書簡
ここのところの三日間は、グウィンはほとんどの時間をバスカヴィル邸で過ごしていた。毎日オールドマン家に行くことだけが、唯一の外出。相変わらずセオドアとの会話は平行線のままだが、会ってくれるようになっただけでも進歩だった。
この三日、グウィンが屋敷で何をしていたのかといえば、証拠の隠し場所について思索にふけっていた。
証拠の書簡は、確かに存在する。
セオドアからそう聞いてより、グウィンは書簡を見つけることを、第一に考えるようになっていた。それさえ見つかれば、犯人にも辿り着くはずだとそう思ったのである。
屋敷の中は隅々まで探した。両親の思い出の場所などいくつか思い浮かんだが、証拠を隠すのに安全とは言い難い場所ばかり。
もはや闇雲に探すだけでは見つからない。アドルファスが何を考え、どこに証拠を隠したか、その思考を辿るべきだとグウィンは思う。
実のところ最も可能性が高いと考えていたのは、誰か信頼する人間に託したのではないか、ということだった。しかし、セオドアは預かっていないという。
セオドア以外にアドルファスが信頼していた人間が他にいたのだろうか。
ーー父上、何を考えていたんですか。
グウィンは行き詰っていた。
後、アドルファスが証拠を託すとしたら、息子である自分くらいしかいない。しかし、グウィンは何も受け取ってはいないのだ。
と、そこまで考えて思いつく事があった。
そう、自分だ。
事件のあった時パブリックスクールにいたグウィンは、犯人の手が伸びぬ安全な場所にいたではないか。
事件の翌朝には家族の訃報を電報で知ったグウィンは、取るものも取りあえず屋敷に戻っている。それから、一度も学校には戻っていなかった。
休学の手続きも書類の送付のみで済ませている。
もしアドルファスがパブリックスクールにいたグウィンに、証拠を送ったのだとしたら。
通常外部から届いた荷物は、一度学校の窓口に預けられ、それから生徒に渡されることになっている。
証拠の品が送られていた場合、それが学校に届いたのは、グウィンが屋敷に向かった後のはずだ。学校の保管庫ならば、荷物を受け取るまでの管理も行き届いている。
パブリックスクールに行って確認しなければ、とグウィンは思った。
時計は、夜の12時を指している。
朝一の汽車に飛び乗れば、昼前には学校に着く。頭の中で素早く計算すると、家令のオーティスに明日出かける事を告げ、簡単に荷物をまとめた。
この仮説が正しければ、一気に犯人に辿り着くかもしれない。逸る心は、抑えきれない。早く明日になれと、急くような思いで、グウィンはその日の夜を明かした。
翌朝、まだ空が明け切らないうちにグウィンはバスカヴィル家を後にした。屋敷を出たグウィンがまず向かった先は、駅ではなくオールドマン家だった。
ソフィアにひと目、会っておきたかったのだ。
正面から訪ねるには早過ぎる時間な上、セオドアにはソフィアに会う事を禁じられている。
そこでグウィンの立てた計画は、忍び込んでソフィアを庭に連れ出す、というものだった。
見つかればセオドアの雷が落ちるだけでは済まない所業であるが、ソフィアには一刻も早く伝えておきたかった。何より、あと一歩で犯人に辿り着くという予感を前に、グウィン自身がソフィアの顔を見ておきたかったのである。
オールドマン家の庭に忍びこんだグウィンは、ソフィアの部屋が見える場所までこっそりと移動した。流石に屋敷の中に入るわけにはいかない為、外からソフィアを呼び出す方法を考える。まだ朝も早い。彼女は部屋で眠っているだろう。
気づかなかったら仕方がないという思いで、グウィンは足元の小石の中から特に小さいものを選んで右手に持った。ソフィアの部屋の窓に当てて、気づいてもらおうというのである。
何度か礫をソフィアの窓に当てていると、やがて、彼女の部屋の窓が開いた。眠そうなソフィアが、窓から顔を出す。
「ソフィア」
声を潜めてグウィンが呼びかけると、ソフィアが視線をこちらへ向けた。
グウィンの姿を捉えた瞳が、驚きに見開かれる。
「グウィン……?」
どうしたの、と問うソフィアも声を潜めた。きょろきょろと周囲を見回すと、ソフィアは唇だけを動かし「そこで待ってて」とグウィンに告げる。
グウィンが庭木の裏に隠れて待っていると、寝間着にショールを巻いたソフィアがやってきた。
「こんな時間にどうしたの?」
「起こしてすまない」
いいの、と言いながらソフィアはグウィンの隣に腰を下ろした。寝間着が汚れると思ったが、ソフィアは気にする素振りも見せない。
「これからパブリックスクールに行ってくる。父上は証拠を私に託そうとしたのかもしれない」
グウィンが説明すると、ソフィアの目がみるみる驚きに見開かれた。
「本当?」
「ああ。これで事件が解決すれば、セオドア殿にも認めてもらえる」
そう言うと、ソフィアもこくんと頷いた。その頬が、ほんのりと朱に染まっている。
「いつ頃、帰ってくる?」
「昼前には学校に着くだろうから、上手くいけば今日の夜には戻れると思う」
「気をつけてね」
「ああ」
その時、ソフィアがグウィンの手にそっと自分の手を重ねた。ソフィアは両手で包み込むようにグウィンの手を握ると、何かを祈るように目を閉じる。突然手を握られて、グウィンはどきりとした。ソフィアの温かな体温が伝わる。数十秒ほどそうした後で、ソフィアはゆっくりと手を離した。
「いってらっしゃい」
そう言ったソフィアに、頷いてグウィンも返す。
「いってきます」
ソフィアをその場に残して、グウィンは立ち上がった。オールドマン家を出たグウィンは、馬車を駅へと走らせる。ソフィアに会って、早く事件を解決しなければという思いは、一層強くなっていた。
パブリックスクールまでは列車と馬車を乗り継いで、三時間ほどかかる。グウィンは始発の汽車に飛び乗ると、自らを落ち着けるように両手を組んで、じっと前を見据えていた。
***
パブリックスクールの前で馬車を降りたグウィンは、足早に門をくぐった。
久しぶりに校舎に足を踏み入れると、すぐに声をかけられる。
「グウィンじゃないか!」
そう言ったのは、クリスだった。クリスはグウィンの方に近づいてくると、久しぶりだなと笑う。
「そろそろ学校に戻ってくるのか? お前がいないとつまらないとヘクターとも話してたんだ」
嬉しそうにそう言ったクリスに、グウィンは余裕もなく言葉を返した。
「すまないクリス。今は話している時間がないんだ」
「おい、どうしたんだよ?」
グウィンの急いでいる様子に、クリスは目を丸くしている。
「今日は荷物を取りに来ただけなんだ」
悪い、とそう言うとグウィンは歩きだした。
「おい! グウィン!」
後ろでクリスが声を上げたが、グウィンは振り返らなかった。学校の事務室まで来たグウィンは、窓口の職員に声をかける。
「グウィン・バスカヴィルですが、私宛の荷物は届いていませんか?」
職員の男は学生証の提示を求めた後、確認するから待つようにと言って奥の部屋へと消える。5分ほど待っていると、やがて白い封筒を手にした彼が戻ってきた。
「君宛の手紙は、これだけだね」
差し出された封筒を受け取ると、グウィンはすぐに表と裏を確かめた。宛名にはグウィンの名前が書かれているが、送り主の署名はどこにもない。しかしグウィンはすぐに、この手紙を送ったのがアドルファスだと分かった。
手紙の封蝋に押された印璽が、バスカヴィル家のものだったからだ。
どくどくと、グウィンの心臓が脈を打つ。事務室から出ると、グウィンは廊下で手紙の封をあけた。慎重に中身を取り出し、その書簡に目を通す。
手紙の内容を読み進めながら、そこに記された名に、グウィンは衝撃を受けた。
ーーそんな、まさか。
動揺する心を落ち着けるため、何度か深い呼吸を繰り返す。グウィンは手紙を封筒の中にしまうと、それを上着の内ポケットへと丁寧にしまった。
ーーこのことを、警察に伝えなければ。
グウィンは急いで校舎を出ると、校庭を横切り、再び門をくぐった。学校の前に停まっていた辻馬車に飛び乗ると、最寄りの警察署へ行ってくれと告げる。グウィンの慌てた様子に、髭をたくわえた御者の男は、驚いたようにちらりとグウィンの方を見たが、結局何も言わずに馬車は動き出した。
ガタガタと揺れる馬車の中で、グウィンは息をつく。
胸の中の手紙をもう一度取り出して、今度はゆっくりと目を通した。読みながら、頭を整理していく。手紙を読み終えると、再びグウィンは息を吐き出した。最寄りの警察署から、電報をエルドへ打とう。早くこの手紙を、しかるべき場所へ届けねば。
やがて、馬車がゆっくりと速度を落として止まり、グウィンは意識を浮上させた。どうやら深く考え込んでいたらしい。外を見て、グウィンは首を傾げた。何もない道沿いで、馬車がとまったからである。
「ここは、警察署ではないようだが」
グウィンが困惑して御者に声をかけると、「すみません、車輪が少しおかしいようで」と申し訳なさそうな声がした。御者の男が点検の為に馬車を降りるのを眺めながら、こんな時にとグウィンは思う。気持ちを落ち着けようと目を閉じると、突然ガチャリと音がした。はっとして目を開けると、御者の男がグウィンのいる馬車の中に乗り込んで来るところだった。
「何をーー」
驚いてグウィンが問うのと、身体に鈍い痛みが走るのとが同時だった。腹を殴られたのだと気づいた時には、男の顔が間近に迫っていた。
「少し、眠っていただきます」
男はそう口にすると、布をグウィンの顔にあてがった。鋭い刺激臭がグウィンの鼻をつく。くらりと吐き気がしたが、ここで意識を手放してはならないことだけは、はっきりしていた。
抵抗しようと必死にもがくが、男は容赦なくグウィンを殴りつける。激しい痛みを覚えながら、意識を手放す直前、グウィンは男の顔をしっかりと見た。男の目を見て、グウィンの背中にぞくりと悪寒が走る。
髭の中に埋まった男の瞳は、灰色をしていた。




