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水面に灯火が映り、辺りは幻想的な雰囲気を醸し出している。さざなみによって火はいくつもの輝きを作りだし、僅かな灯りながら闇を退け所々に突き出た柱を浮かび上がらせている。しかし、今この場にいた者達はその美しさに気づく暇など無かった。
「水が……」
サグレスとシナーラは同じ言葉を発して顔を見合わせた。互いの顔は暗闇に沈んでよく見えないが恐らく青ざめている事だろう。しかし、シナーラは踝に打ち寄せる水の感触に違和感を覚えた。懐かしくて、軟らかな感触……手ですくいあげて、一口含む。
「真水だ……」
「そんなはずないだろ」
「ぼさっとすんな!!」
その時シークラウドの怒声が飛んだ。シークラウドは壁に設えられた灯火台に順に火を着け終った所だった。灯りの中で改めて見まわすと、周囲は散々な状態だった。元来ここは食料品などの倉庫として使われていたらしいが、今は樽が壊れ、積み上げられた袋の口から雑穀がぶちまけられている。目の前を樽が滑って来たので、サグレスは慌てて樽を支えた。
「そこらのロープで片っ端からくくっていけ」
シークラウドは既にロープを片手に積荷と格闘していた。シナーラも手近なロープを見付けるとサグレスの抱えている樽を柱に縛りつけた。
「大丈夫?」
「あぁ。これは結構大変だぞ」
激しい揺れの中で水浸しの床は滑り易く、荷を押さえるだけでも困難であるのに、これを壊さないように手近な柱に固定して行くのはかなり難しい作業であった。しかも急がなければ、崩れて行く荷は増える一方だった。
「大丈夫か?嵐の方は峠を越えたようだ」
唐突に上から声がした。見上げるとイーグルが覗き込んでいる。
「バラストをやられた。何人か寄越してくれ」
すかさず、シークラウドが顔も上げずに怒鳴り返した。やがて、イーグルを先頭に4、5人が降りて来た。皆、階下の状況を見ると一様に息を呑んでいたが、すぐさま作業に取り掛かる。
「バラストってなんですか?」
新たに作業に加わったラディックが小声で聞いた。一緒に加わったグロリアがこちらも小声で答える。
「簡単に言うと船の重りですよ。ひっくり返らないように下の方に入れるんですけど、ここでは食料だったんですね」
「あ、そう言う事か。でも全部食べちゃったらどうすんだろ?」
この答えに思わず近くにいたサグレスとシナーラは噴出してしまった。
「口より手を動かせ」
すぐさま、イーグルの注意が飛ぶ。
「はい」
慌てて、手近な積荷に取り付いて固定する作業を再開した。実際、徐々にではあるが揺れも収まり始め、作業そのものは急ピッチで進められていった。
どれ程の時間が経ったのか。最終的に使える荷は全て固定し直され、残りは海に処分された。床の水も全て汲み出し、今はじめじめとした感触が残っているだけだった。既に嵐も収まっている。元々はどのぐらいの荷がここに収められていたのだろうか。シークラウドは床に座り込み、無言で荷の山を見つめている。しかし、その表情は長い前髪に隠されて分からなかった。サグレスにはシークラウドが泣いているような気がした。
「シークラウド?」
イーグルがそっと声を掛けた。シークラウドは腕でグッと顔を拭うと立ち上がった。
「船長に報告に行って来る」
そして、後も見ずに上がって行った。シークラウドの後姿を見送ると、イーグルはサグレス達に向き直った。他の船員達は既に立ち去っている。
「ごくろうだったな。シナーラとサグレスはまだ時間があるから休んでおけ。グロリアとラディックは交代までもう少しがんばってくれ」
「はい」
疲労が滲む声が挙がる。




