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激しい揺れの中エスメラルダは帆柱に近づこうとした。しかし、やっと2、3歩進めただけで大きくバランスを崩してしまった。慌てて近くにいたイーグルが抱き止める。
「これ以上無理だ!」
「でも、帆柱が折れたら先へ進む事が難しくなります……」
それは、イーグルにも痛いほど分っている。今、選んでいる航路には修繕を出来る港も島も無いのだ。無理に残った帆を揚げてもまともに舵がとれるかどうかも判らない。しかも、船の少ない外洋上で他の船影を見つける事が出来るのか。このままでは嵐をやり過ごしたとしても、大洋をさ迷う事になりかねなかった。しかし、既に全員がなにがしかにつかまらずに立っている事が出来なくなっている。甲板はともすれば高波に洗われ、足元をすくって行く。誰も船内に戻る事さえ出来ない。空は暗くよどみ、嵐の去る気配は一向に無い。
「どうすればいいんだ!?」
サグレスは近くにいたデワルチに向かって怒鳴った。
「こうなったらどうにも出来ない!無事に嵐の過ぎるのを待つだけだ!」
「でも、エスメラルダが何か言ってたぞ!」
「あの帆を降ろせって言ったんだ!でも、この状態じゃ無理だ!イーグルが止めている」
「だって、このままじゃまずいんだろ?」
サグレスの疑問にグロリアが口を挟んだ
「帆柱が風圧で折れそうです。なんとか帆を畳まないと……」
「だから、無理だって!待て!」
いらいらとデワルチが答えた時にはサグレスは舷側伝いに帆柱に向かって動き始めていた。
「おれも!」
サグレスの動きに気がついたシナーラが後に続いた。慣れた道筋のはずなのに叩きつける雨と甲板を洗う波に阻まれてじりじりとしか進めない。その間にも帆柱は危険な軋み音を響かせている。サグレスとシナーラは互いに庇い合いながら帆柱に近付いて行った。
「あのバカ!」
シークラウドが気付いた時には2人は帆を止めるロープの一本に辿りついた所だった。たどたどしいながら、2人力を合わせてロープを引く。重い帆はゆっくりと巻き上げられて行った。
「がんばれ……」
ラディックが呟いた。それはその時その場にいた者達の共通の願いだった。
「……痛っ」
ロープに血が滲み始めていた、濡れた手にロープが擦れて皮が剥けたのだった。思わずシナーラが顔を顰めた拍子に力がゆるんだ。あっという間にロープが戻り、引きずられてサグレスが悲鳴をあげた。
「危ない!」
エスメラルダの顔は蒼白だった。
「もう、もう止めてください!誰か!誰か……」
エスメラルダの細い腕には赤い古びた腕輪が張りついている。その腕輪に祈るようにエスメラルダは顔を伏せた。
その時、聞き慣れない声が背後から響いた。振り返ると船内から誰かが出てきた所だった。ちょうど影になって姿形は判然としない。その場にいた全員が我が目を疑った。
「何をしている!ロープで体を括り付けろ!」
まさにその時、海面に向かって一直線に雷光が落ちて行った。一瞬、辺りは轟音と共に明るく照らし出され、サグレスはその顔をはっきり見る事が出来た。見知らぬ男だったが、その顔には大きな傷痕があった。その人物は支えも無しに甲板に立っている。
「ゲオルグ!」
「総長!」
誰かが叫ぶのが聞こえた。イーグルが思い出したように体を手近な帆柱に結び付けた。他の者も慌てて同じようにする。しかし、ゲオルグは唇を引き結ぶと次の瞬間手に持った短剣を空中高く投げ上げた。短剣は弧を描いて飛んで、強風を一杯に受けた帆に突き刺さり、自身の重さで帆を縦一文字に切り裂きサグレスの目前の甲板に深々と突き刺さった。




