解雇された男
婚約式から一夜明けて、グウィンは旧市街に足を運んでいた。
容疑者の一人、オリバー・ボウマンを訪ねる為である。
そして、隣にはソフィアもいる。死者を見るかもしれないからついてくるなと言ったグウィンに、ソフィアは強硬に反対した。
どうやら昨日オズワルドを目にしたことが、ソフィアの何かに火をつけたようだった。
「あんな嫌な大人達のところへ、一人で行くなんて絶対に駄目」
昨日の一件以来、ソフィアはオズワルドに嫌悪感を抱いている。オズワルドがグウィンに囁いた言葉は、ソフィアは元よりセオドアにさえ聞こえなかったはずだが、女性特有の勘なのだろうかと、グウィンは思う。
自分も一緒に行くというソフィアに、グウィンは難色を示したが、ソフィアは諦めなかった。
最終的には、いくつか条件を出すことでグウィンが折れた。
「たとえ死者を見たとしても、その場で話しかけず、私に伝えるだけにすること」
そう言ったグウィンに、ソフィアは素直にこくりと頷く。これは、アルマのような死者がソフィアについてこないようにするための約束事である。
生身の人間から身を守る手段としては、オールドマン家の護衛を連れて行くことにした。
「ライオネルとお呼びください」
そう言った彼は、縦にも横にも大柄な男だった。例えるなら、熊。それも獰猛なグリズリーを思わせる。年は三十代後半。筋骨隆々のその姿は、護衛というより戦士といった方がしっくりくる男だった。
「オリバーの家にはこれまで何度か行っているんだが、毎回不在で会えてないんだ」
旧市街へ向かう馬車の中で、グウィンは口を開いた。
馬車の中にはグウィンとソフィア、そしてライオネルがいる。
空間のほとんどをライオネルの巨体が占めていたが、彼は瞑想したまま会話には入ってこなかった。
「今は何の仕事を?」
「それも分からない。解雇された後も住まいは変わっていないのは確かなんだが」
馬車に揺られながら、グウィンはソフィアにオリバーの事を説明した。
グウィンの家族が殺される一ヶ月前。バスカヴィル家の書斎に忍び込んでいるところが見つかり、オリバーは解雇された。以前から屋敷の物が消えており、警戒していた矢先の出来事だった。
当初、彼は犯行を否認した。しかしオリバーの部屋から盗まれた物の一部が見つかり、彼はバスカヴィル家を追い出される。
その際、彼は随分と口汚くアドルファスを罵ったという。
「解雇された恨みがあるのかしら」
「前から頭に血が上りやすい口の悪い男だったから、本気で父上を恨んでたかは分からない」
グウィンからすると、オリバーは動機が弱すぎる気がするのだ。解雇されたからといって、三人もの人間を殺すだろうか。
一時間ほど馬車に乗っていると、オリバーの住居だという建物に着いた。
3階建てのさびれたアパートメントの1階に、オリバーは住んでいる。グウィンがドアをノックすると、中から反応があった。
「誰だ」
「グウィン・バスカヴィルだ。少し話をさせてもらいたい」
グウィンの答えに、部屋は沈黙した。じっと部屋の前で待っていると、やがてガチャガチャと鍵を開ける音がして、扉が開く。
「これは、ーー坊っちゃん」
顔を出したのは四十過ぎの壮年の男。よれよれのシャツを着て、だらしなく前を開けている。無精髭を生やした、くたびれた男ーーそれが、オリバー・ボウマンだった。
「久しぶりだな、オリバー」
「一体なんでまた……」
驚きを隠せないようにそう言ったオリバーに、グウィンは「中に入っても?」と尋ねた。
オリバーはグウィンの後ろに立つライオネルにちらりと視線を送る。
「彼は護衛なんだ。話を聞く間、同席させてもらいたい」
「こちらのお嬢ちゃんは誰です?」
「ソフィア・オールドマンと申します。彼の婚約者です」
グウィンが言う前に、ソフィアはにっこりと微笑みながら名乗ってしまった。
小さく「なぜ偽名にしないんだ」とソフィアに耳打ちすると、「そんな嘘はすぐばれるもの」と返される。
「婚約者ですか。貴族ってのも大変ですね」
目を丸くしてそう言うと、オリバーは扉を大きく開けた。
「狭い部屋ですが、よろしければどうぞ」
拍子抜けするほどあっさりと部屋に通されて、グウィンの顔には戸惑いが浮かぶ。隣のソフィアを見ると、彼女も意外そうに目を瞬かせている。
「それで、今日はどんな用でわざわざこんなところまで?」
居間にある木の椅子を勧められ、グウィンとソフィアは腰を下ろした。ライオネルは、二人の後ろを守るように立っている。
オリバーの質問に、グウィンが口を開いた。
「事件のあった日、オリバーがどこにいたのか教えてくれないか」
警察の話では彼にはアリバイがないとのことだったが、グウィンはその詳細を知らない。グウィンの言葉に、オリバーは眉を顰めた。
「なるほど、探偵ごっこですか。まあいいですがね。警察にも話しましたが、あの日俺はずっとここにいました」
グウィンの訪問理由が分かって、オリバーの機嫌が悪くなる。
「それを証明する者はいるか?」
「いたら警察もあんなにしつこく来ませんや」
部屋の様子を見るに、恋人もいないのだろう。部屋の隅に、溜まった洗濯物が乱雑に置かれていた。
「もし俺が犯人だったら自分の部屋にいたなんて言いませんがね。もう少しマシなアリバイを用意しときます」
アリバイが一切ないことが自分が犯人でない証拠だと、オリバーは言う。グウィンはそれには答えず、話題を変えた。
「オリバーは今、何の仕事をしているんだ?」
「今は、特に何も」
そう言ったオリバーの声に、焦りも悲壮感も感じられず、グウィンは首をひねった。オリバーは、いわゆる賃金労働者である。資産を持っているとも思えず、仕事をしないとなれば、たちまち生活が立ち行かなくなるのではないか。
その疑問が顔に出ていたのか、オリバーはへへっと粗野な笑い声を上げた。
「ちょっとした臨時収入があったんでさぁ」
「臨時収入?」
それ以上は言えないと笑うオリバーからは、既に先ほどの不機嫌さが消えている。
ーーこれ以上話を聞くのは無理か。
グウィンが隣にいるソフィアにさり気なく視線を送ると、視線に気づいてソフィアは小さく首を振った。この場に、死者はいないという合図である。
一つ息を吐くと、グウィンはオリバーの部屋を見渡した。
靴や衣類、空き瓶が散乱し、散らかった部屋。換気もしていないからか、部屋には独特の強い匂いが淀んでいる。煙草の匂いだろうかと考えて、テーブルの上に葉巻が置かれているのが目に入った。その時、グウィンはふと違和感を感じて眉を寄せる。
ーー何かが、おかしい。
その違和感の正体がなんなのか、はっきりしたのはオリバーの部屋を出てからだった。
「なんだか、変だった」
オリバーの部屋を後にして馬車に乗りこむと、ソフィアがぽつりとそう言った。
「変?」
「うん。着てる服はよれよれだったのに、テーブルに置かれたワインも葉巻も高級品だったわ」
普通の人の一ヶ月の生活費に匹敵するのだと、ソフィアは説明する。
「オリバーが言っていた臨時収入か」
働かず生活でき、高級品が買えるほどの臨時収入とは何なのか。そこに、何か糸口がありそうな気がした。
「オリバーのことは、どう思った?」
ソフィアにオリバーの印象を聞くと、彼女は少し考える素振りを見せた。あくまでも個人的な意見だけど、と前置きをして話しはじめる。
「荒っぽい人だとは思うけど、極悪人には見えなかった」
自信がなさそうにグウィンを見つめるソフィアに、安心させるようグウィンは言う。
「私もソフィアと同じ意見だ。オリバーがそこまで酷い男だとは、思えないんだ」
その言葉に、ソフィアはほっとしたようだった。安堵する彼女に、グウィンは更に言葉を紡ぐ。
「それと、今日はついてきてくれてありがとう」
ソフィアを危険な目に合わせる可能性がある以上、彼女を連れ歩くのはどうしても抵抗がある。けれど、彼女がグウィンの事を心配してくれるのは単純に嬉しかった。
グウィンが感謝を口にすると、一瞬ソフィアは驚いた顔をした後、それは嬉しそうに微笑んだのだった。
ソフィアを護衛と一緒に家まで送り届けた後、グウィンはハイゲート墓地に足を向けた。
週に一度、グウィンはこの場所を訪れる。それが、事件以来グウィンの習慣になっていた。
一度ソフィアも連れてこようか、と考えながら丘を上っていると、家族の墓石の前に一人の男性が佇んでいるのが目に入った。
近くまで来たところで、その正体が見知った人物であるとわかり、グウィンは声をかける。
「フェラーさん」
振り返ったのは、五十代の紳士だった。イライアス・フェラー。彼は運輸省に勤めていた父アドルファスの元上司で、グウィンが幼い頃は家にも何度か遊びに来たことがある人物だった。
「グウィン君」
イライアスも目を丸くする。
「墓参りに来てくださったんですか? ありがとうございます」
イライアスに会ったのは葬儀の時以来だった。
グウィンと同い年の娘を持つイライアスは、家族を失ったグウィンを気遣ってあれこれと心配してくれていた。けれど当時のグウィンには、その優しさに応える余裕がなかったのである。
「父も母も喜びます」
グウィンがそう言うと、イライアスは複雑そうな顔をした。
何かが胸につかえているような、スッキリとしないイライアスの表情に、グウィンは怪訝な顔になる。
「実は今日は墓前でアドルファス君に謝っていたのだ」
イライアスの思いがけない言葉に、グウィンはきょとんとした。何の話かとイライアスに問う前に、続けて告げられた言葉に、グウィンは固まる。
「落ち着いて聞いてくれ。ーー今、省内でアドルファス君に汚職の嫌疑がかかっている」