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銃撃

 マックスウェル家の記事は大きな波紋を呼んだ。

 経済界においては、この国でマックスウェル家が事業展開を開始する事実に激震が走った。

 社交界においては、レイモンドの出自がとりわけ取り沙汰された。彼が正真正銘マックスウェル家の御曹司であったこと。そして彼が、メイソンの実子であったこと。これまでは噂に過ぎなかったそれが真実であったことに、娘達は色めき立ち、男達は縁を持とうと目の色を変えた。


 そしてーー。


 記事が出たのと同じ日、ヴァネッサはオールドマン家を訪れた。早朝、父親であるゲイリーからマックスウェル家の記事を見せられて、いても立ってもいられなかったのだ。

 今ソフィアがどんな思いでいるのかと想像しただけで、ヴァネッサの胸は締め付けられた。

 ソフィアの顔をひとめ見て、すぐに分かった。彼女はあの記事を読んだのだと。


「ソフィア」

「ヴァネッサ、来てくれたの」

 

 ヴァネッサを見て、ソフィアは笑った。ああ、いつものソフィアだ。そう思ったけれど、どこか顔色が悪い。


「……記事を読んだから。心配で」

「……私は大丈夫よ。慣れてるもの」


 本当だろうか。失望することに慣れる事など、あるのだろうか。


「私は大丈夫」


 まるで自分自身に言い聞かせているようだと、ヴァネッサは思う。

 ソフィア、と声をかけようとして応接間にノック音が響いた。扉を開けた家令が、来客を告げる。


「アークライト様とノーランド様がおみえです」

「クリスとヘクター?」


 通してくれというソフィアに彼は頷くと、まもなく2人が部屋に入ってきた。


「ソフィア、大丈夫か?」


 クリスが心配そうに口を開いた。


「2人ともどうしてここへ?」

「あの記事を読んで心配になって。それに前レイモンドの事を調べると言ったろう」

「ーー何か分かったの?」


 2人を見つめるソフィアに、ヘクターが持っていた鞄から紙のファイルを取り出した。


「それは?」

「彼の学籍簿だ。一通り見たが正式な書類で、おかしなところはなかった」


 そんなものどうやって持ち出したのだろうと思ったが、ここで聞くのは無粋だという事はヴァネッサにも分かる。


「ここを見てくれ」


 そう言って、ヘクターが手元のファイルの一点を指し示した。

 気になってヴァネッサも覗きこめば、備考欄に書かれている文字が目に入った。


『学長ピーター・ブラウンがティトラにてマックスウェル親子と面会』


 ソフィアを気遣わしげに見ながら「彼は本物のレイモンド・マックスウェルで間違いないと思う」と、クリスが言った。


「記事ではメイソン自身が彼を実子だと認めているし、もう本当だと考える他ないだろう」

「残念だが、今回はソフィアの勘違いだったと考えるしかーー」


 気まずそうに口ごもるヘクターに、「そうね」とソフィアはぽつりと呟いた。


「こういうこともあるさ」


 妙に明るい声で言ったクリスの言葉を聞くソフィアの顔はどこか上の空で、胸元で右手を握りしめている。そうしながらソフィアの唇がかすかに動くのを、ヴァネッサは見た。


 ーー強くならなきゃ。


 誰かに聞かせる為ではない、自分自身に向けた小さな音をヴァネッサの耳は確かに拾ったのだった。


 ***


 フェラー家を訪れた翌日。

 オズワルドは昼過ぎまで惰眠を貪っていた。昨日は結局あの後警察にまで出向いて詐欺被害にあったことを説明して帰ってきたのだ。

 太陽が南の空高く位置する頃、オズワルドは起き上がった。

 ベッド脇には、水の入ったグラスが用意されている。口に含んで立ち上がると、オズワルドは身支度を整えはじめた。

 イライアスとの次の約束は3日後。それまでに色々と準備しなければならない。


「オズワルド様。お出かけですか?」

「ああ」

「馬車の用意はよろしいので?」

「屋敷の前で拾う」


 そう言うと屋敷を出る。これから向かう場所を使用人達に知られたくないのだ。大通りを走る辻馬車をすぐにつかまえて、宝石店に向かうよう告げた。

 万一イライアスから断られた場合に備えて、宝飾品の類を換金しておこうと考えたのである。

 馬車を店の近くで待たせ店の中に入ると、最近すっかり顔馴染みになった店主が満面の笑みを作った。


「これはバスカヴィル伯爵。今日はどのようなご用件で?」

「これを売りたいのだ」


 取り出したのは黒い布袋。店主は丁寧に中を確認すると、笑みを深めた。


「これはまた良い品ですね。鑑定してまいります。奥の部屋でお待ちください」


 うむ、と頷いてオズワルドは応接室に入ると腰を落ちつけた。深く息を吸い込んで、背もたれに身を沈める。


 ーーこの後はどうするか。


 イライアスに断られた場合は、金を持って逃げる心づもりであるが、具体的な事はまだ何も考えてはいない。逃げるならできるだけ遠く、オズワルドの事を誰も知らない土地がいい。


 ーーそうだ、ティトラがいい。


 新しく生き直すならば。犯罪者や落伍者でさえ受け入れる寛容の国だと言われている。

 建国後百年余の若い国家。国民の大半が、元々はメベル大陸からの移民である。

 あのメイソン・マックスウェルも元をただせば移民の一人であったという。

 新天地を求めるならばティトラが最適だろうと、オズワルドは思った。

 たが同時にティトラは貴族のいない国でもある。人から媚びへつらわれる愉悦を知ってしまったオズワルドにとって、今の地位を捨てることは苦渋の決断であった。苦労してやっと手に入れた伯爵位。簡単に手放すことはできない。ティトラへの逃亡は、最終手段だった。

 しばらく待っていると部屋にノック音が響いて、店主が部屋に入ってくる。


「こちらの金額でいかがでしょうか」

「ああ、それでいい」


 提示額に同意して金を受け取ると、再び馬車へと乗りこんだ。ゆっくりと馬車が動き出す。


 ーー後はイライアスの答えを待つだけか。


 昨日の話の主導権はこちらが握っていたはずだ。イライアスは今頃焦っているだろう。こちらの思惑通り動いてくれるといいが。

 10分程窓の景色を眺めていると、オズワルドは小さな違和感を覚えた。外に見える景色に、見覚えがない。来た道とは違う道を通っているようだった。不思議に思って、御者に大声で呼びかける。


「おい! 道が違うぞ!」


 その質問に御者の男は答えず、代わりに馬車のスピードをあげた。馬車の揺れが大きくなって、オズワルドは「おい」ともう一度呼びかける。

 それでも御者は前を向いたまま、オズワルドの方に顔を向けない。


 ーー待て、こんな男だったか?


 オズワルドの前に座る広い背中を見ながら、違和感が大きくなる。大通りで馬車を拾った時は、もっと小太りの男ではなかったか。

 その時、オズワルドの頭をよぎったのは、グウィンの最期だった。あいつはまんまと罠にはまって馬車に乗り、拉致されたのではなかったか。

 何かがカチリ、とオズワルドの中で符号する。

 その時咄嗟に取った行動が、オズワルドの命運をわけた。ガチャリと馬車の扉を開けると、そのまま猛スピードの馬車から飛び降りたのである。ごろごろと道に転がる。体のあちこちをしたたか打ち、痛みはあったが、歩けないほどではない。気力だけでなんとか立ち上がると、馬車とは逆方向に駆け出した。

 馬車はすぐには止まれず、オズワルドから少し離れた場所で停止した。人通りの少ない道。オズワルドは近くにあった細い路地に慌てて身を隠す。入り組んだ路地を更に奥に進もうとして、2発の銃声が空に響いた。と、同時にオズワルドの足を激しい痛みが襲う。

 撃たれたのだとすぐに分かった。

 あまりの痛みに立っていられず、前向きにどうと倒れこむ。両足からどくどくとおびただしい血が流れ出している。


「あ、あ、あ……」


 痛みと恐怖でパニックになっていたが、早く逃げなければという思いが頭の中に取り憑いていた。男がゆっくりと近づいてくるのを感じて、恐る恐る振り返る。そうして、オズワルドの瞳はその男をとらえた。

 変装しているが、やはりあの男だ。冷たく光る灰色の瞳。忘れられるはずがない。

 必死で逃げようとするも、撃たれた足は動かない。


 ーーやめてくれ。死にたくない。


 その時、別の方角から空気を切り裂くような銃声が聞こえた。

 音が聞こえたのとナサニエルが後ろに飛び退くとが、同時だった。銃声があった方角を確認する間もなく、瞬時にナサニエルが踵を返す。がっと駆け出したナサニエルの背中に、鋭い声が飛んだ。


「ライアン! 追え!」


 黒目黒髪の青年が、凄まじい速さで男の後を追いかける。レイモンドはオズワルドの方に駆け寄るとハンカチを取り出し、撃たれた足を押さえた。痛みのあまり、オズワルドはうめく。


「止血をしていますから我慢を。すぐに病院に運びます」


 ハンカチだけでは足りなかったのか、レイモンドは自らの上着を脱いでオズワルドの足を縛ると、更に傷口を強く圧迫した。

 なぜここにいるのだと尋ねたかったが、痛みで言葉が出てこない。そんなオズワルドの心を読んだように、「宝石店から出てくる貴方を見かけたのです」とレイモンドは言った。


「詐欺の件を聞いたばかりだったでしょう? 少し気になって。後をつけるような真似をしてすみませんでした」

「……いや……助かった」


 かろうじてそう口にする。レイモンドが来ていなければおそらく死んでいただろう。


「急いで病院に行きましょう」


 歩けないオズワルドを肩に担いで、レイモンドはその身体を持ち上げようとする。しかし、それを止めたのはオズワルドだった。


「ま、待ってくれ」


 その言葉に不審げにレイモンドが眉をひそめた。レイモンドの訝しげな視線を感じながらも、この時のオズワルドは、凄まじい早さでこれから先の未来を計算していた。

 

 ーー駄目だ。このまま病院に行ったらあの男に殺される。

 

 足を怪我して動けないオズワルドを、ナサニエルが放って置くはずがない。イライアスの屋敷に行ってから、まだ1日と経っていないのだ。にもかかわらず、あの男はオズワルドを殺しにやって来た。

 つまり、イライアスはもう結論を下したのだ。オズワルドを消すという結論を。交渉の余地は残されていないことなど明白だった。


 ーー逃げよう。


 そう思ったが、この足でナサニエルから逃げ切る事など可能なのだろうか。動けないオズワルドなど、限りなく狙いやすい獲物にちがいない。

 生きるか死ぬか。

 自らの命の重さを前に、この時のオズワルドは、ナサニエルを過小評価することも、自らを過大評価することもなかった。

 図らずも、昨日イライアスに言った言葉が真実味を帯びはじめる。

 ティトラへ逃げるべきか、それともナサニエルの手の出せない場所に保護を求めるべきか。いずれにせよ、やっと手に入れた地位を手放さなければならないが、命には代えられなかった。死の恐怖とイライアスへの怒りに支配される中、オズワルドは自らの能力と、置かれた状況を正しく理解していた。この足でティトラへ逃げようとしても、おそらくナサニエルに見つかり、自分は殺されるだろうーー。グウィンと同じ場所に埋められる自身の姿を想像し、ぶるっと身が震えた。


 ーー殺されてたまるか。


 向こうがその気なら、こちらにも考えがある。オズワルドを裏切り、切り捨てようとした事を、後悔させてやる。

 怪訝な顔でオズワルドを見つめるレイモンドに、口を開いた。


「病院にはいく。だが、警察をーー。警察を一緒に呼んでくれ」

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