社交クラブ
登場人物が増えてきましたので、人物紹介一覧を作りました。誰か分からなくなった場合に、お使いください。
レイモンドがフェラー家を訪れたのと同日。ライアンは早朝から新市街にある邸宅を訪れていた。
ここで、ある集まりが開かれているからだ。
社交クラブ。
男達の社交場である。基本的には趣味趣向を同じくする仲間同士のたまり場。政治談義にはじまり、科学、芸術、時には猥談まで葉巻とコーヒー、夜は酒とともに語らう。一人になりたいなら、会話に加わらなくてもかまわない。新聞を読んだり、思索にふけったり、クラブのメンバーはそれぞれ思い思いに時間を過ごすのだ。
『フロド・クラブ』という設立者の名をとって名付けられたこのクラブは、表向き芸術を愛する者達が集う紳士クラブである。だが、内実は違う。
夜になると、ここは賭博場へと変わるのだ。
ライアンは入口に立つ見張りの男に目線だけで軽く挨拶をすると、中に足を踏み入れる。見張りには金を握らせている。呼び止められる事はなかった。
部屋に入ると途端、もわっとした強い煙草の臭いが鼻をつく。
煙でうっすらと白くなった部屋をライアンは素早く見渡した。部屋の奥にある4つの卓で、夜を徹して男達がカードに興じている。そこから少しだけ離れた場所に、食事の置かれたテーブルや一人掛け用のソファが用意されていた。
目的の人物がいることを確認すると、ライアンは話が聞こえるぎりぎりの位置に腰を落ち着け、持っていた新聞紙を開いた。
耳をそばだてて、会話を拾う。
「バスカヴィル卿、今回は運がありませんでしたな」
「たまには、こういう日もあります。次は勝たせてもらいますよ」
平静を装っているものの、声に滲む悔しさは隠しきれない。オズワルドの目の前に座るベンサムは、「では次の機会を楽しみにしましょう」と笑った。
新聞に顔を向けたまま、横目で卓の上を確認する。視線を走らせれば、オズワルドの前からは賭け金代わりのチップがほとんど消えていた。
ーー悪くない。
どうやらベンサムは上手いことやっているようだ。レイモンドがレーヴ家でまいた種が着実に芽を出している事を確認すると、再び新聞へと視線を戻した。
ーーレイモンドの言っていた通りになったな。
ベンサム・バノンはポーカー狂い。その呼び名は、彼のもう一つの顔を隠すための隠れ蓑に過ぎない。ベンサムは自らの身分を利用して相手をカード賭博に誘っては、イカサマにかけるペテン師なのだ。
ペテンにかけられた相手は、騙されたことにさえ気づかない。実に巧妙に、ベンサムは狙った獲物から金を巻き上げる。
時に小さな勝利を与え、相手をギャンブル漬けにするのも彼の手法である。
このベンサムの不正を調べ上げたのは、ライアンである。
裕福な子爵の別の顔。
次の獲物を探しているこの男の前にオズワルドという餌をぶら下げる、というのがレイモンドとともに立てた計画だった。
その為の布石は打った。
二人が出会う前から、人を使ってオズワルドの噂話をベンサムの耳に入れていたのだ。
即ち「バスカヴィル伯爵はかなりのギャンブル好き」という噂である。爵位を継いでからは控えているものの、元々は無類のギャンブル好きなのだと。事実である。
プライドが高く、のめり込みやすい割りに、自制心は足りない。オズワルドの性格も、それとなく耳に入れた。
そして2週間前、パトリック・レーヴの屋敷から戻って来たレイモンドはライアンに告げた。種を撒いた、と。
『後は、何もしなくていい』
『何も?』
『ああ。ベンサムがオズワルドをはめるまでは、動かない』
ーー今は、まだ。
オズワルドとベンサム。どちらも本来であればレーヴ家に招かれるような人間ではない。二人を引き合わせたのは、レイモンドだ。
レイモンドの読み通りの展開になっていることに、ライアンは内心舌を巻いた。彼の言うとおり、オズワルドは再びギャンブルに手を出すようになったのだ。
『あの男は自分に甘い。禁欲生活から一度でも解き放たれれば、そうそう自制できる奴じゃないさ』
今、レイモンドの言った通りになっている。そういえば、とライアンは思い出した。出会ったばかりの頃から、レイモンドは人の心を読むのが得意だったなと。
『お前、名は?』
『ーーレイモンドだ』
貧民街で出会った、汚らしい格好の少年。ぎらぎらと探るようにライアンを見つめていたあの目を今でもはっきりと思い出せる。その時は自分も人の事を笑えぬ程みすぼらしかったけれど。あの頃から、レイモンドは妙に勘の鋭いところがあった。
思えば、自分もレイモンドも随分と遠い場所に来てしまった。
ふと思い出に浸っていることに気づいて、ライアンは立ち上がった。ここでの用はもう済んだ。まだ今日は、やるべき事が残っている。
***
この日、ソフィアは昼を過ぎてから外出した。聖堂に行って、協力してくれる死者を探すためだ。
ルイスとロザリーという二人の死者を見送ってから、アルマ以外に協力してくれる死者はいない。レイモンドのことがあって、そこまで気が回らなかったのだ。
レイモンドの事は、結局両親に打ち明けた。ーーレイモンドはグウィンと同一人物ではないか。その憶測を告げるのは、幾分勇気が必要だった。証拠は何もない。グウィンに執着するソフィアの思い込みだと、そう取られる可能性は否定できない。のめり込みすぎだと、心配する両親の顔が思い浮かぶ。きっとまた、二人には迷惑をかけるだろう。
そう思いはしたけれど、もう隠し事はしないと約束したから。自分の小さな臆病心は奥へと押しやった。
ソフィアが口にした言葉を、二人はことのほか真剣に聞いてくれた。話しを聞き終えて、セオドアが口にしたのは、社交界に出回っている噂の真偽についてだった。
『本当にあのマックスウェル家の人間なのか、調べてみる価値はあるな』
少し時間はかかるだろうが、と言ったセオドアをソフィアはじっと見つめる。
『私の言っていることは、おかしいでしょうか』
『まだ憶測の段階だとソフィアもわかっているだろう? なら、別におかしな事だとは思わんさ』
『ちゃんと私たちに伝えてくれて安心したわ。隠される方が心配するもの』
ダイアナの目が優しく細められている。それを目にして安心したのか、ソフィアの肩から力がぬけた。良かった。話したのは、間違いではなかった。
『その青年の事は、私の方で調べてみよう』
いいね? と目線で念を押したセオドアに、ソフィアはゆっくりと頷いた。
それが、1週間前のやりとりである。まだ、セオドアからは調査結果についての話はない。外国の調査だ。それなりに時間がかかるのだと分かってはいても、つい気が急いてしまう。
「お嬢様、どうされました?」
そう話しかけられて、声のする方へ顔を向ける。見れば御者が心配顔で馬車の中を覗き込んでいた。いけない。また考え事をしていたらしい。
「ちょっとぼうっとしてただけ。着いたのね」
ありがとうと礼を言って馬車を下りると、聖堂の扉をあける。これまで何度も足を運んで来たここは、ソフィアにとって馴染みの深い場所になっていた。
天井の高い聖堂の中は、今日は人がまばらだった。
15列程の長椅子が、主祭壇の上部に位置する女神像を見上げるように左右対称に並んでいる。そこに祈りを捧げる人々がぱらぱらと散らばって座っていた。
ソフィアは祭壇に向かってゆっくりと歩みを進めた。祈りを捧げる人々は、ソフィアには目もくれない。それでも不自然に思われない程度に気をつけて、この場にいる人々の足元に視線を送っていく。影がないか、確認するためだ。
全員に影があることを確認すると、ソフィアは最前列に腰を下ろして、目を閉じた。この場に死者はいなかったが、すぐに帰るのはあまりに不信心だと思ったからだ。
ソフィア自身も一通り祈りを捧げた後で、ようやく立ち上がる。
側廊を通って入り口につくと、扉の前で待っていたライオネル達に声をかけた。
「帰る前にちょっとだけ、寄り道をしてもかまわない?」
久しぶりに行きたい場所があったのだ。完全にソフィアの気分転換が目的だったが、ライオネルは笑顔で「勿論ですとも」と頷いた。
向かったのは、エルドの大通りである。日中、数キロに渡って露店が隙間なく並ぶこの場所は、とかく人が多い。
周りの令嬢たちはあまりこういった露店街に来ることはないと聞くが、ソフィアはこの活気に溢れた雰囲気が好きだった。
近くに馬車を停めて、ぶらぶらと歩いてまわる。品物が見たいというより、ここで働く人々の姿を見たかった。時折、生命力に溢れたこの場所に、無性に来たくなるのだ。
「ほらほら、そこのお嬢ちゃん! あんたにぴったりの髪飾りがあるよ!」
威勢のいい声に、ソフィアは歩みを止めた。呼び止めたのは、40歳くらいの肉づきのいい女性である。体も大きいが、声も大きい。ソフィアはその場にしゃがみこむと、女主人の前に並べられた髪飾りに視線を落とした。
「可愛いわ」
「だろう? 今なら安くしとくよ」
「これは全部、ご自身で作ったんですか?」
「そうさ。こんななりでも細かい仕事は得意だからね」
その言葉に、ソフィアはもう一度並べられた髪飾りをゆっくりと見ていく。青いガラスがはめられた、繊細な意匠の髪飾りを一つ手に取ると、ソフィアはそれを女性に差し出して微笑んだ。
「これにします」
髪飾りが売れて、彼女のふくふくとした顔が、さらに満面の笑みになる。支払いを済ませて髪飾りを受け取ると、再び散策の為に立ち上がった。
と、そこで異変が起きた。
目の前にいた一人の老人がふらふらとおぼつかない足取りになったかと思うと、突然蹲って動かなくなったのだ。驚いて、思わず駆け寄る。
「大丈夫ですか? どこか具合でも?」
「……少し目眩がしてね」
「大変だわ。医者を呼んできましょうか?」
「いや、少し休めば回復するだろう。その先の店で連れと合流する予定なのだ。申し訳ないが、肩を貸してもらえるだろうか?」
「ええ。勿論」
ソフィアが老人の体を支えようとすると、それを制するようにライオネル達が割って入った。「ここは我々が」と言う護衛達に、ソフィアは首を振る。目の前の老人は小柄でひどく痩せていて、ソフィアでも問題ないだろうと思ったからだ。
そわそわと落ち着かない様子の護衛達に、少しだけ申し訳ない気持ちになりながら、ソフィアは待ち合わせ場所だという喫茶店まで彼を連れて行った。連れの男性は待ち合わせ場所に先に着いていたようで、老人のぐったりした様子を見るなり血相を変えた。
「旦那様! どうされたのです!」
「ニール。少しふらついただけだ。こちらのお嬢さんに助けていただいた」
「これは、旦那様を助けていただいてありがとうございます」
「いえ、早めにお休みになってくださいね」
連れの男性は家族には見えない。この様子からするとこの老人は、どこかの店のご隠居さんかもしれないなとソフィアは思った。
じゃあ私達はこれで、と早々に店を出ようとすると、その背中に声がかかった。
「お嬢さん」
振り向けば、老人がこちらへ顔を向けている。
「また、お会いしましょう」
その言葉に何か含みを感じて、ソフィアは小首を傾げた。ただの社交辞令だろうか。結局その言葉の真意を掴めないまま、ソフィアは少し戸惑った表情で「はい」とひとつ頷いた。
そのままライオネル達とともに店を出る。また次に会う機会などあるのだろうか、という疑問を残して。
ソフィア達4人がいなくなった後で、ニールと呼ばれた男が口を開いた。その口調には、やや非難めいた色が含まれている。
「……ロムシェル様、お遊びが過ぎます」
「小さいことを言うな。老人の些細な楽しみを奪わんでくれ」
「……差し出がましい口を聞いて申し訳ありません。それで、いかがでしたか?」
「流石に時間が短すぎて分からんな」
くつくつと楽しげに笑うと、ロムシェルは呟いた。
「あれが、あの若造の秘蔵っ子か」
セオドア・オールドマン。ロムシェルにとり、もはや無視できぬ程邪魔な存在だ。せっかく東部の覇権を握ったというのに、まるで意に介さないかのようにオールドマン家は資産を増やし、会社は成長を続けている。
ロムシェルとて手をこまねいていたわけではない。何度かセントラル鉄道に間者を送り込んだものの、何故かことごとく失敗していた。
まるで壁に目があるかのように、スパイがボロボロと見つかってしまうのだ。内部の人間を寝返らせても、結果は同じだった。
何かが、おかしい。失敗が続くうちに、ロムシェルの胸にある疑念が湧き上がった。ーー何か、からくりがあるのではないか。だが、スパイを見つけるからくりとは一体どのようなものなのか。
答えがわからぬまま数年が経った頃、ロムシェルの疑問に光を差すような証言を得た。
『オールドマン家の末娘は、何か特別な情報源を持っているようだ』
マシューという男がロムシェルに話したのは、奇妙な内容だった。その娘に頼めば知りたい情報を、報酬と引き換えに何であれ調べてくれるのだという。その情報の精度の高さは、他に類を見ない。
『今は、もうやっていないがね。セオドアに見つかったんだろう』
話を聞いても尚、何故そんなことが十代の娘に可能なのかまるで分からなかったが、真実は時に信じがたいような形をとるということを、ロムシェルは知っている。
「また会える日が楽しみだ」
新しいおもちゃに嬉々としてはしゃぐ主人を見て、ニールはそっと溜息を漏らした。