新聞発表
レイモンド・マックスウェルの名で借りている屋敷は、エルドの中心地から少しだけ離れた場所にある。
居間のテーブルに封筒から出された手紙が開かれたまま置かれているのを見て、ライアンはその手紙をつまみ上げた。
読めばレイモンド宛の恋文である。ソファに座るレイモンドを見れば、ライアンの疑問に答えるように口を開いた。
「アリシアからだ」
「ふうん。随分と惚れられたな」
からかい混じりの声をかけると、冷たい一瞥が送られてきた。
「で、返事は?」
「今書いている」
「マメなことで結構だ」
さらさらと流れるような筆致を見ながら、ライアンもレイモンドの向かいに腰を下ろす。
「ポールはまだ来てないのか?」
「そろそろ来るはずだ」
その言葉を言い終わるかどうかというタイミングで、居間の扉がガチャリと開いた。20代後半のツイードの背広を着込んだ男が部屋に入ってくる。
ポールはどかりとライアンの隣に腰を下ろすなり、苦情を並べ立てた。
「いくらなんでも使用人の一人ぐらい、雇ったらどうだ。屋敷に入ってから案内の一つもないぞ」
不用心だと憤慨するポールに、ライアンは肩をすくめた。
「見張りは立ててある。問題ない」
「そうは言っても、身の回りの世話をする人間もいないんじゃ不便だろう。それにマックスウェル家の人間なら、使用人のいない家に暮らすのは不自然だ。今は良くてもその内怪しまれるぞ」
「知らない人間をそばに置くのは、嫌なんだ」
レイモンドが口を挟むが、「対面を保つのも重要だぞ」とポールは尚も不満そうにしている。
「それより、後をつけられてないだろうな?」
「心配するな。馬車を2回乗り継いだ」
家の周りには見張りもいるんだろ? とポールが確認するように言う。ライアンが頷くのを見ながら、レイモンドが本題に入った。
「で、イライアスの様子は?」
「徐々に信じはじめているな。もう一息ってとこだ」
「なら明日の新聞発表でいけそうか?」
「ああ。わざわざ外堀から埋めていったんだ。あと少しお前の出自に信憑性を持たせられれば、信じるだろう」
イライアスにレイモンドの事を調べさせるという目的の為だけに、レイモンドにまつわる真偽不明の噂をわざわざ社交界に流したのだ。自分自身で辿り着いた答えを人は簡単には疑えない。これからレイモンドがしようとしていることを思えば、わずかでもイライアスに疑いを持たせたくなかった。
「オズワルドの方は?」
今度は逆にポールから質問されて、ライアンが口を開く。
「金は一昨日受け取っている。明日で終わりだ」
「そっちは随分あっさりだったなぁ。拍子抜けだ」
「オズワルドは小物だ。それに奴には、まだやってもらう事がある」
ポールの言葉に応じながら、レイモンドの顔に浮かぶ表情は険しくなる。この国に来てから唯一所在不明の男、ナサニエル。その男を見つけ出す策について、レイモンドは随分と頭を悩ませていた。ナサニエルを見つけるのに、オズワルドを使えばいいと提案したのはライアンだ。
「分かった。オズワルドの方はお前達に任せるよ。厄介なのは、ロムシェルだな」
「イライアスとの繋がりで、2人の不正を証明できないのか?」
「二人共かなり用心深いな。なかなか尻尾を出さない。とはいえ、ロムシェルはイライアスの大口献金者だから、イライアスの元を頻繁に訪ねてくるけどね。イライアスはロムシェルに頭が上がらない状態だ」
「政治献金だけじゃなく、賄賂も受け取ってるんだろ? 裏金をやりとりしている証拠はないのか」
何のためにイライアスのそばにいるんだと、批判的な目線を送ったレイモンドに「焦るなよ」とポールが返した。
「イライアスの書斎には隠し扉があって、そこが金庫室に通じている。多分そこに裏帳簿を隠してる」
「持ち出せないのか」
「無茶言うな。せっかく2年かけて信用させたんだぞ。そんな危ない橋を渡れるか」
俺の苦労を水の泡にするつもりかと、ポールは心底嫌そうな顔をした。それに対して「使えないな」とボソリと呟かれたライアンの言葉は、隣に座るポールの耳にも届いたようだった。
「盗みだったらお前達の方が得意だろう」
ポールの口調に僅かに侮蔑が込められているのを感じて、ライアンは片眉をあげる。
「は? 何だって?」
「ティトラで散々やってきたろうが。そんなに言うなら、お前らでやれよ」
かつての己の所業を蒸し返されるのを、ライアンは何より嫌っている。もう忘れ去りたい過去。その事を分かっていて敢えて口にしたポールをライアンは睨みつけた。険悪な空気になりかけたのをレイモンドが止める。
「やめろ。盗んだものは証拠にならない。捏造したと思われるのがオチだ」
別の方法を考えようと言うレイモンドに、ポールが舌打ちした。
「何にせよ、俺達の最終目的はロムシェルだ。メイソンさんがお前達に甘いからって、あまり勝手な事ばかりするなよ」
分かっているな、と念を押すポールに「ああ」とあまり気持ちのこもらない声でレイモンドが返す。
「まったく何だってこんな奴らにメイソンさんは目をかけているんだ」
そうぶつぶつと呟いている。ポールにとってメイソンは、ごみ溜の中から救い出してくれた恩人である。
メイソンが恩人であるという点では、ライアンもレイモンドもポールと同じ立場であるのだが、レイモンドがとりわけメイソンに気に入られている事がポールは気に食わないのだ。同じ立場なのになぜレイモンドだけが優遇されるのだという不満が、態度に滲み出ている。ライアンからしてみればいくら養子とはいえ、メイソンの息子という立場のレイモンドに不遜な口を聞く方が問題だと思うのだが。
ポールのレイモンドに対する態度が、ライアンには不服だった。自分の態度は棚に上げつつ、ポールはもっとレイモンドを敬うべきだとライアンは思う。ライアンの不機嫌な顔には気づかないまま、ポールが再び口を開く。
「金庫の方をどうするかだな。何かいい手はあるか?」
その言葉にレイモンドが考え込むように唸った。
「ライアン。ハリスとマイクは何をしている?」
「ハリスは屋敷の見張りで、マイクにはオールドマン家を監視させている」
「どちらか1人、イライアスにつけられないか? 金庫室の鍵のありかさえ分かれば、何とかする」
「構わんが屋敷の見張りはやめられないぞ。オールドマン家の方が手薄になるが、いいのか?」
「……いや。もう一人、協力者がいるな。前に言っていた件は今どうなってる」
「その件だが、なんとか説得できそうだ。仮に彼女に断られても、こちらの素性がばれないように注意はした。俺達に協力するそうだ」
「よし、よくやった。では、マイクをイライアスにつけろ」
「分かった」
ライアンとレイモンドのやり取りをポールは胡乱な目つきで眺めている。2人の話が終わったことを確認すると、ポールは立ち上がった。
「話はついたようだから俺は帰る。怪しまれないようにしばらく連絡を断つから、そのつもりで」
「ああ、分かった。ポール、気をつけろよ」
ポールの身を気遣うレイモンドの発言に、やや呆れたような視線が返ってきた。
「人の心配より自分の心配でもしてろ。今以上に周囲が騒がしくなるぞ」
「分かってる。心配してくれて礼を言う」
「お前の心配なんかしてない。俺はマックスウェル家の心配をしてるんだ!」
レイモンドの事を心配するのもマックスウェル家の事を心配するのも、結局同じことじゃないかとライアンは思ったが、黙っておいた。今度こそ帰るからなと言って、ポールは居間を出て行く。
部屋に落ちた静寂を破るように、ライアンは口を開いた。
「レイモンドはポールの事、嫌ってるわけじゃないんだな」
ライアンにとって、ポールのあの態度は度し難いのだが。
「どうして?」
レイモンドから尋ねられて、ライアンは首を振った。
「いや……嫌ってないなら別にいいんだ。忘れてくれ」
普段、レイモンドが誰かに悪感情を寄せる事は滅多にない。ライアン自身は好き嫌いが激しい方なので、レイモンドのこの性格は少し奇妙に映る。ティトラにいた頃は感情の起伏が少ないタイプなのかと思っていたが、シュタールに来てからはその考えを改めていた。
レイモンドの好悪はある特定の人間にのみ向けられていて、それ以外の人間はどうでもいいのだ。好きな人間も、嫌いな人間もいない。その他大勢に振り分けられた人間は、利用できるかできないか。それだけだ。
ポールはレイモンドにとって利用価値のある人間なのだろう。だからあんな態度にも怒りを見せず、その身を心配するような事を言ったのだ。
ひとつため息をついて、ライアンは立ち上がった。
「明日からまた忙しくなる。今日はもう寝る」
お前も早めに休めよと声をかけると、レイモンドは静かに頷いた。
翌朝。
マックスウェル家にまつわる2つの新聞記事が、シュタール国内を大いに賑わせた。
ひとつはマックスウェル家の経営するティトラ・スチールがシュタール初の電炉建設に乗り出すという記事。こちらは国内の高級紙や経済紙各紙の一面を飾り、国内鉄鋼業界の勢力図を塗り替えるだろうと報じられた。
そしてもうひとつ。こちらは一紙のみが独占的に報じた、長いインタビュー記事である。メイソン・マックスウェル本人が、レイモンドは自身の私生児であると告白した、独占記事だった。