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ベートーヴェンが死んだ。その数年後にベルリオーズはある曲を書き終えた。彼はとても純朴な青年であり、シェイクスピアの劇を見て登場人物に恋をし、女優に愛を覚えた。遠い存在は鮮やかな夢を描かせ、女の存在が彼の中でふくれあがり、未来の二人に育まれた愛情を感じささせた。いつしか、愛情と狂気は結ばれ、『幻想交響曲』が産まれた。
五十年前の演奏を模したスピーカーの震えを耳で味わいながら、拝島は空想を膨らましている。一人暮らししている自室のベッドで寝ころび、タバコを吸い始めた。
時計は四時半をさしている。今晩七時から高校の同窓会だった。幹事に参加を伝えたものの気分が乗らず、彼は早くも訪れた秋の暖かな空気に抱かれまどろみかけていた。
潜水するかのように深く息を吸いこみ、拝島は煙を肺に流し込む。目をつむり記憶の底の暗がりへと沈んでいく。真っ暗な世界に木とパイプで出来た机と椅子が浮かぶ。ふと顔を上げれば黒板が見えた。クラスメイトの騒がしい声も聞こえてくる。
ありったけのチョークで記念書きされた黒板、右下の日直の欄はクラスのカップルに陣取られている。胸に造花をつけた級友たちは名残惜しそうに語り合う。卒業式と帰りの会の間のひととき。
武井大輔と飯田美春が卒業アルバムにコメントを書き合っている。拝島はまだ手つかずの白いページを開く。
思い出にひたる拝島はタバコの灰が服におちるのにも気づかない。煙を肺に流しこむ。青く澄んだ空は灰色に濁り始め、部屋の彩りは失われていく。
制服姿の拝島はアルバムを片手に立ち上がる。左前の席、黒い髪の少女へ向かう。白い首が目に入り、その鮮明なコントラストが彼の胸を打つ。抱える本はゆっくりと赤い帯に侵され黒ずんでゆく。彼女の肩へと手をのばした。少女はこちらに気づかない。彼の胸はしめつけられる。右手に激痛が走る。本から炎が立ちあがり燃え始めた。彼はそれを投げ捨てる。
ひどく汗をかいた拝島が目を開くとカーペットに吸い殻から火が燃え移っていた。寝ぼけてタバコを放り投げたと察し、彼は慌てて水をかける。拝島がまどろみから覚めようと、カーペットにできた小さな穴が消えるはずもなかった。