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凶行の夜

 庭の噴水のそばでうずくまるアルマの表情は、ソフィアを不安にさせた。

 彼女の顔は暗く沈み、瞳は虚ろだったからだ。こういう死者はたちが悪いと、ソフィアはこれまでの経験から学んでいた。

 けれど自分で言い出した事を、今更止めるわけにはいかない。そう自らを奮い立たせるも、身体は正直だった。萎縮して震えが走る。

 思わず繋いだ手をぎゅっと握ってしまったソフィアの手を、グウィンも強く握り返してきた。その力強さに、勇気づけられる。

 大丈夫かとソフィアを見るグウィンに、安心させるようにひとつ頷くと、ソフィアはグウィンの手を引いてアルマのそばへと歩みを進めた。

 彼女は爪を噛んでぶつぶつと何事か呟いている。徐々に彼女の言葉がはっきりと耳に入って、ソフィアは眉を顰めた。


「許せない……愛してるって言ったのに……なんで……なんで私がこんな目にあうの……おかしい、おかしい、おかしい……」

「アルマ……?」


 恐る恐る問い掛けたソフィアに、はじめアルマは状況を飲み込めていないようだった。放心したように、ぼうっとソフィアの顔を見つめる。

 やがてソフィアの隣にグウィンがいることに気づくと、彼女は激しく狼狽しはじめた。


「ああ、グウィン様……! ごめんなさい……、ごめんなさい……!」

「落ち着いて。私達、貴女に話があるの」


 優しくソフィアが言うと、アルマはゆっくりと焦点を合わせた。


「……あなた、私が見えるの?」

「ええ、少し話を聞かせてくれる?」


 そう言うと、ソフィアはグウィンを振り返った。ソフィアの促すような視線を受けて、グウィンは噴水横の虚空へ向かって口を開く。


「恋人だという男の事を教えて欲しい」


 グウィンの言葉に、アルマは再び取り乱し始めた。


「ああ! ごめんなさい、グウィン様! 私が、私が愚かだったのです……!」

「待って、一体何がーー」


 ソフィアが困惑して口を開くと、アルマは声を荒げた。


「全部嘘だったんです! 愛してるという言葉も。名前も。全部嘘。あの男は私を利用したんだわ!」


 次第に興奮していくアルマを、ソフィアは必死に宥めながら、根気強く話を聞き出していく。アルマの話はところどころ時系列がばらばらで、支離滅裂な部分もあったが、総合するとこうだ。


 半年前、バスカヴィル家で働き始めたばかりのアルマは、ジャック・スミスと名乗る男と街で知り合いになった。休日、買い物をしていたアルマに、ジャックが道を尋ねたのである。些細なきっかけから、二人は友人になった。

 銀行家の息子だという彼は、慣れない仕事に失敗し落ち込むアルマを、時に厳しく、時に優しく慰めた。ジャックもまた、誰にも言えない悩みをアルマにだけは打ち明けたという。

 

『アルマといると癒やされるよ。周りのやつらは、銀行家の息子という肩書に寄ってくるのばかりだから。本当の私を見てくれるのは、アルマしかいない』

『まあ。可哀想なジャック』


 アルマがジャックの頬に触れると、彼は愛おしそうにアルマを見つめる。


 ーー私だけが、彼を理解している。


 恋に落ちるのに時間はかからなかった。ジャックは紳士でありながら、強引で情熱的。アルマの耳元で熱心に愛を囁く彼に、彼女は夢中になった。


『君の部屋へ行くから、今夜、裏口の鍵を開けておいてーー』


 あの日。熱のこもった瞳でアルマの顔を見つめるジャックに、アルマはうっとりと頷いた。恋人同士の危険な逢瀬。その背徳的な響きに、いけないことだと制止する心の声は、すっかり消え去っていた。

 昼から降り出した雨が、夜になって雷を伴って激しく窓を打ちつけているのを見て、今夜はジャックは来ないかもしれないとアルマは不安になった。この日、空が白み始めるまで、アルマはジャックを待ち続けた。

 別室で主人一家が惨殺されていることなど、夢にも思わず。


 事件が発覚した後も、アルマはジャックを疑ってはいなかった。というのも、事件後もジャックはアルマに会いに来ていたからだ。


『あの日は、行くのを断念したんだ』


 申し訳なさそうに謝罪したジャックの言葉を、アルマは信じた。彼があの恐ろしい事件に関わっているなどと、思いたくなかったということもある。


『息子さんが爵位を継いだんだろう? 可哀想に。彼はどんな様子だい?』


 心配そうにグウィンの様子を尋ねるジャックに、見ず知らずの少年にさえ優しい人なのだと、アルマは思った。心の片隅にある疑いは、脇に押しやった。そうでなければ、自分のやった行いに、おかしくなってしまうから。

 しかし、その後も何度もグウィンのことを尋ねる彼に、少しずつアルマの不安は大きくなってゆく。

 そして、一週間前。ジャックは唐突にアルマの前から消えた。別れの言葉ひとつ残さず。必死にジャックを探すアルマが知ったのは、「ジャック・スミス」などという男は存在しないという事実だった。

 名前も出身も、全てが偽りだった。

 愛していた男に騙され、殺人の片棒を担がされたのだと悟った時、アルマの何かが壊れた。


「では、アルマは自分で首を吊ったのか?」

 

 アルマの言葉を説明するソフィアに、グウィンは尋ねた。彼の眉間には、深い皺が刻まれている。


「ーーうん。そうみたい」


 ぶつぶつと呟くアルマを見ながら、ソフィアが言う。アルマの言葉を信じるなら、正体不明の男は、一週間前に姿を消している。わざわざアルマを殺しに戻っては来ないだろう。


「男の特徴は分かるか?」

「ーーアルマ。ジャックの髪色や瞳の色は何だった?」


 ソフィアが聞くと、アルマは「栗色の髪に、灰色の瞳の男よ」と答えた。

 ソフィアがアルマの答えを告げると、グウィンは小さく首を振って「もう、これ以上はいいだろう」と口にした。

 独り言を呟き続けるアルマを残し、屋敷の中に入ると、一気に疲れが襲ってきた。「今日はこれで帰るね」と力無く言うソフィアを、グウィンは玄関ホールまで送る。

 ソフィアの姿が見えなくなるまで、グウィンはその背中を見送った。


 帰りの馬車の中で、ソフィアは先程までグウィンに握られていた手の平を見つめていた。ぐったりするような一日でありながら、そのことを思い出すと、自然と顔が火照ほてる。家族以外の異性と手を繋いだ経験など、ソフィアにはない。グウィンに手を握られている間中、心臓がうるさくて大変だった。

 なんだかもぞもぞと落ち着かないような、でもふわふわとするような気持ちになりながら、ソフィアは家へと帰り着いたのだった。


 その日の夜半。ソフィアは寝苦しさを感じて目が覚めた。うつらうつらとしながら、寝返りを打ったところで、咄嗟に悲鳴をあげそうになる。


「ーーっ!」


 ソフィアの眠るベッド脇から、アルマの顔半分が覗いていた。アルマは瞳を爛々と輝かせ、ソフィアの事をじっと見つめている。

 一体いつの間に、と恐怖で息を止めたソフィアに、アルマは言った。


「あなた、私が見えるのよね。ねぇ、私に協力してちょうだい。あの男に復讐しなきゃ。私だけこんな辛い目にあうなんて、不公平だと思わない?」


 ぶるりと背筋を冷たいものがつたう。ソフィアは、がばっと毛布を頭から被ると丸くなった。

 そうして、瞼を固く閉じ、耳を塞ぐ。


 ーーアルマは、ついてきてしまった。


 恐怖で身体が小刻みに震えてしまう。死者を見るようになってから、これまで何度か死者がソフィアについてきてしまうことはあった。

 そんな時、ソフィアは嵐が過ぎ去るのを待つように、ひたすら時が過ぎるのを待った。それが一日なのか、一ヶ月なのか分からないが、じっと耐えていればいつしか彼らの姿は見えなくなったのだ。

 今度も耐えればきっといなくなる、とソフィアは自分に何度も言い聞かせた。

 けれど、拭えない不安もあった。こんなに恨みの深いアルマが、そう簡単に消えるだろうか。


 ーー恐い。


 結局、その後ほとんど眠ることができないまま、ソフィアは朝を迎えた。

 その後も昼夜を問わず、アルマは怨念のこもった言葉をソフィアに聞かせ続ける。「復讐に協力しろ」というアルマの願いは、ソフィアの神経をすり減らした。そんな状態が三日も続けば、ソフィアの顔色はすっかり悪くなっていた。


 目の下には隈ができ、唇は荒れ、頬の血色は悪い。アルマの死から四日後。オールドマン家にやって来たグウィンは、ソフィアを見るなり顔色を変えた。つかつかとソフィアに歩み寄ると、両手でがしっと彼女の肩を掴む。


「おい、ーー何があった?」


 凄まじい剣幕で問いつめられて、ソフィアはアルマに出会った夜からの出来事をすっかり白状してしまった。


「馬鹿! なぜそれを私に言わない!」


 グウィンに叱られ、びくりと身をすくませるソフィアに、彼はがりがりと頭を掻いた。


「……ソフィアに怒ってるわけじゃない。私がアルマを探させたようなものだ」


 アルマは今どこにいるのだと、そう尋ねたグウィンに、ソフィアは応接間の窓際を指し示した。グウィンはそちらの方へ顔を向けると、怒りを込めた声で口を開く。


「アルマ。もし少しでも私に悪いと思っているのなら、ソフィアにつきまとうのはよせ。復讐したいなら、私が代わりにやってやるから」


 その言葉に、ソフィアは驚いてグウィンの顔を見つめた。漆黒の瞳が、炯炯けいけいと光っている。


「ーージャック・スミスというその男、私が死刑台に送ってやる」

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