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夜霧の襲撃

 イライアスの公判初日、エルド警視庁内は騒がしかった。足早に通路を通り過ぎる刑事達の姿を目に入れながら、ソフィアはロジャーの姿を探していた。

 3日前、アルマが調べた襲撃日を伝えた後、ロジャーは速やかに証人トムの移動を終えたらしい。

 ソフィアの言葉の全てを信じてもらえたわけではないだろうが、行動が無駄ではなかったことにほっとしていた。

 受付前に佇むソフィアは、ロジャーの姿を見つけると声をあげた。


「グレグソン警部」


 廊下を歩いていたロジャーはその声に歩みを止め、ソフィアを見てーーそして目を丸くした。

 

「ソフィア嬢。その格好は……?」


 ロジャーはソフィアの姿をまじまじと見つめて首を傾げる。今日のソフィアの格好は、男物のシャツとズボン。少年のようないでたちである。長い髪は邪魔になるので高い位置でひとつにくくった。ロジャーの問いに、ソフィアは真面目な顔で答える。


「私も現場に行こうと思いまして」


 ポカンとした表情の後、ロジャーは目に見えて慌てだした。


「何言ってるんです! 駄目に決まってるでしょう!」

「現場といっても、近くのホテルから様子を伺うだけですよ」


 何かあったら増援を頼みに、警察に駆け込むくらいはできる。


「そうは言いましても、何があるかわからないではないですか」

「何があるか分からないからこそ、です。いざという時、動ける人間がいれば救援をいち早く呼べるでしょう。スタフォード・ホテルや証人を警護している場には近寄りません。近くのホテルの一室にいるだけなら、警察の妨害にはならないでしょう?」


 一般市民も利用している。ソフィアだけが駄目ということはあるまい。ソフィアの理屈にロジャーはうんうんと悩んでいる。


「しかし……」

「護衛もいますし、私を守れとも言いません。万に一つの事があった時の予備人員程度に思ってくださればいいのです」

「本当に何かあっても、我々は責任をとれませんよ」

「勿論です」


 それでもロジャーは言い足りないとでもいうように複雑そうな顔をしている。だが時間も迫っている。ここに長居はできなかった。ロジャーは早々にソフィアに別れを言うと、他の刑事とともに出て行った。


「さぁ、私達も行きましょう」

 

 張り切るソフィアに、ライオネルがボソリと耳打ちした。


「セオドア様はご存知なのですか?」

「警察の協力をしに、エルド警視庁に行くと説明したわ」


 嘘ではない。その後現場に向かうという部分が抜けているだけで。

 ソフィアが澄ました顔で答えるのを見て、ライオネルは盛大な溜息をついた。


「お嬢様は、意外と……」

「向こうみず?」

「いえ、大胆だなと」

「褒め言葉だと受け取っておきます」


 飄々と応じるソフィアに、ライオネルがこめかみに手を当て頭痛をおさえる仕草をすると、途端、ソフィアが申し訳なさそうな顔になった。


「ーーごめんなさい、つきあわせて。でもこれは取るべきリスクだと思う」

「警察に任せておくことはできないのですか?」


 ライオネルがたしなめると、ソフィアは目を伏せた。その奥の灰色の瞳が揺れる。

 分かっているのだ、頭では。後は警察に任せ、じっと家で待つべきだと。

 だが一度グウィンを何もせずに見送った、あの苦い経験が忘れられなかった。会えない日々、どれほど後悔しただろう。


「これは私が情報提供したことだから。最後まで、見届けたいの」

「……まぁ、私は反対できる立場にありませんので。もし後でセオドア様に解雇されそうになったら、お嬢様がかばってくださいよ」


 後半は少しおどけた調子で肩をすくめるライオネルに、ソフィアはもう一度謝罪と礼を口にした。


 その夜、エルドの街には霧が立ち込めた。夜の闇にうっすらと白い幕が張られ、その中をぼんやりとガス灯の灯りが浮かびあがる。襲撃のあるスタフォード・ホテルは、人通りの多い交差点の角にある。ソフィアは交差点を隔てて斜め向かいにあるホテルの一室から、様子を伺うことにした。

 護衛はライオネルを筆頭に、ビンスとアンガスという長年ソフィアの護衛を務める3人である。


「こうも霧が濃いと入口が見えづらいわね」


 渋い顔でソフィアが呟くと、「でしたら大人しくなさっていてください」とライオネルが答える。時刻は夜の7時。襲撃があるにせよ、深夜を回ってからではないだろうか。それまでに、この霧は晴れるだろうか。

 だがソフィアの予想に反して、襲撃者達はこの霧を利用することにしたらしい。


 待ちはじめて1時間が経った頃、馬のいななきが空に響いた。スタフォード・ホテルの前に2台の馬車が止まったのを見て、ソフィアは息をつめる。

 ソフィアのいる2階からは、馬車のシルエットだけが霧の中に浮かびあがっていて、中までは見えなかった。それでも耳を澄ませば鉄製の馬車の扉の開く音がして、複数の人間が降りてくるのが分かった。

 

 ーーあれが襲撃者?


 馬車から降りてきた人影は全部で8つ。宿泊者かどうか判別ができずにいると、アルマの声が鋭く耳に入った。


「来たわ!」


 スタフォード・ホテルの前にいるアルマが、襲撃者達の動きをソフィアに伝える手はずになっていた。


「襲撃者が来たみたい」


 ライオネル達に知らせる為、口を開くと、「目がいいですね」とビンスが下を覗き込みながら呟いた。

 ソフィアは身じろぎもせず、向かいにあるホテルの7階を凝視した。

 ロジャーの話では、証人のいた7階フロアの宿泊客は、朝の時点で全員退避させているという。警官が襲撃者達を待ち構えているはずだ。彼らも万全の態勢で臨んでいるだろうが、相手は悪名高い犯罪者集団。警察側に負傷者が出ないとも限らない。


 人影がホテルに入ってまもなく、どんという最初の発砲音が聞こえた。その音に、一瞬身が硬直する。ーーいよいよはじまったのだ。

 そう思った次の瞬間には、音は一気に激しさを増した。轟音というべき衝撃音が、エルドの空気を震わせる。鳴り響く連続音が銃撃戦の激しさを物語っていた。

 館内の様子が分からず、ソフィアはそわそわと落ち着かない。襲撃犯は捕まったのだろうか。ロジャー達は無事なのだろうか。

 と、その時ソフィアの眼下でも変化が起こっていた。スタフォード・ホテルの前にとめられた馬車の御者2人に、4つの黒い影が躍りかかったのである。それがホテル周辺に配置された刑事であることは、「逮捕する!」という声で判明した。犯人の逃走手段を封じたのだ。


 やがて銃声の音が静かになると、7階の窓がガチャリと開いた。窓から男が顔を出す。


「1人下へ逃げた! ホテルから誰も出すな!」


 ロジャーの声だった。外にいる刑事に指示を出している。声を聞く限り、彼は無事なようだった。

 だがロジャーの命令は、外に配置された刑事にとっては難題だった。というのも銃声に驚いた宿泊客が次々と外に出てきたからだ。


「警察です! ホテルのロビーに戻って!」


 外にいる刑事が叫ぶも恐怖に駆られた客達は我先に逃げようとする。


「なぜ外へ出てはいけない!」

「あの音は銃声だろう。何が起こってる?」


 興奮した客達が刑事達に詰め寄り、今にも小競り合いがはじまりそうな緊迫した空気が漂う。ひとりまたひとりと外に出てくる人間の数が増えていくのが、霧の中でも分かった。これでは客達を抑えきれないのではと、ソフィアが不安を感じていると、またアルマの声が耳に届いた。


「ソフィア! ライオネル達を連れて降りてきて!」


 その声に、ソフィアはすぐに反応した。


「下へ降りましょう」

「今出ていくのは危険です! 犯人が1人逃げたと聞いたばかりでしょう」

「その犯人を捕まえるの。お願い。手伝って」


 制止するライオネルの言葉にそう返すと、ソフィアは急いで階下へ向かう。外に出ると、既に40人程の人間がホテルの前に集まっていた。

 警察と思しき人間は10名程度。必死に出てくる客達をとどめているところだった。

 こうして近づいてみると、10メートル程の距離なら顔の判別がきく。ソフィアはきょろきょろと周囲を見回しながら、アルマの姿を探した。


「ここよ!」


 その声に顔を向けると、「あの男が襲撃犯のひとりよ」とアルマが黒い上着をまとった男を指し示した。

 ソフィアからやや離れた場所に、大柄な男が立っている。宿泊客の中に紛れ込んでいたのは、巨漢にあごひげを生やした男だった。目つきが悪く、眉の上には切られたような傷跡。仮に太陽のもとであれば、その顔がごろつきのそれだと周囲にも分かっただろう。だがこの霧の中、他人の顔をじっくり確認する者はいなかった。

 男は素知らぬ顔で宿泊客に紛れている。下手に騒ぎ立てれば、周囲の人間を危険に晒しかねない状況だ。


「ライオネル。あの瞼の上に傷がある男が襲撃犯よ」


 周囲に聞かれぬよう、そっと耳打ちする。「警察に伝えてーー」と言いかけたソフィアにライオネルが静かに首を振った。


「説明をする時間がもったいないかと。私が行きます。ビンス、アンガス。お嬢様へ指一本触れさせるなよ」


 声を潜めて鋭く言うと、ビンスとアンガスはソフィアの前後を壁のように塞いだ。ライオネルは言うやいなや、男の後方へ回り込むように歩き出す。

 5年も警護をしているからか、ライオネルはソフィアの情報の確度をよく分かっていた。それが勘によるものなのか論理的推論なのか、それとももっと別の何かかは分からなかったが、ソフィアのもたらす情報は正確だ。この時もライオネルは、あっさりとソフィアの言葉を信じたのである。

 ソフィアはハラハラとライオネルの様子を見守ることしかできない。

 ライオネルは、男の後ろに回り込むと声をかけた。


「失礼、落し物をされてますよ」


 不審な顔で男が振り向くのと、男の右頬にライオネルの強烈な一撃が入ったのが、ほぼ同時だった。男がふらついたのを見逃さず、ライオネルは一瞬にして上衣の中に手を入れると、隠された武器を奪い取る。そのまま奪った拳銃を使って男の頭を更に殴りつけると、鈍い音とともに男が膝を折って倒れ込んだ。

 それでも尚、ライオネルは手を緩めない。男の上に馬乗りになると、背中側に両手を捻り上げ、地面に押さえつけた。ここまで流れるような動きである。


「す、すごい……」


 呆気に取られてソフィアは呟いた。ライオネルが声をかけてから、男が地面に倒れ伏すまで、時間にしてわずか10秒足らず。5年も警護をしてもらいながら、ライオネルの本気を見たのはこれが初めてだった。

 見た目も熊に似ているが、戦い方まで熊を彷彿とさせるのだと、ソフィアは思った。無論実際に熊が戦うところなど見たことはないのだが。あの強烈な打撃は、きっと熊並みの威力のはずだ。


「何をしている!」


 男を組み敷いたライオネルに、警官が血相を変えて飛んでくる。答えるライオネルは淡々としたものだった。


「この男は、奴らの一味です」


 そう言って、男の首裏に彫られたタトゥーを刑事に示した。彫られていたのは、有翼の蛇。ソフィアは後で知ったことだが、このタトゥーがバレルモ家の一員である証だったらしい。

 意味をすぐに悟った刑事は、ライオネルから引き継ぐように男を拘束した。


「警部! 確保しました!」


 7階まで聞こえる大声で刑事が叫ぶと、上から「よし」という声が降ってきた。

 これで襲撃犯を全員確保したらしい。警察側の被害状況は分からなかったが、ひとまずは安心だろう。

 数分後、襲撃犯を連れてホテルから出てくる刑事達の一人をつかまえて尋ねると、警察側には負傷者はいるものの死者はいないという。

 それを聞いて、自然と安堵の溜息が漏れた。


「こんな時間ですが、皆さんにも聴取をさせてもらいます。警視庁まで来ていただけますか」


 外にいた刑事が、ソフィア達に声をかける。


「明日ではいけませんか? せめてお嬢様だけでも明日に」


 と、刑事に頼むライオネルをソフィアが止めた。


「いいのよ。私はまだ元気だから」


 何せ犯人を捕まえたのはライオネルで、自分は何もしていない。元より警察にはあれこれ聞かれるだろうと思っていたので、特段抵抗はなかった。


 再び馬車でエルド警視庁に向かったソフィアは、庁内で意外な人物と鉢合わせすることになる。


「ーー何故君が警察に? それに、その服装は」


 思わず声が出てしまった、というようにソフィアを見ながら赤銅色の髪を持つ青年は眉根を寄せた。

 ソフィアの方も意外な組み合わせに、目の前にいる2人の顔を交互に見やる。

 イライアスの公判初日。夜のエルド警視庁にいたのは、レイモンドとトビーであった。

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