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エスメラルダは入室するとセドフ船長の背後に控え敬礼の姿勢を取った。シスヴァリアスは数瞬ためらった後、口を開いた。
「率直な意見を聞かせて欲しい。君以下の士官候補生だけでザルベッキアまでの残りの航海をする事は可能か?」
さすがのエスメラルダもこの問いには直ぐに答えられなかった。しかし、セドフが軽く頷いたのを見てエスメラルダは暫らく考えた後に答えた。
「途中何事も無ければ。皆、少しずつ技術も向上してきています。当直が厳しいかも知れませんが、日数的にも無理では無いと考えます」
「うむ」
シスヴァリアス提督はセドフ船長と顔を見合わせた後、決意したように指示を下した。
「外の者を呼んでくれ」
「はい」
エスメラルダが扉を開けると待ちかねた様にクレオーレを先頭に仕官達が中に入ってきた。後から提督の従者達も入ってくる。どの顔も緊張している。広くは無い室内には不安と緊張が渦巻いていた。全員が室内に入ると、シスヴァリアス提督は立ち上がり、座っているセドフ船長に厳しく言い渡した。空気が瞬時に凍りつく。
「厳正なる軍船に身元不明者を搭乗させ、結果受けた被害は決して軽微では無い。更に、最近イングリア船と名乗る不明船の周辺諸国に対する略奪との関係も疑われるため<我が女神号>船長以下乗組員の本国強制送還を命ずる」
「なっ!」
「そんなはずはありません!」
仕官達は口々に提督に詰寄ったが、従者がすぐに押し止めた。
「弁明は本国で聞こう。速やかに他の乗組員に伝え、下船の準備をするように」
「海軍士官である以上、提督の命令は絶対である」
セドフが厳かに口を開いた。その感情を見せない口調に仕官達に動揺が広がったが、反論の余地は無かった。
「船は……船はどうなさるのです?」
クレオーレが思い出したように口を開いた。
「予定通り航海を続ける。ヴァーサ副船長に船長代理権を与え、士官候補生をその配下につける」
「なっ!無茶な……」
「行きなさい。お前の職務を果たすのだ」
セドフに促されて、クレオーレは他の仕官と共に部屋を出て行った。後から従者達もついて出た。室内には静寂が広がった。一息つくとセドフはエスメラルダに向かって言った。
「エスメラルダ。異例の事だが、君には船の全権を委ねる。目的はザルベッキア評議会に女王陛下の親書を手渡す事だ」
シスヴァリアス提督が口を開いた。エスメラルダは青ざめてはいるが、その感情は推し量れなかった。
「君には、無理をさせてしまうね」
「いえ」
シスヴァリアス提督は懐の隠しから何かを取り出して、エスメラルダの手に載せた。それは赤い髪を編んだ古びた腕輪だった。
「……これは?」
「これくらいの事しか出来ない私を許してくれ。これはその昔、我が祖ダイウェンが赤い女神の下で戦った時、女神から賜ったと伝わっている。幸運のお守りだ。君に渡すのはおかしいかもしれないが……航海の無事を祈る」
「提督……」
「細々とした事はシークラウドに聞きなさい。彼は船に残して行く。君達の技量なら無理では無いと信じている」
「船長……必ずご期待に添えるよう努力いたします」
「うむ。それと、ヴァーサは船室から出さなくて良い。無駄な騒ぎになるといけないからな。では、行きなさい」
エスメラルダは頷くと、部屋を出た。




