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(3)

月曜日の朝。そらくは一週間の中で最も憂鬱であろう時間である。

昨日の精神的疲労が抜けきらない身体に鞭打って、電車に揺られて学校へと向かう。

俺の隣では精神的疲労の元凶が同じように電車に揺られていた。

電車に揺られて胸も揺れている。眼福眼福。

この悪魔と付き合う上で生じる様々な損害をこういう形で少しでも返済してもらわねば割に合わない。

そう思っていたらそれこそ悪魔か鬼かという形相で睨み付けられた。

視線がバレたらしい。身長差の関係で向こうが見上げる形になるので、

少し上目遣いで不機嫌そうに睨み付けてくる表情がわりと可愛い。

ガスッ

精神衛生上なるべく前向きに受け止めようと人が努力しているのに、

向こうずね蹴りやがったよこのアマ。

しかもコイツの履いてるのはローファーとかではなく、スニーカータイプの安全靴。

鉄板入り。メチャクチャ痛い。

「痛えだろコラ」

周囲の迷惑にならないように声を抑えて苦情を述べる。

「この人痴漢ですって私が叫んだら、あんたどうなるかしらね?」

断じて触っていない。見ていただけだ。

「見てただけでも視姦っていう立派な変態的プレイだわ」

変態はお前だ。

「今問題になってるのはあなたの特殊性癖よ。

何なら私が今まで被った性的苦痛の数々を出るとこ出て列挙しましょうか」

悪かった。これからはお前の乳に触るのは月一回くらいに自重する。

ガスッ

また蹴られた。むしろ俺が暴行罪で訴えたい。

なぜ満員電車の中でこんな肉体派コントをするハメになっているかというと、

忌々しいことにこの女と俺の高校が同じだからである。

同じ学校へ向かうのに、ほぼ同じ住所から出発するのならほぼ同じ時間に家を出ることになる。

そんなわけで別に待ち合わせをしているわけでも何でも無く、

なんとなく同じ道を通って駅に着くまでにはなんとなく一緒になるのである。

そしてこのやり取りは日課となった苦行の一部である。

俺達の通う高校は電車で一時間もかかる場所にあるので、同じ時間だけ苦行は続く。

実際直線距離上では地元と学校がそれほど離れているわけではないのだが、

この私鉄が大きく迂回する形で路線を引いたので、かように時間のかかることになっている。

高校は公立の進学校で卒業後の進路は99%が大学進学なのだが、

この学区の学校の序列では上から4番目というなんとも中途半端な立ち位置である。

学校は勉強するところとばかりに部活動などはあまり活発ではなく、

せいぜい吹奏楽部がたまに県大会に出たとか出ないとかいうくらいしか見るべき所はない。

実際、俺も歌恋も帰宅部だ。

一時間電車に乗って、さらに徒歩で15分。校門以外の三方を山に囲まれた学校に到着する。

どんぐらい山の中かというと、

たまに運動部の部員が部室に置いといた弁当が猿に食われることがあるくらい山の中だ。


何の因果か同じクラスである俺達は一緒に教室へ入っていく。

教室内には八割方の生徒がすでに集合して学友達と休日の出来事を話したりしていた。

隣の席の俵田という男子生徒が話しかけてくる。

「よう、今日も夫婦同伴でおアツいことで」

勘弁して欲しい。なぜかこのクラスではまるで俺と歌恋が付き合っているかのような認識をされている。

俺はスレンダーな長身美人が好みなのだ。チビ巨乳はお呼びじゃない。

「なあ相田、お前ニワトリさばいた事あるか?」

「なんでわざわざ自分でさばくんだよ、鶏肉くれえスーパー行けば売ってるじゃねえか」

よくキャンプに行ったりするらしいアウトドア派な俵田なら経験があるかと思って聞いてみたのだが、

空振りだったようだ。

「どうせ自分でさばくなら普通売ってない肉にチャレンジしてみたいよな。蛇とかウシガエルとか」

こいつもどっかズレてやがる。自衛隊にでも入れ。

「いいや、俺はプロテニスプレイヤーになるんだ」

常敗無勝の弱小テニス部のエースはさわやかな笑顔でサムズアップして見せた。


キーンコーンカーンコーン

チャイムが鳴り、皆が席に着く。

いつもならばチャイムが鳴ると同時に姿を現す担任教師が、その日は姿を見せない。

ホームルーム終了のチャイムが鳴っても担任は現れない。

遅刻気味で駆け込んできた数人の生徒がやったラッキーなどと言っているが、

一限目はその担任が担当する数学である。どうするつもりなのか。

1限目の開始を告げるチャイムが鳴っても担任は現れなかった。

担任が遅刻なり欠勤なりしたにしても、

誰かしら他の教師が自習を指示しに来たりしてもよさそうなものだが、特に誰も来る気配もない。

教室内は若干困惑した空気が漂うが、やがておしゃべりを始める者、携帯電話をいじりだす者、

別教科の課題をやり出す者、マンガを読み始める者、机に突っ伏して寝始める者と、

皆それぞれにこのの空白時間を潰すべく行動を開始した。

俺がやり忘れた英語の宿題でもやろうかとしているところで、ポケットの中で振動。

スマホを取り出すと、歌恋からのメールだった。

話があれば直接言えばいいのに。

実際立ち歩いて友人の机に集まって談笑している連中もいるのだ。

メールを開いてみると、タイトルなしのこんな内容だった。

「ひょっとして昨日の件がバレて職員会議とかになってるとか?」

いや、考えすぎだろう。それならそれで何かしら指示があるだろうし。

「単に寝坊して遅刻したのを誰にも気付いて貰えなかったんだろ」

と返事を打つ。スマホの小さなキーボードは非常に文字を打ちにくい。

一行の文を書くのにもやたら時間がかかってイライラする。

送信してすぐに歌恋から返事が来た。

ヤツはガラケーだから文章作成が早い。

「遅刻して気付かれないならむしろ得なのでは?」

確かに。

どう返事を書こうと思案していたら、教室の扉がガラッと開かれた。

そこには顔面蒼白の担任教師がいた。

髪はボサボサ、服はヨレヨレ。目はうつろで、半開きになった口からはヨダレが糸を引いている。

おぼつかない足取りでふらふらと教壇に進む姿はまるでゾンビだ。

クラス中がおそるおそる見守る中、

教卓に辿り着いた担任は焦点の定まらない目で斜め上方向を見上げながら喋り始めた。

「あーすいませんねえ。なんか職員会議が長引いちゃって。とりあえず出席取るから全員席に着けつけつけつけ

ツケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケ」

白目を剥いて泡拭きながら痙攣しはじめた。

「アババアババアババアバアバババアバアバ…」

何人かが心配そうに担任に近づこうとしたが、

ビクンビクンとヤバげな痙攣を繰り返す姿に圧倒されて誰も担任に触ろうとはしなかった。

「ワレワレハウチュウジンダ、ナポレオンハチテイジンダ、オマエラハハンギョジンダ、

テンノウハカセイジンダ、マッカーサーはゲンシジンダ、ノブナガハキンセイジンダ、

ダ、ダダ、ダダダダダダダダダダ」

「ヒョーヒョーオッパイ!オッパイ!オッパイミセロ!ドヒュー!」

「マラボー!マラボー!マラボー!グッチャン!グッチャン!」

痙攣しながらカクカクと腰を前後に揺らしだした。手の付けようがない。


その時不意に気付いた。透明な水にゆっくりと墨汁が注ぎ込まれていくあの感触。

これはアレか、ヤツらか。

精神の侵略者、魂の強姦魔、アイツがこの担任教師の肉体を乗っ取って、

次の侵略を始めようとしているのか。墨汁がどんどん俺の精神に侵食してくる。

このままではマズイ。教室の中にいるもの全員に同時に侵入するつもりか。

コイツらはこうやって増殖するのか。

何とかしなければ。何でも良い、何か武器になる物はないのか。

周囲を見回すと、視界の端を何かが駆け抜けていった。歌恋だ。

歌恋は制服の下から刃渡り20センチほどのナイフを抜くと、

痙攣しながら意味不明の叫びを上げ続ける教師に一気に駆け寄り、その刃を胸に突き立てた。

刃を横向きにして肋骨の隙間を刺し貫いた刃は正確に心臓を貫いた。

歌恋は刃を引き抜きながら脇へ避ける。

ちょうど担任の真正面に立っていた女子生徒が吹き出た返り血を浴びて悲鳴を上げる。

教室を新たなパニックが襲った。皆が少しでも歌恋と担任から距離を取ろうと教室後方へと後ずさっていく。

悲鳴。怒号、すすり泣き。俺はとっさ歌恋の腕をとって廊下へと駆け出した。


廊下は教室以上の混乱ぶりだった。

他の教室でも教師が血走った目で意味不明の言動をして、生徒達が右往左往している。

中には生徒にまで髪を振り乱して暴れている者がいた。あれはもう手遅れだ。

無秩序状態の廊下を歌恋と二人で走り抜ける。とりあえず学校から脱出するのが先だ。

昇降口で靴を履き替え、校門に向かって走り出そうとすると歌恋に止められた。

「チンタラ駅まで歩いてたら逃げ切れないわ」

そういって彼女はキーホルダーを取り出した。

「さっき先生からくすねてきた」

こいつはスリにでもなるつもりなのだろうか?

担任の車の鍵だろうか。しかし誰が運転するんだ?

「無免許だけど大丈夫でしょ」

ちっとも大丈夫じゃなさげなセリフを吐いて歌恋は職員用の駐車場に向かう。

担任の車はすぐに見つかった。

あの担任は何をとち狂ったのか去年新車でピンクのポルシェを購入して学校中の話題となっていたのだ。

「ほら、さっさと乗りなさい」

この頭のおかしい車に、頭のおかしい女子高生の無免許運転とか、死亡フラグでなくて何なのだ。

しかし、他に手段は選んでいられる状況ではなく、運を天に任せて助手席に乗り込む。歌恋はエンジンをかけるといきなり急発進した。

「安全運転で頼むよ!俺はまだ死にたくないんだ!」

「クラッチがバカ重いのよ、しょうがないじゃない!」

校門を駆け抜けて一般道に出る。

シフトチェンジの度に怪しげな挙動を見せる歌恋の運転が危なっかしくてしょうがない。

で、これからどうするつもりなのだろうか。

世間から見たら歌恋は白昼の学校で担任教師を刺し殺した殺人犯だ。

今回ばかりは隠蔽のしようがない。

さらには被害者の車を奪って無免許で逃走中。

おまけに同じクラスの男子生徒を人質としている。

「それどころじゃないわよ。多分あの学校、もうどうしようもないわ」

恐らくは職員の誰かがヤツらに支配された状態で学校に来て、職員会議の場で一気に増殖したのだろう。

そして奴らの侵食が完了するまで職員会議は延長となり、

そして今は完全にヤツらの支配下におかれた教師達が全校に散って各教室で生徒達への侵食を開始した、

そんなところだろう。

「あの学校、もう燃やすしかない」

それは当然建物という意味ではないだろう。そこにいる人間すべてを、だ。

「ちょっと待ってくれよ、あそこには友達が何人もいるんだぞ」

「ええ、そうね。でも彼らが敵の侵食から逃れられると思う?」

思えない。うちの担任は死んだが、乗っ取られた教師は彼一人ではない。

あの調子では生徒の中から新たな感染源が発生するのも時間の問題だろう。

「今はパンデミックを押さえられる最期のタイミングなのよ。もう個人的な感傷に浸ってる余裕はないわ」

この悪魔の言うことは冷静で冷徹で冷酷だが、正しい。

「もう、なりふり構ってられないわ。

ひょっとするとヤツらの侵略に気付いているのは私たちだけかも知れない。

私たちがやるしかないのよ。だから章、お願い。手を貸して」

この高飛車で傲慢で高慢な女が〈命令〉でも〈指示〉でもなく、

〈お願い〉なんてするのを聞いたことはかつてあっただろうか。

〈命令〉や〈指示〉ならば逆らうことも無視することもできる。

そんなことは後で手痛い報復を受ければいいだけのことだ。

だが、〈お願い〉されてしまってはどうしようもない。

「で、俺は何をすればいいんだ?」


つづく

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