父の思惑
「そんな話は、父から一度も聞いたことがありません」
隣に座るグウィンが、呆然と呟いた。ソフィア自身も突然告げられた事実に、当惑は隠せない。
「友人であることを、隠していたからな」
「どうしてですか?」
ソフィアが尋ねると、セオドアは「どうしてだと思う?」と逆に聞き返した。そう言われて、ソフィアは考える。セオドアとアドルファスが友人関係であることを隠していた理由。二人の立場に関係があるのだろうか。運輸省に勤めていたグウィンの父と、実業家であるセオドア。ソフィアは考えながら口を開いた。
「癒着を疑われるから、ですか?」
その答えに、満足そうにセオドアは微笑んだ。ソフィアを見る目が優しい。
「そうだ。オールドマン家の家業である海運業とも鉄道事業とも運輸省は関わりが深いからな。ただの友人だと言っても、信じてはもらえないだろう」
その言葉になるほどと、ソフィアは思った。隣のグウィンがセオドアに質問をする。
「父とはいつからの知り合いですか」
「アドルファスの顔は三年前から知っていたが、まともに話をしたのは君がさっき言っていた一年前の面会からだな」
グウィンの方を見ながら、セオドアが答える。それを聞いてソフィアは思ったより短いな、と思った。グウィンの家族の事件から既に五ヶ月が経過している。であれば二人が友人であった期間は、単純計算でも七ヵ月ほどしかない。
どうやらグウィンもソフィアと同じ感想を抱いたらしい。二人の顔を交互に見ながら、その考えを読んだかのようにセオドアはふっと笑った。
「友人になるのに、時間は関係ないのさ」
不思議なほどアドルファスとは馬があったのだと、セオドアは言う。それから少し逸れた話題を戻すように、セオドアはひとつ間を置いた。
「まずは、順を追って説明しよう」
調子が変わったセオドアの声に、ソフィアとグウィンも表情を引き締める。
「事の発端は、三年前の鉄道建設計画だーー」
三年前。セオドアのセントラル鉄道は、ロムシェルが支配する北部シュタール鉄道と激しい受注競争を繰り広げていた。自社を売り込む為の、有力者への接触。相手の評価を貶める、妨害工作。そんなことが、日常的に行われていたという。
その頃、飛ぶ鳥を落とす勢いだったセオドアには、自信があった。技術面でも価格面でもセントラル鉄道の方が上。提出した計画の優位性は、自分達の方にある。最終的に勝つのはセントラル鉄道だと、そう信じていたのである。
しかし、受注を勝ち取ったのは北部シュタール鉄道だった。
『馬鹿な』
結果を伝えに来た部下に、セオドアはそう言った。部下の男の顔もまた、信じられないというように青ざめている。
『何度も確認を取りましたが、決まったのは北部シュタール鉄道だと。私もまさかと思ったのですが』
『あの狸爺め!』
真っ先にロムシェルが汚い手を使ったのだと、セオドアは思った。彼は狡猾で奸知に長けた老人で、一癖も二癖もある男である。
ロムシェルが裏で手を回したに違いない、とセオドアは確信したが、証拠はなかった。結局その時は諦めざるを得なかったのだとセオドアは言う。
「だが、一年前。運輸省に呼び出された私にアドルファスはロムシェルが関わった贈賄疑惑を調べていると、そう言った」
それが、二人が交わした初めての会話だったという。アドルファスがセオドアを呼び出した理由は、協力依頼だった。
『省内でロムシェルから賄賂を受け取った人物がいないか、調べています。ロムシェルの事を調べるのに、外部の伝手が欲しいんです』
黒曜石の瞳がじっとセオドアを見つめる。
『なぜ私にその話を?』
『貴方とロムシェルはライバルでしょう? 貴方なら協力していただけると、そう思いました』
甘いな、とセオドアは内心思う。確かにロムシェルは忌々しい存在ではあるが、彼に手を出すのはセオドアにとってもリスクが高い。下手を打てば、逆にこちらが潰されかねない。
『どうして不正が行われていると?』
『鉄道事業者決定の過程に、不審な点があります。当時セントラル鉄道でほぼ決まりかけていた流れが、土壇場で突然北部シュタール鉄道に変わったんです』
あまりにも不自然でした、とアドルファスは説明した。
『それだけでは証拠にはならないでしょう』
『ある程度、目星はついているんです』
その言葉に、セオドアは興味を引かれた。最終的に協力する気になったのは、アドルファスの誠実な瞳に心動かされるものがあったからだ。上手くいけば、ロムシェルの弱みも握ることができる。二年前の辛酸は、セオドアにとっても忘れられない思い出だった。
『いいでしょう。力をお貸しします』
以来セオドアは忙しい合間を縫って、アドルファスと会うようになった。とはいえ調査に動いていたのはアドルファスだけで、セオドアは金銭や人脈を使った支援をしていただけである。
アドルファスと話していると、妙に馬があった。年も十以上離れ、生まれた場所も育った環境も全く違うにも関わらず。
ほどなくして二人は、事件の話だけではなく、互いの家族のことを話すほど打ち解けた。
ともに家族を深く愛していることや、同じ年の子供がいるという共通点も、彼らの友情に一役買っていたのかもしれない。
「癒着や調査のことがあって、会っていたことを隠していたのは分かります。しかしなぜ私にまで隠していたのですか」
二人が友人であった事実を知りたかったと、グウィンは言った。
「話せば君は事件の調査に首を突っ込むと思ったからだ」
まあ話さなくても首を突っ込んでいたわけだが、とセオドアは溜息をつく。
「相手は殺人鬼だ。事件の調査なんてそんな危険なことを、させられると思うのか」
セオドアの言葉に、グウィンは押し黙った。話せば事件の調査に興味を持つだろうというその指摘が、正しかったからだ。
「もしや……警察への匿名の告発というのは、セオドア殿ですか?」
ソフィアには分からない話題が出て、グウィンの方に顔を向けると、彼は難しい表情でセオドアを見つめていた。
グウィンの問いに、そんなことまで知っているのかと、セオドアは頭痛を覚えたようだった。
「ああ。警察はてんで見当違いの捜査をしているようだったから。それに捜査の手が伸びたと噂になれば、焦って犯人が動き出すのではとも思った」
犯人に揺さぶりをかけるためだったと、そう言ったセオドアの表情は暗い。かんばしい成果は得られなかったということだろう。その答えに、「そうですか」とグウィンは呟いた。
「では、私とソフィアの婚約は友人の息子を助けようとして?」
続けられた問いは、ソフィア自身も気になっていたことだった。「それも理由の一つではある」そう言いながら、セオドアはゆるゆると首を振った。
「しかし私は己の利にならぬ事をするほど聖人ではないよ」
「ですが、この婚約は私にばかり有利なものだ」
その言葉に、少し面白そうにセオドアはグウィンを眺めた。
「なるほど、君は自分ばかりが得をしていると、そう思うのか」
「実際そうでしょう。金銭的な援助だけでなく、後見人にまでなってもらっている」
それにソフィアの事も、という言葉をグウィンは飲み込んだ。
「だが、この縁談は私にとっても利があるものなのだ」
そう言うと、セオドアはソフィアの方へ視線を移した。父親からじっと見つめられ、ソフィアはきょとんとした。
「私、ですか?」
話の矛先が突然自分の方に向けられて、ソフィアはびっくりした。セオドアは優しげな眼差しをソフィアに向けている。
困惑しつつもそういえば、とソフィアはグウィンに会った日のことを思い出していた。
確かにセオドアは、この婚約の目的は貴族と縁を結ぶこと以外にあると、そう言っていたのではなかったか。
いつか話すというその時は、今なのかもしれない。
真面目な顔になったソフィアに、柔らかな笑みを見せながら、セオドアは穏やかに言う。
「エミリア殿の息子なら、ソフィアの良き理解者になれると思った」
ひゅっと、ソフィアは息を止めた。
信じられないものを見るように、セオドアの顔を凝視する。すぐにはセオドアの言っている意味を、頭が処理してくれなかった。ーー今、父は何と言った?
そして続けられたセオドアの言葉に、今度こそソフィアは言葉を失った。
「ソフィアの持つ不思議な力の理解者にと、ーーそう思ったのだ」




