道標
レイモンドの問いに、ライアンは絶句して二の句が告げない。強張ったその顔が、全てを物語っていた。
ライアンは死者を見、その声を聞けるのだーー。その事実がレイモンドに与えた影響は計り知れない。
その瞬間天啓を得た、と思った。
己の復讐を、天が後押ししているのだと。イライアスへと続く復讐への道筋が、目の前に一気にひらけたような気がした。
死者がもたらす情報の価値は、計り知れない。使い方次第で、莫大な利益を生む。
ーーライアンの力があれば、イライアスを追い詰められる。
その道筋が、レイモンドにははっきりと見えていた。ライアンの力は、あの男の隠された秘密を暴き、破滅に追いやる切り札になるだろう。
レイモンドがそんなことを考えているとは露ほども知らないライアンは恐る恐る尋ねた。
「……まさか、レイモンドにも見えるの?」
戸惑いと期待に満ちたライアンの瞳を見返して、レイモンドは首を振った。
「いや、私には死者は見えない」
「じゃあ何でそんなことを……」
「他に死者を見る目を持つ者を知ってる」
ライアンと同じだ、と言うと「同じ……」と茫然とした呟きが返ってきた。
「ライアン、今の生活から抜け出したいか?」
レイモンドの質問の意味を、ライアンは測りかねたようだった。この人智を越えた力について、ライアンはまだ何も理解していないのだ。その有用性と希少性をまるで分かっていない。使い方次第で全てを手に入れることもできるのに。
「その力を使えば、飢えに苦しむ日々から逃れられる。それ以上のもっと広い世界に出ることができるんだ。ライアン、世界を見たくないか」
「世界?」
ライアンにはレイモンドの言葉がピンとこないようだった。ここで生まれ育ったライアンにとっては貧民街が世界の全てなのだ。
「ーー私が見せよう」
と、レイモンドはライアンの瞳を覗き込む。
「飢えることのない人生を。温かな食事と安心して眠りにつくことのできる家を。病に怯えることも、冬の寒さに凍えることもない生活を」
そのために私に力を貸してくれ、と言ったレイモンドに、信じられないというようにライアンは首を振った。
「う、嘘だ。そんなことをできるわけない」
「ーー時間をくれ。証明するから」
そうして、2人だけの秘密ができた。マイクとハリスには、ライアンの力のことは伏せた。
言うべきか迷っていたレイモンドに、ライアンが言ったからだ。「2人には言わないで欲しい」と。
「レイモンドは信じてくれたけど、普通はやっぱり気持ち悪いって思うだろうから。せっかく仲間になれたのに、また昔みたいに言われるのは嫌だ」
それで死者を見る力の事は、レイモンドとライアンだけの秘密になった。
ライアンの力を知ってから、最初にレイモンドがしたことは、協力してくれる死者を探すことだった。幸い貧民街では死者には事欠かない。
けれど協力してくれる最初の死者を見つけるまでには、時間がかかった。死者の要求とレイモンドの求める条件がなかなか折り合わなかったからだ。
死者と接触を図るのは、大抵マイクとハリスが眠りに落ちた深夜。この日もレイモンドとライアンは4人で暮らす廃屋をこっそり抜け出し、別の廃墟で死者を相手に交渉していた。
「ライアン、その男の要求は何だって?」
レイモンドの問いに、隣に座るライアンが答える。
「……ええと、『雇い主の男に復讐したい。そいつを殺してほしい』ってさ」
「駄目だ。殺人は割りに合わない」
条件を変えろ、と虚空に向かって呟いたレイモンドはにべもない。ライアンは死者の言葉を聞いた後、口を開いた。
「『その男を殺さなきゃ協力しない』って。……どうする?」
「ならこの話はなしだ。ライアン以外にお前の話を聞ける人間はいない。そのまま消えるんだな」
レイモンドは強硬だった。死者を相手に交渉し、自分の条件を飲ませようというのである。
「レイモンド。『消えるってどういうことだ』って聞いてるよ」
「死んでから時間が経つほど、この世に留まり続けることは難しくなるということだ。今はライアンにも見えているが、そのうち誰にも見えなくなるぞ。どうする? 何もせずに消えるか、私達の条件で復讐を果たすか。自分で選べ」
かつてソフィアが言っていた『死んでから間がない死者は見えやすい』という言葉。あれば裏を返せば、死者が長くこの世に留まることは難しいということではないだろうか。
死者が自らの願いを叶える手段はごくわずか。そこに付け入る隙があるとレイモンドは思う。
「復讐をしたいなら、使えるのは私達しかいないぞ。今すぐ決めろ。こちらの条件を飲むか、このまま消えるか」
凄みのある声で問えば、ややあった後でライアンが口を開いた。
「ーー『条件を飲む』って」
「よし。決まりだ」
死者の協力を得るにあたり、レイモンドが最初に考えたのは、協力の見返りに彼らの未練を果たすということだった。こちらの要求を聞いてもらう代わりに、向こうの願いを聞くのである。
しかしレイモンドにとって厄介だったのは、多くの死者が協力の見返りに求めたのが、憎い相手の死という事実だった。
ーー私を死に追いやった雇い主を殺せ。
ーー俺を殺した人間に死を。
殺人はリスクが高すぎる。倫理観よりも損得勘定から、レイモンドはこれらの死者の要求を突っぱねた。
代わりに提案したのは別の方法。相手の財産を奪う復讐であった。この方法なら奪った金品を得られる上、死者の要求も満たせて一石二鳥。
「それだったら、叶えてやる」
死者を相手取って、こちらの要求を飲ませていく。だが死者の首を縦に振らせた後も、苦労は続いた。
レイモンドが求める諜報活動をさせるのに、死者の能力が足りなかったのだ。貧民街にいる死者は文字が読めない。見聞きしたものが、一体どのような質の情報なのか、それを判断するための知識が圧倒的に足りなかったのである。
まずはそれを1から教えることからはじめねばならなかった。
どこへ行き、どんな情報を得ればいいのか。使える情報とは何なのか。こと細かくレイモンドは指示を出していった。
死者の情報を元にとある商人の屋敷に忍びこんだのは、それからひと月後。
「なぁ、レイモンド。本当に大丈夫なのか?」
心配そうにそう言ったマイクに、レイモンドは「計画は立てただろ?」と冷静に返した。
時刻は深夜0時。夜陰に乗じて、4人は高級住宅街に足を向けていた。
目の前には、威容を誇る広大な屋敷。
この日のために、屋敷の見取り図を作り、金庫の暗証番号、警備や使用人の動きに至るまで死者に徹底的に調べさせていた。マイクとハリスにも、こと細かく屋敷の内情を伝えてある。
「だけどこんな大きな屋敷から盗むのは初めてだしさ……」
マイクは尚も不安が拭えないようだった。
「成功すれば、手に入る利益はこれまでの比じゃないぞ」
「そうだけどさぁ」
目の前の屋敷の持ち主が、先日の死者の復讐相手である。
この家に住む男は、表向きはただの商人。強引な手段で利益を得ているものの、この街では珍しいことではない。
だが男が金庫に隠している財産を奪う為、死者に屋敷内を調べさせる内、この男の別の顔を知った。
麻薬の密造である。
違法に製造した麻薬を、この男はマフィアに売りさばいていた。その事実を知った時、レイモンドの目的は2つになった。ひとつはこの男の隠し財産を奪うこと。そしてもうひとつはーー。
「私を信じろ。絶対に上手くいく」
安心させるようにそう言うと、マイクは「……わかったよ」しぶしぶ頷いた。
「行くぞ」というレイモンドの言葉を合図に、4人は立ち上がった。顔には覆面をし、服の中には武器も仕込んでいる。警備の交代時間の隙をついて、書斎の金庫から金品を強奪する。時間との勝負だった。
レイモンドが先頭となり、その後をライアン、ハリス、マイクが続く。庭の木々の間を隠れるように移動し、使用人玄関まで来ると、ハリスが扉の前にかがみ込んだ。ピッキングはハリスの特技である。カチャカチャと鍵穴に器具を差し込んで解錠を試みる。
数十秒後、キィっとわずかに音を立てて扉が開いた。ハリスと無言で頷き合ったレイモンドは、音をたてずにそっと室内に侵入した。
事前に調べた通りこの時間、部屋には誰もいない。屋敷の見取り図も人の配置も全て頭に入っている。どの角を曲がり、どの階段を上がるか何度も検討を重ねた。レイモンドは迷いなく屋敷の中を進んでいく。
2階の書斎までは、誰にも見咎められることなくたどり着いた。
「レイモンド、急げ」
金庫は回転式のダイヤル錠。レイモンドは慎重にダイヤルを左右に回していく。右へ2、左へ7…。4桁の暗証番号を指定し終わると、ガチャっという音とともに金庫が開いた。その様子を後ろで見ていたマイクとハリスから、声にならない歓声があがる。
金庫の中には札束と株券が山と積まれていた。レイモンドは後ろの3人と目配せを交わすと、それらを持ってきた袋に手分けして入れてゆく。最後にレイモンドは金庫の中から茶色い木箱を取り出した。
「レイモンド、そりゃなんだ?」
不思議そうな顔のマイクに、「これも持ち帰る」とレイモンドはそれを自身の袋に入れた。そうして元来た道を戻る。
屋敷を抜け出し、高級住宅街を抜け、貧民街に入る頃には、全員がこの計画の成功を確信した。家に帰り着くやいなや、マイクが我慢しきれずに声をあげる。
「やったな!」
すげぇすげぇと口走りながら、ハリスの肩をバンバン叩く。「落ち着けよ」と言ったハリスも、興奮は抑えきれないようで、その頬が赤く上気していた。
「レイモンドの言っていた通りになったな」
「すぐにでもボリスに行けるんじゃないか?」
ハリスとマイクを落ち着かせるように、レイモンドは声を落とした。
「まだだ。4人でボリスでしばらく生活できるだけの蓄えがないと」
それにメイソン・マックスウェルへの手土産もいる。彼を利用するにせよ、協力を求めるにせよ、メイソンに近づき話を聞いてもらうには、レイモンドにそれだけの価値があると証明しなければならない。
「これだけあれば十分だろ?」
「いや、まだ足りない。ボリスに行ってすぐに仕事にありつけるなんて考えない方がいい。向こうに行ってまで今と同じ生活なんて嫌だろ?」
子供というだけでできる仕事は限られる。ボリスに行けば全てが上手くいくなどという甘い考えは、レイモンドは一切持ち合わせていなかった。
ボリスでの生活基盤を確保し、数年は生活できるだけの蓄え。それが最低限必要だ。
「そういえばレイモンドが持ち出した箱は何が入ってたんだ?」
盗んだ札束を数えながら、ハリスがそう言った。
「あぁ、土地の権利書だった。株券と同じで足がつくから、後で燃やそう」
「ふうん」と呟いたハリスは既にその事には興味を無くして、目の前の札束に夢中になっている。
マイクとハリスには言えないが、木箱の中身はヘロインだった。
男が麻薬の製造に手を染めていると知った時、レイモンドは迷わずそれを盗み出すことに決めていた。
5キロものヘロインがなくなれば、男の立場はまずいものになるだろう。売買の約束を守れなければ、マフィアに命を狙われてもおかしくない。分かっていて、レイモンドは盗んだ。顔も知らぬその男が、死んでもいいというつもりで。
あれは世に出回ってはならない類のものだ。燃やし尽くして闇に葬る。それが罪に手を染めたことへの、せめてもの償いだった。
偽善的な事をしているとは、自分でも思う。たとえ相手がどんな悪党でも、それでレイモンドの行為が正当化されるわけではないからだ。だからこれは自己満足の偽善といえる。結局のところどう言い訳を重ねても、第一の目的はイライアスへの復讐以外にないのだから。
ーーどんな手を使ってでも、這い上がってやる。
目的を遂げる為に、死者の力は大いに役立った。ディアビルでは後ろ暗い秘密を抱える悪党は沢山いて、獲物なら掃いて捨てるほどいる。
脅迫、窃盗、強奪。なんでもやった。
死者が得た情報を吟味し、どう利用するかを考える。失敗を経験したことはなかった。
この頃、レイモンドは肉体的にも大きな変化を迎えていた。
14歳を過ぎた頃から、身長が急激に伸び始めたのである。ティトラへ来てから20センチも伸び、成長痛で毎日痛いくらいだった。体格に恵まれたせいか、孤児達との喧嘩で負ける事もなくなっていった。声変わりをし、顔つきはどんどん鋭さを増す。
もう自分でも、かつての面影を探すことは難しい。
炭鉱での仕事は相変わらず続けていた。ボリスに行くまでは、誰にも不審感を抱かせぬためだ。表面上はこれまでと変わりなく仕事をこなす日々。時が来るまで、今は我慢の時だと自分に言い聞かせた。
ーーあともう少しだ。
死者の協力もあって3ヶ月が経つ頃には、目標金額まであと少しという所まで来ていた。
あと1回盗みを成功させたら、ボリスへ行こうと4人で決めた。
最後の獲物は、ディエゴ・マルサン。
レイモンドは元より、3人にとっても最も恨みの深い相手である。ディエゴにされた様々な仕打ちは、到底許せるものではない。4人ともディエゴをこのままにしてボリスに行く気は毛頭なかった。
「ディエゴの野郎の財産を奪い取ってやったら痛快だろうなぁ!」
ディエゴの周辺を調べ、おおよその算段がついた頃。廃屋で夜食のパンをかじりながら、マイクが言った。マイクの前にある籠には、パンやビスケットがぎっしりと入っている。最近は周りに勘付かれない程度の贅沢ならば、許していた。
マイクの言葉に応じながら、レイモンドも籠の中のビスケットに手を伸ばす。
「金は銀行にも預けてあるだろうから、全財産とはいかないだろうがな。株券や債券を盗めば、奴には相当の痛手になるだろう」
「で、レイモンド。いつやるのか決まったのか?」
「ああ。2日後だ」
その言葉に、話を聞いていたハリスとライアンも目を輝かせた。
「いよいよか」
「腕が鳴るな」
楽しみだと言った3人の顔はディエゴへの復讐を果たす高揚と、ボリスへ向かう期待に溢れていた。
「私も楽しみだ」
希望に満ちた夜だった。
レイモンドにとっては復讐へ至る道の通過点ではあったけれど、3人の嬉しそうな顔を見て、レイモンド自身もその場にいる喜びを感じていた。これから色々な事が好転すると、言葉にせずとも4人ともそう信じていたのである。
事故が起こったのは、そんな話をした矢先。
翌日の夕方のことだった。
事務所にいたレイモンドの耳に地鳴りのような轟音が聞こえてきたのである。
外に飛び出してすぐに分かった。また、事故が起きたのだと。
ーーついこの間起きたばかりなのに。
採掘場まで走っていくと、炭鉱の一部が崩落しているのが目に入った。いくつもある坑道のひとつが、土砂で埋まっている。
それを見て、レイモンドの顔色が変わった。
ーーマイクとハリス、それにライアンはどこだ?
慌てて周辺を探し回る。10分程して、選炭場にいたライアンを見つけた。だがそこにマイクとハリスの姿はない。
「ライアン! マイクとハリスはどこにいる?」
ライアンも崩落の凄まじい音を聞いて、レイモンドの質問の意味をすぐに察したようだった。
「今日は5番坑道に入るって……」
聞いた瞬間、レイモンドは固まった。愕然としたレイモンドの表情を見て、ライアンが不安そうな顔になる。
「……まさか」
まさか2人じゃないよね、と言ったライアンの声が遠くに聞こえる。「……なんで」と、無意識に声が漏れた。ガンッと頭を殴られたような衝撃に、どうしてとよく回らない頭で考える。
事故が起きたのは、5番坑道であった。




