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再会

 イライアス逮捕から、3日目。


 ロジャーは、相棒の刑事とともに取調べ室でイライアスと向かい合っていた。勾留期限まであと1日。イライアスはいまだ容疑を否認し続けている。


「殺人など全く身に覚えのないことだ。バスカヴィル伯は、罪を逃れるために嘘をついている」


 もう何度聞いたかわからぬ台詞をイライアスは繰り返した。


「あなたを陥れて、バスカヴィル卿にどんなメリットが?」


 こちらももう何度目になるか分からない質問をロジャーも繰り返す。


「彼が金を貸してほしいというのを、私が拒んだからだ。それで逆恨みしてるんだろう」

「金の貸し借りを頼めるような仲なのですか」

「大したつながりはない。夜会で数回会っただけだ。それでも私は議員だし、金があると勘違いしたんだろう」


 迷惑な話だ、とイライアスはため息をつく。3日も同じ事を聞かれれば流石に疲労の色は濃くなっているが、イライアスの主張は明確だった。


「金を貸せないと言われて、逆上したんだろう。自分の罪を私になすりつけて、彼は人格破綻者だな」

「一連の殺人事件はバスカヴィル卿の仕業だと?」

「彼が証言した場所に遺体があったんだろう? なら、第一容疑者は私ではなく、バスカヴィル伯ではないのかね?」

「ですがバスカヴィル卿は貴方に会いに行った翌日、命を狙われたのですよ」

「自分が狙われたように見せかけて、容疑者候補から外れようとしたとも考えられる。よくある手だ」

「自作自演だと?」

「私が殺人事件の黒幕だ、などという馬鹿げた妄言を信じるより、よほど説得力があると思うがね。バスカヴィル卿こそが真犯人だと証明するのは私ではなく、君達警察の仕事だ」


 勾留が3日目に入り、当初は落ち着いていたイライアスも、徐々に苛立った表情を見せるようになっていた。


「逮捕理由は、伯爵の証言だけなんだろう?」


 探るようにイライアスはロジャーを見る。だがロジャーはこれには答えなかった。手の内を見せるわけにはいかないからだ。

  

「無実の人間を逮捕して、君らは平気なのか? 一度貶められた評判は簡単には戻らない。許しがたいが、今ならまだ謝罪を受け入れてもいい。誤認逮捕の謝罪と謝罪記事を掲載すれば、私は警察からの謝罪を受け入れよう」

「謝罪はしません」

 

 要求を突っぱねると、イライアスは黙り込んだ。


「では、このまま法廷で争うと?」

「ええ。そうなるでしょう」


 むっとした顔で沈黙すること数秒。しかし次の瞬間、イライアスの表情が一変した。ばっと机に手をつくと、身を乗り出してロジャーの顔をのぞき込む。


「覚えたからな」


 目を見開き、顔を寄せながら怨嗟のこもった言葉が口から漏れた。そのねっとりとした視線に、ぞわりとした不快感を覚える。


「お前の顔も、お前の顔も」


 ロジャーと隣に座る刑事に順に顔を向けながら、イライアスは言い放った。


「私にこんなことをして、ただですむと思うな。警察組織での出世は二度と望めないものと思え」


 ロジャーはイライアスの視線を受け止めながら、ぐっと下腹に力を入れた。ーーこれがこの男の本性か。


「ーー全ては法廷で明らかになるでしょう」


 その言葉にイライアスは笑った。その顔に相手を完膚なきまでに叩き潰してやるという嗜虐しぎゃく心が浮かぶのを、ロジャーは確かに見たのだった。


 ***


 この日、レイモンドは荒れていた。朝から感情が嵐のように胸の内で暴れ狂う。

 セオドアの疑惑報道から、丸1日。翌朝には後を追うように複数の日刊紙が疑惑の検証記事を掲載した。

 その内容はレイモンドにとり、はらわたが煮え繰り返るようなものだった。

 曰く、セオドアから賄賂を受け取っていたアドルファスは、その見返りとして受注競争でセオドアを勝たせると約束していた。だがその密約は果たされず、怒り狂ったセオドアがアドルファス殺害を計画したのだと。

 アドルファスの名誉を傷つけ、セオドアに罪をなすりつける内容である。

 新聞にはバスカヴィル一家の死後、セオドアがグウィンと自身の娘との婚約を推し進めたことも書かれている。ソフィアの名はまだ出ていないが、それも時間の問題かもしれなかった。ーーセオドアは娘の婚約によって、伯爵家の乗っ取りと監視をしていたのではないか。家族を殺したことを勘付かれ、口封じの為グウィンを殺したのでは。記事の内容は過激だった。


 殺した相手の息子と、自分の娘とを婚約させる非道な男。記事の中のセオドアは、人の姿をした悪魔のようだ。

 厄介なのは、記事の疑惑に信憑性を持たせるような事実が存在していることだった。

 運輸省の内部調査はアドルファスに嫌疑がかかったまま終了し、グウィンとソフィアの婚約も事実。記事を鵜呑みにする人間がいてもおかしくなかった。激しい怒りに、身に巣食う大蛇が暴れ回っている。


 ーー守りたいのに。


 オールドマン家の人々を、この事件に関わらせない。その為に彼らには極力近づかぬようにしていたのに。その思惑とは裏腹に、別の意志が動いているようだった。

 レイモンドの思いを嘲笑うかのように、オールドマン家を飲み込む黒い影が、迫ろうとしている。

 

 ーーどうする。


 少なくともこれまでの行動方針を見直さねばなるまい。遠くから見ているだけでは、守りきれない。

 一つ深く息を吐き出すと、レイモンドは立ち上がった。


「ライアン!」


 居間の扉を開けると、銃の手入れをしていたライアンが振り返った。


「どうした?」

「出掛ける。支度を」


 その言葉にライアンは心得たようにさっと立ち上がると、広げた銃器を片付けはじめる。身支度を簡単にととのえると、途端、従者然とした雰囲気になった。口調もいつもの遠慮のないものから、丁寧なものに変わる。


「それでーーどちらへ行かれるのですか?」

「セントラル鉄道だ」


 その言葉に、ライアンは僅かに目を細めた。


 セントラル鉄道は、エルドの中心地に本社を構えている。レイモンドが馬車を乗り付けた時、既に数人の記者が入口前で待ち構えていた。彼らの目的はセオドアだろう。

 彼らを横目に見ながら、社内に足を踏み入れると、入ってすぐの受付に座る女性に声をかけた。


「約束はないのだが、セオドア殿に取り次いでもらえないだろうか」

「申し訳ございません。お約束のない方をお通しするわけには……」

「レイモンド・マックスウェルだと伝えてくれないか。商談がしたいと」


 レイモンドの言葉に、最初訝しげにしていた女性はふいにはっとした表情になった。マックスウェルの名に、気づくものがあったらしい。


「かしこまりました。少々お待ちください」


 そういうと飛び跳ねるように奥の部屋へと入っていく。しばらく待っていると、別の人間がやって来た。


「レイモンド・マックスウェル様ですね。どうぞ、こちらへ。お供の方は申し出ないのですが、一階でお待ち下さい」


 セオドアの秘書を名乗った男性は40歳前後のがっしりとした体格をしていた。彼はレイモンドを促すように前を歩いていく。

 彼がレイモンドを案内したのは、応接室ではなく、社長室だった。


「申し訳ございません。こちらの方が会話を聞かれる心配がないものですから」


 レイモンドの疑問を汲んだように、秘書の男が説明する。その言葉に頷くと、レイモンドは部屋へと足を踏み入れた。

 セントラル鉄道の社長室は、かつて訪れたことのあるオールドマン家の書斎によく似ていた。実用性を重視し、他の要素を削ぎ落とした機能的な造り。仕事部屋を華美に飾らないのは、セオドアのポリシーなのだろう。


「お連れしました」


 秘書の男が声をかけると、セオドアが立ち上がった。


「はじめまして。レイモンド・マックスウェルと申します。突然の訪問、お許しください」


 セオドアがちらっと秘書の方へ顔を向けると、心得ているのか彼は静かに退室した。セオドアと向かい合って、レイモンドの胸にふいに湧き上がったのは、奇妙な感慨だった。


 ーーこんなに目線が近かっただろうか。


 昔は自分よりはるかに背が高く、見上げる程に身長差があったのに。セオドアの身長は変わっていないが、今はレイモンドの方がセオドアの背を僅かに上回っている。


「どうぞ、お掛けください」


 その言葉に、ここへ来た目的を思い出した。懐かしんでいる場合ではない。

 セオドアのデスク横に作られた簡易的な応接スペースに腰をおろすと、レイモンドは口を開いた。


「今日は御社と契約をさせてもらえないかと、お願いにあがりました」

「契約?」


 探るようなセオドアの視線を受けながら、レイモンドは慎重に言葉を紡ぐ。

 

「はい。我が社の鋼材を御社に供給させていただきたいのです」

「それはティトラ・スチールと独占契約を結ぶということでしょうか」

「そうです」


 鉄道レールや橋梁、車両作りに鋼材は欠かせない。この契約は双方にメリットがある、とレイモンドはセオドアを口説いた。

 ティトラ・スチールの高品質の鋼材を破格の値段で供給する。代わりに長期的な契約を結んでほしいーー。

 レイモンドの言葉の真意を読み取ろうとするかのように、セオドアは静かに耳を傾けている。話を一通り聞き終えて、ようやくセオドアは口を開いた。


「なぜ我が社なのでしょう。他にも鉄道会社はあるはずですが」


 セオドアがライバル会社である北部シュタール鉄道の事を言っているのだとすぐに分かった。レイモンドが先にセントラル鉄道に話を持ってきたのが不思議なのだろう。規模で言えば、北部シュタール鉄道の方が上だ。


「率直に言って、北部シュタール鉄道は信用できない。寝首を掻くような人間とどうして取引できるでしょう」


 あけすけなレイモンドの言葉に、セオドアは興味を引かれたようだった。


「信用できないと? なぜ?」


 ーー君はこの国に来て間もないのに。そうセオドアの瞳が語っていた。


「直接は知らなくとも、情報は集めています。北部シュタール鉄道には、黒い噂が多い。彼らは信用できません。それは今回の新聞報道で確信しました」

「と言うと?」

「貴方の中傷記事を載せたのは、ロムシェル・バーシルトではないですか?」


 その言葉に驚いた様子もなく、セオドアはレイモンドをじっと見つめる。

 セオドアの反応を見て、彼もまたレイモンドと同じ結論に達したのだと確信した。


「信用できない相手と取引はできません。それに御社との契約は、私だけではなく父の意向でもあります」

 

 これは半分嘘で半分本当だ。レイモンドはこの契約の話を、独断で進めている。その点、レイモンドの言葉は嘘だったが、事前に話していたとしてもメイソンは反対しないだろう。セントラル鉄道との契約は実利がある上、ロムシェルを追い落とす為ならばメイソンは認めてくれるはずだからだ。

 レイモンドの言葉に考え込むようにセオドアは口元に手を当てた。


「ーーお話は分かりました。ですが、すぐに返事はできません」

「勿論です。もとより今日は話を聞いていただくだけのつもりでした」


 また来るのでゆっくり考えてもらいたい、そう言ってレイモンドは立ち上がった。最低限の目的は果たせたことに胸をなでおろす。ーーこれでオールドマン家に関わる口実ができた。たとえ契約そのものを断られても、再検討を頼みに屋敷や会社に行くことは可能だろう。

 一階でライアンと合流すると、エントランスホールを抜ける。

 と、そこで柔らかな声が耳に入った。


「ーーお父様にお会いできる?」


 思わずその声に、身体が反応した。落ち着いた、温かみのある声。彼女の声を間違えるはずがなかった。どんな場所にいても、レイモンドの耳はその声を拾ってしまうのだから。

 無意識に、視線が彼女の姿を探して彷徨う。そうして捉えた先は、入口付近。

 受付の女性と言葉を交わす艶めく金褐色の髪が視界に入り、胸がざわつく。

 レイモンドに背を向けるように、ソフィアがそこに立っていた。

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