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青い炎

 寒い。

 ひどく寒く感じて、グウィンは目覚めた。覚醒とともに、脇腹の痛みがまた襲ってくる。

 馬車に乗せられ移動したところまでは、覚えていた。目を開けた時、その暗さに、夜になったのかと錯覚する。目をならそうとして、一切の光がないことに気がついた。完全なる闇。周囲はひっそりと静まり返り、オズワルドの声も聞こえない。


「誰か!」


 周囲の様子を探ろうと、グウィンは大声を張り上げるが、その呼びかけに反応する者はいなかった。

 もう一度叫ぶも、結果は同じ。


 ーーここはどこだ?


 グウィンが身体をよじると、すぐに背中に硬いものがあたった。手首を縛られたまま腕を伸ばすと、こちらもコンッという音とともに、手に硬いものがあたる感触がした。ごろっと寝返りをうてば、すぐに身体が壁にぶつかる。

 そのことから自分がどこか起き上がれないほど、狭い場所に閉じ込められているのだと分かる。グウィンは焦った。

 このまま誰にも見つからなければ、餓死してしまう。音も光もない世界に、一層恐怖心は増してゆく。ひたひたと忍び寄る死の影を、グウィンは感じていた。

 ドンドンと周囲の壁を身体をねじりながら叩くが、びくともしない。


 ーーとにかく手の縄をほどかなくては。


 ここから逃げようにも、手足を縛られていては何もできない。縄をほどこうとすると肌がこすれて痛みを覚えたが、今はそれどころではなかった。

 何より脇腹の焼けるような痛みに比べれば、手の痛みなど何でもないような気がした。自分の姿さえ見えない状況の中、グウィンは身体を折って靴の中に隠し持っていたナイフを取り出そうと試みる。護身用にと、近頃身につけていたものだ。

 何度か失敗しながらなんとかナイフの柄をつかむと、それを口元へ持っていく。グウィンは柄を歯で咥えて固定した。刃の部分を使って、手首を縛る縄を切ろうというのである。目のきかない中、不自由な身体で縄を切るのは、骨の折れる作業だった。何度も自らの肌を切ってしまい、グウィンは小さくうめく。もしこの時光が差していれば、グウィンの手首が血まみれであったことが分かっただろう。

 極度の緊張とストレスの中で、徐々に身体の痛みに鈍感になっていく。

 しばらくして手首の縄を切ることに成功すると、グウィンは次に足首を縛る縄に取りかかった。手が使えるようになったおかげで、こちらは先程とは比べ物にならないほどあっさりと外すことができる。

 自由になった腕を伸ばして改めて周囲に手を伸ばすと、左右上下どこに手を当てても壁に囲まれているようだった。どうも箱の中に閉じ込められているようだと、グウィンは思う。

 左手とナイフを使いながら壁を押し、刃先で隙間を探る。

 やがて箱の上部と横の壁の間に、僅かな隙間を発見した。ナイフがその部分だけ何もないかのように、壁の向こうに突き抜けるのだ。どうも上部は蓋がされているようだった。隙間をなぞるようにナイフを動かすと、金属のようなものにあたる。それが、蓋と側壁とを接合しているのだ。

 蓋を手で押し上げようとすると、パラパラと何かが箱の中に入ってきた。

 粒のようなものが口の中にまで入ってきて、グウィンは反射的にそれを吐き出す。口内に残る異物感に、グウィンは顔を歪めた。


 ーーこれは、土?


 鼻孔に広がる土の匂いと、じょりじょりとした食感。瞬間、自分が置かれた状況を察して、グウィンは激しく動転した。


 地中に、閉じ込められている。

 

 そのことに気づいて、恐慌状態に陥った。このままでは死ぬという、おぞましい実感が身に迫る。

 早くここから出なければ。いつ空気がなくなるか分からない。

 その時、グウィンは漆黒の闇に、死神の顔を幻視した。死神の顔には目がない。ぽっかりと二つ、本来瞳があるはずの場所に穴が開いている。その穴から無いはずの瞳が、グウィンの方を見つめているような気がした。


 ーー来るな。来るな。来るな。来るな!


 グウィンは半狂乱になっていた。ガンッガンッと蓋と壁とをつなぐ金属片を外そうと、ナイフを動かす。足も使って、蓋を全力で蹴り上げる。グウィンは必死だった。このままでは、本当に死ぬ。


 ーーこんなところで、死ねない。


 死への恐怖と、生への執着。半ば気がふれたようになりながら、グウィンは迫りくる死の運命に抗った。何度も何度も試みるうちに、接合部の金属片をはずすより、上部の板のほうがもろいことに気がついた。ーーこれを壊すことができれば。

 この時グウィンが見せた力は、およそ13歳の少年が持つものではなかった。

 異常事態に直面して、身体が限界を忘れたかのように通常ではありえない力を発揮したのである。ついに蓋になっていた板を破った時、脇腹の傷口は更に開いていたが、グウィンはそのことに気づかなかった。

 生きたい、という渇望。それが、腹部の痛みを忘れさせていた。蓋の隙間から大量の土がなだれ込んでくるのと同時に、グウィンは棺から這い出る。目や鼻、耳にまで土が入ってきたが、グウィンは生きるためにあがいた。

 肉体は限界を越えて、上へ上へと土の中を進む。地獄の底から蘇るように地上へと這い上がった時、激しい雨粒がグウィンの顔を打ちつけた。


 ーー生きてる。


 外気を胸一杯に吸い込みながら、グウィンは仰向けになった。後から考えてみても、この時己の身に起こったことは、奇跡だとしか思えなかった。

 気を抜いた瞬間、再び脇腹の痛みがグウィンを襲う。身体は既に悲鳴をあげている。激しい雨に打たれながら、グウィンはそのまま気を失った。


 次に目覚めた時、雨は更に強くなっていた。夜の闇は、いまだ深い。気を失っていたのは、ほんの短い間だったのかもしれなかった。


 ーーまだ、死んでない。


 妙に冷静に、そう考える。

 動けば身体のあちこちに激痛が走るが、それが死に至るものではないと既に分かっていた。

 生きていることに感謝しつつも、自分の中の何かが、決定的に変わってしまったことをグウィンは悟った。

 証拠は、もうない。

 アドルファスから託された書簡は、イライアスによって灰になってしまった。グウィンの証言以外、家族の殺人を立証できるものはなく、子供の証言だけでは裁判で相手にされないと分かりきっていた。

 唯一彼らを捕らえられるとしたら、グウィンの殺人未遂だろうか。けれどそれだけでは、イライアスを死刑にはできない。


 ーーそれでは、足りない。


 グウィンと家族が味わった苦しみには、遠く及ばない。あとからあとから湧き出るように膨れ上がる憎しみは、もう止めようがなかった。


 燃え上がる復讐心。


 それを自覚するのと同時に、もうオールドマン家の人々の元へ戻ることはできないと、グウィンは思う。

 グウィンが生きていると分かれば、イライアスは今度こそ息の根を止めにかかるだろう。

 生きて戻れば、きっとオールドマン家の人々は助けてくれる。彼らはグウィンの言葉を信じ、味方をしてくれるに違いない。

 けれどためらいなく人を殺すイライアス達を相手に、彼らが火の粉を被らないとどうして言える? 犯人を法廷に引きずり出す前に、こちらが殺されるかもしれない。

 あの優しい人達を、己の戦争に巻き込むのか? 心優しいあの人達を。


 ーーできない。


 オールドマン家の人々を巻き込むことは。

 イライアスは、人の皮を被ったけだものだ。


 復讐心を捨てることも、生きて帰ることも、グウィンにはできなかった。

 人としての尊厳を踏みにじられ、家族を奪われ。グウィンの心はもう引き返せないところまで来てしまった。


 ーー復讐してやる。


 法が奴らを裁けないのなら、自分がやるしかない。死んだ方がましだと思えるほどの、地獄の苦しみを奴らに与えてやりたかった。


 唯一の心残りは、灰色と青の瞳を持つ、少女のことだった。彼女は泣くだろうか。それとも、怒るだろうか。


 ーーごめん。


 何度も、心の中で謝った。

 やがてグウィンは起き上がると、痛みに耐えて歩き出す。脇腹をおさえながら、引きずるように歩を進める。

 叩きつけるような雨が、グウィンの足跡を洗い流し、這い出た穴を塞ぎ、彼の痕跡を消してゆく。深い深い闇の中へ、グウィンは足を踏み入れる。


 そしてこの日を境に、グウィン・バスカヴィルは姿を消した。

一部はこれにて完結です。少しお休みした後、幕間の話を一話挟んで、二部へと入ります。

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