36話 月影
城の奥、王族の生活の場である後宮のやや手前にある部屋で、ランディスは足を止めた
「ここがセリスに用意した、月影の間だ。と言っても、私も入るのは初めてなんだが」
その場にいる誰よりもワクワクした様子で、鍵穴に鍵を差し込んだ
そこで、訝しげな顔になる
「どうした」
扉に向き合ったままガチャガチャと音を立てるランディスに、ジークは尋ねた。と、困惑を含んだ返答が返ってきた
「鍵が開かないんだ。間違えたかな」
いやしかし、父上に渡されたものだし・・・・呟きながら、扉と鍵を見比べるランディスに、スッと手が差し出された
「少し、見せてくれる?」
拒む理由も見当たらないので、銀色の鍵を、差し出された手に乗せる
やや大振りな鍵をいじっていたセリスは、気取られぬように何気ない所作である部分をなぞった
すると、なぞった部分が薄く発光し、今では読める者もほとんどいないであろう、古い、古い文字が浮かび上がる
それを読み取り、彼女はそっと扉に向き直った
黒字に銀の装飾がなされた扉はこの宮城では珍しいはずなのに、違和感なく存在している
古びた扉を懐かしく見上げていたセリスは、そっと鍵穴に鍵を差し込んだ
すると、鍵を通してごくわずかだが、魔力が扉へと流れていった
そっと鍵をひねると抵抗なく回り、拍子抜けするほど簡単に鍵は開いた
そっと押せば、重そうな扉は音も立てずに滑らかに開く
こちらを見ていたジークに気づき、そっと指を口唇の前に立てる
それからセリスは、わずかに開いた隙間に身を滑り込ませた
扉に背を向け、ジークと向き合っていたランディスはふと振りかえって驚いた
さっきまでそこにいたはずのセリスの姿が消えていたのだ
一瞬混乱したが、すぐに我に返る
セリスに何かあったのなら、ジークが目の前で悠然としているはずがない
よくよく見ると、扉が少しだけ開いていた
「ジーク、セリスはどこに?」
「先程鍵を開けて中に入っていったぞ」
「どうやってだ?
私が試した時は開かなかったのに・・・」
「どうやったのかは本人に聞け」
自らも扉を開き、身を滑り込ませたジークを慌てて追ったランディスは、足を踏み入れた瞬間に驚嘆した
「これは・・・見事だな」
ジークも感嘆の吐息をもらす
彼らは満天の星空にいた
壁に、天井に、一体どんな仕掛けなのかはわからないが小さな光が瞬いている
そのため、カーテンを閉め切っているにも関わらず、互いの表情が窺える程にほの明るかった
しかし、セリスの姿は見当たらない
この部屋にある扉は今入って来たものを除いて3つ
「そっちだ」
ランディスが、セリスはどこだろうと考えを巡らせるより早く、ジークがある扉を指し示した
「本当か?どうしてそう言い切れる」
「勘」
言い切られ、ランディスは肩をすくめる
この友人の勘は、根拠のある場合とない場合、両方あるから厄介だったりする
ジークに急かされ、他に考えがある訳でもないのだからと、ジークの言う扉を開いた
そこは、先程の星空の間とは違い、個人的な居室のようだった
趣味の良いテーブルや椅子、ソファーが置かれたそこに、セリスは立ち尽くしていた
こちらには背を向けていて、顔は見えない
それでも、ひとつひとつ、そこにある調度を指先で丁寧に撫でるその背は彼女の心情を何よりも雄弁に語っていた
そこにあるのは身を切られるような哀切と、胸を締め付ける様な懐旧の念
普通の人生だとは言わないが、それでもたかだか二十数年生きただけのランディスには、それは未知の感情だった
そのせいだろうか、ランディスは容易くセリスの感情に呑まれてしまう
そんなランディスを救い、セリスを引き戻したのは、やはり、ジークだった
「セリス」
セリスの感情に引きずられぬよう踏み止まりながら、平静を装い、いつも通りの口調で呼びかける
そしてそれは、いとも容易くセリスの心を過去から引き戻した
夢から覚めたような表情でこちらを振り返ったセリスにジークは安堵する。彼の声がセリスに届いたことに、希望を感じて
「あれ、ジーク。いつここに?」
「今だ。突然いなくなったとランディスが慌てていたんだぞ」
「そうなの?ランディス、ごめんなさいね」
「あ、ああ・・・・・・・・」
こちらを見上げたセリスの様子は元通り穏やかなもので、先程の気を抜けば呑み込まれそうな、まるで濁流のような感情の片鱗すら見当たらない
困惑顔で凝視してくるランディスに、彼の内心を知ってか知らずか、セリスはいつもの、穏やかで大人びた微笑を浮かべた
「扉の鍵ね、少し力の込め方にコツがいるみたい。たぶん、そういう作りなのだと思うわ。
壊れているわけではなさそうだし、鍵を取り換える必要はないわよ。」
「そ、そうか・・・・」
なにも尋ねまい、と思った
セリスの誤魔化しにのったランディスは今いる部屋を見渡した
「先程の部屋も見事だったが、こちらも素晴らしいな
夜というのは美しいのだと、教えられる」
あの部屋が星空ならば、こちらはまさに月光だった
どこからか青い光が差し、白いのであろう室内を青く染め上げる
そのまま光は部屋中に広がり、結果室内は深海を思わせる蒼い薄闇に満たされる
そんな中に浮かび上がる柔らかな光
所々に控え目に配置された照明が、効果的に室内を浮かび上がらせていた
部屋の調度も華美ではないが美しい、品の良いもので、白木の細工が光を反射し、白く浮かび上がっていた
正面には月を象った銀の透かし彫り
月の女神の使者である狼と梟、そして楽しげに踊る妖精や精霊の姿が光を反射しきらめいている
「この部屋は月を称え愛でる、月のための部屋だから」
セリスは淡々と語る
「月影というのはね、月の光という意味がある
影があるからこその光だと、闇が存在するからこそ光も存在するのだと、教えてくれるようね
闇と光、これらは相容れないように見えて、実はひどく近い
強い光を見続ければ、目が眩む
眩むは『暗む』 光は闇と近しいのよ
間違えないで。光は、正義ではない。闇が悪でないように。
全ては生きとし生けるものの選択次第
太陽の加護を継ぐ者よ、それを忘れないで」
まるで巫女の神託のように、厳かにそれは下された
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