選択
ーー犯人探しはやめない。
その言葉を、グウィンは飲み込んだ。セオドアは本気だ。ここでグウィンがソフィアより犯人を追うと言えば、すぐにでも婚約を解消させるに違いない。
「一人で犯人を追って、貴方に何かあってごらんなさい。13歳のソフィアに、婚約者の死という重荷を背負わせるつもりですか?」
セオドアの言葉は、容赦なくグウィンの弱いところを突いていく。
固く手を握り締めたまま口を開かないグウィンに、セオドアは鋭利な眼差しを向けた。
「ここで決めろとはいいません。しかし事件を追うというのなら、もう娘には会わせない」
決断するまでソフィアには近づかないでいただきます、と言ってセオドアは部屋を出ていった。セオドアの言い分はあまりにも正論過ぎて、グウィンには反論の余地がない。
比べようのない二つから、一つを選べと言われ、グウィンは苛立たしげに頭を掻き毟った。
結局その日、ソフィアに挨拶をすることなく、グウィンはオールドマン家を後にしたのだった。
***
自邸に戻ったグウィンは、イライアスから電報を受け取った。
『調査結果ヲ伝エル、明日自邸ニテ待テ、イライアス』
省内での調査結果の報告の為、明日バスカヴィル家を訪問するという内容だった。これも事件の調査に入るだろうかとセオドアの言葉を思い出したが、訪問を受けるだけだと己の中で理屈をひねり出した。それが、屁理屈だという自覚はある。
翌日、イライアスがバスカヴィル邸にやってきた。
「バスカヴィル領の館には、父が見つけた証拠はありませんでした」
挨拶もそこそこに、グウィンはそう言った。
「本当に父は証拠を手に入れていたのでしょうか?」
「おそらく。私には、アドルファス君に他に殺される理由があったとは思えない。彼は人の恨みを買うような男ではなかった」
アドルファスを疎ましく思っていた人間は他にもいる。オズワルドの事がちらりと頭をよぎったが、バスカヴィル家の内情を知らないイライアスに、話す気にはなれなかった。
「父が見つけた証拠については、もう少し探してみます。それでお願いしていた件は、分かりましたか?」
バスカヴィル領へ行く前、グウィンはイライアスに頼みごとをしていた。最後にアドルファスと会っていたトビー・ヒッグスについて、彼がどのような人物か、アドルファスとどのような関係にあったのか調べてほしい、と調査を依頼したのだ。
かつてバスカヴィル家に仕えていたオリバーと違い、グウィンはトビーと面識がない。正面から会いに行ったとして、警察に説明した以上のことをグウィンに話してくれるとは思えなかった。
トビーについてどうやって調べようかと手をこまねいていたグウィンにとって、イライアスの協力は渡りに船であった。
グウィンに問われ、イライアスは口を開く。
「元々名前だけは知っていたが、トビー・ヒッグスという男はかなりの切れ者のようだ。アドルファス君と並んで優秀だと、上からの評価も高い」
「父との関係はどうだったんです? 何かトラブルはなかったんですか?」
「私の調べた限りでは、二人の間にこれといった問題は起こっていなかった。特別親しくも険悪でもない、普通の同僚だな」
周囲は彼らをライバルだと見ていたようだがね、とイライアスは言う。
その言葉に、トビーは本当にあの日仕事の話をしに来ただけなのかもしれないとグウィンは思う。自分が全ての事象を事件に関連付けて、疑い過ぎなのかもしれない。
「……そうですか。彼の容姿は分かりますか?」
そう聞いたのは、アルマの言葉を思い出したからだった。栗色の髪に、灰色の目を持つ謎の男。もしかしたら、それがトビーではとグウィンは思った。
「身長180センチ位の、風采のいい男だよ」
「目と髪の色は?」
「どちらもブラウンだ」
その言葉に、トビーがジャック・スミスなる男とは別人と分かり、グウィンは落胆した。髪色は変えられても、瞳の色は変えようがない。
これはいよいよトビーは事件と無関係かもしれない、という思いが強くなった。
「もう一つの三年前の収賄疑惑の方は、調査が難航している。当時の関係者に話を聞こうにも、上から緘口令が敷かれていてね」
調査が進まず申し訳ない、とイライアスは謝罪した。その言葉に、グウィンは静かに首を振る。事件の隠蔽を図る省内で、調べを進めるのは相当に骨が折れるはずだ。
互いの調査結果を伝え終わると、場には沈黙が落ちた。沈んだ様子のグウィンに、イライアスが声をかける。
「何か、あったのかね」
優しげに目を細めるイライアスに、グウィンは思わず昨日のセオドアの言葉を口にしていた。
イライアスはグウィンの話に黙って耳を傾ける。やがてグウィンが説明を終えて口を閉じると、イライアスは静かに言った。
「グウィン君には酷なことを言うようだが、私にはセオドア殿の言い分はよく分かる。今の君はかなり危ない橋を渡っているのは事実だ。私がセオドア殿の立場でも、同じことを言うだろう」
男親は娘には甘いからね、と彼は言う。
追い討ちのように言われて、グウィンは視線を手元に落とした。ーー分かっているのだ。二人の言っていることが、正論なのだと。けれど、どちらか一つを選ぶ事などできなかった。
「だが、君の気持ちもよく分かる」
続けられたイライアスの言葉に、グウィンは顔を上げた。彼は尚も優しげにグウィンを見つめている。
「実は、私も妻を亡くしているんだ。彼女の場合は事故死だったから、グウィン君と同列には語れないのかもしれないが。ーーそれでも毎日考えたよ。なぜ彼女が死ななければいけなかったのかと。答えのない問いを追い続けるのは、辛く苦しい日々だった」
けれど問わずにはいられなかったのだと、イライアスは言った。イライアスがグウィンに協力してくれるのは、家族の死という共通項があるからなのかもしれない、とグウィンは思う。
「君が家族の死の真相を知りたいと思うのは、当然の反応だ。その気持ちに無理に蓋をすることが良いとも、私には思えない」
「フェラーさんは、奥様の死とどう折り合いをつけたのですか?」
「私の場合は娘がいたからね。あの子が私の心の傷を癒やし、前に進む力をくれた」
それでも未だになぜ妻が死ななければならなかったのだと考える、とイライアスは言った。
「だから、敢えてどちらかを捨てる必要はないと私は思う。仮に追い求めた答えが得られなかったとしても、大切な人がいれば乗り越えられるものだから。グウィン君にもそういう存在がいて、安心したよ」
にこにこと言われて、グウィンは思わず目を瞠った。意外な言葉に、一瞬思考が停止する。そのグウィンの反応に、「おや、違うのかい?」とイライアスは首を傾げた。
「大切な人……」
グウィンは呆然とイライアスの言葉を繰り返した。ソフィアが大切か大切でないかと言われれば、間違いなく前者だった。
しかし、それはイライアスの言うような意味と同じなのだろうか。
「犯人探しと天秤にかけて、迷ってたんだろう?」
そう聞かれて、気がついた。二つは比べようもないと、はじめから優劣をつけようとさえしていなかったことに。
だが、少し前のグウィンなら間違いなく真相究明の方を選んでいたはずなのだ。そのためには何を犠牲にしても構わないと、そう思っていたはずなのに。
ーーいつの間に、変わっていたのだろう。
己に訪れていた変化に、グウィンは戸惑う。
どちらも捨てられないから、どちらも選ぶ道はないかと、今の自分はそんな都合のいい事を考えるようになっている。
ソフィアの存在が意外なほど大きくなっていることに、はじめてグウィンは気がついた。
自覚すると、急激に気恥ずかしさが込み上げる。胸にせり上がってくるような、このむず痒い思いをどうすればいいのだろう。
グウィンは右手で口を覆うと、苦々しげに呟いた。
「私は、どれだけ鈍いんだ」
不機嫌顔で呟かれた言葉に反して、グウィンの目元は朱に染まっていた。