証人襲撃計画
初公判までの2週間、ソフィアはロムシェルの周辺を調べることに時間を費やしていた。
といっても実際に調べているのは、ソフィアではなくアルマである。夜オールドマン家に帰ってくるアルマから、一日の報告を聞く。話を聞いて翌日の調査方法を二人で決めるのだ。
「不正の証拠になるかはわからないけど、妙な動きがあるわ」
調査をはじめて3日目、ソフィアの部屋に戻って来たアルマはそう言った。
「妙な動き?」
「ロムシェルがニールという従者に指示していたの。検察側の証人を調べろと」
「証人? 目的は?」
「そこまでは分からない。どうする? ニールという男の方を調べた方がいい?」
尋ねたアルマに、少し考えた後でソフィアは口を開いた。
「……いいえ。ニールがロムシェルに報告する時に、調査内容は分かるわ。ロムシェルを見ていて」
「分かった」
それから1週間後に、ロムシェルはニールから報告を受けている。ニールの調査内容は検察側の証人の潜伏先だった。
トムという名のフェラー家の小姓が、警察に保護されていること。彼の滞在先がエルド中心地にあるホテルの一室であること。警官が2名警護にあたっていること。
「そんな事を調べて何をするつもりかしら」
アルマの疑問に、ソフィアは厳しい顔になった。ロムシェルが証人の居場所を知りたがる理由など、悪い想像しか浮かばない。
「……その証人に何かするつもりなのかも。買収するとか襲わせるとか。それ以外に何か言っていなかった?」
「バレルモ家に連絡をとるようにと言ってたわ」
誰かしら、と呟くアルマを見ながら、ソフィアはさぁっと青くなった。バレルモ家は悪名高いマフィアの名だ。殺人、誘拐、恐喝と何でもありの犯罪者集団である。
「証人を襲撃するつもりだわ。警察に伝えないと」
立ち上がったソフィアを、アルマの声が制止する。
「待って! どう説明する気?」
「どうって……」
「オールドマン家は嫌疑をかけられてるのよ。今ソフィアが証人襲撃が起こるなんて忠告しに行ったら、ますます疑われるわ」
「そうかもしれないけど、人の命がかかっているのよ」
「信じてもらえなかったら骨折り損じゃない。情報の入手方法を聞かれたら、どうするの? 死者に調べてもらったとでも言う? 信じてくれるわけがないわ」
「でもこのままにはできない!」
珍しく声を荒げたソフィアに、アルマは目を見開いた。
「救える命があるかもしれないのに。ここで何もしなかったら、私は自分を許せない」
今動かなければ、この力は何のためにあるというのだろう。もう後悔はしたくない。自分にできることをするというその決意は、何もグウィン探しに限った事ではないのだ。
「私はこれから警察に行く。ニールが接触したら、バレルモ家を調べて。襲撃日時が知りたいの」
アルマはやれやれというように溜息をついた後、頷いた。
「ソフィアがいいならもう何も言わないわ。襲撃日時がわかったら、そちらへ向かうから」
「ありがとう」
「ソフィアの頑固は今にはじまったことじゃないし」
ひらひらと手を振って、アルマは部屋を出ていった。ソフィアは護衛とともに、エルド警視庁に向かう。夜ということもあって受付には誰もいなかったが、たまたま通りかかった刑事にロジャーを呼び出してもらうよう頼むと、運良く彼は庁内にいるという答えが返ってきた。受付前でロジャーを待つこと数十分。ドタドタとした足音が聞こえたかと思うと、ロジャーが慌てたように姿を現した。
「お待たせしてすみません。捜査会議が長引いてしまいました」
「お気になさらないでください。突然押しかけてきたのはこちらですので」
「それでこんな遅い時間にどうしました?」
汗を拭いながらそう言ったロジャーに、ソフィアはすぅと息を吸い込んだ。
「証人の居場所がロムシェルに洩れています。バレルモ家の襲撃計画があるのです」
そう口火を切ったソフィアに、ロジャーは怪訝そうな顔になった。
「待ってください。どういうことです」
「ロムシェルは証人を襲わせるつもりです。すぐに証人を別の場所に移して下さい」
「どこでその情報を?」
「バーシルト家を調べている時に知った情報ですとしか、今は申し上げられません」
苦しい言い分だとは、分かっていた。話を聞きながら、ロジャーは眉根を寄せている。
「それだけでは警察は動けません。根拠を示していただきませんと」
「ーー証人の名はトム・リード。フェラー家の小姓で、今はスタフォード・ホテルの701号室にいる。違いますか?」
ソフィアに言い当てられて、ロジャーの眉間の皺が深くなる。
「……どうしてそのことを」
「こんな小娘にまで証人の居場所が知られているのです。証人を移動させる理由はそれでは足りませんか」
ソフィアの真剣な表情に、ロジャーはううむと唸った。この5年のロジャーとの繋がりにソフィアは賭けていた。ずっとグウィンの探索を続けてきた彼は情に厚く、まだ幼かったソフィアにも誠実だった。ーー彼ならば、ソフィアの話を信じてくれる。その可能性に賭けたのだ。
「いつ襲撃があるかは分かっているのですか」
「すみません、まだ。調べている最中です」
「……そうですね。分かりました。私の指示ということで、証人を別のホテルに移します」
「ありがとうございます!」
「市民に隠れ場所が漏れていては、移動せざるをえないですからね。後で情報の取得ルートについてはじっくり話を聞かせてもらいますからね」
いいですね、と念を押すロジャーに「分かりました」とソフィアは頷きを返す。
ロジャーはすぐに人員を整える為、その場を立ち去った。エルド警視庁を10名程の私服警官が出ていくのを見送った後、ソフィアも一度屋敷に戻ることにした。今晩中に襲撃はないだろうと思ったからだ。
アルマの帰りを待とう、とソフィアは思う。今のソフィアにできることは、襲撃計画の詳細を調べて、ロジャーに伝えることだ。
警視庁のエントランスにかけられた時計を見上げると、時刻は9時を少し過ぎた所だった。家につく頃には10時近くなっているだろう。
家に帰り着くと、セオドアが珍しく居間にいる。ここのところ日付をまたぐ時間の帰宅が続いていたので、ソフィアは笑顔になった。
「お父様、今日は早かったのですね」
「ああ、ティトラ・スチールとの契約内容が大分まとまったから。今日は仕事を切り上げて来た」
ソフィアがロムシェルを調べている間、オールドマン家にも動きがあった。セオドアがレイモンドの提案を受け入れることに決めたのだ。セントラル鉄道とティトラ・スチールの大型契約。正式に契約書を交わし次第、大々的に発表する予定になっている。
『正直、助かった』とはセオドアの弁だ。ティトラ・スチールと手を結ぶことに決めた直後、セオドアは疲れの滲む声でそう言った。その姿にいつもの鋭さは見られない。痛々しいまでに疲れ切った様子に、ソフィアの胸は締め付けられた。それだけ精神的に追い詰められていたのだろう。
突然襲いかかった騒動は、セオドアを持ってしても収束の道筋が見えなかったという。バスカヴィル家事件の犯人ではという疑惑は、否応なく人の見る目を変えてしまう。報道によって、オールドマン家に対する世間の風当たりは確実に厳しいものになっていた。
『噂だけを流される、というのは案外対処が難しい。否定しても、疑う人間は必ずいるからな。記事が出た時点で、ロムシェルの狙いは大方達成されたようなものだろう』
本気で私を犯人に仕立てあげる気はロムシェルにはないのだろうな、とセオドアは言った。
『どういう意味です?』
『ロムシェルは疑いを投げかけるだけでいいのさ。陪審員達だって記事を読むはずだから、イライアス以外に疑わしい人物がいれば、有罪にすることをどうしたって躊躇うだろう? だから警察が動くほど大々的に私を容疑者に仕立て上げて、身の潔白を証明されると逆に都合が悪いのさ』
イライアス以外に有力な容疑者ーーオズワルドやセオドアがいれば、陪審員には迷いが生じる。本当に有罪にしてもいいのだろうか、と。人ひとりの人生がかかっている。命の重みを知る者ほど、迷って当然だ。この事件で有罪判決を下すことは、即ち死刑宣告をするに等しいのだから。
疑わしきは被告人の利益に。迷えば迷うほど、陪審員達がイライアス無罪に傾いても不思議ではない。
ロムシェルはそういった人間心理をついている、とセオドアは説明した。
『おまけにライバル会社の悪評も流せて、一石二鳥だろう』
嫌なやり方だなと、ソフィアは思う。セオドアを逮捕するだけの証拠がない以上、警察は動かないだろう。そうなればセオドアには、身の潔白を公の場で証明する機会さえ与えられないことになる。
あくまで噂レベルの疑惑を流すことで真犯人は別にいるのでは、という先入観だけを植え付ける。紙面でいくら否定しても、一度かけられた疑いを晴らす事は簡単ではなかった。
『この状況でティトラ・スチールと新規契約を結べて助かった。これで離れていった取引先が、多少は戻ってくるだろう』
ティトラ・スチール程の大会社なら調査もせずに大型契約を結ぶなどありえない。調べた結果に問題がなかったのなら、やはり記事の内容は間違いではないかと、そのように考える者もいるはずだ。
『疑惑を完全に払拭できるわけではないがな』
それでも精神的な負担が軽くなったのだろう。ここ数日はいつもの生気が表情に戻ってきていた。
「あのレイモンドという青年には、感謝せねばなるまいな」
今日もセオドアはそう言った。契約の打診を受けて以来、ことあるごとにセオドアはレイモンドへの感謝を口にする。
言葉の端々から、セオドアはレイモンドの事を気に入っているのだな、とソフィアは思う。それが嬉しくもあり、一方でレイモンドの正体を知ったらどうなるのだろうと不安でもある。
契約内容の話をする為、セオドアとレイモンドは頻繁に会っているらしかった。
自分には会えないのにセオドアには会いに来るのかと寂しい気持ちもあるが、彼はオールドマン家の為に行動してくれている。それが分かるから、何も言えなかった。
言葉にはできない沢山の想いを、レイモンドは抱えている。
口ではソフィアを遠ざけようとしながら、彼の行動は真逆だ。ソフィアが困っている時、彼は必ず助けに来てくれる。言葉の裏にある本当の気持ちを、見誤りたくはない。
ーーきっと本心は言ってくれないから。
それがただ正体を隠すためなのか、別の理由があるのかは、ソフィアには分からない。だから彼の行動から、その心を推し量るしかないのだ。
ーーいつかちゃんと話せる時が来るんだろうか。
レイモンドが最終的に何を目指しているのか、ソフィアは知らない。もしかしたら自分の行動は、レイモンドにとっては迷惑なのかもしれないけれど。自分は自分の正しいと思う道を進むしかない。
「もし次に彼に会ったら、私からもお礼を言っていたと伝えて下さい」
少しだけ寂しさの滲む声でセオドアにそう言うと、ソフィアは居間を退室した。
自分の部屋に戻って、ベッドの上に転がる。
アルマの帰りを待たなければと思うのに、疲れているせいか瞼が重い。
少しだけ目を閉じるつもりが、そのまま眠ってしまったらしい。
ふっと目を開けた時、時計の針は真夜中の0時を指していた。
眠りこけていたようだと、ぼんやりとした頭で考える。覚めきらない頭で視線を扉の方に向けると、じっとソフィアを見つめるアルマが立っていた。
「ソフィア」
「……アルマ。ごめんなさい、眠ってしまったみたい」
起き上がって謝ると、「そんなことは別にいい」とアルマは首を振った。
「ーーそれより分かったわ。決行日は3日後の夜よ」
その言葉に、ソフィアの頭が覚醒した。
3日後。それはイライアスの公判初日を指していた。




