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邂逅

 この日アリシアがその道を通ったのは、訪問していた友人宅から帰るためだった。

 途中、馬車が道路にできた窪みにはまり動けなくなったのは、運が悪かった。その瞬間ガタンと大きく傾いで、馬車は停止した。


「お嬢様、お怪我はございませんか!」


 青い顔で馬車の扉を開けた老御者に、こくこくと頷く。


「平気よ。それより馬車はどうしたの?」

「どうも昨日降った雨のせいで、ぬかるみができていたようでして」


 なんとかしますのでしばしお待ちを、と言った御者に馬車に乗ったまま「わかったわ」と応じる。外を見れば夕日が西の空を染め上げている。

 思わぬ事態に驚きながらも、アリシアは楽観的だった。きっとすぐに御者がなんとかしてくれるだろう。気長に待ってもかまわない。

 そう思いながら、ふっと思い出したように笑みがこぼれた。


 ーーなんだかレイと会った日と似てるわ。


 思い出したのは、2ヶ月前。レイモンドと出会った日のことだ。その日アリシアの乗った馬車が異常な軋み音を発して道でとまったのを、助けてくれたのがレイモンドであった。


『夜になるとこの辺りは危険だ。手を貸しましょう』


 馬車から降りていたアリシアと御者を目にして、心配してくれたのだろう。

 わざわざ道端に馬車をとめ、手を貸してくれたのは、見ず知らずの青年だった。くっきりとした二重の目元に、さらさらと流れる赤毛。ひと目見て、青年の際立った容貌に驚く。彼はこれまでアリシアが出会った誰よりも美しい青年だった。上背がある恵まれた体格は鍛えられ、引き締まっているのが服の上からでも分かる。

 

『ご親切に感謝します』


 年老いたアリシアの御者がそう礼を言う間、青年の姿に見惚れてしまう。

 御者に指示を出しながら、彼自身も馬車に異常がないか調べてくれているのを見て、なんて親切な人だろうとアリシアは感心した。知らない人間に、こんなに親身になってくれるなんて。顔が美しいだけじゃないのだわ。

 ほどなくして車輪の外周に巻かれたゴムの一部が切れているのが見つかり、このまま乗るのは危険だからと、彼は自らの馬車でアリシアを家まで送ることを申し出た。


『でも……』


 見ず知らずの男性の馬車に乗ることを躊躇うアリシアに、青年は優しい笑みを浮かべる。


『勿論、貴女の御者も一緒に送っていきますよ。それでも他人の馬車に乗るのが心配でしたら、私の従者を貴女の家まで遣りますから、迎えを頼みましょう』


 家の者を呼んでくるという青年の言葉に、アリシアもそれならばと気を緩めた。口元に僅かに微笑を浮かべて、アリシアは頷く。


『それなら、お願いできますか? ごめんなさい。助けてもらった上に、無理を言うみたいで』

『かまいませんよ。では早速人を遣りましょう。ーーライアン!』


 その声に反応して、路端にとめおかれた馬車の傍に立っていた人物が、こちらへ歩み寄ってくる。

 視線の先にいたのは、黒目黒髪の青年だった。歳はアリシアとさして変わらないだろうと思われる。近くまで来て、アリシアはまた驚いてしまった。彼もまた、赤毛の青年に劣らぬ整った顔立ちをしていたからだ。滅多にいない美青年二人。一体彼らはどういう人達なのだろう?


『お呼びですか』

『この女性の家まで行って、人を呼んできてくれるか? 迎えの馬車を寄越すように伝えて欲しい』

『かしこまりました。レイモンド様はどうされるのです?』

『お前が戻ってくるまでここで待っているよ。馬を使っていい』


 黒髪の青年はちらっとアリシアに一瞥を寄越すと、そのまま無言で頷いた。御者からアリシアの自宅の場所を聞き出すと、手早く2頭立て馬車から1頭を外し、そのまま馬に飛び乗って駆け出す。見事な手綱捌きだった。


『ライアンが戻ってくるまでしばらく待ちましょう』

『ええ』


 ライアンという青年が戻ってくるまでの時間は、ほんの一瞬に感じられた。レイモンド・マックスウェルと名乗った青年は、優しく紳士的で、男性に免疫のないアリシアがこれまでになく楽しいと感じるほど魅力に溢れた青年だった。話していると、あっという間に時が過ぎてしまう。

 身なりもよく、礼儀正しく。ライアンが戻って来た時には、既に彼に夢中になっていた。


『今度、絶対にお礼をさせてくださいね』

『そんなことは気にしなくていいんですよ』

『駄目です! お礼をしなければ私の気がすまないもの』


 迎えの馬車に乗り込む直前、必死に次の約束を取り付けようとそう言うと、レイモンドは笑いながら頷いた。


『では、お言葉に甘えてーー』


 それが、はじまり。その後何度か会ううちに、レイモンドとは友人関係になった。彼がマックスウェル家の御曹司と噂されていると知ったのは、もっと後になってからだ。今ではアリシアの方は友達以上の関係になりたいと望んでいるが、焦りは禁物だった。レイモンドを狙う女性は多い。財産目当ての女達と同じだと、レイモンドに思われたくなかった。

 出会った頃の思い出に浸っていると、外で人の話し声がするのが耳に入る。どうやら通りすがりの人が手を貸してくれているらしい。


 ーーこんなところまで似ているなんて。

 

 すごい偶然もあるものだ。御者から「通りすがりの方に助けていただきました」と聞いて、馬車を降りて礼を口にする。

 と、そこで固まった。

 目の前に立っていたのは金褐色の髪を持つ優しげな顔立ちの女性。ソフィア・オールドマンという名を知ったのは、つい2週間前のこと。

 夜会の翌日、会場にいた友人の一人が「レイモンド様を狙っているに違いないわ。夜会での一件だって、きっと気を引くためにわざとやったのよ」と、忠告混じりにその名を教えてくれたのだ。


「先日の夜会でお会いしましたね」


 覚えておられないかもしれませんが、とソフィアは少し困った顔でそう言った。どう反応すればいいのか分からず、アリシアの声は自然と小さくなる。


「……覚えています」


 忘れられるはずがない。あんなに必死な顔でレイモンドに声をかけた女性は、彼女が初めてだったのだから。思わず二人の間に何かあったのかと、勘ぐったぐらいだ。

 

「そうですか」


 今度ははっきりと、ソフィアは苦笑した。先日の己の振る舞いを恥じているのかもしれない。確かに女性があんなに大胆に男性に声をかけるのは珍しい。

 居心地が悪いのはむしろ彼女の方かもと思い直して、目の前の女性に目を向ける勇気が持てた。アリシアより背の高い、朗らかな印象を受ける人だった。シンプルな型のドレスが、ほっそりとした肢体を際立たせている。

 歳はアリシアと同じと聞いたが、彼女の方がずっと大人びているように見えた。急に己の若草色のドレスがひどく子供っぽく思えてくる。

 困った顔で微笑みながらも、アリシアを見つめ返すソフィアの瞳は真っすぐだった。目を合わせて逸らさないのが、人と話す時の彼女の癖なのだろう。

 吸い込まれるような不思議な色合いの瞳に見つめられ、アリシアはどぎまぎした。

 嫌だな、と思う。


 ーー彼女、きっといい人だわ。


 こんな風に知らない人間を助けるのは。友人達が口さがなく悪く言うような、レイモンドの財産を狙うしたたかな女性とはとても思えない。

 だからこそ、嫌だった。

 レイモンドを取られるのでは、といういいしれない不安を覚えるから。彼は顔の美醜で女性の扱いを変えるような人じゃない。それを知っているから、どんなに妖艶な美女が彼に秋波を送ろうとも安心していられた。

 でもいい人なのは困る。レイモンドが惹かれてしまうかもしれない。


 ーーだってあの時、レイは緊張してた。


 あの夜会の日。会場を出たレイモンドが緊張を解くように僅かに嘆息したのを、アリシアは知っている。きっとレイモンド自身でさえ、そのことに気づいてはいないけれど。ずっと彼にばかり意識を向けていたから、気づいてしまった。ソフィアと話す間、その拳が強く握られていたことにも。

 後から知り合いなのかと尋ねたアリシアに、「いや、知らない人だよ」と柔らかく笑ったレイモンドの顔に、嘘は感じられなかったけれど。


 ーー本当に二人は知り合いじゃないのかな。


 不安だった。けれど理不尽に目の前の女性を嫌うのは、もっと嫌だった。こんな醜い嫉妬をしていると知られたら、きっとレイモンドに嫌われてしまう。

 もうこれ以上この場にいたくなくて、アリシアは早々に切り上げることにした。


「本当にありがとうございました。……すみません。急いでいるので、これで」

「……はい。お気をつけて」


 再び馬車に乗り込むと、早く出すよう御者に告げる。ゆっくりと馬車が動き出して、アリシアはほっとした。


 ーー早くお父様に会わせよう。


 レイモンドが以前、父に挨拶をしたいと言っていたのを思い出す。夜会のエスコートをやんわりとねだったアリシアに、「どんな男がエスコートするのか、きっと心配されるはずだから」とそう言っていた。

 その時は、アリシアを溺愛する父がどう思うか不安で、断ってしまったけれど。もっと親密な関係を望むなら、家族にレイモンドを紹介するべきだ。

 あまり悠長にしてはいられない。途中から割り込んできた女性に、横から奪われるはまっぴらだった。


 ーー大丈夫。きっと上手くいくわ。


 レイモンドはいつだって笑顔でアリシアのわがままを聞いてくれるのだから。彼が一番に特別視しているのは、自分だという自信はある。そう思うと、少しだけ心が安らいだ。

 期待と焦りを同時に感じながら、アリシアは家路についたのだった。

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