Story5
「ヒロ、入るわよ」
凛はノックとともにそんな言葉をかけ、そのままヒロの控え室の扉を開く。
相手の反応を待たなくてもよいのか、とかれんは少々不安になったがヒロはそんな凛の行為を当たり前のように受け入れていた。
「おつかれさま」
「おう!」
凛の言葉にヒロはにっと笑って返す。
凛はそのままスタスタと部屋の中へ入ると、かれんの方を振り返った。
「ほら、かれんも入りなさい」
「あ、はい」
やっぱり、とかれんは思う。
凛はまるで自分の控え室であるかのような振る舞いをし、ヒロもそんな凛を受け入れている。
そう思いながらも、そのまま突っ立っているわけにもいかず、凛に招かれるままにかれんはヒロの控え室へと足を踏み込んだ。
「なぁ、かれん、どうだった?」
「すごくよかったよ。ヒロくんの言った通り退屈しなかった」
「へへっ、だろ?」
笑顔で訊ねられた問いに同じく笑顔を向けて答えれば、ヒロは得意げに笑う。
そんな笑みを向けられることも、かれんは幸せに思う。
「ヒロ、いいこと教えてあげましょうか?」
ふと凛がにこやかな笑みを浮かべてヒロに問う。
すると、ヒロに意識はあっという間に凛へと向かい、興味津々に凛を見つめる。
「ん?なんだ?」
「かれんったら、もう少しであなたの踊りに拍手してしまうところだったのよ」
ちらりとかれんに視線を向けながら、凛は楽しげにそう言った。
するとヒロは一瞬驚いたような表情を浮かべ、それからかれんを見つめる。
「え、マジで?」
問われたかれんは、まずいと思った。
知らなかったとはいえ、コンクールでやってはいけないことをしてしまうところだったのだ。
「ご、ごめんなさい、その、無意識で・・・」
慌てて謝罪と弁解の言葉を紡げば、それによってヒロはそれが事実であったことを悟り、とたんに表情がぱぁっと明るくなる。
「すっげーっ、嬉しい!!」
「は?」
必死に弁解の言葉を探していたかれんの耳に届いた言葉は、かれんが予想していたものとあまりに違いすぎて、かれんは目が点になる。
「そのまま拍手してくれればよかったのになぁ」
「え?でも拍手はダメだって・・・」
「そんなの気にしなくて・・・」
「いいわけないでしょう!」
ピシャリと凛が言い放つ。
その言葉にヒロは軽く舌打ちをして、拗ねたような表情を浮かべた。
「ちぇっ、つまんないの。でも、いいや。かれんにとって、拍手したくなるほどの踊りだったってだけでも十分だしな」
きれいな笑顔とともにそんなことを言われ、かれんの頬はかぁっと赤く染まっていく。
「え、そ、そんな・・・」
「よしっ、これで優勝間違いなしかな」
「あら随分と気が早いのね」
自信満々に言ったヒロに対し、凛がそう言ったところで、なんだか外ががやがやと騒がしくなった。
「ん?なんか外が騒がしくなってきたね」
「あぁ、発表が出たんだろ」
外が気になったかれんの発言に対し、ヒロがなんでもないことのようにそう述べる。
だがその言葉にかれんは首を傾げた。
「発表?まさか、もう結果が?」
「違うわよ。表彰式はもう少し後」
「とりあえずノミネートの発表だよ」
「ノミネート?」
2人に説明されても、やっぱりその中にわからないことがあり、かれんはまたも首を傾げる。
そんなかれんに苦笑を浮かべながら、ヒロはさらに説明をする。
「だいたい半数くらい選ばれるかなぁ。それに選ばれた奴だけが表彰式に出場できて、その中から優勝者とか他の入賞者が決まるってわけ」
「他のもっと大きいコンクールなら、予選・本選だとか、一次審査・二次審査だとか、何度も踊って競うこともあるんだけど、このコンクールは規模の小さいものだから」
「へぇ、そうなんだぁ。それで、発表見に行かないの?」
ヒロ、凛と続いた説明で、かれんはとりあえず納得する。
だが発表が出ているとわかっているはずなのに、ヒロは一向に動こうとはしなかった。
「行かなくたってノミネートされてるに決まってるだろ?」
じゃなきゃ優勝なんてできないじゃないか、などと言いながらヒロはだから見に行く必要などないのだとその場を動こうとはしない。
「でも、万が一ってこともあるわよねぇ」
「あってたまるか!」
だいたい今日はそんなに上手い奴いなかったじゃねーか!とヒロは凛に目を剥く。
だが、凛はそれに動じる様子もなく、くすりと笑みをこぼすだけである。
「まぁ、一応私が確認してきてあげるわ」
どこかのんびりとした声色でそう言って、凛はスタスタと部屋を後にした。
「見に行く必要なんかないのに!なぁ、かれん」
わざわざ確認にいくことが気に入らないとでも言うように、ヒロはかれんに同意を求める。
「う、うん、そうだね」
こくりと頷いてはみるものの、正直かれんも確認くらいは一応しておくべきだろうとは思っていた。
もしも、万が一、といった可能性が限りなくゼロに近いながらも、きっぱりとゼロだとは決して言えるものではなかったので。
そんなことを考えていると、パタパタと急ぐ足音が近づいてくる。
(凛ちゃんかなぁ、それにしては急いでるみたいだけど・・・)
かれんがそんなことを考えていると、バタン!と大きな音を立てて扉が開き、2人の驚いたような視線が扉を開いた凛へと注がれた。
「ヒ、ヒロ・・・っ!!」
「なんだよ、騒がしい。ドアくらい普通に開けろよ」
まだ先ほどのことを根に持っているらしいヒロは、どこか不機嫌にそう述べる。
対して、凛の声や表情はどこか焦ったような、切羽詰ったような感じであり、先ほど出て行ったときとは随分印象が違う。
「ヒロ、落ち着いて聞いてね」
「は?」
言いながら自分も落ち着けるようなしぐさをする凛に、ヒロは目が点になった。
それよりもまず自分が落ち着けよ、なんて言おうとしたところに、さらに凛が言葉をかけてくる。
「ヒロ、すごく、残念なんだけど・・・」
「え?まさか・・・っ」
「うそ、そんな・・・」
凛の表情に陰りが見え、声のトーンも少し低い。
酷く落ち込んでいるような様子に、かれんもヒロもついついよくないことを考えてしまう。
「ノミネートされてたみたい」
「そ、そう・・・って、ちょっと待て!なんだそのまぎらわしい報告は!!」
ダメだった、そんな言葉を予測してしまっていたヒロは目を伏せ、一瞬かたを落としかけて、それから慌てて凛を見る。
すると、いたずらが成功したのを喜ぶようににっこりと笑う凛を目があった。
同時にヒロは怒りでふるふると震えだす。
「び、びっくりしたぁ」
対して、かれんは気が抜けたようにへなへなとその場に座り込んだ。
「だって、ヒロがあまりにも自信たっぷりだから、ちょっと驚かせてやりたくなったんだもの」
「ったく、落選したのかと思ったじゃねーか」
「あら、自信があったんでしょう?」
「おまえが変な言い方するからだろー!!」
怒りで顔を赤くしたヒロが声を張り上げる。
そんなヒロを見て、凛は楽しそうに笑っている。
そんな2人を、かれんは少し離れた場所から、ただただじっと見つめていた。
「さて、いよいよ発表ね」
ステージ上にはノミネートをされた出場者たちが並んでいる。
もちろんその中にヒロもいて、かれんと凛は客席からその様子を眺めている。
先に女子の方から発表されていき、いよいよ男子の発表となる。
かれんは、なんだか自分のことのようにどきどきしていた。
「さっきと同じく、5位から発表されるんですよね」
「ええ」
確認するように問えば、凛がこっくりと頷く。
同時に5位を発表すべく審査員の一人がマイクを構えた。
それを合図にかれんも凛も黙り込む。
「5位・・・エントリーナンバー33番」
「えっ?」
言われた番号にかれんは少し驚きをみせる。
それはコンクールが始まる前に優勝候補の一人だと凛に教えられた番号だ。
それがまさか5位の段階で発表されるとは思わなかったのだ。
そしてそれはかれんだけではなかったらしく、場内は少しざわつきを見せた。
「優勝候補がこんなところで名前を呼ばれてしまうなんてね」
どこか呆れたような凛の声がかれんの耳に届く。
33番の出場者を見れば、賞を貰ったものの酷く落ち込んでいるように見えた。
おそらく納得のいく結果を得られずショックを受けているのだろう。
「4位・・・エントリーナンバー21番」
「あら、21番は中2だったわね。なかなかいい踊りはしていたけれど。33番の優勝候補は優勝候補ですらなかった年下に負けてしまったのね」
情けない優勝候補だ、などとい言う凛を見て、あまりの言われようにかれんは少しだけ33番に同情した。
「3位・・・エントリーナンバー52番」
「ここまでヒロくんはまだ呼ばれてませんね」
ならばきっとヒロが優勝だろう、そんな意味を込めたかれんの言葉はどこか弾んでいた。
けれども凛はそんなかれんとは正反対の声色で言葉を返してくる。
「ええ、でも41番もまだね」
「あ・・・」
「おそらく3番か41番、次に呼ばれなかった方が1位でしょうね」
凛の言葉にハッとしたかれんをちらりと見ながら、凛は確信を持ったようにそう述べた。
(41番が呼ばれますように・・・!)
赤の他人の番号が呼ばれることを願うなんて、なんだか変な感じだとは思いつつもかれんは強くそう願った。
そして、いよいよ2位が発表される。
かれんは固唾を呑んでその様子を見守った。
「2位・・・エントリーナンバー41番」
「やった!」
番号が発表されるまでの時間が酷く長く感じられた。
そして、発表された番号を聞き、かれんは思わず嬉しそうな声をあげる。
2年連続2位だったことに悔しそうな表情を浮かべながら賞状を受け取る41番には申し訳ないと思いつつも、これでヒロが優勝だと思うとかれんの頬は自然と緩む。
「あらあら、まだヒロの優勝が決定したわけじゃないわよ」
「でもこれで間違いなく優勝はヒロくんですよね」
「そうね、少なくとも私はそう思うわ」
コンクールを見た限り41番の他にヒロに対抗できそうな人物はいなかった。
そのためか、凛の表情もとても穏やかなものになっている。
「1位・・・エントリーナンバー3番」
予想通りの発表にかれんと凛は満足そうに笑いあう。
観客たちの拍手と歓声の中、ヒロが賞状とトロフィーを受け取る。
その姿にかれんも惜しみない拍手を送った。
そうしてヒロが賞状を受け取り終わった後、客席のかれんと舞台上のヒロの目がパチリとあう。
するとヒロはかれんに対してウインクをして見せた。
その瞳が『宣言通り優勝しただろう?』と得意げに言っているような気がして、かれんはまた笑う。
こうしてコンクールはヒロの優勝によって幕を閉じた。
「ヒロくん、おめでとう!」
「サンキュ!次はおまえの番だな、かれん」
「うん、私もヒロくんに負けないように、絶対優勝するから!」
「おっ、すごい自信!頑張れよ」
「うん!」
(このトウシューズがあれば大丈夫。絶対絶対優勝してヒロくんのパートナーになってみせるんだから!)
かれんは自分の足元を見つめながら、心の中で強くそう呟いていた。
「凛さん、ヒロくん、かれんさん、3人は明日からバレエ団のレッスンの方にも参加してください」
教師のそう言われたのは、ヒロのコンクールが終わって間もない公演を2ヵ月後に控えたときだった。
「ようやく振り付け開始かぁ」
教師の言葉を受けてそう呟いたのはヒロだった。
かれん、ヒロ、凛の3人がバレエ団の方のレッスンへの参加を要求されるなど、他に理由は見当たらない。
「出番が少ないとはいえ、たった2ヶ月の練習でプロの舞台に出るんだから、しっかりしないとね」
「だな」
バレエ教室から出場する3人の出番は、やはりプロではないこともありあまり多くはない。
それでもプロと同じ舞台に立って踊る以上、それなりの覚悟が必要だと凛をヒロも気を引き締める。
だが、それとは対照的にかれんはただただ初の舞台にわくわくしていた。
「あ、そうそう凛さん」
「はい」
「あなたにはバレエ団入団の話もあるし、団員のみなさんは特に期待しています。頑張ってくださいね」
「わかっています」
よい結果を期待しています、教師の瞳がそう言っている。
凛は真剣な面持ちでこくりと頷いた。
「凛、入団って?」
教師の話が終わるや否や、ヒロはすぐ凛に問いかけた。
「あぁ、言ってなかったかしら?何度かそういうお誘いがあったの。さすがに今は中学生だから今すぐってわけにはいかないけど、中学卒業と同時にそういうことも考えて欲しいって」
「すっげーじゃん!」
中学時代からそう望まれることはなかなかないことである。
それを知っているヒロは素直にそう述べた。
そしてきらきらとしたヒロの視線が凛へと注がれている。
かれんはそんな状況をじっと見つめながら、2人の話に耳を傾けていた。
「あら、あなただって次のコンクールの結果次第では可能性があるわよ」
「うーん、どうかなぁ」
本当に稀で特殊なことだと認識しているヒロは、凛の言葉に曖昧な返事を返す。
しかし、それをそばで聞いていたかれんは少し違った。
(だったら私にも・・・!)
かれんだって、今度の公演に呼ばれたメンバーの1人である。
それにコンクールにだって出場する。
(私にはこのトウシューズがある。今度の公演やコンクールで結果を出せれば・・・)
かれんはぐっと両手を握り締めた。
そしてかれんはまたヒロと凛のやりとりを見つめる。
「まぁ、頑張りなさい」
ぽんと凛に肩を叩かれて、ヒロは少し苦笑を浮かべている。
「で?どうするか決めたのか」
ヒロがそう訊ねた途端、凛の表情が少し曇る。
「ううん、まだ・・・だって・・・」
「あ・・・そっか、そうだよな」
「ええ」
困ったように曖昧な返事を返す凛に、ヒロはそれだけで全てを悟ったような表情になる。
それに凛もそんなヒロを肯定するように頷いた。
まるで心が通じ合っているかのようなそんな会話に、かれんは酷く嫉妬した。
(お願い、私を凛ちゃんよりもずっとずっと上手く踊らせて。ヒロくんが私だけを見てくれるように・・・)
かれんは見えない赤いトウシューズに、強く強くそう願った。