オールドマン家の人々
アドルファスとセオドアが一年前に会っていた。その事実は、何を意味するのだろう。
イライアスが帰った後、グウィンは寝室で物思いにふけっていた。
はっきり言って、わけがわからなかった。二人は以前から知り合いだったのだろうか。それとも本当にアドルファスが、セオドアから金を受け取っていたのだろうか。
疚しいところがないのなら、なぜセオドアはアドルファスと知り合いであることをグウィンに隠していたのだろう。出会ってから今まで、セオドアの口からアドルファスを知っていると聞いたことはなかった。
一度疑い出せば、おかしな点はいくつも思い浮かぶ。
そもそもなぜグウィンがソフィアの相手として選ばれたのか。家族の事件後、グウィンの前に現れたセオドア。彼は新聞で、グウィンの名を知ったのだと思っていた。けれど、そうではなかったのだとしたら?
グウィンは、初めてセオドアに会った日の事を思い出していた。
当時、莫大な相続税の工面に頭を悩ませていたグウィンを、突然ある男が訪ねてきた。
はじめにその名を聞いた時はぽかんとした。
『オールドマン? 何かの間違いじゃないのか?』
『いえ。グウィン様にお会いしたいと、そう仰っています』
そう言った家令オーティスも、当惑気味である。
グウィンのような子供でさえ、その名を知っている大富豪。一体自分に何の用がと、グウィンは首をひねった。
『とりあえず会ってみよう。通してくれ』
セオドアは、堂々たる体躯の男性だった。アッシュブロンドの髪に、灰色の瞳。落ち着きのある低い声は、年長者の余裕を感じさせる。
彼の訪問理由を聞いて、グウィンは眉間に皺を寄せた。
『婚約、ですか』
『ええ。末娘のソフィアと言います。年はバスカヴィル卿と同じです』
『……なぜ私に? これまで面識はなかったはずですが』
『利害が一致すると思ったからですよ』
若くして伯爵になったグウィンには、それなりに利用価値があるのだろうかと、疑問を抱いたままセオドアの話に耳を傾ける。
『失礼ながら、バスカヴィル卿は金銭的な援助を必要としているのではありませんか?』
どきりとしてセオドアを見れば、彼はグウィンの事情などお見通しだというように言葉を重ねた。
『この縁談を受けていただければ、相続税は私が負担しましょう。貴方は何も手放す必要はないのです』
今から思えば、あまりにもグウィンに都合の良い条件のように思えてならない。その後、彼は後見人にまでなってくれ、領地経営の面からもグウィンの相談に乗るようになった。
まるで本当の父親のように、彼は爵位を継いだグウィンに親身だった。
そこまで考えて、グウィンは妙な違和感を覚えた。
セオドアの不可解な行動は、オールドマン家の為というより、むしろグウィンの為になっている。この縁談でセオドアが得たものよりも、グウィンが得たものの方が遥かに大きい気がした。
何か思惑があったとして、普通は自分に有利なように取り計らうものではないか。彼の行動に謎は多いが、それは決して嫌な感じを与えるものではない。むしろ、とグウィンは思う。
ーーセオドア殿が与えてくれたものによって、私は大分救われている。
ソフィアや彼女の家族と出会えたこと。それは愛する家族を失ったグウィンにとって、僥倖だった。
何かセオドアには深い事情があるに違いない、とグウィンは思った。根拠のない、ただの勘である。しかし、そう思うくらいにはグウィンはセオドアの事を信用していた。難解な人物だが悪人ではないと、そう信じていたのである。自分が根っこの部分ではセオドアを疑えない事に気がついて、グウィンは苦笑した。
ーー随分、オールドマン家の人々に絆されている。
人の心に入り込むのが得意なのは、オールドマン家の血なのだろうか。ソフィアもいつの間にか、グウィンの心を占めるようになっている。
明日、セオドアに会いに行こう。そしてアドルファスの事を聞くのだ。正直に答えてはくれないかもしれないが、セオドアの反応から分かる事もあるだろう。グウィンはそう決めると、ベッドに潜りこみ、目を閉じた。無心になって瞳を閉じていると、やがてゆっくりと眠気が訪れ、グウィンは意識を手放した。
翌日、グウィンはオールドマン家を訪れた。今日こそセオドアに会うまでは帰らないと、固い決意を胸に秘める。
この日セオドアは、珍しく早い時間に帰宅したらしかった。取り次ぎに出てきた家令に「父のことでお話が」と用件を告げると、しばらくして彼が戻ってきた。
「セオドア様は、お会いになるそうでございます」
案内されたのはいつもの応接間ではなく、セオドアの書斎だった。通された部屋は意外なほど質素で、グウィンは内心驚いた。壁一面の本棚にはびっしりと書物が並び、巨大な書き物机が奥に鎮座している。限りなく機能性を重視した部屋で、調度品もシンプルなデザインのものばかりだった。
豪奢な応接間とは随分違う、とグウィンは思う。書き物机で書類に目を通していたセオドアは、グウィンが部屋に入ると顔を上げた。
「そこの椅子に座りなさい」
そう言って、目の前の椅子を目線で示す。あの日以来、彼はグウィンに対して敬語を使うのをやめたらしい。グウィンにそう命じると、再び書類に視線を戻した。
グウィンは書き物机の前に置かれた椅子に腰を下ろして、じっとセオドアの顔を眺める。セオドアの顔には、わずかな動揺も見られない。
30分ほど待っていると、やがてセオドアはペンを置いて、グウィンの方へと顔を向けた。
「さて、それで何の話だったか」
鷹揚に言うセオドアに、グウィンは慎重に口を開いた。ぐっと手を握りしめ、セオドアと目線を合わせる。その表情の変化を見落とさぬようにと、自然と瞳に力がこもった。
「父のことで、お聞きしたい事があります」
口から漏れる声は、緊張で強張っていた。グウィンの言葉に、「それで?」とセオドアは目線だけで応じると、先を促す。
「一年前、セオドア殿は父と会っていますね?」
核心をついたグウィンの言葉にも、セオドアは動じなかった。両手を胸の前で組み、じっとグウィンを見据えている。
「証拠は?」
「運輸省の面会記録に貴方の名がありました。なぜ、知り合いだったことを黙っていたんです? 父と貴方に、一体どういう繋がりが?」
まくし立てるグウィンに、セオドアの表情は険しい。
「私は事件の調査はやめろと、そう言ったはずだが」
「質問に答えて下さい!」
思わず声を荒げたグウィンに対し、今日のセオドアは冷静だった。いいから落ち着きなさい、とグウィンを黙らせるように鋭い一瞥を投げかける。ふぅと息をついて小さく首を振った後、セオドアは口を開いた。
「そうだ。私はアドルファスの事を知っている」
やはり、とグウィンは唾を飲む。その時、カタリと背後で音がした。グウィンが後ろを振り返ると、扉を開けたソフィアが呆然と佇んでいる。
「どういうこと……?」
「ソフィア」
グウィンが驚いて声をかけるが、ソフィアはセオドアを見つめたまま微動だにしない。彼女の顔からは、血の気が完全に失せている。震える声で、ソフィアはセオドアに問いかけた。
「グウィンのお父様を知っているとは、どういうことなのですか?」
不安で今にも泣き出しそうなソフィアに、グウィンは胸を締め付けられた。ソフィアが何を考えているのか、手に取るように分かったからだ。そんな二人の様子を見ながら、「困った子達だ」とセオドアはもう一度息を吐いた。
「ソフィアも座りなさい。お前達が何を心配しているかは分かるし、説明しなかった私にも非はあるが、そんなに疑わしそうな目で見るな」
私をなんだと思っている、と言ったセオドアはどうやら機嫌を損ねたらしい。その様子に、グウィンとソフィアは思わず顔を見合わせた。互いの顔には、困惑の色が浮かぶ。一旦落ち着こうと、ソフィアは部屋の隅に置かれた椅子をグウィンの横まで持ってくると、そこに腰を下ろした。
そうして躊躇いがちにセオドアの方を見ながら、ソフィアはおずおずと問いかける。
「あのう、それで続きを説明していただけるんですか?」
そう聞くと、セオドアは少しだけ目線を下げた。やや間を置いた後、はじめにこれだけは言っておく、と前置きして口を開く。
「私は事件の犯人ではないし、アドルファス達の死を悼んでる」
鎮痛な面持ちのセオドアは真剣で、嘘をついているようには見えない。張りつめた表情でセオドアの言葉に黙って耳を傾ける二人に、セオドアは説明を重ねる。
「ーーアドルファスは、親しい友人だったのだ」
セオドアが告げたのは、二人にとって予想外の言葉だった。