聞き直した。
「……グウィンは私に幸せになって欲しいと思ってくれてるのよね?」
「当たり前だろう」
何を今更、とレイモンドは眉間に深い皺を作る。
「君には幸せになって欲しい。だから私の為に、ソフィアが犠牲になる必要はないんだ」
その言葉に違和感を覚えた。犠牲になるとは、どういうことだろう。何か自分の思いと、レイモンドの考えとの間に、大きな乖離があるような気がする。
「ねぇ、グウィン。もしかして私が5年も婚約を解消せず、あなたを待ち続けたのは同情か何かだって思ってる?」
レイモンドの表情が申し訳なさそうなものになったのを見て、ソフィアはその指摘が正しいことを悟った。
ああ、そうか。
ーーグウィンは何も分かっていないんだ。
ソフィアが彼を待ち続けた理由を。
「失踪した婚約者を心配して、親切心で待っていたと?」
「……ソフィアは優しいから」
それは大きな誤解だ。何とも思っていない人間を優しさだけで待ち続ける程、自分は出来た人間ではない。何故そんな誤解をと考えて思い至った。自分は彼にその気持ちを、まだきちんと伝えていないのだと。
ソフィアはゆるく頭を振った。
「違うわ。私は自分の為に婚約解消しなかったの」
2人を結ぶ繋がりを失いたくなかったから。彼を探す理由も、一番に心配する権利も、手放したくなかったから。
「ーーあなたの婚約者だという立場を、失いたくなかったから」
その言葉に、レイモンドが訝しげな顔をした。
「私の幸せを願っているのなら、やっぱりグウィンは私と一緒にいるべきよ」
「何を言って……」
察しはいいはずなのに、その洞察力はこと恋愛方面には発揮されないらしい。こんな時だというのに、それがなんだか可笑しかった。
「私の望みは、グウィンのそばにいることなの」
以前よりもはっきりとそう思う。
彼を支えたいし、笑顔にしたい。
その隣で、人生を送りたい。
昔よりももっと深く、もっと激しい気持ちで、そう思う。
思い出の中の13歳の彼に恋しているわけじゃない。目の前の、18歳になった彼が好きなのだ。
「それが私の幸せなの」
何が自分の幸せなのか、もうソフィアには分かっていた。でもそれは、ソフィア一人では叶わない望みだった。彼もまた、そうありたいと望まなければ。
ーー私はもう迷わない。
そう思ったら、自然と言葉が零れていた。
「ーー好き」
レイモンドが息を飲む。
驚きに見開かれた黒曜石の瞳が、ソフィアを捉えて動かない。驚くレイモンドを見て、逆にソフィアは冷静になれた。
「ーーグウィンが、好きなの」
戸惑いを隠せず視線が揺れた後、レイモンドの唇がゆっくりと動く。
「ソフィア。私はーー」
切なく苦しげなレイモンドの表情を見て、ソフィアは指先をそっとレイモンドの唇につけ、その先の言葉を封じた。
「今はまだ、答えないで」
レイモンドの口から拒絶の言葉が紡がれるのが想像できる。告白の直後に、そんな言葉は聞きたくなかった。
「復讐が終わった後、私がグウィンを恐れる事が絶対にないとは言い切れない。それでもその時の気持ちも全部含めて、私はあなたと向き合いたい。一緒に生きる未来を探したい。だからもし、グウィンが私に対して同じように思っていてくれるなら、私から逃げないで」
向き合って欲しかった。ソフィアの事が大切だと言うのなら。
「ーー答えは、その時に教えて」
それが今のソフィアにできる精一杯だった。
ソフィアは静かに立ち上がると、「今日は帰るね」と穏やかに告げた。ピクリとも動かないレイモンドを残して、部屋を出る。カチャリと扉の閉まる音がして、レイモンドは一人その場に残された。
ソフィアが部屋を出ていって数分後。放心したように座っていたレイモンドは、ようやくゆるゆると動き出すと、右手を口元にあて小さく呻いた。
「……ソフィアが、私を?」
反芻するような呟きが口から漏れ、御しがたい感情が襲ってくるのを自覚した。不意打ちだ、と混乱もそのままに考える。
右手に覆われたレイモンドの目元が、朱に染まっていた事を、ソフィアは知らない。
応接間を出たソフィアは、ひとりで護衛達の待つ控室へと戻っていた。
「ライオネル、いる?」
ノックをして部屋の前で呼びかけると、扉の向こうからライオネルが顔を出した。
「お嬢様。呼んでいただければ、お迎えにあがりましたのに」
「近かったから、大丈夫」
「もう用は済んだのですか?」
「ええ」
帰りましょうとそう言うと、ライオネルが不思議そうな顔でソフィアを見ている。
「何かありましたか?」
「え?」
「顔が赤い」
指摘をされて気がついた。頬がほてったように熱くなっていることに。耳まで真っ赤になったソフィアを見て、ライオネルは目を細めた。
「まさかあの青年が何か?」
一瞬にして険しい顔になったライオネルに、ソフィアは慌てた。「な、何でもない」と否定するソフィアに、ライオネルは尚も疑わしそうな視線を送ってきたが、顔を赤く染めたまま、ソフィアは最後まで首を振り続けた。
早く帰ろうとごまかすように言って、足早に屋敷を後にする。
馬車の待つ鉄扉の方へ歩いていると、視線の先に焦げ茶の髪色をした少年が立っているのが目に入った。
最初にこの屋敷に来た時に見た少年の名を、ソフィアはもう知っている。彼がきっとハリスなのだろう。
ライオネル達とともに庭を横切り、ハリスの方へと歩みを進める。その横を通り過ぎる瞬間、ハリスの言葉をソフィアの耳は確かに拾った。
「ーーレイモンドを救ってやって」
驚いて一瞬ちらりと視線を送ると、ハリスは透徹した瞳でソフィアを見つめていた。この世への恨みなど感じさせない、澄み切った瞳だった。
立ち止まることも、言葉を交わすこともなかったが、ハリスが何を言いたいのか、ソフィアは理解できたような気がした。
ーーグウィン、あなたは知っている?
ハリスの願い、仲間を思うその気持ちを。
レイモンドの幸せを願っている者は、きっと大勢いるのだ。レイモンドを慕い、苦しむ姿に心を痛める者が。
ーーだからもう苦しまないで。
もしもそれが叶うなら、どんな努力も厭わないのに。もしも自分にそんな力があるのなら、彼を救いたいとソフィアは心からそう思った。




