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深夜の対面

 夕食後、オールドマン家にやってきたグウィンの顔色は悪かった。セオドアが帰宅するまで待たせて欲しい、と言った彼をソフィアが応接間に案内する。部屋を出る前、扉に手をかけながら、ソフィアはちらりとグウィンを盗み見た。

 オールドマン家に来てから、グウィンは一度もソフィアを見ない。そのことが、ソフィアの不安を掻き立てた。

 やはり婚約を解消する気ではないか。グウィンはセオドアに何と言うつもりだろう。

 グウィンの表情は硬く、その唇は強く引き結ばれている。不安で、ソフィアの胸は押しつぶされそうだった。


 11時を過ぎた頃、セオドアが仕事を終えて帰宅した。家令からグウィンの訪問を告げられると、一瞬冷めた顔をした後「思っていたより、遅かったな」と淡々と呟く。セオドアは応接室にソフィアも呼ぶよう命じると、ゆっくりと着替えを済ませた。


 ソフィアが応接間に入ると、既にセオドアとダイアナ、二人の向かいにグウィンが座っていた。セオドアからグウィンの隣に座るよう言われ、ソフィアは肘掛け椅子に腰を下ろした。横目でグウィンを見るが、やはりグウィンはソフィアの方を見てはくれない。

 セオドアは、どういうつもりなのだろう。グウィンの言葉を直に聞かせて、諦めさせるつもりだろうか。

 全員が揃ったところで、セオドアが口を開いた。


「では、答えを聞きましょう」


 そう言ったセオドアの瞳は、グウィンを見定めるように鋭さを増す。その睨みつけるような視線を見返して、グウィンは言った。


「犯人を捕らえるまで、諦めることはできません」


 きっぱりと、グウィンはそう言った。その言葉に、ああやっぱり、とソフィアは思う。

 分かっていた。グウィンが事件を追うことを選ぶのは。でも、こんな形で知りたくはなかった。自分の気持ちを自覚した直後に、グウィンの口からこんな風に聞かされるのは残酷だ。覚悟していたはずなのに、直接言われた言葉がショックで、目の前が暗くなる。


「なら、話は終わりです」


 平坦な声でそう言って立ち上がったセオドアを、グウィンの声が制止した。


「ーーですが」

 

 セオドアを見上げるように見つめながら、グウィンは言葉を重ねる。その瞳の奥に、確固たる意志の炎が宿る。


「ソフィアを諦めることも、できません」


 その言葉に、ソフィアは信じられないというようにグウィンを見つめ、セオドアはピクリと青筋を立てた。

 

「そんな都合のいい話が、通るとお思いか?」

「筋の通らないことを言っているのは分かっています。ですが、比べようがないのです」


 比べようのないものに優劣をつけることはできない、とグウィンは言う。


 ーー私にとって彼女は、かけがえのない存在です。

 

 小さく掠れた声で口にされた言葉は、ソフィアの胸に迫った。

 ぎゅっと締め付けられるように息が苦しくなり、頬に熱が集まっていく。


「事件と彼女、一つを選ぶことはできません。どちらも今の私には、必要なものだから」


 グウィンはぽつぽつと言葉を紡いでいく。その口調は落ち着いていて、事実を淡々と話しているだけ、といった印象を受ける。


「ソフィアに会う前の私は、犯人への憎しみに支配されていました。もし、それまでの私が真っ当に見えていたとしたら、それは犯人を捕まえるという目的があったからです。負の感情ですが、悲しみよりも怒りが、私の正気を保ってくれていた」


 グウィンの顔には、暗い翳りが浮かんでいる。そのグウィンの表情に、ソフィアはまた苦しくなった。


「けれど、ソフィアに会って変わったのです。彼女に会って、いつの間にか犯人を捕まえた後のことを、私は考えるようになりました」


 そう言って、グウィンは隣に座るソフィアへ顔を向けた。多分自分は泣きそうな顔をしているだろう、とソフィアは思う。


「それまで犯人を捕まえた後の事など、領地を治めるくらいしか考えていなかったのに。バスカヴィル領で穏やかに過ごす未来を、私は想像するようになりました」


 ソフィアのおかげです、とグウィンは言った。グウィンの描く未来の中に自分がいる、そう思うとじんわりと温かな感情が胸に広がっていく。嬉しくて、でも泣きたいような不思議な気持ちだった。


「彼女の事を大切にします。ですから、お許しください」


 そう言うと、グウィンは深く頭を下げる。誰も、一言も喋らなかった。長い沈黙が、その場に落ちる。

 最初に、沈黙を破ったのはセオドアだった。底冷えするような声に、ソフィアはびくりと身を震わせる。


「ーー話にならないな」

「お父様!」

「君が犯人に殺されでもしたらどうする? そんなことを言っておいて、ソフィアを一人にするつもりか?」


 これまでグウィンに対して敬語を貫いてきたセオドアの口調が、変わっていた。それだけ苛ついているのだろう。

 セオドアの言葉を聞きながら、ソフィアの胸にむくむくと、ある感情が湧き上がる。


 ーーお父様の言っていることはおかしいわ。だって、私の気持ちを無視してる。


 セオドアは、グウィンがソフィアを一番に優先させないのが気に食わないのだろう。しかしソフィアは、グウィンが二人の事をちゃんと考えてくれているというだけで嬉しかった。


「私は、嫌です」


 気づけば、セオドアに向かってそう口にしていた。


「婚約解消なんてしたくありません」

「ソフィア」

「お父様は酷いです。私の気持ちも聞かずに婚約を白紙に戻すだなんて。今、一番私を傷つけているのは、グウィンじゃなくてお父様だわ」


 声を震わせながらそう言ったソフィアに、尚もセオドアの表情は厳しい。重苦しい雰囲気の中で口を開いたのは、これまで黙って成り行きを見守っていたダイアナだった。


「みんな一度頭を冷やしましょう。今日結論を出すのは無理そうだもの」

「お母様……」

「セオドアも、すぐに婚約解消するのはよして。今のあなたは、冷静ではないわよ」

 

 そういう時にした決断は後悔するわ、とダイアナは言う。その言葉に、しぶしぶセオドアは頷いた。冷静さを欠いた自覚はあったのだろう。

 時計を見れば、既に日付が変わっている。

 その日は結局、そこまでとなった。



「また、セオドア殿を説得しに来る」

 

 玄関ホールまで見送りについてきたソフィアに、グウィンはそう言った。

 その言葉に、こくんとソフィアは頷きを返す。泣きそうな顔のソフィアに、グウィンはそっと手を伸ばすと、優しくその髪を撫でた。

 

「ごめんな。不安にさせたよな」


 ぶんぶんとソフィアは首を振った。今のソフィアは、色々な感情がないまぜになっている。婚約解消を一旦は回避できたことの安堵、これから先の拭えない不安。グウィンがソフィアを大切に考えてくれていることへの喜び。

 もう、グウィンを見るだけで胸がいっぱいになってしまう。

 二人になると気が緩んだのか、ソフィアの瞳からは涙が溢れ出した。

 灰色と青の不思議な色合いの瞳が潤む。

 ぽろぽろと零れる涙を、グウィンはそっと指先で拭った。その行為に、またソフィアの胸は苦しくなる。


 ーー好きなの。グウィンのことが。


 まだ口にすることのできないその想いを、ソフィアは心の中で呟いた。

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