悔悟
翌日、グウィンはエルド警視庁を訪れていた。ここは、首都エルドを管轄する警察組織の総本部である。
グウィンは近くにいた制服の男をつかまえると、取り次ぎを頼む。
子供がこんな所で一体何をと、不審な顔をしていた制服警官は、グウィンが名乗ると顔色を変えた。
「少々お待ちください!」
そう言うと慌てて奥へと引っ込む。グウィンがその場で待っていると、しばらくして、目的の人物がやって来た。
ロジャー・グレグソン。彼は、バスカヴィル家の事件を担当している責任者である。
175センチほどの身長に、でっぷりと横幅があり、彼を見る度、警察官がこんなにだらしない体型でいいのかとグウィンは思う。
丸々と腹が出て、目が飛び出しているせいで、蝦蟇蛙そっくりの容貌をしている。一度会ったら忘れられないインパクトを持つ男だった。
「グレグソン警部」
グウィンが呼びかけると、彼はポリポリと困ったように頭を掻いた。
「グウィン・バスカヴィル卿。そう何度も足を運んでいただいても、捜査状況は教えられないと申し上げたでしょう」
「分かっています。ですが、私の家族の事件です。どうしても気になる気持ちを汲んではもらえませんか」
「……学校の方は、よろしいんですか」
話題を逸らすようにそう言ったロジャーを、グウィンは静かに見つめる。
「休学の手続きは済んでいます」
一年単位で休学してもいいと、グウィンは思っている。犯人が捕まるまで、この街を離れる気はなかったからだ。
グウィンにじっと見つめられて、ロジャーは深く息を吐いた。その顔色が冴えないのを見て、グウィンは口を開く。
「あまり、捜査は進展していないようですね」
察しのいいグウィンに、ロジャーは右手で首裏をさすった。
「全力で捜査はしているのですがね」
「叔父のアリバイはどうだったのです?」
初めてロジャーに会った時、彼はグウィンに両親を恨んでいる人間に心当たりはないかと尋ねた。その問いに、グウィンが真っ先に挙げたのは、叔父の名だった。
父アドルファスと長年不仲だった叔父オズワルド。酔って何度かバスカヴィル家で騒ぎを起こしたこともある人物だった。
『俺の方が爵位を継ぐのに相応しい』
生まれたのが少し早いくらいで不公平だと、事あるごとにアドルファスに食って掛かっていた。
故に家族の訃報を聞いたグウィンが真っ先にオズワルドを疑ったとしても、仕方がないことだった。
グウィンの問いに、ロジャーは首を振る。
「残念ながら、彼にはアリバイがありました」
「……そうですか」
これ以上の情報は得られないと判断したグウィンは、礼を言ってロジャーと別れた。
警視庁の建物を出ると、グウィンは馬車をとある場所へと走らせる。新市街を抜け、ひたすら西へと進む。やがて広大な公園のそばで、馬車は止まった。エルド郊外に位置するハイゲート墓地。
陽のあたる南向きの丘陵地には、無数の墓碑が並んでいる。
家族の名が刻まれた墓石の前で、グウィンは膝をついた。
「ごめん。犯人を見つけるまで、もう少し時間がかかりそうだ」
そう、墓石の前で語りかける。
途中で買った花を手向け、グウィンは祈りを捧げた。どうか彼らが安らかに眠れるようにと。
丘の上は人影もまばらで、一人ここにいると、自然と昨日のソフィアの言葉が思い出された。
ジョエルの姿を見、声を聞いたのだと、彼女は言った。
グウィンの中にある最後のジョエルの記憶は、長期の休みを終えて寮に戻ろうとするグウィンへ、縋りつく姿だった。
『兄上ぇ、行かないでぇ……』
大粒の涙を流して、兄を引き留めるジョエルに、グウィンは困った顔をした。
『ジョエル。我儘を言うんじゃない』
次の休みには帰るからと言っても、ジョエルは聞かなかった。
『グウィンを困らせたらだめよ』
母親から窘められても、ジョエルはいやいやと首を振る。グウィンの服をきつく握りしめ、決して離そうとしなかった。涙でぐしゃぐしゃになった目元が赤い。
『まだ学校がはじまるまで、時間があるんでしょ?』
こんなに早く戻るのはダメだと、駄々をこねるジョエルに、両親も困り顔だった。
結局、両親の「ここはいいから行きなさい」という言葉に、グウィンは甘えてしまった。
『すぐまた会える。それまでに泣き虫を直しとけよ』
そんな軽口を言うグウィンに、ジョエルは更に大泣きした。
ーーそれが、グウィンの記憶にある、生きているジョエルの最後の姿だった。
ずっと、後悔していた。
もっと優しくしてやれば良かったと。ジョエルの願いをなぜ叶えてやらなかったのかと。
実際、そんなに急いで寮に戻る必要はなかった。ただ、休みの間ずっと会っていなかった友人達に早く会いたいと、幼い弟の言葉より自分勝手な都合を優先したのだ。
どれほど後悔しても、時は戻らない。冷たくなったジョエルの亡骸を前に、グウィンは泣いた。
ーーごめん。ごめん、ジョエル。
グウィンは、自分自身を許せなかった。
その一方で、許されたいと願っていたのかもしれない。
だから、ソフィアがグウィンに告げた言葉は、ともするとそれに縋りたくなるほどの誘惑があったのだ。
『グウィンは何も悪くないからって。自分が我儘だっただけだから、気に病まないで欲しいって』
ジョエルがそう言ったのだと、ソフィアは言う。
心の繊細な部分に触れられて、頭に血が上った。平静を保てず、酷い言葉をソフィアに投げつけたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。冷静になって考えてみれば、明らかに言い過ぎだった。
最後にソフィアが見せた表情を思い出すと、じくじくと焼けつくように胸が痛む。
グウィンの言葉に深く傷つき、泣きそうな顔をしていた。
死者を見ることができるなどという話は、到底信じることができない。なのに今、冷静になってみると、むしろ自分の口にした言葉の方が矛盾している事に、グウィンは気づいてしまった。
ソフィアが語った話の中には、グウィンとジョエルしか知らない内容がいくつかあったのだ。それらは、人を雇ったからといって調べられるようなものではなかった。
特に、かつてバスカヴィル領で過ごした兄弟の思い出は、二人だけの秘密だった。
『怒られるから絶対に言うなよ、ジョエル』
父上にも母上にも内緒だからなと念を押すグウィンに、ジョエルも真剣な顔で頷いた。二年前の夏。黒目黒髪のそっくりな兄弟は、どちらもびしょ濡れだった。領内の森で遊んでいた二人は、立ち入り禁止の土地に入り、溜池に落ちたのだ。
『男同士のひみつだね。兄上』
そう言ったジョエルの顔はどこか嬉しそうだった。秘密という言葉にわくわくしていたのだろう。その後、二人がこの件で怒られることはなかった。グウィンは誰にも喋っていない。ジョエルもそうだろう。
にもかかわらず、ソフィアがそのことを知っていたのはなぜなのか。
死者を見るというソフィアの力は、やはり信じがたい。そう思う一方で、彼女の話が嘘だとも、断言できなくなっていた。
ーーもし、ソフィアの話が本当なら。
どうしても、知りたい事がある。
ソフィアの話が真実か、どう確かめればいいのかとグウィンは考え続けた。
考えがまとまらぬままソフィアと会って、また平静さを失ってはまずい。
冷静にならなくては、とグウィンは己に言い聞かせた。
それからたっぷり五日。頭を冷やした後で、ようやくグウィンはソフィアの元を訪ねる決心がついたのだった。