初公判
イライアスの初公判は、それから2週間後に開かれた。通常起訴から公判まで1ヶ月はかかるところ、異例の早さである。
一度は迷宮入りしたと思われていたバスカヴィル一家殺人事件。掘り起こされた30もの他殺体と、逃走した殺し屋。
過去例のない事件に一刻も早い真相の解明を、市民は望んでいた。
公判初日、新聞各紙の一面は「初公判はじまる」という見出しで埋め尽くされた。この事件への人々の関心の高さを示すように、朝早くから裁判所前には長蛇の列ができ、運良く入れた人々で傍聴席は満席だった。
レイモンドは、最前列で開廷を待っていた。隣にはアリシアが座っている。
アリシアの付き添いが表向きの理由だが、無論本当の目的は違う。裁判の行方を追うためと、もう一つ、この場に現れた人間を把握するためだ。
ぐるりと傍聴席を見回して、一番後ろの端の席にトビーの姿を認めた時、レイモンドは今日の巡り合わせを神に感謝した。彼はイライアスの罪を立証するための、重要な証人になるとにらんでいたからだ。本人さえ知らないトビーに関わる真実を、レイモンドは掴んでいる。その事実をどう使い、彼を証言台に引っ張り出すか。うまく立ち回らねば、警戒心を与えるだけで逆効果になりかねない。
さて、どう接触するべきか。頭の中で考えていると、視線の先で廷吏が声を上げた。
「開廷!」
人々のさざめきが静まる。最初に姿を見せたのは、裁判官だった。続いて陪審員達が席につく。
そして満廷の注目を一心にあびて、奥の扉から憲兵に連れられたイライアスが入ってきた。
イライアスの態度は、堂々としたものだった。顔をあげ、真っ直ぐに前を見つめる。髭は丁寧に剃られ、勾留の疲れを感じさせないほど身ぎれいであった。イライアスは傍聴席をゆっくりと見渡すと、アリシアの姿を見つけてわずかに表情を緩めた。目が合ったアリシアは、無言で何度も何度も頷きを返す。この場面だけを切り取れば、感動的な親子の対面だと言えなくもない。
イライアスは殺人を犯す人間には見えないと、何も知らなければそう思ったかもしれない。
裁判官に促され、イライアスは証言台に立った。
「被告人、姓名は?」
「イライアス・フェラーと申します」
「出身は?」
「北部のデンベスです」
続いて生年月日、職業の確認が行われた後、判事は検察側へ顔を向けた。
「検察官は、起訴状の読み上げをしてください」
この事件を担当するのは、ケヴィン・シンプソンという30代後半の検事である。注目度の高い事件に、並々ならぬ気合が入っているようだった。
「被告人は5年前の1月、アドルファス・バスカヴィル、エミリア・バスカヴィル、ジョエル・バスカヴィルの3人を殺害、その後事実を知ったオリバー・ボウマンとグウィン・バスカヴィルを口封じの為殺害し、1ヶ月前オズワルド・バスカヴィル伯爵の殺害を企てたものである」
朗々と罪状を読み上げる。5人の殺害と、1件の殺人未遂。静まっていた傍聴席がにわかにどよめく。
判事は確認するようにイライアスへ語りかけた。
「被告人、今読み上げられた起訴状の内容は事実ですか?」
「いいえ。私はそのようなことはしておりません!」
起訴状の内容を全面否認し、徹底抗戦の構えである。
これにより、裁判は量刑ではなく無実か否かを争う否認裁判となる。イライアスが容疑を否認していることは新聞でも度々報じられていたので、レイモンドに特段の驚きはない。
続いて検察側の冒頭陳述がはじまった。先ほどより詳細な事件の顛末が語られる。ーー8年前の鉄道建設に絡む汚職が本事件の発端である、と。
当時、運輸省の役人であったイライアスは業者選定に便宜を図る見返りとして、北部シュタール鉄道から賄賂を受け取っていた。選定結果を不審に思ったアドルファスは、その後運輸省内部を独自に調査。その結果、イライアス不正事実を掴む。罪の発覚を恐れたイライアスは、ナサニエルという殺し屋にバスカヴィル一家の殺害を指示。
その後口封じの為、オリバーを殺害。同じく証拠を掴んだグウィンを、オズワルドを共犯者に引き入れた上で殺害した。
そして5年の時を経て、金に困ったオズワルドは事件をネタにイライアスを強請ることになる。これにより、イライアスはオズワルド殺害を決意するーー。
「誠に自分勝手で、残虐極まりない」
ケヴィンは熱を込めて、陪審員に語りかけた。検察の主張を受けて陪審員の幾人かは、嫌悪の視線をイライアスに向けている。
ケヴィンが最初に証拠として提出したのは、イライアスの銀行口座の動きを示す資料であった。
殺人の前後に、多額の現金が引き出されている事。殺人の手付金と成功報酬と見られ、引き出された時期と金額は、殺人が行われた日付と符合している。
それがナサニエルへの報酬であると主張したケヴィンに、真っ向から反論したのはイライアスの弁護士だった。
「引き出された現金が殺し屋に渡っていた証拠にはなりません。検察の主張はこじつけに過ぎない」
ジェレミー・ロッシという弁護士は、40代の強面の男だった。長身に、よく通る声。貫禄だけでいえば、ケヴィンの完敗であろう。
「確かに現金引き出しは、5人の殺害時期の前後に行われています。ですが同額の現金は、別の時期にも引き出されている。この事実を、検察側は意図的に語っておりません」
ジェレミーは検察側の主張の粗を的確に攻めていく。双方の主張を受けて、判事が口を開いた。
「被告人、引き出した現金の使い道を説明できますか?」
その問いに対して、「寄付です」とイライアスは答えた。
「孤児院への寄付を、匿名でしておりました。エルドに複数ある施設と、出身であるデンベスの施設と。匿名でしたので、記録は残っていないでしょうが」
「なぜ匿名で?」
「人に感謝されるために、やっている事ではないので。ただ恵まれない子供達が一人でも多く救えればと。寄付の理由など、それで十分ではないですか」
淀みなく応えるイライアスの顔を見ながら、レイモンドは吐き気を覚えた。イライアスの表情は誠実さに溢れていて、その態度は濡れ衣を着せられた男そのもの。
内面の醜悪さを一切表に出さず、平然と嘘をつくイライアスの口は滑らかだ。この男の神経を、生涯自分は理解できないだろう。
レイモンドがそのようなことを考えている間にも、廷内では次の証人尋問が始まるところだった。呼ばれたのは、車椅子に乗ったオズワルドである。病院から出られる程に回復したのかと、レイモンドは思った。
オズワルドが宣誓書を朗読した後、ケヴィンが証言台に歩み寄った。
「姓名を教えて下さい」
「オズワルド・バスカヴィルと申します」
「被告人とはどのように知り合ったのですか」
「5年前、イライアスの方からある依頼を持ちかけてきたのです。後で知ったことですが、イライアスの使者として私に接触してきたのが、ナサニエルという男でした」
「依頼の内容を教えてくれますか?」
「グウィンの殺害です」
その発言に法廷がざわつく。隣に座るアリシアは、持っていたハンカチを強く握りしめた。その視線は睨むようにオズワルドの顔に注がれている。
「それで、貴方はどうしたのです」
「承諾しました」
オズワルドの告白に、一層ざわめきは大きくなった。
「グウィン・バスカヴィルを殺害したというのですか」
「いいえ、私は殺しておりません。イライアスはナサニエルを使ってグウィンを誘拐した後、自ら拳銃で彼を撃ち殺したのです」
「では、殺人には加担していないと?」
「はい。ただ私はその後グウィンの遺体を埋めました。例の死体が掘り起こされた無縁墓地です」
「貴方は彼の生死を確認しましたか」
「ええ。私が墓地に甥を埋めた時、グウィンは既に死んでいました」
1ヶ月前の殺人未遂へ続く事件の顛末をつぶさに語るオズワルドを見ながら、ここにいるのは嘘つきばかりだと、レイモンドは思う。誰も彼もが自分に都合の良い嘘をつく。
ーーそれは私も同じだな。
生存をひた隠し、別人になりすましてこの場に臨んでいるのだから。
検察の尋問が終わると、弁護側が反対尋問をすべく立ち上がった。ジェレミーはゆっくりともったいぶった動作で証言台に近づくと、口を開いた。
「バスカヴィル伯爵、貴方は6年前、恐喝容疑で逮捕されたことがおありですね」
すかさずケヴィンが立ち上がる。
「弁護人の質問は、本件とは関係がありません」
「いいえ。これは証言の信憑性を確認する為に、必要な事柄です」
判事が静かに裁定を下す。
「弁護人の主張を認めます。続けて」
じっくりと間をとった後で、ジェレミーは再び口を開いた。
「6年前、貴方は賭博場で金銭を脅し取ったとして逮捕されている。これは事実ですか」
「……その件は起訴されていません」
「被害者に示談金を支払ったからでしよう。被害者の証言がなくなり、不起訴処分になったようですね」
ジェレミーはオズワルドの証言の信憑性を崩す作戦であるようだった。
叩けばいくらでも埃が出てくる男である。ジェレミーは最近のオズワルドのギャンブル癖と借金にも言及した。借金を断られたオズワルドが、イライアスを逆恨みして偽証していると主張したのである。
「被告人は善良な市民です。議員として国に尽くしてきた。被告人と、私欲に溺れ犯罪に手を染めるような人物と、一体どちらの証言を信用すべきでしょうか」
ジェレミーの言葉に、数名の陪審員が納得したように頷く。
やり取りを見ながらレイモンドは検察側の不利を見て取った。
ーー劣勢だな。
少なくとも、これだけではイライアスを有罪に持ち込む事は困難だろう。警察は他にも証拠を掴んでいるのだろうが、不安は募る。その後も判事からオズワルドへの質問が続き、第一回目の公判は閉廷した。
通常1回の公判で呼べる証人は、数人が限度。他の証人尋問は次の公判に持ち越されることになる。
ふぅと深い息を吐き出したアリシアに、レイモンドは気遣わしげに声をかけた。
「大丈夫かい?」
「……平気。あのオズワルドという人、お父様を逆恨みしてるのね」
卑劣さが顔に出ているわ、とアリシアは怒りに頬を紅潮させた。レイモンドはそれには答えず、申し訳なさそうな顔を作る。
「すまない、アリシア。この後だが、一人でも帰れるかい?」
「え? ……ええ、馬車を外で待たせているから大丈夫だけど。レイはどうするの?」
「用事を一つ思い出したんだ」
そう言ってアリシアに謝罪をすると、法廷を後にする。退室する人の波を掻き分けて、目的の人物を見つけたのは裁判所の外であった。
「ヒッグスさん!」
遠ざかる背中に声をかける。
見知らぬ青年に話しかけられて、後ろを振り返ったトビーは眉間に皺を寄せた。
「誰だ?」
「失礼しました。レイモンド・マックスウェルと申します」
「私に何か用だろうか」
警戒するトビーの表情には敢えて気づかない振りをして、レイモンドは真剣な表情になった。含みを持たせた声で口を開く。さぁ、ここからが本番だ。
「ここでの立ち話もなんです。少し場所を移せないでしょうか。ーー貴方にお伝えしたい事があるのです」




