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謎の男

「グレグソン警部!」


 庭に集まった警官の中に馴染みの顔を見つけて、グウィンは声をあげた。

 グウィンの姿を認めたロジャーは、重そうな身体をゆらしながらグウィンの元へとやって来た。


「バスカヴィル卿。探していましたよ。どこへ行かれていたんですか」

「ソフィアの家です」

「ソフィア?」


 初めて聞く名に、ロジャーは首を傾げる。


「私の婚約者です」


 グウィンがそう言うと、ロジャーは何とも微妙な顔をした。自分より背の低い、遥か年下の少年を上から下まで眺める。ロジャー・グレグソン、43歳。彼は、未だ独身である。

 「13歳で婚約者……」というロジャーの呟きは、幸い誰にも聞かれることはなかった。

 怪訝そうなグウィンの様子に気がつくと、ロジャーはごほんと咳払いを一つして、話し始めた。


「2時間前、洗濯室でメイドが首を吊っているのが発見されました」


 ロジャーは手元の手帳に視線を落として、グウィンに質問した。


「アルマ・フライという名のメイドです。ご存知ですか?」

「ええ」


 答えながらも、内心グウィンは動揺していた。

 アルマが死んだ。グウィンが彼女を問いただす直前という、そのあまりのタイミングのよさに、胸に疑念が湧き上がる。


「彼女は自殺ですか? それとも他殺?」

「まだ詳しいことは分かりません。彼女のことで少し話をお伺いしても?」

「構いません」


 どうぞと、グウィンが先を促す。


「最近の彼女の様子に何かおかしな点はありませんでしたか」


 ロジャーの問いに、グウィンは最近のアルマの様子を包み隠さず話した。

 グウィンの話を書き留めながら、ロジャーの眉間に皺が寄る。


「では、何かを隠している様子だったと?」

「はい。明らかにここ最近、彼女の様子は普通ではありませんでした」


 考え込んだロジャーに、グウィンは言った。


「これから使用人達にも話を聞くんでしょう? 私も同席させてはもらえませんか」

「それは駄目です」

「無理なら皆さんが帰った後に私がもう一度聞くだけですよ。彼らにとっても一度に話をした方がいいでしょう」


 それに怖い顔の警官に囲まれるより見慣れた自分がいた方が彼らも落ち着いて話せる、と主張するグウィンに、ロジャーは渋い顔をした。

 この三ヶ月の付き合いで、ロジャーが見た目に反して人がいいということを、グウィンは知っていた。彼は家族を唐突に失ったグウィンに同情的だ。グウィンが必死に頼めばロジャーは折れる。悪いと思いつつも、グウィンはあれこれと理由を挙げて、最終的にロジャーの首を縦に振らせてしまった。


「今回だけですからね」

「分かっています。我儘を聞いていただき、感謝します」


 30分後、聞き取りのために急造で用意させた部屋には、グウィンとロジャー、そして彼の部下だという若い刑事の三人がいた。


「質問は私がしますから、バスカヴィル卿はお話にはならないように」


 釘をさすロジャーに、グウィンは大人しく頷いた。


「じゃあ、一人ずつ部屋に呼んでくれ」


 ロジャーがそう言うと、部屋の外にいた制服警官が使用人を連れてくる。最初に部屋に入って来たのは、家令のオーティス・ベッテルだった。彼は白髪混じりの、穏やかな老執事である。


「それで、何をお話しすればよろしいでしょうか」


 椅子に座った彼は、真剣な面持ちで口を開いた。様々な人生の苦楽を経験してきた彼は、部屋に呼ばれた訳を理解しているようだった。

 アルマの話を聞きたいと言ったロジャーに、オーティスは慎重に言葉を紡いでゆく。


「最近の彼女の変化には、私も気づいておりました」


 オーティスの話によれば、最近のアルマは食が極端に細くなり、仕事でもミスを連発していた。悩みがあるなら相談に乗るとオーティスが声をかけると、「何でもありません」と断ったという。


「彼女と親しくしていた者はいますか?」


 最後にロジャーがそう聞くと、オーティスはアルマと年の近いメイドの名を挙げた。オーティスに礼を言うと、ロジャーは名前の挙がったメイドを部屋に呼ぶ。


 キャシーという若いメイドは、おどおどと不安そうな顔で部屋に入ってきた。


「あのう、あたしにご用というのは……」

「キャシー・ギャラガーだね?」


 ロジャーが尋ねると、彼女の肩がびくりと揺れた。


「は、はい」

「アルマの事で、話を聞かせてもらいたい。君はアルマと仲が良かったと聞いた」

「仲が良かったって程じゃ……ええと、あたしは何を言えば……」


 怯えるキャシーの緊張をほぐそうと、ロジャーは微笑むが、個性的な顔を持つ男の笑顔は、彼女の表情を一層固くしただけだった。

 哀れな上司の代わりに、ロジャーの部下が口を開く。


「君が何かしたってわけじゃないんだ。この屋敷で君達は仲が良かったと聞いて、アルマが特別親しくしていた人間を知らないかなと思って」

「特別親しい、ですか?」

「うん。恋人とか」


 そう言って彼は優しく微笑んだ。柔和な笑みを浮かべる若い刑事に、キャシーの頬がほんのりと染まっている。二人の刑事への対応の違いに、グウィンは「女性は残酷だ」と複雑な心境を抱いた。


「あの子、半年くらい前から男の人と外でこっそり会っていたみたいです」

「どんな男か分かる?」

「詳しくは教えてくれなかったんです。でもとっても素敵な人だって、毎日惚気(のろけ)てました」


 そういえば最近彼の話を聞いてないわ、とキャシーは呟いた。

 その言葉に、ロジャーとグウィンは視線を交わす。


「男の名前や容姿は分かるかい?」

「名前は知らないけど、一度屋敷の外でアルマが男の人と話しているのは見たことがあります」

「その男が恋人だと?」

「ええ。だってあの子、頬を真っ赤にして彼のこと見つめてたんだもの。誰が見たってアルマがのぼせてたのは分かりますよ」

「それはいつ頃? どんな男だったか覚えてる? 髪の色や瞳の色は?」


 矢継ぎ早に問われて、キャシーは少し考え込むようにした。記憶を辿るように視線を彷徨わせる。


「四ヶ月くらい前、屋敷の裏道で話してるのを見たんです。背が高くて、顔は格好いい人でしたよ。アルマが夢中になるのもしょうがないって思った記憶があるもの。髪は栗色だったかしら? ごめんなさい、瞳の色は分かりません」

「いや、充分だ。どうもありがとう」


 若い刑事がもう戻っていいよと言うと、キャシーはほっとしたように微笑んで、部屋を出て行った。彼女の話を聞き終わったグウィンの瞳は、鋭さを増す。


「その男が、何か事件に関わっているのでしょうか」


 ぽつりとグウィンがこぼした呟きに、ロジャーも思案顔になった。


「これだけでは何とも。アルマは事件とは関係なく、失恋して自殺した可能性も考えられますから」


 そう言いつつも、ロジャーも疑念は拭えない。アルマの恋人だったという男は、一体何者なのか。

 その後も使用人達の聴取は続いたが、真新しい情報は得られず、日が沈む前にロジャーはバスカヴィル家を出て行った。



 翌日、血相を変えたソフィアがバスカヴィル家を訪れた。

 彼女の様子に、ソフィアがアルマの死を知っているのだとグウィンは気づく。


「グウィン、大丈夫?」


 そう言ってグウィンを見つめるソフィアの顔は心配そうで、彼女が本気でグウィンを気にかけているのが分かった。その事に温かい気持ちになりながら、グウィンは口を開いた。


「私は平気だ。それより、どうしてここへ?」


 そう言ったグウィンに、一瞬ソフィアはきょとんとした後、みるみる顔が不機嫌になっていく。


「心配したからに決まってるじゃない!」


 何を当たり前の事を、と憤慨するソフィアに、グウィンはたじろいだ。「すまん」と反射的に口にしたグウィンに、「分かればいいのよ」とソフィアは矛を収める。

 

「昨日話していた人が、亡くなったんでしょう?」

「ああ。自殺か他殺かはまだ分からないが、やはり彼女が家族の事件に関わっていたんじゃないかと思う」


 グウィンが昨日の聴取の内容をソフィアに伝えると、彼女は真剣な顔でグウィンに言った。


「私、アルマの霊を探してみようと思うの」

「いいのか?」


 驚いてそう聞くと、ソフィアは「探している間、グウィンも一緒にいてくれる?」と聞き返した。途端に不安そうな顔になるソフィアに、グウィンが「無論、構わないが」と言うと、彼女はほっとしたように息をつく。


「亡くなってから間がなかったり、現世に未練がある死者は、見えやすいみたいなの」


 これまでの経験から勝手に推測しているだけだけど、とソフィアは言う。


「探せばアルマがいるということか?」

「約束はできないけど、見える可能性は高いと思う」

 

 アルマの特徴をいくつか話した後、二人は屋敷の探索をはじめた。

 とは言っても、死者を見ることができないグウィンは、ただ屋敷を歩き回るだけである。

 ソフィアを連れて、グウィンは屋敷を歩いて行く。アルマが生前よくいた場所を中心に、キッチン、洗い場、使用人ホールを見て回る。

 アルマが発見された洗濯室の前までくると、ソフィアは足を止めた。緊張でソフィアの指が震えているのを見て、グウィンは彼女の手を握る。

 驚いた顔でグウィンを見るソフィアに、「嫌なら止めよう」と言うと、ソフィアは静かに首を振った。

 息を吸ってソフィアはドアノブを回すと、中へと足を踏み入れた。既に遺体は運び出され、昨日の騒動の痕跡は消えている。部屋の中を見回した後、「ここにはいないわ」とソフィアは静かに告げた。


 その後も屋敷内を見て回るも、アルマの姿は見つからず、二人が諦めかけた頃。ふと、中庭に視線をやったソフィアは固まった。

 繋いだ手に力がこもったのを感じて、グウィンは隣にいるソフィアに顔を向けた。


「どうした?」


 と尋ねると、グウィンだけにしか聞こえない音量で、ソフィアは囁いた。


「庭に、アルマがいるわ」

 

 そう言ったソフィアの細い肩は、震えていた。

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