Story6
「かれん、本当に上手ね。とてもはじめたばかりには思えないわ」
にこにこと笑いながら、軽く頭を撫でられる。
褒められていることに悪い気は起きず、かれんもまたにっこりと笑っていた。
「かれんってば、すっかり高橋さんのお気に入りだなぁ」
「高橋さんだけじゃないわよ」
2人のやりとりを遠目に見ながらヒロが呟けば、その隣ですぐに凛がそう言った。
きっかけははじめてのバレエ団でのレッスンだった。
かれんとプリマの高橋がともに踊るシーンを振り付けているとき、かれんはその振り付けをたった1回で完璧に覚えて見せた。
そのことだけでも団員たちは酷く驚き、とても初心者には見えないと感心した。
その上、いざ高橋とともに踊ってみれば、かれんは高橋にも全くひけをとらないような踊りを見せた。
そのことに団員たちはまた酷く驚き、そして最初は足を引っ張られるだろうと覚悟していた高橋もすんなりと踊れたことに感心し、また一緒に踊るのに踊りやすいとかれんが甚くお気に入りとなったらしく、常に自分のそばにかれんを置くようになった。
だが、凛の言う通りかれんを気に入ったのは高橋ではなく、常に高橋のそばにいるかれんのもとに、常に他の団員が集まっているのである。
そして、呼び方も最初は「伊吹さん」と呼んでいたが、いつの間にか団員全てが親しみを込めて「かれん」と呼ぶようになった。
「莉緒は本当にかれんがお気に入りだよなぁ」
「ええ。あー、本当にかれんが妹だったらいいのに」
プリンシパルである日野の言葉に、高橋はにっこりと笑ってぎゅーっとかれんを抱きしめる。
「あれ?高橋さんの下の名前って、『莉緒』っていうんだっけ?」
様子を眺めていたヒロは、ふと首を傾げた。
「ええ・・・って、うちのプリマの名前くらい、フルネームで覚えておきなさいよ」
凛はこくりと頷いて肯定を示し、それから呆れたようにため息をつく。
そんな反応の凛に対し、ヒロはばつの悪そうな表情になる。
「うっ!ほ、ほら、かれんだってたぶん・・・」
「入ったばかりのかれんと比べてどうするの!」
「はい」
かれんだってきっと知らないだろう、そう言って知っていなくてもと自分を正当化しようとしたヒロだったが、すぐさま凛から厳しい言葉が返ってきて押し黙る。
そんなヒロに対して、凛はまた深い深いため息をついた。
「ちなみに日野さんの方は、覚えているんでしょうね?」
「ん?ああ、えーと確か、日野か・・・か、か・・・」
「『克彦』よ!!」
「ああ、そうだ、それ!」
凛に言われてヒロは必死に日野の名前を思い出そうとした。
だがなかなか思い出せずに四苦八苦していると、焦れたらしい凛がきつい口調で名前を述べる。
だがヒロはそのことにうろたえるわけでもなく、わかったことによってすっきりとした表情を浮かべる。
そんなヒロの反応に凛はなんだか頭を抱えたい気持ちになった。
「あーあ、せっかくだから僕もかれんと一緒に踊りたかったなぁ」
高橋はかれんと一緒に踊るシーンがあるが、日野と踊るシーンはない。
そもそもかれんが踊るのは、高橋と2人で踊るシーンと短いソロの部分だけである。
パ・ド・ドゥを踊り、その後何回か出場シーンのある凛やヒロよりも出番も少なく、そのためほとんどの団員がかれんと関わることが少なく残念がっている。
そしてそれは日野も同じであるらしく、本当に残念そうに言う。
「せっかく同じ舞台に立てるのになぁ。どうせだからこの後のシーンで、莉緒と一緒にパ・ド・トロワなんて踊れたらいいのに」
「あら、それいいわ!素敵!!」
なにげなしに言った日野の言葉に、高橋はきらきらと瞳を輝かせて飛びついた。
その様子を見て、日野もいい案かもしれないと笑みを漏らす。
「ねぇ、かれんはどう思う?」
「3人でパ・ド・トロワ、どうかな?」
「え?えっと・・」
きらきらとした二対の瞳がかれんへと向けられ、かれんは戸惑った。
この場合どう返事するべきなのだろうとかれんが迷っていると、高橋がだんだんと表情を曇らせていく。
「私たちとじゃ、嫌かしら?」
「い、いえ、まさか、そんな・・・!」
嫌なはずはない。
プリマとプリンシパルが2人揃って一緒に踊りたいと言ってくれているのだ。
むしろこれほど嬉しいことはないだろう。
「じゃあ、いいのね!」
「え、ええ・・・」
かれんの言葉にぱぁっと表情が明るくなった高橋に確認するように訊ねられ、勢いに押されるようにこくりと頷けば、高橋と日野が顔を見合わせて笑顔になった。
「かれんの奴、出番増えるな」
2人の会話を遠目から眺めていたヒロが、確信を持ったようにそう言う。
その言葉に凛も間髪入れずに頷いてみせた。
「そうね。高橋さんと日野さん、2人が言えば梶原さんだって『Yes』と答えるはずだもの」
「すっげーな、はじめて数ヶ月でもうプリマとプリンシパルの目に留まるなんてさ」
このまま団員にとかまで進んじゃったりして、などとヒロはおちゃらけたように言う。
だが凛は笑ってはいられなかった。
「ヒロ、私たちも負けてはいられないわ。練習しましょう」
「はいはい、わかったって」
そうして2人はパ・ド・ドゥの練習に入る。
(もっといっぱい練習しなきゃ!)
まだはじめたばかりのかれんに負けるなんて冗談じゃない、と凛は心の中で呟く。
かれんに負けたくないと、凛はいつも以上にハードな練習をこなしていた。
「ねぇ、見てあの子、日野くんと莉緒ちゃんに全く遅れをとってないわよ」
「本当、こうして踊っていると、とても中学生には思えないわ」
「彼女はじめて数ヶ月って話でしょ?天才っているのねぇ」
高橋と日野の懇願の甲斐あってか、高橋、日野、そしてかれんの3人によるパ・ド・トロワが実現することとなった。
そうして今目の前で踊られている3人のパ・ド・トロワに団員たちは次々と感嘆の声をあげていた。
「かれん、お疲れ。すごくよかったぜ、今日の踊り」
練習を終えた後、かれんにそう声をかけてきたのはヒロだった。
褒められて悪い気はしない。
むしろとても嬉しい。
そしてその相手がヒロであるならば、その喜びもまた格別なものとなる。
かれんはそれはそれは嬉しそうに微笑んだ。
「出番も増えたみたいだし、頑張れよ」
「うん!ありがとう」
激励もやっぱり嬉しいものだ。
団員の人々や振付師の梶原からも貰った。
しかし、これもまたヒロからならば格別だとかれんは微笑む。
「で、本題なんだけど・・・」
「ん?」
今のが本題ではなかったのか、などと思いつつもかれんはヒロの言葉に耳を傾ける。
「かれん、今度の休日暇か?」
「え・・・と、特に予定はない、けど・・・」
まるでデートのお誘いみたいな台詞だ、なんて少し考えてしまったためかれんの言葉はどこかぎこちないものとなってしまう。
だが、ヒロはそんなかれんの様子に気づかなかったのか対して気に留める様子もなく、自分の用件を話していく。
そんなヒロの様子に、かれんは安堵したように息を吐いた。
「そっか!じゃあさ、これ!」
ヒラリと目の前にチケットがぶら下がる。
もちろんそれはヒロの行動によるものである。
かれんはその提示されたチケットを見つめた。
「『くるみ割り人形』?」
ヒロがかれんの目の前にぶら下げたのは、『くるみ割り人形』全幕のバレエ公演のチケットだった。
かれんの瞳がこれでもかというほど大きく開かれる。
そうして驚いた表情のままヒロを見つめれば、ヒロはにっこりと笑った。
「そう、約束だっただろ?今度の休日に、一緒に行かないか?」
「行く!」
こんな嬉しいお誘いを断るわけがない!
かれんはもちろん二つ返事で頷いた。
その答えに、ヒロもとても満足そうである。
「じゃあ、決まりだな」
「覚えててくれたんだね」
「あたりまえだろ?まぁ、とりあえず今回はくるみ割りな。ドンキはまた今度」
「うん、ありがとう、ヒロくん」
覚えてくれたいたことも、次を誘ってくれることも、かれんにはとてもとても嬉しいことだった。
ヒロの言動のひとつひとつがかれんを幸せな気持ちにする。
「まぁ、オレも久々に見たかったしな」
「でも、わざわざチケット取ってくれたんでしょう?」
だから気にするな、と言うヒロに対し、かれんがそう問えばヒロはなんだか少しだけ決まりの悪そうな表情を浮かべる。
「あ、これ?実はさ、これ、凛がくれたんだ」
「え?」
「たまたま取れたから、かれんと行って来いってさ。人気のあるやつだからなかなか取れないチケットなんだけど、いったいどんな手を使ったんだか・・・」
凛はきっとヒロのためにわざわざこのチケットを取ったのだろう、そう思うと先ほどまでの幸せな気分とは反対に、かれんの気分はどんどんと降下していく。
「じゃあ、凛ちゃんも一緒に?」
そうでないことを必死に祈りながら訊ねれば、その祈りが通じたのかヒロはあっさりと首を横に振る。
「いや、あいつは来ないけど。なんだ、一緒の方がよかったのか?」
そんなヒロの言葉に、かれんは慌ててぶんぶんと首を振った。
「そんなことない!」
(冗談じゃない!2人だけの方がいいに決まってる!)
面と向かっては言えないそんな言葉を、かれんは心の中で力いっぱい叫んでいた。
「そうか?ならいいんだけど」
かれんの心の中など知るはずもないヒロは首を傾げつつも、安堵したようにそう言った。
「それでさ。当日は駅前に12時に待ち合わせでどうだ?」
「え、大丈夫だけど・・・でも、これ1時半からだよね?」
時間的には何の問題もない。
しかし、一時間半もどうするんだろう?とかれんは首を傾げる。
「そう、せっかくだからさ昼メシ一緒にどうかと思って。駅前に上手い店があるんだ!」
だから一緒に行かないか?などというヒロの誘いに、かれんの気分はまた上昇していく。
「わぁ、行く、行きたい!」
瞳を輝かせ、身を乗り出すようにしてそう言えば、ヒロがきれいに笑った。
「よしっ、決まり!じゃあ、今度の休み12時にな!」
「うん!」
かれんは今からその日が楽しみで仕方がなかった。
(そういえば、『くるみ割り人形』のお話ってちゃんと知らないなぁ・・・)
作品の名前は知っているし、バレエ作品だということも知っている。
しかし、後は人形が出てくるということくらいしか、かれんは知らなかった。
(また、ヒロくんに『何も知らない』なんて言われないように、ちょっと勉強しておこうかな)
かれんは帰宅しようとしていたその足を、図書館の方へと向けて歩き出した。
――くるみ割り人形
クリスマスイブの夜、クララの家ではクリスマスパーティが行われ、さまざまな客がクララの家を訪れました。
家には大きなクリスマスツリーが飾られ、そこにはそれぞれのクリスマスプレゼントが置かれています。
クララへのクリスマスプレゼントはバレエシューズで、クララは欲しかったプレゼントを貰えたことに喜びます。
夜もふけて来た頃、また一人クララの家に来客がありました。
訪れたのはクララの大好きな人形使いのドロッセルマイヤーで、ドロッセルマイヤーはぜんまい仕掛けの人形で子どもたちを楽しませました。
そして、ドロッセルマイヤーはクララに不恰好なくるみ割り人形をプレゼントします。
それを見た子どもたちは変な人形だとからかうが、クララはその人形がとても気に入りました。
だが、最初は変だとからかっていた兄のフリッツが、くるみを割る姿などを見ているうちに、だんだんとその人形が羨ましくなっていき、いつしかクララとその人形を取り合ってしまいます。
クララも取られたくなくて必死になり、そのために人形は壊れてしまいました。
悲しむクララに、ドロッセルマイヤーは今度必ず直すことを約束し、応急処置として取れてしまった人形の腕をハンカチで固定して帰っていきました。
やがて他の客たちもクララの家を去っていき、パーティーはお開きになりました。
夜、みんなが寝静まった頃、クララはそっと目を覚まします。
そして壊れてしまったくるみ割り人形が気になって、リビングへと向かいました。
そこでクララは信じられないものを見ます。
12時の鐘が鳴るとともに、クリスマスツリーがどんどんと大きくなっていき、いつの間にかろうそくに火が灯っていました。
そこでは人間と同じほどの大きさのねずみがたくさんいて、クララの方へと向かってきます。
クララが恐怖で身を固くしたとき、あのくるみ割り人形が立ち上がりました。
くるみ割り人形もまた人間と同じ大きさになっていて、ドロッセルマイヤーに巻いてもらったハンカチはいつの間にか消えてしまっていました。
くるみ割り人形は周囲のブリキの兵隊たちを指揮し、やがてねずみと人形の戦争が繰り広げられます。
クララは最初ただ隠れて見守っていました。
けれどもくるみ割り人形が追い詰められていくのを見て、勇気を振り絞り自分の履いていたスリッパをねずみへと投げつけました。
それは見事にねずみに命中し、くるみ割り人形はそのすきに見事ねずみをやっつけたのです。
するとどうでしょう。
自分と同じくらいの大きさになっていたくるみ割り人形は、今度は王子さまへと姿を変えました。
王子はクララの前でお辞儀をし、助けてくれたお礼にクララを雪の国とお菓子の国へ連れて行くことを約束します。
そうして、2人はまず雪の国へと向かいました。
「ふぅー」
かれんは一旦本から視線をはずし、ゆっくりと息を吐いた。
(ここまでが第1幕、まだあともう1幕あるんだよね)
かれんは時計を見て、それから開いていた本をパタンと閉じる。
(後は家で読もう)
かれんは手に持っている本を借りるべく、立ち上がり受付の方へと向かう。
そして無事に貸し出しの手続きを済ませると、その本を大事に抱えて家へと向かった。