バスカヴィルの森
許可を得てから三日後。二人はバスカヴィル領へと旅立った。準備に三日もかかったのは、護衛選びに時間がかかったからだ。
最終的に、ライオネルを含め選びぬかれた三人が同行することで決着した。そんなに仰々しくしなくてもいいとソフィアは言ったが、この時ばかりはセオドアは頑として譲らなかった。
見送りの時「元気で帰ってこい」と何度も言われたのが、過保護だとも嬉しいとも思う。
バスカヴィル領は、首都エルドの東部に位置している。
エルドを出発して間もなく、車窓の風景はのどかな田園風景に変わった。
どこまでも広がるなだらかな丘は、一面の緑。そこに小さな村が点在しているのが目に入る。
窓に張り付くように外の風景を眺めているソフィアは、きょろきょろと視線を移動させた。
「そんなに珍しいか?」
「うん。実はほとんどエルドを出たことがないの」
グウィンの方に顔を向けると、ソフィアは笑顔で答えた。その瞳が興奮で輝いているのは、どうやっても隠せない。都会育ちのソフィアには、見るものすべてが新鮮に映るのだ。
ソフィアの頬が紅潮しているのを見て、グウィンはふっと目元を緩めた。
「それは良かった。それにしても、まさか認めてもらえるとは思わなかったな」
「お母様が味方してくれたのが勝因ね」
実はソフィアもダイアナがあっさり賛成してくれたことに驚いていた。もう少し、説得には時間がかかると考えていたのだ。
ソフィアの言葉に何かを思い出したのか、グウィンが小さく笑った。
「ん?」
なんだろうと不思議に思って目線で問うと、グウィンが笑みを浮かべたまま口を開いた。
「呼び方が変わっていたな、と思って」
「呼び方?」
「以前は『バスカヴィル卿』だったのに、『グウィン君』になっていた」
その言葉に、先日のダイアナのことだと気がついた。言われてみれば、ダイアナが使う呼称は、いつの間に変わったのだろう。
「ソフィアの家族だな、と思ったよ」
どういう意味だろうとソフィアが困惑していると、「実は婚約式の時にも似たようなことがあったんだ」とグウィンは言った。
「婚約式の時?」
「ああ、あの時ソフィアの兄さん達に連れて行かれただろう」
グウィンの言葉に、ソフィアも思い出した。
「あの時、何を言われるんだろうと身構えてたんだが。ソフィアの兄さん達にこれからは呼び捨てでもいいかと言われた」
ーーもう弟みたいなものだから、グウィンでいいよな。
「そうやって私を受け入れようとしてくれるところが、ソフィアと似ている」
静かに微笑みながらそう言われて、ソフィアの心臓が早鐘を打ちはじめる。
「みんな、グウィンの事が気に入ったからよ」
「そうか? ソフィアの家族は温かいなと思ったよ」
そう言ったグウィンの表情にソフィアの胸は締め付けられた。少し寂しそうな笑顔に、家族のことを思い出しているのだと分かったからだ。
こんな風に笑うグウィンを見ると、ソフィアの胸はきゅっと苦しくなる。
そうして、元気づけたくて、支えたくなって、一人にしておけない気持ちになるのだ。
この気持ちを何と呼べばいいのか、ソフィアには分からなかった。
その後はバスカヴィル領のことを聞きながら過ごしていると、時間はあっという間に過ぎてしまった。
夕方。バスカヴィル家の館についた二人は、盛大な歓迎を受けた。
「まぁ! グウィン坊っちゃん。よく来てくださいました」
笑顔で出迎えたのは、マーサという家政婦長の女性だった。
「そろそろ坊っちゃんはよせ」
「そうでしたわね」
クスクスとそう言ったマーサは親しげで、グウィンも笑っている。
「マーサは昔からこの館で働いてくれているんだ」
グウィンが言うと、ソフィアも挨拶を述べる。
「はじめまして。ソフィア・オールドマンと申します」
「私のような使用人にまでご丁寧にありがとうございます。まさかグウィン様が婚約者を連れて帰ってくる日が、こんなに早く来るなんて……」
途端にマーサの目が潤みはじめて、ソフィアはびっくりした。一方のグウィンは、慣れているのか動じない。
「マーサは感動屋だから気にしなくていい」
こそっとグウィンが耳元で囁く。その言葉通り、彼女は涙を拭うと、すぐにカラリとした笑顔になった。
「さぁ、中にお入り下さい。今夜はご馳走ですよ」
その日の夕食は、給仕を務めるマーサがグウィンの幼少期の思い出話を色々としてくれ、とても楽しいものになった。本人は「やめてくれ」と顔を顰めていたが、ソフィアは嬉しかった。
翌日。証拠探しをするグウィンと分かれて、ソフィアもグウィンの両親の霊を探すことにした。
グウィンから館の中を自由に見ていいと許可を得て、端から端までゆっくりと歩いて回る。
途中何人かの使用人に「こんなところで何をしてるんです?」と聞かれたが、「探検してるの」と言えば、不審がられることはなかった。
一通り館の中を見たものの死者の姿は見えず、気分転換にソフィアは外に出ることにした。
グウィンとジョエルが遊んでいたというバスカヴィル領の森を見てみたかったのだ。
グウィンに声をかけた後、護衛を連れて森へ入る。新緑の季節とあって、森は清々しい空気に満ち、陽射しはぽかぽかと暖かい。
ライオネル達はソフィアの邪魔をしないように、少し後方をついてきていた。
森に流れる小川に沿って歩くと、やがて少し開けた場所に出る。そこだけが背の高い木々がなく、野生の花が群生していた。
そこに、一人の少女が佇んでいた。
ソフィアより少し年上の美しい少女である。咄嗟に彼女がグウィンの母エミリアの霊ではないかとソフィアは思った。
少女の足元には影がなかった上、グウィンの母と言われてもおかしくないほど、彼女が美しかったからだ。
だから、ソフィアは思わず声をかけてしまった。
「エミリア様?」
恐る恐る問いかけたソフィアの声に、少女は反応を示した。
「珍しいこと。私の姿が見えるのね。でも残念だけど、私はエミリアではないわ」
その言葉に、ソフィアは落胆した。
「それは、失礼しました」
謝るソフィアを見ながら、少女は小さく笑う。
「でもエミリアのことは知ってるわ」
「ーーえ?」
混乱するソフィアに、少女はソフィアの瞳をぴたりと指差しながら口を開いた。ーーエミリアはあなたと同じ、と言葉を紡ぐ。
「エミリアはね、私の姿が見えてたの」




