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番外編(参) 桜夜

このお話は、web作家まあぷる様の作品「レイ&デビィシリーズ」とコラボしております。まあぷる様の作品URLはこちら→http://homepage3.nifty.com/marple2004/davi-ray%20mokuji.html

 漆黒の闇の中、桜の花びらが舞い落ちる。

 はらはらと はらはらと 風もないのに 花が、散る


 目の前で、紫苑(しおん)さんが作った花見弁当をがっついている胡乱(うろん)な外国人二人を、私は呆れて見つめた。一人は艶やかな長い金髪に碧眼。一見女性にも見まごう程の美形だ。もう一人は黒髪に茶色の瞳で、少し浅黒い顔をしている。二人とも背が高くて、割と高めな私でさえ軽く見上げるほどだ。しかしこんな時間に、この二人は何故こんなにも飢えた状態でほっつき歩いていたのか……。いや、そもそもこんな時間に花見をしている私たちも十分胡乱なのだが……。


 真夜中、午前零時を少し過ぎた辺りから、紫苑さんは何やら重箱にいそいそと食べ物を詰め込み始めた。玉子焼き、ウィンナー、からあげ、モッツァレラチーズの生ハム巻き、アスパラのベーコン巻、クリームコロッケ、それから色とりどりの野菜とマッシュポテト。随分豪勢だ。最後に自分の為に桜餅を、私の為に生肉の塊をそれぞれ小さな器に入れると重箱の上にちょこんと乗せた。


「さて、準備ができましたよ。出かけましょうか?」

 マンションの地下駐車場に置いてあるダークレッドのプリウスに荷物を詰め込むと、紫苑さんは運転席に、私は助手席に乗り込んだ。


 紫苑さんが車の免許をとったのは、冷たい空気に沈丁花の香りが混ざり始めた頃のことだ。せっかく免許をとったのに怖がって運転しようとしない紫苑さんに、色々と口実を作って引っ張り出していたのは私の方だった。だけど運転に慣れてくると、紫苑さんは時々こんな風に突然私をドライブに引っ張って行くようになった。


「紫苑さん、こんな真夜中に、そんな大量のお弁当を持って、どこに行くんですか?」

「お花見ですよ~。ソメイヨシノが満開なんです。(みなと)さんは仕事ばっかりしてて気づいてないかもしれませんが、今夜見に行かないともう散っちゃいますよ」

 紫苑さんは有無を言わさぬ構えだ。私は小さくため息をつく。


 夜桜見物にしても遅すぎる時刻だ。だけど、紫苑さんはそんなことをちっとも気にしない。いや、気にしなくなったと言うべきか……。ゾンビである私の体を気遣って、時間に縛られない事であれば、可能な限り真夜中に行動するのが彼女の日常になっていた。彼女は普通の人間なんだから昼間行動した方が良いのは分かっていたが、強い日差しが苦手な私は、結局彼女の厚意に甘えてしまっている。


 神社に隣接したお花見会場は、当然のことながら提灯の明かりもすっかり消えて静まり返っていた。花見客が残していった大量のゴミと酒盛りの後の残り香が、祭りの後のわびしさを醸し出している。


「本気で、今からここで、花見をするんですか?」

 私は少し途方に暮れた気持ちで辺りを見回す。

「……さすがに少し心細くなってきました……」

 紫苑さんのやや不安そうな声に私は苦笑する。

「とりあえず、敷物を、敷きましょうか」


 そんな状況も手伝って、腹が減っているんだとか、金を使い果たしたのは誰のせいだと思ってるんだとか言い争いながら通りかかった二人に、一緒にいかがですかと声を掛けたの紫苑さんだった。彼女は以前、リストラされて食べるものにも困っていた時期があるから、放っておけなかったのかもしれない。料理は二人では食べきれないほどあったし、一人は女性だと思ったし、私も特に止めなかったのだが、彼らが近づいてきた瞬間、私は嫌な予感がして紫苑さんを引き寄せた。


 彼らも彼らで私のことが気になるのか、時折好奇心を含んだ目でちらちらと見ている。紫苑さんは特に何も気にならない様子で、かいがいしく皿を渡したり、お茶を紙コップに注いだりしていた。


「秋葉原って街はひどいね。あれよあれよという間に使い果たしてすっからかんさ」

 色の浅黒い方はデビィという名らしい。メイド喫茶や電気屋や、その他諸々の店で散々遊んだ挙句手持ちの金を使いきってしまったらしい。

「女の子に声を掛けられればすぐについていくデビィが悪いんだ」

 レイという名の金髪美形が優雅に紙コップのお茶を啜った。


 お茶が足りなくなったから自販機で買ってくるという紫苑さんを制止して買いに出た。紫苑さんを一人残すのは心配だと思ったのだが、デビィが手伝うと言ってついてきたので大丈夫だろうと踏んで歩きだす。嫌な予感がより濃くするのはデビィの方だったからだ。まさかとは思うのだが……。何気なくデビィの様子を窺いつつ用心しながら歩く。


「……あんたさぁ 俺と同じゾンビなんだろ?」

 自販機の明かりが見え始めた頃、少し笑いを含んだような声でデビィが話しかけてきた。

 私は絶句してデビィを見つめる。私と同じゾンビだって?


「俺が分かんないのはさぁ、そんなあんたが何故普通の人間の娘と一緒に居るかってことなんだけど……。もしかしてあの子、今夜の食事?」

 デビィの言葉に危険を感じた私は、彼を睨みつけ声を低めて威嚇する。

「紫苑さんに、何かしたら、許しませんよ。もしかして、レイもゾンビ、なのですか?」

 しまった、紫苑さんを一人にするんじゃなかった。血相を変えて駆け戻ろうとする私の腕をデビィが掴む。

「大丈夫だ。レイはゾンビじゃねぇ。ヴァンパイアだ」

「え……」


 肉を食われるより、血を吸われる方が幾分マシだという意味での大丈夫なんだろうか、馬鹿な! 私は掴んでいるデビィの手を振りほどいた。


「やつは彼女の血を吸いやしないさ。そこまで飢えてねぇ。しかも飯を食わせてくれた恩人にそんなことをするほど俺たちは落ちぶれちゃいねぇぜ?」


 そんなことを言われて、はいそうですかと納得できるはずもなく、私は慌てて自販機のボタンを叩きつけるように押してお茶を購入すると急ぎ足で歩きだした。


「なぁ、そう慌てるなよ。今のリアクションで彼女に対するあんたの気持ちはよく分かったよ。あの子が好きなんだろ? 俺の勘じゃあ、あの子もあんたのことが好きだな。あんたを見る時の目がいいよなぁ。この桜の花みたいに甘い感じでさぁ」

「紫苑さんは、優しいだけですよ。私のことが、特に好きな訳では、ないでしょう」


「そうかな? 俺にはそうは見えないがね。二人とも思いあっていて、でもお互いに自重しているようにみえる。ゾンビと普通の人間じゃ色んな事が違いすぎるし、この世で過ごせる時間も違う。人間はすぐに歳をとるし、死ぬからな。もし、あんたと彼女が本気で愛し合っていてずっと一緒にいたいと思うなら、レイなら彼女を半永久の命にしてやれるぜ? ヴァンパイアになっちまうけどな。そうすりゃ、俺たちみたいに歳をとらずにずっと一緒にいられる」

「……」


「もちろん、あんたの一存じゃそんなこと決められないよな。恐らく今頃レイが彼女に同じ話をしているはずだ。あんたもよく考えてみるといい」

 私は凍りついた。紫苑さんがヴァンパイアなんてとんでもない!

 次の瞬間、桜の花びらが降りしきる中、私は全速力で駆けだしていた。


 さっきまではただ美しかった桜の木が、今ではまるで涙を流しているようだ。


 はらはらと はらはらと 散る。


 敷物の場所で食事をしていると思っていた二人は、何故か桜の木の下に立っていた。こちらからではレイの後ろ姿しか見えないが、小柄な紫苑さんの上にかがみこんでいるように見える。


「紫苑さんっ!  駄目ですよっ ヴァンパイアなんて、駄目ですっ」

 私が叫んだ言葉に、驚いたようにレイが振り返り、その向こうにきょとんとした様子の紫苑さんが立っていた。

 良かった。無事だ。


「どうしたんですか? 湊さん。ヴァンパイアが出たんですか?」

「え? えと……紫苑さん、ヴァンパイアに、なろうとしているところでは、ないんですか?」

「そんなのにどうやったらなれるんですか? ってか、なろうと思ってなれるもんじゃないと思いますよ? 職業じゃないんだし……」

 困惑した表情の紫苑さんと、あっけにとられた様子のレイの表情にハッとしてデビィを振り返ると、彼は体を二つ折りにして笑っているのだった。


「あれ……何か勘違いさせてしまったかな? 彼女の髪についた花びらをとってあげようと思っただけなんだけど……」

 少し戸惑ったようにほほ笑むレイに私はがっくりと脱力する。

 冗談だったのか……。


 今日知人に会う予定だからお金の心配はないと言うデビィとレイを、彼らが滞在しているホテルまで車で送る。


 デビィが別れ際に名刺をくれた。それにはレイの名前と『シルバー・ローズ』というバーの名前が書いてあった。レイはアメリカにあるその店でバーテンダーをしているのだそうだ。裏にはデビィの名前と、メッセージが書いてある。


『さっきの話、ジョークじゃないぜ? その気になったら二人で訪ねて来てくれよ』


 私は思わず助手席から降りて、デビィを呼びとめた。

 何事かとデビィが振り返り、私の顔を見たレイは、先に部屋へ行ってるよとデビィに告げた。恐らく私は思い詰めた顔をしていたに違いない。


「デビィ、あなたは……人間の女性と……恋をしたことはありますか?」

「……恋はしたことがないかもしれないな」

 クスリと小さく笑んでデビィが答える。

「そう……ですか……」

 うつむく私にデビィが問い返す。

「恋をしたことがあると言ったら何かあるのか?」

「あの……その……ゾンビがキスをしても、その相手の女性を、ゾンビにしてしまうことはないのかどうかを……知りたくて……」

 私の言葉に、デビィは軽く肩を竦めて口笛を鳴らした。


「あんた、あの子のことが本当に大事なんだな」

 デビィは運転席にいる紫苑さんを軽く顎で指した。声は届いていないはずの紫苑さんが小さく首を傾げてこっちを見ている。デビィは続けた。

「あんたが俺と同じタイプのゾンビかどうかは分からねぇが、噛みつかなきゃいいんじゃねぇか? 俺は人間の女とセックスもやったが、ゾンビにはなってなかったぜ?」

「そ、そそそ、そんなことまで、き、訊いていませんよっ」

 うろたえる私に、デビィは笑いながらお幸せにと手を振ってホテルに消えて行った。


 ◆◇◆


 紫苑さんがもう一度だけ桜を見て見おさめにしたいと言うので、マンションの近くの公園に立ち寄った。そこの桜もまさに満開で、時折はらはらと花びらを散らせている。


 幽玄……そんな言葉が脳裏にゆらりと浮かんだ。


 私は思う。桜は散るからこそ美しいのだ。散らない桜がもしあるとしたら、それは確かに美しいのだろうが、ここまで心を揺さぶることはできないだろう。蕾も花も散り際も、地面に落ちた花びらでさえ、これほどまでに美しく……愛おしい。その桜は、まるで春の夜に出会った一瞬の僥倖(ぎょうこう)のようだった。


「紫苑さん、抱きしめたいと言ったら、怒りますか?」

 少し驚いた様子で振り返った紫苑さんは、はにかんだように首を振った。


 幽かに震える紫苑さんを抱きしめて、その髪に頬に口づけを落とす。


 私にできるのはここまでだ。彼女はいつか普通の人間の男性と出会って恋をして、私から離れて行くんだろう。いつかそんな時がきたら、私は笑ってその背中を押してやらなきゃいけない。そう自分に言い聞かせる。


 切ない気持で抱きしめていると、私の唇に温かくて柔らかいものが押しつけられた。

「紫苑さん……駄目ですよ。あなたがゾンビにでもなったら私は……」

「そうなったら、私は地球が滅びるまで湊さんの傍に居ますよ」

 そう言ってほほ笑む紫苑さんに、私は釘づけになる。

 私は軽くついばむように何度も口づけを落として、強く強く抱きしめた。


 紫苑さんもゾンビになって、ずっと一緒に居られたら良いと思ったことが一度もないと言えば嘘になる。だけど、私は彼女が人として生きてくれることを願ってやまない。幾人も親しい人を見送り、どうしたら死ねるのかなどと思い悩む存在にはなって欲しくなかった。そんな思いをするのは、私一人だけでいい。だからこの先、私たちがどんな未来に辿りつくのかは分からない。


 あと何回、こんな風に美しい桜を紫苑さんと一緒に見られるのかは分からない。分かっているのは、それが永遠ではないということだけだ。だけど、いつか終わる時が来ると分かっているからこそ、この瞬間がこれほどまでに美しいのだということを、私は知っているから……。


                                           (了)


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