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国立図書館

 翌日、ソフィアは屋敷の庭で考え事をして過ごしていた。グウィンの事を忘れろというレイモンドの言葉が、何度も繰り返し思い出された。


 ーーなぜ、あんな事を言ったのかしら。


 本当にグウィンと無関係であるのなら。それとも、ただの一般論だろうか。庭の樫の木にもたれかかって、空を見上げていたソフィアに、呆れたような声がかかる。


「そんなに気になるなら、私が調べてあげるわよ」

「アルマ」


 ソフィアの横に並んで座るアルマは首を少しだけ傾けて、こちらに顔を向けている。


「夜会から帰ってきてから変よ、ソフィア。ずっとぼんやりして。悩むくらいならさっさと調べてすっきりした方がいいんじゃない?」

「駄目よ。それに、お父様もお母様も許さないわ」


 アルマの提案に、頭をゆるく振って応じる。


 ーーむやみに他人の私生活をのぞいてはいけない。


 それが16の時、ソフィアが両親と交わした約束だった。

 その約束の意味が、今ならソフィアにもよく分かる。

 人の抱える秘密を暴く。

 この力は麻薬のようだと、時折思う。知れば知るほど、この力の魅力に取り憑かれそうになるからだ。昔はあれほど、厭うていた力なのに。


『誰かの秘密をのぞき見るという事は、許可も得ずにその人の心に踏み込む事と同じよ。その能力の凄さは、死者の姿が見えない私にも想像がつくわ。分かるわね、ソフィー。あなたはその力の持つ誘惑に勝たなければならないわ』

 

 2年前、ダイアナは噛んで含めるようにそう言った。ぎゅっとソフィアの両手を握りしめる母の顔は、いつになく真剣だった。力が入っているのか、握ったその手が白い。

 

『よく聞いて。私はソフィーが幸せになるなら、グウィン君が見つからなくてもいいと思ってるわ』

『お母様、それは……』

『冷たいと思う? 私にとっては、あなたの幸せの方がずっと大事よ。あなたがグウィン君探しにのめり込んで、自分を見失うのが恐いの』


 ダイアナを見つめ返す灰色の瞳が揺れる。そっと右手をソフィアの頬にあて、ダイアナはその不思議な色の瞳をのぞき込んだ。

 

『あなたのその瞳は、普通の人が持たないものよ。その力を使えば、誰も朝目覚める時から眠りにつくまで、隠し事ができない。知りたい相手の生活を、全て知ることができる。けれど逆の立場だったとして、ソフィーは誰かに自分の私生活をのぞかれることに耐えられる?』


 その言葉に、ソフィアは首を振った。自分だったら、誰かにずっと監視されているような生活には耐えられない。かつて死者に昼夜を問わずつきまとわれた経験のあるソフィアには、その不快さが理解できた。

 好きな人間の本心を知ることも、嫌いな相手の弱みを握ることも、この力を使えば簡単にできてしまう。だからこそこの力に溺れぬよう、努力が必要だった。


『その感覚を失わないで。生きていくのに、その力は必要ないわ』

『ーーはい』


 事件に関わっているという明確な証拠がない限り、他人の私生活を調べないこと。誰かの事を調べる際は、事前に両親の許可を得ること。この2年、ソフィアが守り続けてきた両親との約束である。

 結果的に死者達への依頼は、運輸省内部の調査や、広大なシュタールでの地道な人探しが中心になった。グウィンを追い続けたいソフィアの意思と、力に依存することを恐れる両親の懸念との妥協点がそこだったのだ。

 オールドマン家の為に力を使う機会も、結局この2年間で数回だけ。いずれも不法行為に手を染めていた人間や産業スパイを見つける為で、余程のことがない限りセオドアはソフィアの力を頼らなかった。 


 申し出を断ったソフィアに、アルマは不満そうな顔になる。


「ソフィアは、その人がグウィン様かどうか気にならないの?」

「気になるわ。今だってまだ、彼がグウィンかもと思ってる」


 でも駄目なの、とソフィアは言った。

 実際、この力の恩恵に気づいてからの誘惑は凄まじかった。

 誰も彼もを調べたいと思ってしまう。

 疑わしい人間全員に張り付いて四六時中監視を続ければ、すぐにでも手がかりが見つかるのではないか。あらゆる出来事を関連付けて、死者の力に頼りたくなる。

 今だってそうだ。レイモンドの事を知りたい。アルマに頼んでしまおうか。

 だが一度箍が外れれば、もう戻れないという予感があった。成長した今は、余計にそう思う。自分で引いた一線を越えれば、そのうち歯止めが効かなくなる。

 ソフィアの答えはアルマのかんに障ったようだった。


「そんな甘いこと言っていていいわけ? 目的の為には手段を選んでなんていられないんじゃないの。そんなだから、いつまでたってもグウィン様を見つけられないのよ」


 私なら目的を果たす為に何だってするわよ、とアルマは苛立ちを抑えきれないように声を荒げた。

 親しくなってからもアルマは時々、こんな顔をする。こういう時、ソフィアは彼女の中に燃え続ける復讐の炎を垣間見るのだった。その激しさに、ヒヤリとすることがある。


 ーー多分、初めて会った頃を思い出すからだわ。

 

 虚ろな瞳で「復讐に協力しろ」とソフィアに迫ったあの頃を。

 アルマの中には夜叉がいる。

 彼女が未だに現世に留まっている事が、その復讐心の強さを物語っていた。


「ソフィアの覚悟は生ぬるいのよ。見ていてイライラする」

 

 叩きつけるようにそう言って立ち上がると、アルマはソフィアに背を向けて歩き出す。


「どこへ行くの」

「私は私で、目的の為に動くのよ」


 振り返ることなく手を振って、アルマは行ってしまった。どうやら相当機嫌を損ねてしまったらしい。ふう、と息をひとつ吐き出してソフィアも立ち上がった。ドレスについた土をはらう。この程度のことで、落ち込んではいられない。


 ーー私には、私のやり方がある。


 屋敷の中に入って、その足で護衛の控室へと向かう。3度ノックをした後で、扉の中からライオネルが顔を出した。


「おや、お嬢様。お出かけですか」

「ええ。悪いけれど、ついてきてもらえる?」

 

 頼んだのは、国立図書館までの護衛である。別の視点から、レイモンドについて調べてみることにしたのだ。マックスウェル家と繋がりがあるというあの噂が真実なら、ティトラの社交界でもその名は当然知られているはず。

 そう考えて、ティトラの新聞記事をあたろうと思いついたのだった。別大陸の情報など、そうそう手に入るものではない。唯一、国内では国立図書館が世界各地の書物や新聞を取り寄せているはずだった。

 屋敷から30分ほどの距離を馬車に揺られながら、ぼんやりと外の風景を眺める。まもなく新緑の季節。柔らかい日差しが、窓から差し込んで、ソフィアの手の上でゆらゆらと揺れている。春はグウィンと過ごした季節だった。長い人生において、ほんの一瞬の短い期間。けれどその時間が、ソフィアの全てを変えてしまった。


 ーーグウィンは私に会いたいと思ってくれている?


 その問いに答えてくれる声はない。もしグウィンが生きているのなら、なぜ会いに来てくれないのだろう。そう一度ならず考えたことはある。


『探しているのに見つからないのなら、彼の方は貴女に会いたくないのかもしれない』


 あの言葉がずっと頭にこびりついている。

 窓から差し込む光を掌で遊ばせていると、やがて馬車が静かに図書館の前で止まった。


「ありがとう」


 扉を開けた御者に礼を言って、図書館へと足を踏み入れる。図書館の正式名称を、エルドリアン国立図書館という。250年前に建てられた、歴史ある石造りの建造物。

 元々はエルド大学の学生と職員にのみ利用資格があった大学付属の図書館であったが、20年前から法定納本図書館として国内で出版された文献の全てを蔵書する国営図書館となっている。100万点以上の蔵書を有するこの場所は、シュタールの知の保管庫といえた。

 手続きを踏めば市民も利用可能で、ソフィアも度々足を運ぶ場所である。

 窓口の男性に、ティトラの新聞はないかと尋ねると、彼は「地下書庫に行くといい」と丁寧に教えてくれた。


 地下書庫に置かれたティトラの新聞はわずか1紙だけだったが、贅沢はいえない。ソフィアは書庫に隣接する閲覧室で誰もいないテーブルを選んで腰を下ろすと、5年前からの記事を丹念に調べていった。

 ライオネル達護衛は、遠すぎない距離で見守っている。その姿をちらりと目の端に入れながら、ソフィアは目の前の新聞に視線を落とした。

 それから約4時間。閉館時間ぎりぎりまで粘ったソフィアが知ったのは、マックスウェル家の想像以上の事業の手広さだった。社交欄目当てで見ていたが、経済欄で何度もその家名を目にする。一代で世界屈指の巨大企業に成長させたメイソン・マックスウェル。新世代の富裕層が集まるティトラにおいてでさえ、群を抜いた成功者である。

 世界的富豪でありながら、その私生活は謎めいている。

 唯一社交欄にその名を見つけたのは、3年前の日付。メイソンが養子縁組をしたことを報じるわずか三行の記事である。ソフィアはその記事の一字一句を、暗記するほど読み返した。

 子供のいないメイソンが15歳の少年と養子縁組をしたと、記事は伝えていた。彼がメイソンの後継者となるだろう、との一文で結ばれている。少年の名は、記事にはない。


 ーー15歳。


 今18ならば、グウィンの年齢とも、レイモンドの年齢とも一致する。


 ーー私はまた、考えすぎだろうか。


 この記事だけで判断することはできない。そう分かっていても、グウィンとの共通項を見つけるとついつい深読みしてしまう。

 時間も忘れて没頭していたが、ソフィアの傍に立つ護衛の1人が、ちらりと壁掛けの時計を気にする素振りを見せたため、広げた新聞紙をまとめる。あと少しで暗くなる。そろそろ帰らねば。窓口で礼を言って新聞を戻したソフィアに、ライオネルが口を開いた。


「もう、よろしいので?」

「大丈夫。付き合ってくれてありがとう」


 図書館を出ると、すっかり陽が傾いている。夕闇が周囲に満ちて、西の空が赤々と染まっていた。

 馬車が走り出して10分程窓の外を眺めていると、視線の先に一台の馬車が立ち往生しているのが目に入った。


 御者が懸命に後方の車輪を押している。見れば道端の窪みに車輪がはまり、動けなくなったようだった。


「止めてちょうだい!」


 御者に聞こえるよう声を張り上げると、すみやかに馬車が止まった。馬車から降りて、馬に乗って並走していた護衛達に顔を向ける。


「ごめんなさい。あの馬車を助けるのに手を貸してもらえる?」


 もうまもなくこのあたりは真っ暗になる。新市街へ続くこの街道は、昼間は人通りも多く安全だが、夜になると灯りもなく危険な場所に変わるのだ。ライオネル達は素早く相手の御者に話しかけると、声を合わせて馬車を押す。4人の男達の手によって、あっさりと車輪は窪みから抜け出た。

 ほっとした顔でソフィアに礼を言う御者の男性に、「礼ならば彼らに」とソフィアは自らの護衛達に顔を向ける。御者の男性は何度も頭を下げた後、馬車の扉に手をかけた。中に乗る人物に「通りすがりの方に助けていただきました」と説明をしている。その御者の言葉に、馬車の中から「私からもお礼を言いたいわ」という可愛らしい声がした。どうやら馬車に乗っていたのは、若い女性のようだ。


「助けてくださって、ありがとうございます」


 そう言って顔を出した人物を見て、ソフィアは目をみはった。ふんわりと揺れる若草色のドレスをまとった、小柄な女性。


「あなたは……」


 相手もソフィアの存在に気づいて、目を丸くしている。馬車から出てきたのは、アリシア・フェラーであった。

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