《過去》 3
―――――――記憶が戻らない
ページをめくる手を止めて、ジークは溜め息をついた。
目覚めてから何日が過ぎたのだろうか。
寝たきりであった体は少しずつ体力を取り戻し、先日ベッドから離れることを許された。もっとも無理は禁物らしいが。
何日か過ごすうちに気付いたのだが、この家は時間の経過がわかりにくい。時計は存在するが暦は無く、窓からの景色を見ても青々とした木々が見えるのみだ。変わり映えのしない毎日もあいまって、数日かいないはずなのに数年も経っているような、またはその逆のような錯覚を起こさせて。
セリス曰く、半月ほどしか経っていないらしいが。
そういう訳で持て余している時間を使い、ジークは読み書きを習っていた。
記憶喪失がどの程度影響しているのか調べたところ、日常生活に必要な知識以外はサッパリだったのだ。
で、「教養はないよりあるほうがいい」という方針らしいセリスにより、学ばされているのである。
まあ、字が読めるようになったことで読書という暇つぶしの時間が増えたことは、ジークにとって悪くなかったが。
知識を得ていけば記憶を取り戻す鍵が見つかるかと思ったジークだが、今のところ、手がかりは全く無かった。
そして最近になって、彼に悩み事がもう一つできた。
セリスの様子がおかしいのだ。
読書をしているとき、食事をしているとき、ちょっとしたときにふと、視線を感じることがあるのだ。
視線を辿ると、セリスが何か言いたげにこちらを見ているのだ。
そして、こちらが気付いたのを知るとたいてい、慌てて誤魔化す。
これで気にならないはずが無い。
何度か問いただそうとしたのだが、そのたびに何かしら邪魔が入り、上手くいかなかった。
今日こそは、聞き出してやる、と改めて決意し、ジークはもう一度本に意識を戻した。
一緒に食事をすることは、セリスとジークの暗黙の決まりごととなっていた。
その間の会話は、ジークの食事のマナーに対する注意だったり、その日ジークが読んだ本についてだったりする。
セリスの知識に悔しい思いをすることもあるが、料理も美味しいし、ジークにとってそれはとても楽しい時間だった。
「砂漠を防壁としている町はけっこうあるけどさ、そこから街に発展するところって滅多に無いんだね。
やっぱり水の確保が問題なのかな。」
「そうね。オアシスだと一定量しか供給されないから人数が増えても困るし。例外はサラティルドかしら。あそこは精霊に愛されているから。」
「サラティルドって東にある大国の首都だっけ?そういえば本でも取り上げられてたな。でも、それには地下水が豊富だからって書いてあったよ?」
無意識にか首をかしげるジーク。君、初対面の警戒っぷりはどこに行ったのか、可愛いけれど、と思うセリス。
「あー、『選地論』かしら。
それ書いた人、シュレーナー派っていってね。精霊の加護とか恩寵とか、そういう『目に見えないもの』を理由にすることを否定しているのよ。精霊の存在自体は認めているらしいけどね。
でも、あれ結構難しいんだけど・・・内容、わかった?」
「確かに難しかったけど、まあ、なんとなく?」
内心舌を巻くセリス。『選地論』は精霊や魔法といったものを極力根拠として用いないようにしているので『なんとなく』とか『そんな感じ』で理解することができないのだ。よって、専門家はともかく一般の人には難易度が高い。
だが、それをジークに伝えることはしなかった。・・・・・というか、できなかった。
なぜなら、先にジークが爆弾を落としてきたのだ。にっこり笑顔つきで。
「で、しばらく前から何を悩んでいるの?それも、当人である僕を除け者にして。」
ピタリ、とセリスの動きが止まる。
それから誤魔化すようにぎこちなく料理(今晩の夕食は川魚ときのこの蒸し焼き、野菜のクリームスープ、フルーツサラダ、香草入りオムレツ)をパクリ、と食べる。
モグモグモグ・・・・・・・・・・・・
そんなセリスを見、ジークは必死に笑いをこらえる。
時々この女性は、妙に可愛らしくなると思う。
「言っとくけど、今回は誤魔化されないよ?ちゃんと教えてくれるまで、諦めないから。」
ピタリ・・・・・・・・・・・・コクン
再び停止してから、口の中のものを飲み込み、はぁ、と溜め息をついた。
彼は聡い。それにとても賢い。それに、いつまでも隠しておけることでもない。
「降参です。きちんと話します。ただ、あまり楽しい話ではないから、食事の後にしましょう。」
「わかった。」
丁寧な言葉遣いはジークの保護者としての言葉。
それに、セリスはこういった時の約束を破ることは無い。
半月一緒にすごしただけでも、それがわかったジークは、大人しく食事を続けた。
「単刀直入に言うとね、あなたには魔力があるの。」
食後のお茶を飲みながら、セリスはあっさりと言った。
「それも、とても強い魔力。今のままでは危険なほどに。」
静かなまなざしでジークを見つめる。ジークもセリスから目を逸らさない。
ただ、ひとつだけ気になった。
「危険?」
「そう、魔力についてはわかる?」
「たぶん、この前本に書いてあった。魔素と気だっけ。」
「そう。なら説明は要らないわね。
危険というのはね、魔力は感情に引きずられやすいからなの。強い魔力ほど、感情に影響を受けて暴走しやすい。
さらに、魔力が強いと暴走した時の身体の負担も大きいから、周りだけでなく自分の命さえ危うくなるわ。」
思わずじっと自分の手を見る。自分にそこまでの力があるとは、到底信じられない。
「僕、魔力なんて感じないけれど・・・・」
「それはそうでしょうね。
忘れているかもしれないけれど、あなたはこの前、死に掛けていたのよ?そう簡単に生命力が回復する訳ないじゃない。やっと肉体が元気になって、余裕ができたって言うのに。」
指を振って言うセリス。行儀が悪いはずなのに、様になっているのはどういうことか。
「問題は、そんな状態でもはっきりわかる程にあなたの魔力が強いこと。
本当はもう少し、落ち着いてからのつもりだったけれど・・・・。」
ふう、と息を吐いて言葉を切る。
本当に重要なのはここからだ。全ては、ジークの選択次第。
「何度も言うけれど、あなたの魔力は強い。放置しておけない程に。
だから、わたしにできるのはあなたに選択肢を用意してあげることだけ。
ひとつは、その魔力を封印すること。目覚めていない今の状態なら、可能。
ただ、どんなきっかけて目覚めてしまうかわからない上に、そうなってしまえば恐らく、再封印は不可能。つまり、いつ目覚めるかわからない爆弾を抱えていくことになる。
ふたつめは一切、外界との接触を断ち、一人で暮らすこと。というか、完璧な隠居よね、これ。
実際には、生きている限りそんなこと無理だから、現実性の無い理想論だけど。
みっつめは、魔力の制御を学ぶこと。あなたの魔力は大きいから、師匠はわたしになるわね。目標は制御だけど、魔法もその意志があれば教えてもいいわ。
さあ、どうする?」
意味深に笑うセリス。それはまるで、契約を迫る悪魔のような微笑。
だが、ジークにはそれよりも気になることがあった。
「三番目を選ばせようという意志がひしひしと感じられるんだけど。」
「ばれた?まあ、そのほうが色々と楽だしね。ただ、選ぶのはあなたよ。」
「わかってる。僕がどれを選ぼうと、あなたはそれを受け入れるだけなんでしょう?」
「うん、その通り。」
にっこり笑って肯定されれば、ジークはもう何も言えない。
「まあ、すぐに結論を出す必要もないし、しばらく考えて・・・「三番目を選ぶ」・・・え?」
即断したジークにセリスは驚く。けれど、ジークの瞳に迷いは無い。
「いいの?」
ジークははっきりと頷く。
「選択肢が三つに限られているなら、僕はその中で一番自由なものを選ぶ。」
「・・・・いいでしょう。なら、あなたはわたしの弟子ね。」
「よろしく、師匠。」
「セリスでいいわ。ただ、ひとつだけ。」
クスリと笑った次の瞬間、幻のように笑みは消え失せ、真剣な眼差しが注がれる。
「わたしは唯人ではない。それだけは覚えていて。
わたしは・・・・『魔女』よ。」
「魔女・・・・・?」
ぼんやりと復唱するジーク。この時の彼には、それがどんな意味なのか、わからなかった。




