グウィンの誓い
「ソフィアの従者はいるか!」
慌ただしく控え室に入ってきたグウィンの姿に、ソファーで寛いでいた従者は、目を丸くした。
「はぁ、私ですが」
あまりの剣幕にたじろぎながら従者が立ち上がると、「ソフィアが大変だ」とグウィンが焦ったように言う。
「具合が悪いらしい」
医者をこれから呼ぶと言うグウィンを、従者がなだめる。
「落ち着いてください。そんなに重病ではないのでしょう?」
ここに来る道中、ソフィアは健康そのものだった。いきなり医者を呼ぶのは早計だと彼は言う。ふた回り以上年上の従者の言葉に、グウィンは不満そうな顔をした。
「しかし」
「まずはお嬢様の様子を見てからです。ご案内いただけますか」
万一の事があったらどうするのだと、グウィンは眉間に皺を寄せる。三ヶ月前、突然家族を失ったグウィンは、人の死に敏感になっていた。
「そのような顔をなさらないで下さい。医者が必要だと判断したら、すぐに呼びますから」
従者の言葉にしぶしぶ頷いて、グウィンは今来た廊下を取って返す。元気に見えたが、今回の婚約の件でソフィアは心労が溜まっていたのではないかとグウィンは思う。
ーーやはり、断るべきだったのだ。
セオドアから今回の婚約の打診があった時、グウィンにとってはまたとない好条件に、あっさり首を縦に振ってしまった。
相手の少女がどう思うかなど、考えもせず。
三ヶ月前。13歳で爵位を継いだグウィンに、世間は冷たかった。
右も左も分からぬまま伯爵になったグウィンを待っていたのは、財産に群がる親族と税金攻勢だった。
特に相続税が莫大で、このままでは領地の一部を手放さざるを得ない状況に、グウィンは追い込まれていた。
貴族というだけで、豊かな生活を謳歌できた時代は終った。今や、屋敷の維持費や相続税が払えず没落する貴族は、後を絶たない。
目の前に横たわる難題を前に、グウィンは苦しんでいた。ーー先祖代々のバスカヴィル家の土地を己の代で手放さなければならない。両親と弟が愛したあの美しい領地を。墓前で家族にどう言えばいい。
苦渋の決断を迫られていたグウィンに、手を差し伸べたのはセオドアだけだった。
『この縁談を受けていただければ、相続税は私が負担しましょう。貴方は何も手放す必要はないのです』
その甘い言葉に、一も二もなく縋ってしまうほど、グウィンは追い詰められていた。
その時は、相手の少女のことなど頭からすっかり消えていた。後で冷静になった時、新しい頭痛の種ができたことに、グウィンは気づいたのである。
ソフィアの立場からしてみれば、貴族と縁を持つための道具にされたに等しい。
政略結婚とはそういうものだと分かっているが、オールドマン家ほどの資産家の娘なら自分以外にも引く手数多のはず。金のない貴族からすれば、彼女は垂涎の的なのだ。
己が愛想もなければ女性に甘い言葉を囁やくような人種でもない自覚はある。パブリックスクールでも、「グウィンは見た目と中身が合っていない」とよく友人にからかわれていた。
おまけにバスカヴィル家は世間の注目の的。この時期に婚約発表などすれば、ソフィアも記者に追い回されるかもしれない。
ソフィア個人にとっては、メリットのない婚約だった。他の資産家の娘達は、自由に恋愛を楽しんでいると聞く。
これでソフィアがどこにも引き取り手がないほど難のある少女なら、まだ罪悪感を持たずに済んだのだろうが、対面した少女はそうではなかった。
三日前、グウィンと関係を築きたいのだと言った彼女の表情からは、嘘の匂いは感じられなかった。
『お役に立てるよう努力するつもりです』
その言葉通り、彼女はグウィンと向き合おうとしている。食事を一緒に取ろうという言葉は、それを実行しようということだろう。
これでグウィンが誠実にソフィアに向き合うのであればまだ良いのだが、今はそれよりやらねばならないことがある。彼女の為に心を配る余裕はないと、グウィンは思う。
罪悪感なら、あった。
けれどずっと胸の中にある、ぐつぐつと煮えたぎるような思い。目的を遂げるためには、他を犠牲にしてもかまわなかった。
犯人を見つけ出し、正当な裁きを受けさせる。
そう、グウィンは誓っていた。二度と目を開けぬ家族と対面したあの日から、大きな喪失感とともに、犯人への激しい憎悪がグウィンを支配していた。
この三ヶ月、グウィンの心を支えていたのは、相手を殺してやりたいと思うほどの強い憎しみだった。グウィンが自暴自棄にもならず、見た目には落ち着いて見えるのは、ひとえに悲しみや喪失の痛みを凌駕するほどの、激しい感情に突き動かされていたからだ。
本当は自分で犯人に罰を与えたかったが、グウィンの背負っているものの重みが、それをよしとしなかった。
両親が愛した領地と領民を守ること。それを一番に考えねばならない。自らが手を下して、グウィンが牢に入るわけにはいかなかった。
三人も殺していれば、この国の法律では間違いなく死刑になる。警察が捕まえられないなら、自分が犯人を捕らえ、公の場に引きずりだしてやるとグウィンは決意していた。
ーー絞首台に送ってやる。
父と母と弟が味わったのと同じ痛みを犯人に与えねば、この怒りは行き場を失い、腹の中で燻り続けるだろう。それがいつか己の身を滅ぼすほどの猛火になりかねない。
婚約者としては失格だという自覚はある。本来なら、突然の縁談に不安を抱く少女に、もっと配慮すべきだった。ソフィアからしてみれば、グウィンの事情など知ったことではないだろう。
だから、犯人を捕まえた後に、ソフィアにはいくらでも謝るつもりだった。
まさか体調を崩すほど、この縁談が嫌だったのだろうか。己の至らなさに苦々しくなりながら応接間に戻ると、床に蹲っていたソフィアが、グウィン達の方を振り返った。
「お嬢様! 大丈夫ですか」
グウィンが口を開くより早く、従者が血相を変えてソフィアの元へと駆け寄る。
「ええ、平気よ。体調が悪くて蹲っていたわけじゃないの」
心配する従者に支えられながら立ち上がると、ソフィアは苦笑した。
「びっくりさせて、ごめんなさい」
ばつが悪そうに顔を向けたソフィアに、「体調が悪いなら、横になる部屋を用意させるが」とグウィンが声をかける。
グウィンの申し出をゆるく首を振って、ソフィアは断った。
「今日はもう帰るから、大丈夫」
そう言うと、ソフィアは持参したバスケットを手にとり、帰り支度をはじめる。テーブルに広げた菓子の残りを仕舞いながら、ソフィアは部屋の一点にちらちらと視線を送っている。不思議に思ったグウィンがその視線の先を辿るが、代わり映えの無い部屋の様子が目に映るだけだった。
何かあるのだろうかとグウィンは首をひねるが、答えは見つからなかった。
見送りをする為、玄関ホールまでついてきたグウィンに、躊躇いがちにソフィアは問いかけた。
「あの、ひとつ聞いてもいい?」
歯切れの悪いソフィアに、グウィンは目を細める。
「なんだ」
「その……弟さんの名前は、なんていうの?」
その問いに、グウィンの顔は険しくなった。
なぜそんなことを聞くのかと、探るようにソフィアを見れば、彼女はひたすら居心地悪そうにしている。グウィンの顔色をうかがうソフィアは、不安げだった。
興味本位で聞いているわけではなさそうだったが、彼女の意図は表情からは読み取れない。
グウィンはひとつ息を吐いて、口を開いた。
「ジョエルだ」
ジョエル、とソフィアはグウィンの言葉を小さく繰り返す。それ以上ソフィアはジョエルの事を尋ねることなく、別れの挨拶を口にした。
「じゃあ、また」
そう言った後も、なぜかソフィアは玄関から動かず、迷うようにグウィンの顔を見ている。何かを言いかけて、言葉に詰まるソフィアに、グウィンは眉を寄せた。
「どうした。挙動不審だぞ」
言いたいことがあるなら言えと、先を促すが、最後まで迷った末「また今度にする」とソフィアは言った。
バスカヴィル邸を後にするソフィアの顔が、暗く沈んでいたことに気づくことはできず、グウィンはその背中を見送ったのだった。