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出会い

 何てちぐはぐな人だろう、と父親に引き合わされたばかりの婚約者を見ながらソフィアは思った。

 13歳の同い年の少年は、黒目黒髪の美しい顔立ちに、苦虫を噛み潰したような表情を乗せ、じっとソフィアを見つめていた。父親から婚約が成ったと聞かされたのが昨夜。それからわずか12時間後には許嫁だという少年と対面しているのだから人生とはままならない、とソフィアは心の中で嘆息した。


「グウィン・バスカヴィルと申します。お会いできて光栄です」


 口から出る言葉は丁寧ながら、眉間の皺が一層深くなる。言葉と表情があまりにも合っていなかった。

 美しい顔をこれ以上ないほど歪ませながら、グウィンはソフィアの手を取り唇を寄せると、形ばかりの礼をとる。


「ソフィア・オールドマンと申します」


 内心の思いが顔に出ないように気をつけながら、ソフィアはできるだけ優雅に見えるよう微笑んだ。国内屈指の富豪の娘ではあるが、三男四女の家庭の末娘に過ぎないソフィアと、よわい十三にして伯爵位を継いだグウィンとではその立場には雲泥の差があるのだった。溜息がこぼれそうだとしても、それを顔に出さないだけの分別をすでにソフィアは持ち合わせていた。


「私がいうのも何ですが、これはなかなかできた娘です。必ずやバスカヴィル卿のお役に立ちましょう」


 ソフィアの後ろに立っていたセオドア・オールドマンが口添える。

 ソフィアの父であるセオドアは、190センチを超える体躯にアッシュブロンドの髪、灰色の瞳を持つ役者のような美形である。成功した者特有の自信に溢れ、人の視線をどう集めるか心得ていた。7人の子持ちで実年齢は40をとうに過ぎているが、見た目はそれより遥かに若く見える。優男というより精悍な顔立ちで、結婚前は女性からの誘いが絶えなかったという。


「心配せずとも、この縁談は私も納得しています。こちらから断るつもりはありませんので、ご心配なく」

「それは結構。では、正式な婚約披露は予定通り一ヶ月後でよろしいですかな?」

「お任せします。どうぞ、よしなに取り計らって下さい」


 少年と父親とのやりとりを見ながら、どうやらグウィンはこの縁談に乗り気ではないようだ、とソフィアは結論付けた。納得しているという言葉とは裏腹に、彼の表情は相変わらず苦々しげだったからだ。資産家とはいえ、一代前まで中流階級のオールドマン家との婚姻は、貴族のグウィンには受け入れがたいのかもしれない。グウィンが階級意識の強い人間だとしたらこれから大変だと、ソフィアは不安になった。


 海運業と鉄道事業によって一代で財を成したセオドアは、やり手の実業家である。前々から家名に箔をつけたいと願っていたセオドアが、この婚約をごり押ししたのではないかとソフィアは疑っていた。

 セオドアは押しが強い。父が白と言えば、黒も白になるのだ。グウィンがセオドアに丸め込まれたのだとしても不思議ではなかった。


 グウィンの返答に満足したのか、セオドアはニヤリと笑う。


「では、年寄りは退散するとしよう。ソフィア、後で迎えの馬車を寄越すから。くれぐれも失礼のないように」

「はい、お父様。あの……もうお帰りで?」

「これから戻らねばならん。仕事を幾つか残してきているのだ」


 戸惑った様子の娘を置いて、セオドアは対面のために用意されたバスカヴィル邸の応接間をさっさと出て行く。残されたソフィアとグウィンの間に沈黙が落ちた。


「……申し訳ありません」


 沈黙に耐えかねておずおずと口を開いたソフィアに、訝しげにグウィンが眉を寄せた。


「なぜ謝る?」


 セオドアがいなくなった途端、口調がくだけたものになっている。自分には敬語を使う気もないのだろうかと、ソフィアは思った。


「この縁談は、本意ではないのでしょう?」

「それは……」


 言い淀むグウィンに、図星かとソフィアは息をつく。

 正直、こんな風に口籠るくらいなら、はっきり断るなり、最初から表情に出さないなりして欲しかったが、セオドアに押し切られたのなら可哀想だとも思った。

 ソフィアだって昨日この縁談を知ったのだから、謝罪するような非はない。しかしこの話をまとめたのは父セオドアだろうから、父が不在の今、娘のソフィアが代わりに謝るべきだと思ったのだ。


 望まれての婚約ではないという事実に、少しがっかりした気持ちになりながら、ソフィアは改めて目の前の少年に目を向けた。


 漆黒の髪に、長い睫毛で縁取られたぱっちりとした黒曜石の瞳。陶器のような肌はきめ細かく、日に晒された事がないかのように白かった。スッと通った鼻梁に、薄い唇は何もしていないのに朱を刷いたかのように赤い。変声期前の声はまだ幼さを残しているが、容姿だけなら既に隙がないほど完成されていた。

 無表情でいるとどこか人形のようだとソフィアは思う。しかし微笑みを浮かべれば、誰もが見惚れるような美貌の持ち主だった。


 グウィンの顔を見ながら、その顔に想像していた程には翳りが見られないことにソフィアはそっと胸を撫で下ろした。グウィンはここ数ヶ月、世間の噂の的になっている。ソフィアも新聞で、バスカヴィル家を襲った悲劇のことは知っていた。

 突然の婚約話にも驚いたが、その相手がグウィンだと知って二重に驚いたのは事実だった。今はソフィアという婚約者の存在に戸惑い、他にものを考える余裕がないだけかもしれないが、外見からは思いの外落ち着いているように見える。


 ソフィアは小さく息を吸い込むと意を決したように口を開いた。


「グウィン様にとっては不本意かもしれませんが、婚約する以上、私は良好な関係を築きたいと考えています。貴方の事をもっと知りたいと思いますし、お役に立てるよう努力もするつもりです」


 ソフィアの本心である。今後長い人生を共に歩むかもしれない相手なのだ。最低限、互いを思いやれる程度には関係を築いておきたかった。

 グウィンの黒い双眸がじっとソフィアを捉え、ややあって溜息が漏れた。諦めたようにも、力を抜いたようにも見える。数秒考えるよう俯いた後、グウィンはゆるゆると顔を上げた。


「……これからよろしく」

 

 疲れたような声だった。


 その瞳の奥に、深い哀しみが沈んでいるように見え、ソフィアははっとした。ソフィアは再びここ数ヶ月、世間の注目を集めている事件に思いを馳せる。目の前の少年がこれほど早く爵位を継ぐことになった原因ともなった事件。

 彼の身に降りかかった悲劇を考えると、態度に多少の難があっても、目をつぶろうと思ってしまう。


 グウィンは三ヶ月前、両親と幼い弟を一度に亡くしているのだーー。

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