自白
ロジャーは病院の前で馬車を乗り捨てると、足早に院内へと入った。30分程前、突然の呼び出しを受け、ろくに事情も分からぬままここへ来た。聞けば、オズワルドがロジャーを指名しているという。
ーーなんのつもりだ。
オズワルドに対しては、5年前の事件の容疑者、という認識しかない。グウィンの失踪後、彼が伯爵位を継いだ事は耳にしていたが、それはもうロジャーには関係のない話だった。バスカヴィル家の事件は迷宮入りしたまま、いまだにまともな手がかりすら見つかってはいなかった。
「グレグソン警部」
先に来ていた制服警官が病院の入口で敬礼する。
「状況の説明を」
「2時間前、コモン地区でバスカヴィル伯爵が発砲され、負傷したと通報が。伯爵は両足を怪我していますが、命に別状はありません」
「犯人の顔は?」
「見たそうです。ただグレグソン警部以外には話さないと言い張っておりまして……」
「ったく、どういうつもりなんだか」
病室に入ってオズワルドの顔を見た時、5年前よりやつれた男の顔がそこにはあった。目は落ち窪み、剃り残した髭がだらしなくのびている。これが伯爵とは、とても信じられない。近くの椅子には、付き添いだろうか、赤毛の青年が腰掛けているのが目に入った。
「やっと来たのか」
横柄な口調で開口一番オズワルドはそう言った。
「私をお呼びだとか」
なぜわざわざロジャーを呼ぶ必要があったのか。事情を聞くだけなら他の警官で十分ではないか。訝しげに視線を投げかけたロジャーに、オズワルドはふんと鼻を鳴らした。
「バスカヴィル家の事件の犯人を知っている。今日俺に発砲したのは、アドルファスを殺した実行犯だ」
「ーーなんですって?」
数秒固まった後、ロジャーはようやく口を開いた。
「貴様を呼んだのは、そいつらの名を教える代わりに俺の身を保護してほしいからだ」
「そいつら? 複数人いると?」
「そうだ」
「何故狙われる事になったのか、事情を話してもらいませんと。その男はまた貴方を狙いに来るのですね? であれば、事情を知らなければ、我々も貴方を守ることが難しくなる」
ロジャーの言葉に、オズワルドは思案するように顎をさすった。
「他にもいくつか条件がある。この話を聞いた後、俺は逮捕されるだろう。だが罪を認める代わりに、減刑を約束して欲しい。それに刑務所での生活も、他の囚人とは別の独房にしてもらいたい。今の条件を書類にして、サインを」
勝手な言い分の数々に頭痛を覚えた。
「それも、話を聞いてからです。話を聞く前に、書類にサインはできません。貴方がどれ程の情報を持っているのか、分かりませんから」
しばらく考えるように黙り込んだ後、オズワルドは頷いた。
「……いいだろう」
そうして語りだしたオズワルドの告白は、恐るべき内容だった。現職の議員であるイライアス・フェラーが、バスカヴィル一家殺害の黒幕であること。ナサニエルという名の殺し屋の存在。そしてグウィンもまた、彼らの手にかかりその命を落としたこと。
「……そのことをどうやって知ったのです」
「奴らの方から接触してきたんだ。グウィン殺しに協力しろと」
「それで、どうしたんです」
「言っておくが、俺はグウィンを殺していない。グウィンを殺したのはイライアスさ。俺はただ死体をナサニエルという男が指定した場所に埋めただけだ」
「彼の遺体を遺棄したと?」
「ああ。エルド郊外に無縁墓地がある。場所を教えるから、そこへ行ってみろ」
「貴方の話を裏付ける証拠は」
「少なくともナサニエルに襲われた事は、ここにいる彼が証言してくれる」
ベッド脇に座る青年が、同意を示すように頷いた。
「貴方は?」
「レイモンド・マックスウェルといいます。バスカヴィル卿が襲われたのは本当です。私も現場にいましたから」
「レイモンド君がいなければ、今頃俺は死んでいたかもしれん」
その後オズワルドから更に詳しい話を聞き出すと、ロジャーは病室を後にした。部屋の前に立っている警官にオズワルドから目を離すなと念をおした後、病院の廊下を歩きながら頭の中でこれからの事を考える。まずはオズワルドの話の裏付けをとらなければ。オズワルドの話が本当なら、無縁墓地にグウィンの亡骸が眠っているはずだ。そこまで考えて、憂鬱になった。
ーー彼女にどう話せばいいんだ。
帰らぬ人を待ち続けたあの少女に。最後にソフィアに会ったのは2年前。手がかりかどうかも分からぬ話を伝えに、オールドマン家を訪れたのを最後に、足が遠のいていた。
2年前ソフィアに話した内容は、グウィンの失踪直後、エルド郊外の農村でグウィンとよく似た黒目黒髪の少年を見かけたという、なんとも心許ない証言だった。少年が暮らしていたという老夫婦の家は、ロジャーが行った時には既に無く、周囲の家々を回ってもグウィンがそこにいたという確証は得られなかった。
そんなロジャーの話でさえ、グウィンが生きている希望になると、ソフィアは喜んだ。ロジャーの話に一喜一憂するソフィアを見るたび、罪悪感が募った。自分のしていることは、一人の少女の心を翻弄しているだけではないのか。グウィンの事を忘れ、別の誰かと結ばれる方が、ソフィアのためではないか。そう思うと迂闊にオールドマン家に行けなくなった。
ーーだがこんな話はあまりに辛い。
それでも、告げねばならないだろう。どんな真実であれグウィンの身になにがあったのか、彼女は知りたいだろうから。
一度エルド警視庁に戻り、遺体を掘り起こすための人員をととのえると、ロジャーはオールドマン家へと足を向けた。
案内された応接間で待っていると間もなくソフィアが姿を見せる。2年ぶりに会うソフィアは、前回会った時より更に大人びたようだった。彼女はもう小さな少女ではない。手足はすらりと伸び、長い金褐色の髪が背中を波打っている。
「グレグソン警部、お久しぶりです」
再会を喜ぶソフィアの表情に、胸が痛んだ。
「今日は貴女に話さなければならないことがあります」
ロジャーに座るよう促しながら、ソフィアも対面に腰を下ろした。ロジャーの表情に、ただならぬものを感じたのだろう。ソフィアの声には、わずかに緊張が混じる。
「それで、お話というのは」
「つい先程、オズワルド・バスカヴィル伯爵が襲われました」
「え?」
ソフィアの顔に、当惑が浮かんだ。
「今は病院に運ばれ治療を受けています。病院を訪ねた私に、彼は自らの罪を告白しました」
「罪……」
「ええ、バスカヴィル卿のーー」
グウィンの事をバスカヴィル卿と呼ぼうとして、言い直した。もうグウィンは伯爵ではない。
「ーーグウィン・バスカヴィル少年の遺体を遺棄したと、自白したのです」
その瞬間、ソフィアの顔が凍りついた。先ほどしたばかりの自らの決断をすぐに後悔したが、今更期待を持たせるようなことは言えなかった。
ソフィアにはグウィンの身に何があったのか伝えるべきだと決めたのだ。
「これから遺体を埋めたという場所へ行ってきます。まだ伯爵の話が真実とは言い切れません。ですが、最悪の事態もありえます。ーーどうかお覚悟を」
その言葉に、ソフィアは答えなかった。否、その時もうロジャーの言葉は耳に入っていなかったのかもしれない。茫然自失のソフィアを痛ましそうに見つめた後、ロジャーは立ち上がった。まだやるべきことを残している。案内をしてくれた家令を呼ぶと、事情を説明した上で、ソフィアのそばから離れないよう頼んだ。
「仕事を残してきていますので、これで失礼します」
声を掛けるも、やはりソフィアの耳にはロジャーの声は届いていないようだった。
オールドマン家で辻馬車を呼んでもらい、エルド郊外の墓地へと向かう。先行する刑事達から遅れること約1時間。
馬車を降りた時、既に20名程の警官が集まっていた。遺体の掘り起こし作業は既にはじまっている。ロジャーは足早に近づくと、近くに立っていた若い刑事に声をかけた。「状況は」と呼びかける声に振り返った刑事は、幾分動揺したように「グレグソン警部」と声を発した。
「見つかったか?」
「……その、遺体はあったのですが」
若い刑事の動揺ぶりに首を傾げる。よく見れば、彼の顔は青ざめていた。
「何かあったのか?」
「それがーー」
耳を傾けながらロジャーは顔を歪めた。職業柄、人の死に慣れているロジャーでさえ、困惑せずにはいられなかった。
「ーーどんどん遺体が出てくるのです」
そう言った声は震えている。その日、夜を徹して付近の掘り起こしが進められた結果、見つかった遺体の数は、実に三十。
グウィンの遺体を埋めたと証言された場所から、いずれも他殺と見られる人間の遺体が発見された。




