秘める思い
現職議員の逮捕は、耳目を集める事件のセンセーショナルな続報として、再び新聞各紙を賑わせた。事件の動機解明に人々の関心が集まる中、一部の新聞では、イライアスの逮捕は警察の横暴ではという同情的な記事も掲載された。
イライアスは、容疑を全面的に否認しているという。
このイライアスの逮捕によって、ソフィアは新たな洞察を得ていた。彼がオズワルドが話した一連の事件の黒幕であるならば、事件の関係者に近づくレイモンドがやはり怪しい。
家族の仇を討つためフェラー家に近づいたと考えると、様々な事に合点がいく。昨日ロジャーに聞いた話では、オズワルドを助けたのもレイモンドだという。
唯一不可解なのは、メイソン・マックスウェルの告白記事だった。レイモンドとグウィンが同一人物であれば、メイソンは嘘をついていることになる。だが他人の子供を自分の子だと偽る、などということがありえるのだろうか? そうだとしたら、どんな理由で? 彼は世界的な大富豪。金で雇われたとは考えにくい。
エルド警視庁から帰ってきてから厳しい顔で悶々と頭を悩ませるソフィアを理由を知らぬ周囲は心配したが、周囲の心配をよそにソフィアの気力は満ち満ちていた。ーーグウィンが生きている。それは、大きな希望になっていた。
ソフィアはグウィンの生存を誰にも話さなかった。姉達にも、両親にも。どこで誰の耳に入るか分からない。一度でも口にすれば、ほんのわずかでも秘密が漏れる可能性は上がる。グウィンの身の安全を思えば、絶対にそんな危険は冒せなかった。
朝起きてから今に至るまで、屋敷の居間でそんなことをつらつらと考え込んでいたのだが、昼間、ソフィアのもとを珍しい人物が訪ねて来た。
「オーティス・ベッテルと名乗る男性がお嬢様に取りついで欲しいと、屋敷の前に来ておりますが……」
「本当?」
5年ぶりに聞く名に、驚いて聞き返した。
無論、ソフィアはオーティスのことを覚えている。バスカヴィル家に仕えている彼が、一体自分に何の用だろう。部屋へ案内してもらう時間を待つのさえもどかしく、自らの足で玄関ホールへ向かうと、以前と変わらぬ優しげな老紳士がエントランスに立っていた。懐かしい顔に、ソフィアは自然笑顔になる。現れたソフィアを見て、彼の方は驚いたように瞳を見開いた。
「久しぶりね、オーティス。元気そうで良かった」
「ーーソフィアお嬢様ですか?」
確認するように尋ねられて、ソフィアは笑った。
「私の顔、忘れてしまった?」
「これは失礼を致しました。5年前のお姿しか知らなかったものですから。いえ、勿論成長なさっているのは、分かっていたはずなのですが」
「また会えて嬉しいわ。こんなところで立ち話もなんだから、ぜひ中へ入って」
ソフィアの申し出を、オーティスは固辞した。使用人の分際で滅相もないと恐縮するオーティスと押し問答すること数分。このままではソフィアを立たせたままにすると悟ったのか、結局オーティスが折れた。応接間で遠慮がちに腰をおろすと、オーティスは「今日は最後のご挨拶に参りました」と口火を切った。
「オズワルド様はほうぼうで借金を重ねていたようでして、昨日債権屋が屋敷の差し押さえにやって来ました。ああいった人間は本当に取り立てる時はあっという間に、何もかもを奪っていくのですね。それで私ども使用人達もバスカヴィル邸を出ることに」
「そうだったの……」
それはオズワルドの逮捕によって、ソフィアも少なからず予想していたことだった。グウィンの帰る家がなくなる。オズワルドは、タウンハウスだけでなくバスカヴィル領も担保に金を借りていたという。
オズワルドに残るのは爵位だけになるだろう、とオーティスは続けた。
「いえ、それもこの先どうなるかわかりませんが」
通常、貴族が爵位を失うことは滅多にない。跡継ぎ不在による家の断絶か、国家反逆罪相当のことをしなければ。ただし今回の場合は国を揺るがす大事件である。当主が殺人事件に関与したとなれば、爵位剥奪の可能性は十分に考えられた。
「このようなことになってしまい残念です。いつかソフィア様に仕える日が来ることを、楽しみにしておりましたのに」
グウィンの死が報じられ、オズワルドは逮捕されている。ソフィアとグウィンの婚約は、誰が見ても実質的に破談していた。元より政略的な意味あいは、ほとんどなくなっていたのだが。ソフィアの思いだけで続けていたようなものだ。
「今日はバスカヴィル邸の事をつたえに?」
「それもあるのですが、これをソフィア様にと」
そう言って差し出されたのは、一枚の写真だった。ソフィアは丁寧にそれを受け取る。
「家財は全て差し押さえられ、本来はその写真も持ち出してはいけないのでしょうが。債権者のもとへ渡れば、捨てられてしまうと思ったものですから」
これだけはソフィアに届けたかったと、オーティスは言った。
ソフィアは手元の写真に視線を落とした。一組の男女と、グウィンとジョエルが写っている。グウィンとジョエルはソフィアの知っている姿より幾分幼い。では一緒に写っているのが、おそらくアドルファスとエミリアなのだろう。
ーーグウィンは、エミリア様似なのね。
そしてジョエルは、アドルファス似だ。エミリアは写真越しに見ても、はっとするような美人だった。アドルファスはきりっとした瞳が印象的な、はっきりとした顔立ちの男性である。幸福そうな家族写真。
そっと写真を撫でながら、愛おしそうに見つめるソフィアに、オーティスはほっとした顔になった。
「グウィン様を思い出すものをお渡しするのは、ご迷惑かもと思ったのですが」
「いいえ。とても、嬉しい」
ありがとう、と礼を口にすれば「そう言っていただけて良かったです」とオーティスも笑顔になった。写真を渡し終えてもう用は済んだと思ったのか、「では私はこれで」と席を立とうとしたオーティスを、ソフィアが引き留めた。
「オーティスはこれからどうするの? 私にできることはないかしら。他の皆も、もし仕事を探しているのなら力になりたいの」
父に頼めばどこか新しい奉公先を見つけてもらえるはずだ。伯爵家に仕えていた人々である。仕事ぶりは確かなはずで、彼らを欲する家は多いだろう。何か力になれることはないかと尋ねたソフィアに「ありがとうございます」と礼を言いつつ、オーティスはやんわりとそれを断った。
「大変ありがたいお話なのですが、実は次の奉公先は既に決まっておりまして」
「ああ、それなら良かった。ーー他のみんなも?」
「ええ。それが不思議な話なのですが、バスカヴィル家に仕えていた使用人全員まとめて雇いたいという奇特な方がおりまして」
「全員?」
目を丸くして聞き返すと、「私も今のソフィア様と同じくらい驚きました」とオーティスが返す。
「債権者達の話では、既にバスカヴィル領の新しい買い手は見つかっているらしいのです。実はその買い主の方が、私どもを雇いたいと言ってくれているそうでして。なんでもバスカヴィル領に不案内な人間を新しく雇うより、我々の方が勝手がわかっていいだろう、ということのようで」
「では、皆バスカヴィル領で働くの?」
「はい。そうなんです」
不思議なご縁もあるものです、とオーティスは穏やかな顔になる。彼の顔は憑き物が落ちたかのように、すっきりとしていた。新しい生活への期待がその表情から見て取れる。オーティスの顔を見ながら、気になってソフィアは尋ねた。
「オーティス、そのバスカヴィル領の土地を買ったというのは誰なの?」
「それが会社なんです」
「……会社」
「はい、ティトラ・スチールというところでーーソフィア様?」
話の途中で、ぎょっとしてオーティスは言葉を止めた。ソフィアが今にも泣き出しそうな顔をしていたからだ。
「どうかされましたか」とおろおろするオーティスに、違うのとソフィアは首を振った。
「ーーただ、嬉しかったの」
きっとレイモンドの仕業だと、ソフィアは思った。彼の行動に、心優しい少年の姿が重なる。こんな風に、大切な人たちを放っておけないのは。
ーー優しいところは変わっていないんだ。
そのことが、たまらなく嬉しかった。
レイモンド、いやグウィンというべきだろうか。ソフィアにはもう、そうとしか思えない。
グウィンが生きていることは、誰にも知られてはならない。レイモンドがグウィンであるとも口にはできぬ、胸の内に隠さねばならない秘密だった。ならば隠し通してみせよう、とソフィアは思う。
ーー誰にも言わない。
グウィンが正体を隠してこの国に帰ってきた理由は想像に難くない。家族の仇を討つため、彼はそれまでの人生を捨てたのだ。名を捨て、思い出を捨て。ならば、自分には何ができるのだろう。彼の為に、何をすればいい? そんな事をオーティスを見送った後も、その翌日もソフィアは考え続けた。だがソフィアがその答えを見つける前に、悠長に考えてはいられない事態が起こる。
イライアス逮捕から、遅れること2日。新しい疑惑報道が、新聞に掲載された。
生前アドルファスがセオドアから賄賂を受けとっていたとする、疑惑記事である。二人の間に何らかのトラブルがあったのではと、まるでセオドアがバスカヴィル一家殺害の黒幕であるかのような内容で、この記事が世に出ること自体、オールドマン家にとっては打撃だった。
新聞記事がでると使用人たちの間にも動揺が走り、彼らを落ち着かせる為、ソフィアも考え事をしている場合ではなくなった。
事件の渦中にセオドアをーーオールドマン家を引きずり込もうとする何者かの意図を、ソフィアはそこに感じ取ったのだった。




