婚約式
婚約式までの残りの期間は、グウィンは二日に一度はソフィアに会いにオールドマン家を訪れた。
その度にアルマが迷惑をかけていないかと尋ねる彼に、ソフィアも「大丈夫」と安心させるように繰り返した。
アルマはあれ以来、ソフィアを遠巻きに見るようになっていた。時折視界の端に映るものの、アルマがソフィアに話しかけることはなかった。
オールドマン家に訪問する合間も、グウィンは一人ジャック・スミスの行方を調べているようだった。
「あんまり無理しないでね」
そう声をかけると、グウィンはくしゃくしゃっとソフィアの頭をなでた。手慣れた仕草に、これはきっとジョエルにもやってたやつだ、とソフィアは思う。根が兄気質のグウィンは、時折ソフィアを子供扱いする。
「ソフィアは心配性だな」
どこか嬉しそうに言われては、文句を言うこともできなかった。
そんな風にしていると、婚約式まではあっという間に過ぎてしまった。
***
婚約式は、オールドマン家の庭で行われることになっていた。悲劇に見舞われたバスカヴィル家で行うわけにも、大々的に執り行うわけにもいかなかったからだ。ごく近しい人だけを招く、ささやかな披露会。巨万の富を誇るオールドマン家にとっては、いっそ質素といえるほどのつましさだった。
この日のために誂えたドレスに身を包み庭に出ると、グウィンは既に準備を終えていた。
その佇まいに、一瞬ソフィアは見惚れてしまう。
スリーピース・スーツに身を包んだグウィンは、小さくとも立派な紳士だった。背丈はまだソフィアとそれほど違わないのに、礼装していると普段以上に大人びて見える。
ソフィアも目一杯お洒落をしているが、グウィンの横に並んで大丈夫だろうか、と不安が頭をかすめた。
「グウィン」
呼び声に振り返ったグウィンは、ソフィアを見るとしばし呆けた顔をした。
「……どう?」
グウィンの反応に不安そうに問うと、彼は頬を染めた。手を口にあて、視線を逸らす。
今のソフィアは、耳横の髪を花と一緒に編み込み、冠のように上品にまとめてある。後ろは波打つように金褐色の髪を流したスタイルで、一番年の近い姉レティはソフィアを見るなり「まるでお姫様みたいよ」と褒めそやした。
青のドレスに身を包んだ己の姿を最初に見た時には、我ながら別人のような出来栄えだと感動したが、グウィンはどう思っただろう。
じっと答えを待つソフィアに、大分言うのをためらった後で、グウィンが口にしたのはたった一言だった。
「……可愛い」
目線を逸らしたまま呟かれた言葉の破壊力たるや凄まじく、ソフィアは一瞬にして真っ赤になった。明らかに照れた様子のグウィンに、その言葉が本心だと分かったからだ。
「……あ、ありがとう」
かろうじてそう口にするのが精一杯だった。
「ーー若い二人の、これからを祝して」
父セオドアが挨拶を述べると、和やかな雰囲気の中、婚約式がはじまる。ソフィアの婚約を祝うため、仕事や結婚で家を出ていた兄や姉達も一堂に会していた。
「こんなにちっちゃなソフィアが婚約なんて。ソフィア、嫌だったら言うんだよ? 兄様がなんとかしてあげる」
「もう、なんてこと言うのよ」
長兄ケニーの言葉に、長女マチルダが縁起でもないと眉を顰める。この兄は、ソフィアを未だに五歳か六歳くらいの子供だと思っているふしがある。
「お兄様、大丈夫です。グウィンは大切にしてくれてます」
微笑んでそう言うと、ケニーは切なげに眉を下げた。「ソフィアの方が大人ね」というマチルダは、兄を見て呆れ顔である。「婚約おめでとう」と華やかに笑んで祝いを述べると、不満そうな兄を引きずってどこかへ行ってしまった。
「ソフィアは、大事にされてるな」
こっそりと耳打ちするグウィンに、ソフィアは「そうみたい」と笑った。
グウィンは叔父であるオズワルドをはじめとして、親族にあまりよい印象がないらしく、招いた親類はほんの一握り。代わりに彼が呼んだのは、パブリックスクールの友人達だった。
「クリスとヘクターだ」
二人は特に仲の良い友人なのだと、グウィンは言う。
「はじめまして。クリス・アークライトと申します」
「ヘクター・ノーランドです」
柔らかい薄茶色の髪に翡翠の瞳を持つクリスと、うねりのあるくせっ毛とヘーゼルの目をしたヘクター。
クリスは侯爵家の次男、ヘクターは貴族ではなく弁護士の息子だという。落ち着いた口調の二人からは、育ちの良さが伺えた。
「こんなに可愛らしい婚約者がいたとは、グウィンも隅におけないね」
楽しそうに笑ったのは、クリスである。
「手紙には一言も書いてこなかったくせに、いきなり婚約式に呼ぶってお前」
ヘクターはどこか呆れ顔だった。
揃って眉目秀麗。後数年もすれば、少女達が放ってはおかないだろうと思わせる三人組である。
二人に揃って水臭いと非難され、グウィンは顔を顰めた。
「親友だからこそ、今日呼んだんだろうが」
むすっとした顔でそう言ったグウィンに、クリスは溜息をつく。
「ーーグウィンって見た目は綺麗な顔した腹黒に見えるけど、結構いいやつだよね」
照れることをさらっと言わないでくれ、とクリスはわざとらしく肩をすくめている。その言葉に、グウィンは益々しかめっ面になった。
「こんな奴だけど、グウィンをこれからもよろしくね」
クリスが言うと、ソフィアも笑って頷いた。
しばらくしてソフィアの兄達にグウィンが連れて行かれてしまい、ソフィアはその場に残された。グウィンが連行されるのを見送った後で、クリスが呟く。
「あんなことがあって心配してたけど、大丈夫みたいで安心した」
ありがとうと、そう言ったクリスの顔は優しい。先ほどまでのどこかふざけたような表情から、今は友人を気遣う真剣な顔に変わっていた。
「私は何もしてないわ」
「そうだとしても、友達として礼を言う」
これからもグウィンの事を見ててくれと、ヘクターも言う。
真面目な顔になった二人に、グウィンは友達に好かれているのだなと、ソフィアは嬉しくなった。クリスとヘクターの口ぶりから、グウィンを本気で心配しているのがソフィアにも伝わってきた。
それから三人で、学校でのグウィンの様子をあれこれと話していると、しばらくして彼が戻ってきた。
「今、色んな話を二人に聞いていてね」
にこにこと楽しそうに報告するソフィアに、グウィンは複雑そうな顔を作った。
「どうかした?」
「いや……楽しそうだなと思って」
グウィンの何ともいえない表情に、友人二人が声を上げて笑った。「我々は退散するとしよう」「邪魔者は消えるから、後はご自由にどうぞ」と口々に言う。
ソフィアの脇を通り過ぎる時、クリスが「グウィンは良い奴だろ」と囁いた。
庭の散策へ出る二人の後ろ姿を見ながら、ソフィアは思う。
ーーそのことなら、知っている。
不器用ながら、グウィンはとても優しいのだと、短い付き合いの中でソフィアにも分かるようになっていた。
「ええと、私達がさっき話していたのは、グウィンのことなの」
我ながら言い訳めいている、と感じながら、ソフィアは口を開いた。
「グウィンが学校でどう過ごしているのか、二人が教えてくれてたのよ」
だからグウィン抜きで楽しく話をしていたわけではない。
そのようなことをつらつらと並べ立てると、グウィンは息をついた。「私は子供だな」とぽつりと言う。
ソフィアがどう言おうかと思案してるその時。
空気を切り裂くような、セオドアの冷たい声が耳に入った。
「ーー帰れ」
不快そうに荒げられたその言葉は、向かいに立つ人物に向けられている。黒目黒髪の背の高い男性が、セオドアと対峙するように立っていた。
「叔父上」
グウィンのその呟きに、ソフィアは驚いて男の顔を見返した。
オズワルド・バスカヴィル。
ーー招かれざる客の、訪れだった。




