表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/110

決意の灯

 グウィンが失踪して、半年。

 シュタール国は、冬を迎えていた。比較的温暖な気候のこの国であっても、夜は氷点下まで冷え込み、外へ出れば身を切るような寒さが続く。

 11月に誕生日を迎えたソフィアは、14歳になっていた。どれほどグウィンの姿を探しても、その行方は分からない。忽然と、グウィンは消えた。

 この間のソフィアの心中は、めまぐるしく変わっていた。


 グウィンがいなくなってひと月目は、彼の身に何があったのだろうと狼狽うろたえ、ひどく不安定だった。

 狼狽と混乱の後の二ヶ月目は、最悪の事態を想像して、泣いてばかり。

 それが四ヶ月目に入る頃からは、ソフィアは目に見えて憔悴していた。何をするにも力が入らず、部屋で抜け殻のように過ごす日々。

 この頃になると両親だけでなく、家を出た兄姉達までもが心配して入れ替わり立ち代わりソフィアのもとを訪ねたが、作り笑いすら浮かべることができなかった。それほど弱っていたのだ。

 この間ソフィアから懇願されたセオドアが、グウィンの行方を探っていたが、捗捗はかばかしい成果は得られなかった。セオドアに雇われた者達が成果なく屋敷を後にするのを見送る度、ソフィアの絶望は深くなる。


 グウィンが消息を絶ち、セオドアはますます過保護になっていた。護衛を三人に増やし、外出する際は彼らが常にソフィアに張り付く。

 ソフィアの身辺警護と同時に、彼女がグウィンを探しに行くことを防ぐためでもあった。

 グウィンが失踪した直後、セオドアは言った。「もう事件に関わってはいけない」と。


 ーーグウィン君の行方は私が調べるから、ソフィアはもう関わってはいけないよ。


 ソフィアが危険を冒してグウィンの行方を探しに行くことを、セオドアが何より恐れているのが分かった。セオドアの危惧はわかる。けれどーー。


 ーー私には、何もできないの? お父様はグウィンがどうなったと思っているんだろう。


 その疑問は、口にはできなかった。セオドアの言葉を聞くのが怖い。聞けば、何か決定的な言葉をつきつけられそうで。それが、ソフィアの望まぬ言葉のようで。


 半年が経過するこの頃になると、ソフィアは日がな一日庭で過ごすようになっていた。雇った男達をじりじりと部屋で待つのも、彼らがもたらす情報に一喜一憂するのも、もう疲れてしまったのだ。

 この日も、樫の木にもたれかかってぼんやりしていると、目の前に大きな人影が立った。


「こんにちは」

「……グレグソン警部」


 ロジャーは、グウィンがいなくなった後、度々オールドマン家を訪れるようになっていた。彼は休みの日を使って、グウィンの行方を追っているのだ。


「座ってもよろしいですか?」

「はい……どうぞ」


 ソフィアが頷いて少し横にずれると、ロジャーは彼女の隣に腰を下ろした。はぁーとロジャーが空に向けて吐く息が白い。


「ここは、寒くありませんか」

「……」


 気遣うように優しい声音であったが、その言葉はソフィアの頭をするりと通り抜けた。グウィンについて何を言いに来たのだろうとロジャーを見つめるソフィアは、固唾を呑んで次の言葉を待つ。

 期待と不安に揺れるソフィアの瞳を見て、「平気ならいいんですが」と彼は苦笑した。


「最後に彼が乗った馬車は、どうやらあの近くのものではないようです」


 静かに、ロジャーは口を開いた。


「かなり広範囲に渡って調べましたが、彼を乗せたという御者は、あの一帯にはいませんでした」


 グウィンはパブリックスクール門前で馬車に乗り込む所を目撃されたのを最後に、以降の足どりが分からなくなっていた。


「……そうですか」


 ロジャーが持ってくる調査結果が、今のソフィアが知ることのできる数少ない情報だった。わざわざありがとうございます、とソフィアが言うと、気にするなというようにロジャーは首を振る。


「これからも何か分かった事があれば伝えに来ます。休みの日しか動けないのが、心苦しいのですが」

「そんなことは……あの、ひとつ伺っても?」

「なんでしょう」

「お休みまで使って、グウィンの事を探そうとしてくれるのはなぜですか? それに私に教えてくれるのも。どうして……」


 失踪人はグウィンだけではない。にも関わらず、ロジャーが公休日を使ってまでその足どりを追っているのには、何か理由があるのだろうか。

 ロジャーがオールドマン家に足を踏み入れているということは、すなわちセオドアがそれを許しているということだった。ソフィアを事件に関わらせたくないと口にしているセオドアが、ロジャーの立ち入りを認めているのは、一切の情報を遮断すれば、逆にソフィアの反発心を煽ると考えているからだろう。適度に情報を与えることで、ソフィアがグウィンを自ら探そうとすることを抑止する。ソフィアが納得するぎりぎりのラインで、セオドアは譲歩しているようだった。

 けれどわざわざロジャーがそれを教えに来てくれる理由が、ソフィアには分からない。ソフィアの問いに、ロジャーは前を見たまま口を開いた。


「バスカヴィル卿があれほどまで事件にのめり込んだのは、犯人を捕まえられない我々警察のせいなので。彼の行方を探しているのは、まあ、自己満足みたいなものです」


 そんなことはない、と言おうとして、ソフィアは口をつぐんだ。

 少なからず、ロジャーの言葉には真実が含まれている。


「警察が犯人を捕まえられていれば、彼は自ら犯人を追おうとはしなかったでしょう。彼が追い詰められていたことに、気づいていたのに」


 なのに何もできなかった、という声は悔しげで、ソフィアの顔も自然暗くなる。ロジャーの言葉を聞きながら、ソフィアは思う。


 ーー何もできなかったのは、私も同じだわ。


 一瞬そう考えて、いや違う、とソフィアは自らそれを否定した。

 何もできなかったのではない。何もしなかったのだ。

 あの日。なぜ、グウィンを一人で行かせてしまったのだろう。危険なのは、分かっていたはずなのに。みすみす一人で行かせてしまった。

 ライオネルを無理やり起こしてでも、グウィンについて行ってもらうべきだったのだ。なのにソフィアがした事といえば、ただ彼の無事を祈るだけ。どれほど後悔しても、足りなかった。

 もしまたグウィンに会えたなら、もう二度と一人で行かせはしないのに。


 ーーお願いだから、生きていて。


 なんでもいいから、生きていて欲しかった。唇を噛み、顔をうつむけると、隣からロジャーの落ち着いた声が耳に届く。


「……それからここへ来るのは、彼の帰りを一番に待っているのが、貴女だからですよ」


 そういう人には状況を伝えるべきだと思っています、とロジャーは言った。

 ロジャーのいたわるような声音に、ソフィアはその顔をまじまじと見つめる。その容貌に反し、彼は人情家なのだ。ロジャーは純粋に親切心からオールドマン家に来てくれているのだと、そう素直に信じられた。ロジャーの方へ顔を向けたまま、ソフィアはもう一度礼を言う。


「ありがとうございます。本当に、感謝しています」

「いいのです。今は、バスカヴィル卿の無事を信じましょう」


 その言葉に、ソフィアは真剣な表情で頷いた。


 それから更にひと月が経ち、ソフィアは泣くのをやめた。

 泣いてもグウィンは戻ってこないと、悟ったのだ。


 ーー私にできることは、何?


 このままではグウィンを永遠に失ってしまうという予感を、ソフィアはひしひしと感じていた。周囲の心配は十分に理解していた。もしソフィアに万一の事があったらと、家族は心から心配をしている。けれど、だからといって何もせず、守られているだけでいいのだろうか? ただ受け身で待っていても、グウィンには届かない。たとえどんな真実にたどり着くのだとしても、グウィンの身に何が起こったのか、ソフィアは知りたかった。

 もしそれが、辛く悲しい事実だとしても。


「アルマ」


 アルマの霊がオールドマン家に現れてから、ソフィアははじめてその名を呼んだ。姿は見えずとも、近くにいるはずだった。彼女の声を聞き、姿を見る唯一の存在。アルマが、ソフィアの側から離れるはずがない。


「アルマ、話をしましょう」


 樫の木の下に座りながら、ソフィアは虚空へと言葉を紡ぐ。


「あなたの話を聞くから。だから、出てきて」


 お願いよ、とソフィアは切羽詰まった声音で言った。

 何度か呼びかけを続けていると、後方から声がした。


「そちらへ行っても、いいの?」

「ーー来て」


 振り返らずにソフィアが応じると、やがて後ろから回り込んだアルマが、ソフィアの前に姿を見せる。

 ゆっくりと視線をあげて、ソフィアはその瞳を見つめた。

 

「これまで無視をしてごめんなさい」

「……なぜ私を呼んだの?」

「お願いがあるの」

「お願い?」

「グウィンを探して欲しいの。ーーその代わり、あなたの願いを叶えられるよう協力するから」

「私の願い……」

「ジャック・スミスに、恨みを晴らしたいのでしょう?」


 ソフィアの言葉に、アルマは大きく反応した。らんらんと目が輝き、剣呑な色を帯びる。

 今のソフィアが唯一できることといえば、死者を見るこの力を使うことだけだった。


「私はグウィンを見つけたい。あなたはジャック・スミスに復讐したい。だから、お互いに協力しましょう」


 この時具体的にどうアルマに協力をすればいいのかなど、ソフィアは考えてはいなかった。何ができるのかも分からないまま、ソフィアはアルマに提案していた。

 今の自分に取れる策が、この方法以外に思いつかなかったのだ。死者ならば、普通の人間には調べられない場所にまで行くことができるはずだ。

 ソフィアの言葉に、アルマは頷く。


「いいわ」


 アルマの言葉を聞きながら、ソフィアは静かに決意を固めていた。


 ーー私はもっと強くなる。 


 もう一度グウィンに会えたなら、もう後悔をしなくて済むように。死者に怯え、逃げているだけの己を変えるのだ。ただ守られているだけの、弱い自分はもういらない。

 だからどうかもう一度チャンスを与えてくださいと、ソフィアは願う。もう一度、グウィンに会いたかった。


 ーーグウィン。どこにいるの?


 その問いは、寒空に溶けて消える。グウィンが消えて7ヶ月。胸にともった決意の灯が、ゆっくりとソフィアを変えようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ